第七十四話 札
今回は登録の回です!
帝国のダンジョンのルールと、ランクの仕組みが出てきます。ちょっと説明多めですが、マルタさんが口悪く教えてくれるので、さらっと読んでもらえたら嬉しいです。
朝の食堂は、夜とは別の店のように静かだった。
潜る連中は日の出前に出ていくらしく、残っているのは昨夜飲みすぎた顔が二つ三つと、鍋をかき回しているマルタだけだった。
「起きたね。座りな、すぐ出すよ」
卓に置かれたのは、麦の粥に刻んだ干し肉を落とした椀と、厚く切った黒いパンだった。
「食ったら管理局だ。まず札を貰ってきな。札の無い奴は穴の門を通してもらえないからね」
「札を貰うのに、何か要るのか」
「名前を言える口があれば足りるよ。細かい決まりは管理局からも説明があるはずだけどね、あそこの話は丁寧な分だけ長いんだ。聞きたい事があるなら、先に教えてはあげられるよ」
ミアが匙を置いた。
「それじゃ、ランクの事を教えて。昨日、下で話してるのが聞こえたの」
「いいよ。一番下がEで、D、C、B、Aと上がって、てっぺんがS。穴には五層ごとに主がいてね、そいつを倒して魔石を持って帰ると上がっていく」
マルタは杓子を持ったまま指を折った。
「五層の主でD。十層でC。そこから先は間が開いて、二十層でB、三十層でA。四十層より下の主を倒した奴がSだ」
「じゃあ、一気に十層の主まで倒して帰ったら、いきなりCなの?」
「ならないよ。上がるのは一度に一つだけだ。五層の主を倒してそのまま十層の主まで倒して帰っても、貰えるのはDまで。新入りを焦らせないための決まりさ」
「厳しいのね」
「厳しくしとかないと、死体が増えるからね」
「Sの人って、どのくらいいるの」
「帝国中を探しても片手で足りるよ。底がどこにあるのかは、そいつらも知らない」
俺もパンをちぎる手を止めた。
「それじゃ、俺からも一つ。四十層まで、毎回歩いて下りるのか」
「そんな事してたら潜る前に日が暮れるよ。主を倒すと、その奥に帰りの台が出る。乗れば地上だ。次からは入口の台に乗れば、自分が倒した主の層まで一息に下りられる」
「誰が倒したかを、どうやって見分けてるんだ」
「穴の方が覚えてるのさ。他人が倒した主の台には、いくら乗っても何も起きない。管理局は来る者を選ばないけど、穴は選ぶ。あんたらは選ぶんじゃない、選ばれるんだよ」
「もう一つだけ。穴の中で、気を付ける事は?」
ミアが聞くと、マルタは鍋の縁で杓子を叩いた。
「二つある。一つ目、穴の雑魚はいくら狩っても大して育たない。外の魔物の方がよっぽどましだよ。育ちたきゃ主を倒すしかない。だから皆、主を目指して下りるのさ」
「二つ目は」
「余裕はしっかり取っときな。行けると思った所の一つ手前で帰るんだ。でないと死ぬよ」
「脅かすのね」
「脅しじゃないさ。この前もAランクのパーティーが一組、下りたきり戻ってこなくてね。十日待って、管理局が死亡扱いにした。三十層を越えた連中がだよ」
ミアは何も言わずに椀へ目を落とした。
俺は粥の底をさらって、マルタの太い腕と頬の傷を見た。
「あんたは、どこまで行ったんだ」
「三十九層だよ」
ミアの匙が椀の縁に当たって鳴った。
三十層の主を越えたAランクで、Sの主まであと一層という所だ。
「四十層へ下りる階段が見える所まで行った。そこで仲間が皆死んで、私だけ逃げてきたのさ。帰りの台がある三十層まで九層、一人で這って上ったよ」
マルタは顔色も変えずにそう言って、空いた椀を重ねた。
「行けると思ったんだ、あの時はね。だから言ってるんだよ。欲をかく奴から死ぬ。行ってきな」
朝の広場は屋台がまだ半分しか開いていなかった。
像の足元では年寄りが一人、萎れた花を新しい物に替えている。俺は前を通る時に少しだけ足を緩めて、何も言わずに通り過ぎた。
管理局は広場を抜けてすぐの所にあった。
三階まである石の建物で、入口の上に山の立て札と同じ字が彫ってある。中は広間になっていて、長い台の向こうに係が何人も並び、その前に潜る者の列ができていた。
順番が来ると、台の向こうの若い女が帳面を開いた。
「登録ですね。お名前と、お使いの得物をお願いします」
「レン。刀だ」
「かたな、ですか」
「……剣の一種だ」
「では剣で。そちらの方は」
「ミア。弓よ」
女は帳面に書き付けるだけで、水晶も秤も出してこなかった。
「それだけなのか」
「はい?」
「いや。ギフトだとかレベルだとかは、調べないのかと思って」
「こちらでは伺いません。穴に入って、何を持って帰ってきたか。管理局が見るのはそれだけです」
肩から力が抜けた。
王国のギルドでは、水晶に手を置いた途端に横線一本を見られた。あれが全部の始まりだった。ここでは誰も、俺の窓の中身を知ろうとしない。
「お二人はお連れ様ですね。パーティー登録もできますが、どうされますか」
「登録すると何が変わるの?」
「主を倒した時に、登録された全員のランクが上がります。登録が無い場合は、魔石を持ち帰った方お一人だけです」
「するわ。いいわよね、レン」
「頼む」
「かしこまりました。パーティー名はどういたしますか?」
俺とミアは顔を見合わせた。そんな物が要るとは思っていなかった。
「……何かある?」
「急に言われてもな。後で決めるから、そこは空けておいてくれ」
「空欄、ですね。承りました」
女は真面目な顔のまま、帳面にその二文字を書き込んだ。
「いや、そういう意味じゃない」
「あら、もう書いてしまいました。変える時は改めてお申し出ください」
隣でミアが肩を震わせている。
「いいじゃない、それで。あんたにぴったりよ」
「……笑うな」
王国では、その言葉を人に聞かれないように息を潜めていた。
ここではそれが、帳面の上のただのパーティー名になる。誰も顔色を変えないし、誰も塔へ走らない。
悪くない、と思った。
女は帳面に線を一本引いて二人の名前を繋ぎ、ランクと主と台の決まりを頭から順に説明し始めた。
マルタの言った通り、丁寧な分だけ長い。中身も今朝聞いた通りだったが、一つだけ違う所があった。
「ランクは、持ち帰られた中で一番深い主の魔石で決まります。一度に上がるのは二段階までです。例えば五層の主を倒してそのまま進み、十層の主の魔石までお持ち帰りになれば、EからCになります」
ミアが首を傾げた。
「待って。元Aランクの人からは、上がるのは一度に一つだけだって聞いたんだけど」
「ああ、それは少し前までの決まりですね。最近になって、二段階まで認めるように変わったんです。腕のある方を浅い層で足踏みさせないように、という事で」
「じゃあ、十層より下まで行ったら?」
「それでも二段階までです。一度に二十層の主まで倒されても、付くのはCまでになります」
女は筆を止めて、俺たちの顔を見た。
「あの、もしかして、その元Aランクの方というのは、マルタさんですか?」
「知ってるのか」
「この局でマルタさんを知らない係はいません。三つ樽亭にお泊まりなんですね」
女の声が少しだけ低くなった。
「三十九層から、お一人で戻ってこられた方です。あの日の事は、今でも局の語り草なんですよ。私が勤める前の話ですけど、先輩たちは皆、あの日の当番が誰だったかまで覚えています」
「本人は、今朝それを粥をよそいながら話してたぞ」
「マルタさんらしいです。……あの方の言う事は、よく聞いておいてください。局の説明より、ずっと役に立ちますから」
「口は悪いけどね」
「はい。口は、とても」
女は初めて笑って、台の下から小さな鉄の板を二枚出した。
親指ほどの幅で、紐を通す穴が開いている。その場で名前が刻まれ、隣に字が一つ打たれた。
E。
「またEからなのね。向こうじゃCだったのに」
「他所のランクは引き継げない決まりでして。ですが、腕のある方は早いですよ」
ミアは札を目の高さに持ち上げて、口を少し尖らせてから首に掛けた。
台を離れると、広間の壁が一面の掲示になっていた。
魔石の買取の値、層ごとの注意書き、人を探す紙。どれも端が擦り切れている。その一番上に、他の倍はある大きな紙が貼ってあった。
谷の主 討伐
報奨 金貨三百枚
受注はAランク以上のパーティーに限る
「……三百」
ミアの声が掠れた。
「父さんが受けた神命依頼が金貨五枚よ。Bランクが命を懸ける仕事で五枚。その六十倍を出すって書いてあるの」
谷、と読んだ所で、山の立て札と雪の上の足跡が頭に戻ってきた。
五本の指が人の手のように開いた、あの跡だ。
「あれか」
「あれね。入るなって札を立てて、倒したら三百枚。帝国も本気で困ってるんだわ」
さっきの女が、俺たちの見ている物に気づいて台の向こうから声を掛けてきた。
「あちらはAランクからです。……受けて戻ってきた組は、まだありません」
Aという事は、三十層の主を越えた者だ。
マルタと同じ所まで行かないと、受ける事すらできない。首から下げたばかりの札には、Eと打ってある。
「遠いわね」
「遠いな。あれの事を考えるのは、ずっと先でいい。まず五層だ」
「そうね。三百枚は逃げないもの」
管理局を出ると、日はもう屋根の上まで昇っていた。
「潜るのは明日の朝からにしましょ。今日は買い出し。矢が足りないし、灯りも要るわ」
「俺は砥石が欲しい。山を越えてから一度も研いでない」
「じゃあ、先に道具屋ね」
潜る者向けの店は、管理局の裏の通りに並んでいた。
ミアは矢を一本ずつ指で弾いて反りを確かめ、気に入らない物を容赦なく束から抜いていく。店の親父が渋い顔をするたびに、俺は棚の灯りと油を見ているふりをした。
「Eの札で矢にうるさい客は珍しいな」
「矢で食べてきたのよ。札は今朝貰ったばかりなの」
「なら、長生きしな。うちは常連が減るのが一番困るんだ」
矢を二束、灯りと油、干し肉と固いパン、それから俺の砥石。
抱えて通りに出ると、ミアが荷の重さを確かめながら言った。
「マルタさん、決まりが変わったのを知らないのね」
「辞めてから穴には近づいてないんだろう。帰ったら教えるか」
「怒鳴られそうだわ。二段階だなんて、死体が増えるだけだって」
「言いそうだな」
宿への帰り道、俺は首の札を掌に載せた。
打たれたばかりのEの字は浅く、爪で擦れば消えそうに見える。
これを深い字に変えていくのが、明日からの仕事になる。
読んでくれてありがとうございます!
というわけで、二人ともEランクからのスタートです。ミアは向こうでCだったのにやり直し。ちょっと不満そうでしたね。
そしてパーティー名は、まさかの「空欄」。受付のお姉さん、仕事が早い……! 王国では隠していた言葉が、帝国ではただの名前になりました。
ランクは五層でD、十層でC、二十層でB、三十層でA、四十層より下でS。一度に上がるのは二段階まで。マルタさんの頃は一つずつだったそうです。
そのマルタさん、まさかの三十九層。管理局でも語り草になっている人でした。あの人の「欲をかく奴から死ぬ」は重いです。
次回はいよいよ初めてのダンジョンです。お楽しみに!




