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第4章完 第七十二話 帝国

 丘を下りきって列の後ろに付くと、街の壁は見上げるほど高かった。

 灰色の石を隙間なく積んだ壁で、上を歩く兵の槍の先だけが日を受けて光っている。前に並んでいるのは荷車が六台と、背負い籠の男たちと、剣や槍を担いだ何組かの連れで、誰も急いでいなければ誰も怯えてもいなかった。


「検められるのかしら」

 ミアが小声で言って、弓を背中の方へ少し回した。

「前の連中を見てると、一言二言で通ってる。荷車だけ覆いをめくられてるな」

「じゃあ、聞かれた事だけ答えるのよ。余計な事は言わないで」

「分かってる」


 列は思ったより早く進んだ。

 門の下に立っていたのは鉄の色そのままの胸当てを着けた兵が四人で、白い鎧は一つもない。そのうちの年嵩の一人が、俺の外套から腰の刀、ミアの背中の弓へと順に目を動かした。


「見ない顔だな。どこから来て、何をしに来た」

「山の向こうからだ。出稼ぎに来た」

「出稼ぎか。この街に来る奴の半分はそう言う」

 兵は面白くもなさそうに鼻を鳴らし、馬の腹と鞍の袋を外から軽く叩いて確かめた。

「得物を持ってるなら潜る気だろう。それなら先に管理局へ顔を出せ。大通りを真っ直ぐ行って、広場を抜けた先の大きい建物だ」

「助かる」

「面倒は起こすなよ。行け」


 それだけだった。

 兵はもう次の荷車の方を向いていて、俺たちは馬を引いたまま門の影をくぐった。


 影を抜けた途端に音が増えた。

 石畳を踏む車輪、呼び込みの声、金物を打つ槌、どこかの二階から落ちてくる笑い声。大通りは荷車が三台並んで通れるほど広く、両側に石と木の家が隙間なく続いている。


 すれ違う人間の半分近くが、何かしらの得物を下げていた。

 欠けた盾を背負った大男、揃いの革鎧を着た四人組、身の丈より長い槍を杖のように突いて歩く女。見た事のない獣の皮や大きな魔石を積んだ荷車が、当たり前のように人の間を抜けていく。


 誰も俺の黒い外套を見て足を止めなかった。

 目が合っても逸らされず、道を空けられもしない。ただの通りすがりとして、肩が触れそうな近さですれ違っていく。


「ねえ、気づいた?」

 ミアが屋根の並びを見上げたまま言った。

「この街、塔がどこにもないのよ」


 言われて見回すと、本当に無かった。

 トリムにも王都にも、街道沿いの小さな村にさえあった教会の塔が、ここには一本も立っていない。屋根の上に出ているのは煙突と洗濯物と、風見の鉄の鳥だけだった。


 それを見て、焚き火の前でミアが言った事を思い出した。

 山の向こうは教会を嫌っている国で、拝んでいる女神の名前がそのまま国の名前になっている。王都を逃げ出した最初の夜に、ミアはそう話していた。


「ミアが言ってた通りだな。教会を嫌ってる国だって」

「聞くのと見るのじゃ全然違うわね。塔のない街なんて、生まれて初めて見たわ」

「俺もだ。……空が広いな」

「そうね。変な感じ。見張られてない街って、こんなにうるさいのね」


 ミアは少し笑って、それから鼻を上げた。

「待って。いい匂いがする。肉を焼いてるわ。香草も使ってる」

「管理局が先じゃなかったのか」

「ご飯が先って言ったでしょ。こっちよ」


 手綱ごと引っ張られて、俺は大通りを奥へ進んだ。

 匂いは真っ直ぐ先から流れてきていて、歩くにつれて人の数が増え、やがて道の先がぱっと開けた。


 広場だった。

 丸く敷かれた石畳の周りを屋台が囲み、串を焼く煙があちこちから上がっている。匂いの元はたぶんその内のどれかで、ミアはもう一番煙の多い屋台へ向かって歩き出していた。


 俺の足は、広場の真ん中で止まった。


 白い石の像が立っている。

 人の背丈の三倍はあり、足元には花と小さな灯りが隙間なく並べられていた。通りがかった荷運びの男が歩きながら胸に手を当て、子どもの手を引いた女が像の前で足を止める。

「ほら、リセ様にご挨拶して」

 子どもが小さな手を合わせて、すぐに屋台の方へ駆けていった。


 リセ様。

 焚き火の前でミアから聞いた名前が、当たり前のように人の口から出てくる。


 像は女の姿をしていた。

 足首まであるローブを着て、腰まである髪を背中に流している。片方の手に、薄い板を一枚持っていた。

 本にしては薄く、盾にしては小さい。胸の高さに支えて、指を一本その上に置いている。


 その持ち方を、俺は知っていた。


 目が勝手に上へ動いて、像の顔で止まった。

 女神リセです、あなたの転生を担当します。やたらと事務的だったあの声が、耳の奥で鳴った。


「レン?」

 戻ってきたミアが、俺の顔と像を見比べた。

「どうしたの?」

「……本当にリセだ」


 名前は聞いていた。この国が拝んでいる神だという事も、焚き火の前でミアから聞いている。

 それでも、顔を見るまではどこか他人事だった。


 白い石の女は片手に薄い板を持ち、広場を行き交う人を見下ろして少しだけ微笑んでいる。

 あの白い場所で、板から顔を上げて俺に向けたのと同じ微笑みだった。


 俺をこの世界へ送った女を、この国は本当に神と呼んでいた。


ここまで読んでくれてありがとうございます!

これで四章「追撃」はおしまいです。


いやー、長い逃亡でした。ヴァルドに三回も追い回されて、最後はハルディスさんですからね。レンもミアもよく生きてたなと思います。


次からは五章、帝国の街ラウレでの暮らしが始まります。

やっと屋根の下で寝られる二人を、のんびり見守ってもらえたら嬉しいです。


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