第五十九話「曲がる矢」
五つの光が指を離れる前に横で風が裂けた。
ミアのいる幹の方からだ。矢は幹の裏から真横へ飛び出した。ヴァルドのいる方向ではない。左手の三本がすぐにそれを追って撃たれ、三本とも矢のいた所を抜けていく。矢はもうそこになかった。宙で向きを変えて木の間を縫いヴァルドの右から来る。
ヴァルドが跳んだ。俺の十歩を一歩で消すあの跳び方で左へ。
矢も曲がった。
跳んだ先へ沈んで着地の足を迎え、右の太腿に羽根の根元まで入る。ヴァルドの膝が折れて片手が落ち葉に着いた。右手の光は五つとも散って消えている。
「……あァ?」
笑いが顔から落ちていた。この男が黙るのを初めて見た。
右手が上がって五本が幹へ飛ぶ。細い幹が半分抉れて倒れたが裏には誰もいなかった。ミアは撃ってすぐ動いていて、三つ先の幹の陰を走りながら弦のない弓を引いている。
ヴァルドの目がその姿を追って細くなった。
「風矢術の……8だァ? 何だそりゃ、聞いたことねェぞッ! Cランクの弓が何で曲がンだよッ!」
風が鳴って二本目が出た。
ヴァルドは今度は跳ばなかった。腿が跳ばせない。両手を前に出して十本を並べ、矢の来る筋に全部を撃ち込む。
光の束の手前で矢が浮いた。束の上を越えて落ち、身を捻ったヴァルドの左の脇腹に刺さる。
「がッ……!」
白い上着に血が広がっていく。ヴァルドは歯を剥いて腰の剣を抜いた。撃ち落とせないなら斬り落とすつもりだ。構えは悪くなかった。中庭の騎士たちよりずっと上だと抜いた形だけで分かる。
三本目は正面から来た。
ヴァルドが剣を振り下ろす。刃が届く寸前で矢が右へ滑って剣の腹をかすめ、柄を握る手の甲から掌へ抜けた。
剣が落ち葉の上に落ちた。
ヴァルドは右手を左手で掴んで、落ちた剣と俺とミアを順に見た。腿の矢と脇腹の矢と手の穴。ミアは二十歩向こうの幹の横に立って四本目を引いたまま動かない。もう隠れていなかった。
「……クソがッ!」
左手で剣を拾う。拾って構えるかと思ったが鞘に叩き込んだ。
「弓の女ァ、テメェは持って帰る数に入れてなかったんだがなッ! 今入れたぞッ! 二人まとめて俺が持って帰るッ! 山ァ越えられると思うなよッ!」
怒鳴りながら下がっていく。右足を引きずり左手の指をこちらへ向けたまま後ろ向きに斜面を下りて、木の間の白が小さくなった。ミアは弓を下ろさない。下の方で馬の嘶きがして蹄の音が遠ざかるまで引いたままだった。
音が消えてから弦の風が解けた。
ミアが弓を下ろす。下ろした手の指が震えていて、ミアは反対の手でそれを握って止めた。ミアが人に矢を当てるのを俺は初めて見た。何か言おうとして言葉が見つからずにやめた。
ミアが落ち葉を踏んで俺の所へ来て腿の傷を見る。
「抜けてる。骨は外れてるから縛れば歩けると思う。立てそう?」
「肩を貸してくれれば立てる。……助かった。あのままだと膝を両方持っていかれてた」
「もっと早く撃ちたかったの。引く間が要るのに顔を出すたびに左手が来て引けなかった。あいつがあんたの膝に夢中になって初めて左手が止まったのよ」
ミアは布を出して腿をきつく縛った。縛りながら斜面の下を一度見る。
「三本とも刺さったまま持っていかれた。残りは十九本」
「あいつはまた来ると思うか」
「来るわよ。あれは逃げたんじゃなくて出直すだけ。暗くなる前に登れる所まで登ろう」
ミアの肩を借りて立った。右足は着くたびに腿が焼けるが着けないほどではない。親馬は枝に繋がれたまま耳を伏せて震えていて、ミアが首を撫でると鼻を鳴らした。
HP 56/91
振り返ると抉れた幹が何本も傾いていて、落ち葉の上に血の跡が点々と下へ続いていた。日が木の向こうに沈みかけている。
俺たちは登り始めた。




