第六十八話「輝剣」
金の光は雪の上まで染めていた。
ユーリは剣を体の横に下げたまま、師匠から目を離さずに言う。
「私の剣の前には出ないでください。斬った先まで届きます」
頷いて半歩下がると、ユーリが踏み込んだ。
振り抜いた剣から光が離れた。
刃の形をした金の筋が雪原を走り、通った跡の雪が一本の溝になって溶けていく。
ハルディスが初めて大きく動いた。
半歩ずれるのではなく横へ跳び、光の筋は白い長上着の裾の先を通り過ぎて、斜面の下の方で消える。
二太刀目は横に薙いだ。
扇のように広がった光を、ハルディスは今度は高く跳んで越える。
降りてきた足が雪に着く前に三太刀目が飛んで、宙で体を捻って外した。
「やっぱり綺麗ね、それ。私には出せないのよね」
雪に降り立ったハルディスが、楽しそうに言った。
息は乱れていない。
「この剣があったから、私は七聖の席に就けたんです」
ユーリは答えながら、もう次を振っていた。
ハルディスの左手が上がる。
雪の中から透明な板が立ち上がって、光の筋を受けた。
氷の盾は一瞬だけ耐えて、真ん中から二つに割れた。
割れた向こうにもう一枚、その奥にさらに一枚が立っている。
ユーリは止まらなかった。
一枚目を割った剣を返して二枚目を断ち、足元から突き上がってきた柱を根元から斬り払って、踏み込みながら三枚目へ突きを入れる。
三枚目が割れた。
その向こうにハルディスはいなかった。
盾の陰から右へ抜けている。
ユーリの剣は、もうそこにあった。
抜ける先を読んで、突きの途中から手首を返していたのだ。
光をまとった切っ先が、白い長上着の左の袖を掠めていく。
布の裂ける小さな音がした。
ハルディスが立ち止まった。
左の袖が、肘から手首まで一筋に開いている。
下の黒い服には届いていないし、肌にも傷はない。
それでも、当たらないから鎧を着ないと言われている女の服に、初めて剣が触れた。
ハルディスは裂けた袖を持ち上げて、しばらく眺めていた。
それから弟子の顔を見る。
「触ったわね、ユーリ。初めてよ」
怒ってはいなかった。
欲しかった贈り物を開けた子どものように、目が輝いている。
「いい子。じゃあ、少し本気を出そうかしら?」
右手に剣を持ったまま、左手を肩の高さに上げた。
風が出た。
ハルディスの足元から雪が舞い上がり、渦を巻きながら広がっていく。
ただの吹雪ではなかった。
舞い上がった雪の粒が、一つずつ内側から白く灯っている。
数えきれない小さな光が風に乗って回り、雪原の上に光る壁が立ち上がった。
ユーリの顔から血の気が引いた。
「……師匠が編み出した二属性合体技、『雪華』です。二属性を一つに合わせられるのは、教会で師匠だけです」
剣を握る手に力が入るのが見えた。
「師匠はあれで、かなりの人間を排除してきたんです」
「あんなの、どうやって避けるんだ」
「避けられません。私が受けます。あなたは下がってください」
ユーリが前に出た瞬間、光る吹雪が押し寄せてきた。
ユーリは剣を薙いだ。
金の筋が吹雪を横に裂いて、一瞬だけ向こう側の師匠が見える。
裂け目は、次の風ですぐに埋まった。
斬る相手がいなかった。
盾なら割れる。柱なら払える。吹雪は斬っても斬っても、同じだけの粒が後ろから来る。
粒が鎧に当たる音がした。
砂で金物を磨くような細かい音が途切れずに続いて、傷一つなかった白い鎧の表が曇っていく。
粒に宿った光が触れた所は、小さく焦げて煙を上げた。
ユーリは吹雪の中を進んだ。
顔を腕で庇い、剣で前を裂きながら、一歩ずつ師匠へ近づいていく。
胸当ては焦げ跡だらけになり、肩当てには罅が走っていた。
それでも届いた。
吹雪を抜けて、右から袈裟に振り下ろす。
ハルディスは剣の外へ半歩出た。
「右から入る時、あなたは左の肩が先に動くの。十五の時から同じ」
言いながら、剣の腹で弟子の脇腹を打つ。
ユーリの体が浮いて、光る吹雪の中へ叩き戻された。
粒が全身を削っていく。
胸当ての真ん中が割れて、破片が雪に落ちた。
「ぐ、あッ……!」
ユーリの口から声が漏れた。
あの男が痛みで声を上げるのを、俺は初めて聞いた。
「ほら、立って。止めたいんでしょ? じゃないと、もっと出力を上げるわよ?」
ハルディスは追い打ちをかけずに待っている。
「まだ、です……!」
ユーリは剣を雪に突いて立った。
鎧は焦げて割れ、金の髪は汗と雪で額に張り付いている。
斬りかかる。
外される。
打たれて吹雪の中へ転がる。
もう一度立って斬りかかり、今度は手首を打たれた。
細身の長剣が手から離れて回りながら飛び、離れた雪の上に突き立つ。
金の光が、ふっと消えた。
俺は走っていた。
剣を失くしたユーリの前に入るつもりだった。
足元の雪が鳴った。
ハルディスはこちらを見もしなかったのに、俺の行く手に氷の柱が三本続けて突き上がる。
一本は斬り払ったが、二本目に腹を突かれて息が止まり、雪の上を背中で滑った。
「あなたは後よ。順番は守りなさい」
叱るような声ではなかった。
菓子を待たせている子どもに言い聞かせるような、穏やかな言い方だった。
ユーリは膝を突いたまま、割れた胸当てを押さえていた。
こちらを見る余裕もなく、口が動いても声になっていない。
吹雪が狭まった。
雪原に広がっていた光の粒が一つの渦に絞られて、膝を突いたユーリを呑み込む。
白い光の柱が立って、中は見えなくなった。
風が止んだ。
光る粒が雪の上に落ちて、普通の雪に戻っていく。
その真ん中に、ユーリが顔から倒れていた。
伸ばした手が剣のある方へ少しだけ動いて、止まる。
動かなくなった。
ハルディスは倒れた弟子の横に立って、見下ろしていた。
「おやすみ、ユーリ。よく頑張ったわ」
優しい声だった。
寝かしつけるような言い方で、悲しんでいる様子はどこにもない。
氷色の目が俺の方を向いた。
「さあ、次はあなたの番ね」
俺は雪に手を突いて立ち上がった。
上の方でミアが弓を引いたまま動けずにいるのが、目の端に見える。
「ユーリに何をした」
「何って、遊んだだけよ。死んでないわ」
ハルディスは不思議そうに答えた。
当たり前の事をなぜ聞くのか、という顔だった。
左手が上がる。
頭の上が明るくなった。
見上げると、氷の球が浮いていた。
人の頭ほどの大きさで、透き通った中に白い光が灯っている。
小さな太陽が、俺の真上にだけ昇ったようだった。
光が降ってきた。
氷を通って広がった白い光が、日差しのように頭と肩に注ぐ。
外套の肩に当たった分は消えた。
顔に来る分は、刀を頭の上に掲げて消す。
掌と肩から、あの冷たくも熱くもない物が流れ込んでくる。
光だけではなかった。
球の表から氷の欠片が剥がれて、雹になって落ちてくる。
こちらは消えずに、掲げた腕を打ち、肩を打ち、額を切った。
「氷は消せないのね。消えるのは光だけ?」
ハルディスは首を傾げて、こちらを眺めている。
答える余裕はなかった。
光は途切れずに降り続けた。
消しても消しても次が来て、その間じゅう雹に打たれる。
ついさっき治されたばかりの体に、新しい傷が増えていった。
逃げても球は頭の上を付いてくる。
右へ走っても左へ転がっても、小さな太陽は俺の真上から動かなかった。
刀が暗くなり始めた。
鋼の色だった刃が、降ってくる光を食うたびに濃くなっていく。
何かが違ってきた。
雹が見える。
さっきまでは当たってから気づいていた氷の欠片の、一つずつの落ちてくる筋が分かる。
俺は体を半歩ずらした。
肩に来るはずだった欠片が、外套の外を落ちていく。
次の一つは首を倒して外し、その次は掲げた刀を返して斬り上げた。
欠片は二つに割れて、左右に散る。
当たらなくなった。
光を食いながら、雹を一つも受けずに立っている。
雹が遅くなったのだと思った。
相手が加減したのか、球が小さくなったのか。
握った刀は、もう刃の形をした影になっていた。
ハルディスの手が止まった。
頭の上の球は浮いたままだが、目は球ではなく俺を見ている。
首が、ゆっくりと横に傾いていく。
(あれ? 少し速くなってる?)
氷色の目が、俺の足を見て、肩を見て、また足に戻る。
(もしかして、光を吸収して強化されてるのかしら?)
目が、俺の右手に下りてきた。
「あなたの刀、黒いわね?」
言われて、俺も自分の刀を見た。
降ってくる白い光の中で、刃だけが切り抜いたように黒い。
ハルディスの目が細くなった。
俺の顔ではなく、俺の少し手前の何もない所を、上から下へ読むように動いていく。
その目が、ある所で止まった。
「あれ? 何そのスキル?」




