第六十話「岩の帯」
暗くなるまで登って木の根が盛り上がった窪みで止まった。
火は焚かない。下から見えてしまう。親馬を根に繋いでミアが俺を座らせ、腿の布を解いて月明かりで傷を見てから縛り直した。俺が縛るより布が締まっていて痛みが半分になる。
「明日は馬に乗って。歩くと傷が開くから」
「ミアが歩くことになるぞ」
「私の足首はもう治ってる。あんたの腿は穴が開いてるの」
水を取ろうと立ち上がったら体が前へ出すぎて木に手を突いた。昼の間に合わせたのは走る時と跳ぶ時の力で、立つとか歩くとかの小さい動きはまだ合っていない。ミアが黙って水の袋を投げてよこした。
干し肉を分けて齧る。ミアは食べながら自分の右手を開いたり握ったりしていた。
「手に残ってるの。当たった時の感じ。兎や狼の時とは違った」
俺は齧るのをやめてミアを見た。
「後悔はしてない。撃たなかったらあんたの膝がなくなってたもの。ただ忘れないでおこうと思っただけ。それだけだから何も言わなくていい」
俺は頷いて干し肉に戻った。ミアも手を握るのをやめて食べ終えた。
窓を開く。身体強化はLv5で所持SPは0になっている。鑑定の下の???は名前も数字もないまま同じ所にあった。外套で消えた矢は数えていないが二十は超えているはずで、それでも何も増えていない。
刀を抜いてみた。
月は木の間から出ていて、ミアの矢尻も馬の轡も白く光っている。刃だけが光らなかった。角度を変えても傾けても月が映らない。野営の火にかざした時は火が映っていた刃だ。
「どうしたの」
「刃に月が映らない」
ミアが寄ってきて覗き込み、自分の短剣を抜いて横に並べた。短剣には月がある。刀にはない。
「何かした?」
「抜いただけだ。他には何もしてない」
「昼の矢かしら。あれだけ消えたんだもの」
「そうかもしれないが確かめようがない」
刃は冷たくも熱くもなく重さも変わらない。俺は鞘に戻した。分からない物が一つ増えただけだった。
「先に寝て。夜中に代わるから」
ミアが弦のない弓を膝に置いて斜面の下を向く。俺は外套を巻いて横になった。
夜が明けて親馬の背に乗り、ミアが手綱を引いて登る。林は登るほど木が低くなって間が広がり、昼前に木が切れた。
その先は岩だった。
灰色の壁が右にも左にも続いている。高さは塔ほどあって表は割れ目だらけだが、馬はもちろん人が登れる傾きでもない。平野から見えていた岩の帯の根元がここだ。
ミアが左右を長く見た。
「西はずっと壁。東に影が縦に入ってる所がある。切れ目かもしれない」
「遠いのか」
「夕方には着くと思う」
岩に沿って東へ行く。岩の根元は崩れた石が積もっていて馬の足が遅い。俺は鞍の上で腿を押さえ、揺れが来るたびに歯を噛んだ。
昼を過ぎた頃にミアが足を止めて林の方を見下ろした。
俺にも聞こえた。蹄の音が一つ、ずっと下で鳴っている。間が空いていて遅い。
「あいつか」
「そう。馬の首にもたれて乗ってる。矢は三本とも抜いてるけど布も巻いてない。血が鞍を伝ってるのに止まろうとしないの」
「昨日のうちに休んでいれば今日はもっと速く来られただろうに」
「休んだら私たちが山を越えると思ってるのよ。自分の傷より他の七聖の人達に手柄を取られるのが怖いのよ」
ミアは手綱を引き直した。
「あの速さなら今日は追いつかれない。明日は分からないけど」
日が傾いて岩が赤くなった頃に影の所へ着いた。
壁が縦に割れていた。割れ目の幅は荷車一台分で、底を踏み固めた道が通って上へ抜けている。道は下の林から上がってきていた。村の先で細くなると聞いたあの山道がここで岩を抜ける。
「村の先を塞いでた二騎はもっと下ね。ここまでは上がってきてない」
ミアが道の土を見て言った。蹄の跡は古いものしかない。
「このまま抜けるか」
「抜けたいけど割れ目の中はもう真っ暗。石だらけの道を夜に歩かせたら馬が足を折るわ。夜明けに一気に抜けよう」
割れ目の手前の岩陰に馬を入れて座った。見上げると割れ目の上に空が細く残っていて、その向こうに雪の頂が赤い。
下の蹄の音は暗くなっても止まなかった。




