第七十五話 一層
いよいよ今回から穴に潜ります!
五章はダンジョン攻略の章なので、まずは肩慣らしの一層から。
王国の遺構とは色々と勝手が違うので、レンもミアもちょっと戸惑ってます。
気楽に読んでもらえたら嬉しいです!
朝の食堂でパンを齧っていると、マルタが鍋を持ったまま俺たちの卓の横で足を止めた。
「初日から欲張るんじゃないよ。穴は明日もそこにあるんだからね」
「五層の主まで行けそうなら行って、怪しかったら手前で戻るよ」
「それでいい。戻るって言える奴は長生きするよ」
マルタはそれだけ言うと奥の卓へ鍋を運んでいった。
北の門を出ると岩山はすぐそこで、灰色の崖の根元を太い丸太の柵がぐるりと囲んでいた。柵の切れ目に門が一つあり、槍を持った番の男が二人立っている。
札を見せると、番の男は字を確かめて顎で奥を示した。
「Eか。灯りは持ったな。中で揉め事を起こすなよ」
柵の内側は踏み固められた広場になっていて、朝のうちから十人ほどが散らばっていた。縄を肩に巻き直している者もいれば、灯りに油を足している者もいて、地面に座り込んで干し肉を齧っている四人組は誰も口を利かない。
黒い外套の男と弓を背負った女が入ってきても、顔を上げたのは二、三人で、その目もすぐ自分の荷に戻った。ここでは他人の格好より自分の縄の結び目の方が大事らしい。
広場の奥の崖に黒い穴が開いていた。荷車が一台そのまま入れそうな口から冷えた空気が流れ出ていて、その脇に平たく削った石の台が据えてある。
眺めている間に台の上が青白く滲んで、次の瞬間には泥だらけの男が四人そこに立っていた。四人は膨らんだ袋を担ぎ直すと、何事もなかったように門の方へ歩いていく。
「あれが話に聞いた台ね」
試しに乗ってみたが、足の下にあるのはただの冷たい石だった。
「主を一匹も倒してねえ奴には何も起きねえよ」
番の男が笑いもせずに言った。
「乗りたきゃ五層まで歩いて行ってこい」
穴の口をくぐって十歩も進まないうちに、背中の朝の光は役に立たなくなった。
中は岩と土だった。王国の遺構のように切り出した石が積まれているわけでもなく、壁で魔石が光っているわけでもない。昨日買った灯りに火を入れると、濡れた岩肌が手の届く所までだけ浮かび上がって、その先はまた黒に戻った。
ミアが灯りを持って半歩後ろに付き、俺が前を歩く。通路は二人が並ぶと肩が擦れる幅しかなくて、天井も手を伸ばせば届いた。
足元は所々ぬかるんでいて、踏むたびに靴の底が吸われる。自分の足音と外套の擦れる音が岩に跳ね返って、どこか先の方で誰かが歩いているようにも聞こえた。
「音が当てにならないわね、ここ」
「気配も分かりにくい。壁の向こうにいるのか先にいるのかが掴めない」
「遺構は廊下が真っ直ぐだったものね」
最初の一匹は、曲がり角の先の暗がりから床を這うように走ってきた。犬ほどもある鼠で、灯りを受けた目だけが赤く光っている。
いつもの調子で刀を横に払おうとして、切っ先が岩の壁を擦った。火花が散って腕が止まり、その間に鼠が膝の高さまで跳んでくる。
体を捻って牙を外したつもりが外套の袖を噛まれて、腕ごと下へ引かれた。振り払うと鼠は壁を蹴って床に降り、すぐに向きを変えてまた走ってくる。
遅い相手だった。見えているのに一太刀で終わらなかったのは、振る場所が無いからだ。
俺は肘を畳んで刀を体の前に引き付けると、二度目に跳んできた口の中へ真っ直ぐ突き入れた。重さが一度だけ腕に掛かって、鼠は刃に刺さったまま動かなくなった。
「大丈夫?」
「袖を噛まれただけだ。壁に当てて止まった」
「あんたが空振りする所、久しぶりに見たわ」
「ここじゃ振るより突いた方が早いな」
刀を抜こうとした時、刃に掛かっていた重さがふっと消えた。
鼠の体が砂のように崩れていた。毛も肉も骨も同じ色の粉になって床に落ち、落ちた先から土に吸われるように薄くなっていく。瞬きを二つする間に、そこには何も無くなっていた。
残ったのは親指の先ほどの魔石が一つと、黄色い前歯が二本だけだった。
【大鼠を討伐しました】
【経験値 +50】
「消えたわね」
ミアが灯りを床に近づけた。
「遺構の影も霧になって消えたけど、あれは最初から手応えが無かったでしょ。今のはちゃんと刺さったのよね?」
「刺さった。肉の重さもあった」
「じゃあ生き物なのに、死んだら穴が持っていくんだ」
ミアは魔石と歯を拾って、灯りにかざしてから袋に入れた。
二匹目と三匹目は続けて来た。
今度は最初から刀を立てて構えていたので、一匹目を突いて引き、その後ろから跳んだ二匹目を柄で壁に叩きつけてから刺すまで、足は一歩も動かさずに済んだ。
二匹とも同じように砂になったが、床に残った物は違っていた。片方は魔石が一つきりで、もう片方は魔石と歯の他に、灰色の毛皮が一枚畳んだように落ちている。
「同じ鼠なのに、出る物が違うのね」
「毎回全部落とすわけじゃないらしい」
「運って事? 拾う方は楽でいいけど、狙って集めるのは大変そう」
ミアが毛皮を広げて裏を見た。剥いだ跡も血も付いていない、最初から一枚の皮として出来上がった物だった。
俺は窓の数字の方をもう一度見ていた。手応えは灰の森の遺構にいた影犬と変わらなかった。あれは一匹で百五十入ったのに、ここでは三分の一しか入っていない。
しばらく進むと通路が二つに分かれた。
どちらも同じ幅で、同じように先が暗い。灯りを左右に向けても違いは分からなかった。
ミアが分かれ目に立って、しばらく黙って両方を見ていた。
「右ね。下から冷たい風が上がってきてる。左は流れが止まってるから、たぶん行き止まりよ」
「見えるのか、そこまで」
「外より分かりやすいくらい。風の通り道が一本しか無いもの」
右へ入ると、通路は緩く下りながら曲がっていった。
先の方から怒鳴り声と金物のぶつかる音が聞こえてきたのは、その下りの途中だった。
通路が少し広くなった所で、男が三人、大鼠一匹を囲んでいた。盾を持った男が正面で押さえ、残りの二人が横から剣を出しているが、鼠が跳ぶたびに三人とも一歩下がるので、いつまでも刃が届かない。
三人の装備は良かった。胸当ては傷の少ない鉄で、剣は灯りをよく返している。トリムのギルドであれだけの物を揃えている者は数えるほどしかいなかった。
腰の札にはDと刻んであった。五層の主を越えている三人だ。
俺は黙って鑑定を向けた。弾かれる手応えは無くて、三つの窓が素直に開いた。
盾の男がLv11で、残りの二人は九と八だった。
「……ミア。あの三人、一番上で十一だ」
「見たの?」
「見た。札はDなのに、トリムで駆け出しだったガイより低い」
ミアは三人の方を見たまま小さく息を吐いた。
盾の男がようやく鼠を壁に押し付け、横の男が首に剣を落とした。三人は肩で息をしながら床の魔石を拾い、俺たちに気づくと盾の男が片手を上げた。
「新入りか。一層でも気を抜くなよ、今のは大物だったからな」
俺は頷いて脇を抜けた。背中の方でミアが笑いを噛み殺しているのが分かった。
二層へ降りる下り口の手前に、岩が棚のように張り出した所があった。
そこに腰を下ろして水を飲んだ。灯りを足元に置くと、二人の影が天井まで伸びて揺れる。
「さっきの三人、弱いわけじゃないと思うの」
ミアが水袋の口を拭きながら言った。
「盾の人の押さえ方は慣れてた。何年も潜ってる動きよ。それであの数字なんでしょ」
「鼠一匹で五十だ。外の三分の一しか入らない」
「それじゃ何年いても上がらないわね」
「その代わり拾った物で装備だけは良くなる。あの胸当ても剣も、たぶんここで出た物だ」
「じゃあここは強くなる場所じゃなくて、拾う場所って事ね」
ミアは袋の口を開けて中を覗いた。魔石が七つと歯が六本、毛皮が一枚入っている。
「半日でこれなら、出稼ぎって言ったのは嘘にならないわ」
「強くなる方は、主に期待するしかないな」
「あんたはそっちが目当てでしょ。顔に書いてあるもの」
俺は答えずに立ち上がって、刀の柄の位置を直した。
二層は一層より天井が高かった。
灯りを上げても上の方は暗いままで、濡れた岩の匂いに何か生臭い物が混じっている。通路の幅は変わらないのに、頭の上に何も無いというだけで落ち着かなかった。
五歩も進まないうちに、後ろでミアの弓が上がる気配がした。
俺が振り向くより先に矢が頭の上を抜けて、暗い天井で何かに刺さる音がした。少し遅れて、砂が雨のように肩へ降ってくる。
砂と一緒に矢が一本と、小指の先ほどの魔石が足元に落ちた。
【洞窟蜥蜴を討伐しました】
「蜥蜴よ。腕くらいの長さのが天井に張り付いてた」
ミアは矢を拾って矢筒に戻した。
「灯りが届く前に風で分かるの。張り付いてる所だけ流れが割れてるから」
「俺には何も見えなかった」
「でしょうね。あんたの真上だったもの」
ミアは灯りを俺に渡すと、弓を手に持ったまま天井を見上げた。
「この先、まだいるわ。右の壁に二つ、その奥の天井に三つ」
俺は刀を抜いて、灯りを持つ手を高く上げた。一層は俺の刀で足りたが、ここから下はミアの目が先に要る穴らしい。
読んでくれてありがとうございます!
初めての穴は一層と二層の入口まででした。
体が消えて物だけ残ったり、経験値が少なかったり、王国の遺構とは別物ですね。
次回は五層の主に挑みます。
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