第五十六話「迂回」
草地は畑より速く進めた。
畝がないから馬が真っ直ぐ走れて、二日目の昼には黒い線が線ではなく山の形になった。頂に白い物が見える。雪なのか岩なのかはまだ分からない。ミアに聞けば分かるが聞かなかった。近づけば俺にも分かる。
昼はミアが前を行き、夜はミアが見張る。俺は昼のうちに馬の上で寝て夜に先に立つ。二人で一人分ずつ寝る回し方で、ヴェルナーに追われた森でも王都からの逃げ道でもやったことを平野でもやった。
老いた馬の足が落ちてきた。
三日目の夕方には親馬より二十歩遅れて、俺が降りて手綱を引く時間が増えた。引けば歩く。乗れば遅れる。首を叩くと鼻を鳴らして俺の裾を噛む。
「あと四日」
ミアが前から言った。
「バルガスは七日目って言ったでしょ。三日目でこれなら六日目で止まる」
「止まったらどうする」
「置いていく。ずっと前からそう言われてる」
分かっていた。分かっていたから答えなかった。
三日目の夜は星が多かった。ミアは弓を膝に置いて南を向いて座り、俺は火を起こさずに外套を巻いて横になった。火を起こさないのは平野だからだ。平野で火を焚けば一里先から見える。
四日目の昼前に二つ目の村が見えた。
山の裾に近い所で街道が村の中を通り、村の向こうで細くなって山へ入っていく。バルガスの言った「道が細くなる村」はここだ。
ミアが馬を止めて村を見た。長く見ている。
「井戸の脇に白いのが二つ。立ってる。座ってない」
「四騎のうちの二騎か」
「残りの二騎は見えない。村の先の山道に入ってると思う。村で待つのが二騎、道を塞ぐのが二騎」
四騎は俺たちが街道を来ると読んでいる。来なければ村で待ち続けるだけで、こちらは村を見ずに山へ入ればいい。
「西へ回る」
ミアが馬の首を回した。
村を右手に見ながら畑を西へ抜ける。畑の端で土が硬くなって石が増え、草が短くなり、荒れ地になった。遠くに羊が見えて羊飼いは見えない。山の裾まで荒れ地が続いていてその先に林がある。林の手前に道はない。
老いた馬が石に足を取られて膝を突いた。
俺は降りて首を押さえた。馬は立った。立ってまた歩いたが歩き方が変わっている。右の前足を庇って体を揺らす。
「乗るな」
ミアが言った。
「引いて歩いて。荷だけ載せる」
荷を親馬に移して鞍を外し、裸の背に布だけ掛けた。軽くなった馬は少しだけ歩きやすそうにして、それでも遅かった。
五日目は一日中歩いた。
荒れ地は平らに見えて細かく上下していて、馬を引いて歩くと足に来る。ミアは親馬に乗って先を行き時々止まって待つ。昼に干し肉を齧り、夕方に水を分けて、夜は石の陰で火を起こさずに寝た。
山が大きくなっていた。頂の白い物は雪だと分かった。裾の林が黒く、林の上に岩の帯があって、その上が雪だ。
「どこから入る」
「林の中なら道はなくても歩ける。木が切れる所まで登って、岩の帯の切れ目を探す」
「あったら」
「あったら、その先。なければ戻って別の切れ目」
決まった道のない登り方だ。ミアも登ったことがない山で、俺は山そのものを登ったことがない。
その夜、ミアが矢を一本抜いて火のない暗がりで羽根を指で揃えていた。
「矢、何本ある」
「二十二。バルガスのを足して」
「足りるのか」
「足りるかどうかは相手による」
ミアは矢を矢筒に戻した。
六日目の夕方、林の縁に着いた。
木は背が高くて幹が細く、間が空いていて馬でも入れる。入れば平野からは見えなくなる。
老いた馬が林の手前で止まった。
引いても動かない。首を叩いても鼻を鳴らすだけで足が出ない。右の前足が地面に着いていなかった。
「……ここまでか」
「ここまでね」
ミアが馬を降りて老いた馬の首を撫でた。撫でながら布を外して荷の紐を解き、残っていた干し肉の切れ端を馬の口元に出した。馬は食べた。
「置いていく。羊飼いが拾うか、狼が拾う」
ミアはそう言って親馬に戻った。俺は老いた馬の首をもう一度叩いた。馬は俺の裾を噛まなかった。
林に入る前にミアが振り返った。
南を見ている。荒れ地の向こう、村のあった方。長く見ていて、それから目を細めた。
「……一騎」
「四騎の?」
「違う。村を抜けて来てる。止まらないで。速い」
俺には荒れ地の端の土煙しか見えない。土煙が一つ、北へ動いている。
「白い?」
「白い。鎧じゃなくて、なんていうか、全部白い」
ミアは弓を背中から回して左手に持ち替えた。無弦の方だった。
「林の中に入る。見つかる前に」
俺たちは林に入った。後ろで老いた馬が一度だけ鳴いた。




