第5章 第七十三話 三つ樽亭
今回から五章です!
五章はダンジョン攻略の章。追われる旅はひと休みして、帝国の街ラウレで潜って稼ぐ毎日が始まります。
まずは一話目、宿探しから。肩の力を抜いて読んでくださいね。
ミアは焼いた肉の串を二本持ったまま、俺の横で像を見上げた。
「この人なのね。あんたを送ったの」
「ああ。顔も、板の持ち方もそのままだ。髪の長さまで同じに彫ってある」
「……変な気分。あんたの知ってる人が、広場の真ん中で拝まれてるなんて」
「俺の方が変な気分だ。あの女、俺には稀にありますとしか言わなかったんだぞ」
ミアが吹き出して、串を一本押し付けてきた。
「はい、その稀な人の分。冷めないうちに食べて」
肉は熱くて脂が多く、噛むと香草の匂いが鼻に抜けた。
干し肉と山の鳥ばかり食べてきた口には、塩が利いているというだけで涙が出そうになる。ミアは二口で半分を片付けて、もう次の屋台の方を見ていた。
「もう一本買ってくるわ。あんたは?」
「貰う。……あの像の前で食うのは、何だか落ち着かないけどな」
「見られてるみたいで?」
「見られてる気がする。あの板に何か書き込まれてそうだ」
ミアはまた笑って、人の間を縫って屋台へ戻っていった。
二本目を食べ終える頃には、日が屋根の向こうへ傾き始めていた。
「宿を探しましょ。馬を預けられる所じゃないと駄目ね」
「ああ。暗くなる前に決めたい」
広場を出る時、俺は一度だけ振り返った。像は同じ顔で同じ所を見下ろしていた。
宿は広場から先の通りに固まっていた。
どの軒先にも看板が下がっていて、剣を交差させた絵や、兜の絵や、口を開けた穴の絵が並んでいる。潜る者を当てにした宿ばかりらしく、どの戸口にも泥の付いた靴と、壁に立てかけた槍があった。
一軒目は戸を開けた途端に断られた。
「満室だよ。馬連れなら尚更無理だ、うちは厩がない」
帳場の男は顔も上げずにそう言って、手だけで通りの先を指した。
「この辺で厩があるのは三つ樽だけだ。空いてるかは知らん」
言われた通りに歩くと、通りが少し細くなった所に、樽を三つ積んだ絵の看板が出ていた。
石の一階に木の二階が載った古い建物で、開け放した戸の中から煮込みの匂いと、皿のぶつかる音がしている。
戸口に立った途端、奥から声が飛んできた。
「泥は落としてから入んな。馬は裏に回して、桶の水は好きに使っていいよ」
帳場の奥から出てきたのは、袖を肘までまくった四十過ぎの女だった。左の頬から顎にかけて古い傷が一本走っていて、腕は俺より太い。
女は俺の外套と刀を見て、ミアの弓を見て、最後に二人の靴を見た。
「山を越えてきた靴だね。で、潜るのは初めてだ。顔に書いてある」
「分かるのか」
「分かるさ。慣れた奴は門をくぐったら真っ直ぐ管理局へ行く。先に宿を探すのは、明日からどうするかまだ決めてない奴だけだよ」
ミアが一歩前に出た。
「部屋は空いてる? 馬が一頭いるの」
「二階の奥が一つ空いてる。寝台は二つで、窓は広場の方を向いてる。朝と晩は下で食わせる。それでいいなら荷を上げな」
「お願いするわ」
「マルタだ。この宿の主だよ。文句と相談は私に言いな、他の奴に言っても何も変わらないからね」
マルタは鍵を帳場の上に滑らせた。
「管理局は朝のうちに行くんだよ。昼を過ぎると混んで話にならない」
「覚えておく」
馬を裏の厩に入れて水と飼い葉をやり、荷を担いで二階へ上がった。
部屋は狭かったが、寝台には乾いた藁の匂いのする布団が載っていて、床は掃いてあった。壁があって屋根があって、戸には閂が付いている。
ミアは弓を二本とも壁に立てかけて矢筒を外し、寝台に腰を下ろして長く息を吐いた。
「屋根だわ」
「雨が降っても起きなくていいな」
「それよ。夜中に火の番もしなくていいの。信じられる?」
晩は下の食堂で煮込みを食べた。
周りの卓は潜る者で埋まっていて、何層まで行っただの、どこの通路が崩れただのという話が、酒と一緒に飛び交っている。半分も意味は分からなかったが、誰も教会の話をしていない事だけは分かった。
「聞いてるだけで面白いわね。明日には、あの話の中身が少しは分かるようになるのかしら」
「管理局で聞けば分かるだろ。分からなかったら、あの女主人に聞く」
「怒鳴られそうだけど、教えてはくれそうよね」
ミアは二杯目をよそってもらい、俺も久しぶりに腹が重くなるまで食べた。
部屋に戻ると、ミアは先に寝台に入った。
「明日は管理局ね。寝坊したら置いていくわよ」
「置いていかれたら、像の前で待ってる」
「拝まれないように気を付けて。おやすみ」
それきり、すぐに寝息が聞こえてきた。雪原からここまで、ミアもずっと気を張っていたのだ。
窓の板戸を少しだけ開けると、屋根の並びの向こうに広場が見えた。
足元に並んだ灯りに下から照らされて、白い像の肩から上だけが夜の中に浮いている。
あの女が何を考えて俺をここへ落としたのかは、今も分からない。聞いた所で、石は答えないだろう。
分かっているのは、明日の朝は管理局へ行くという事だけだった。
板戸を閉めて横になると、藁の匂いがした。
追われずに屋根の下で眠るのがいつ以来なのか、思い出す前に目が閉じていた。
【御礼】
本作が「日間 異世界転生/転移〔ファンタジー〕ランキング(連載中)」に入りました。
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実は本編の更新のほかにも、この作品でいろいろなことを計画しています。
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