第五十二話「写し」
夜明け前に裏口が開いて冷えた空気が入ってきた。
ギルドの若い男が二人、外套の襟を立てて立っている。バルガスが低い声で何か言うと二人は頷いて出ていき、俺が毛布を畳み終わる頃には裏庭で蹄の音がした。老いた馬と親馬が並んで水を飲んでいる。門の白い鎧が壁の外を見に来る前に済んだ。
バルガスが盆を置いた。パンと煮込みが三つ。自分の分も一つあって、椅子に座って食べ始める。俺は肉から食べた。
「王都の話を聞く」
食べながらバルガスが言う。俺はミアを見た。ミアが小さく頷いたので俺が話した。
教皇に会ったこと。器の候補だと言われて七日後に儀式を受けたこと。光を浴びて何も起きず、司教が失敗だと言って器ではないと言ったこと。牢へ連れていかれる途中でミアの矢で道ができて逃げたこと。門を抜けて丘を越えて村で馬を買ってここまで来たこと。
器が何かは言わなかった。俺も知らない。三百年前の部屋の壁のことも言わなかった。
バルガスは聞き終わるまで口を挟まず、聞き終わってから匙を置いた。
「失敗ってのは何が失敗なんだ」
「分からん」
「教会はお前を殺せと言ってるのか、連れて来いと言ってるのか」
「それも分からん。中庭では殺しに来た。塔の貼り紙は報せろとしか書いてない」
「……どっちにしても表には出せねえな」
バルガスは俺の外套を顎で指した。
「その黒いのは何だ」
「剣が滑る。光の矢も消えた。理由は知らない」
「知らないで着てるのか」
「着てなかったら中庭で死んでる」
バルガスはそれ以上聞かなかった。聞いても俺に答えがないと分かったからだ。
ミアが紙を出した。
金の送り先。王都から西へ一日の村の名前と、馬の飼い主の家の場所。バルガスが受け取って一度読み、頷いて胸元にしまう。
「今日の荷に乗せる。四日で着く」
「ありがとう」
ミアはもう一枚出した。プレートの裏に挟んであった方だ。二つ折りをさらに折った紙を机の上で開く。
バルガスが読んだ。俺は読まなかった。書庫で見たものは覚えている。
灰の森奥、魔物討伐。報酬、金貨五枚。指名、ガルド。
司祭オルデンに、最後の祝福を一つ授ける。
バルガスの右手が紙の上で止まった。読み終わっているのに目が動かない。
「これはどこで手に入れた」
「大聖堂の書庫。ユーリが書き写した」
「……二年前のやつだ。指名依頼は俺が判を押した。三度目はねえと言った時のやつだ」
「そっちは知ってる」
ミアは紙の二行目を指で押さえた。
「下の行。最後の祝福。監察官が森で飲んだ石と同じ名前。飲めと言われて飲んで、額に石が出て獣になった。私もレンも見てる。倒したら光の粒になって何も残らなかった」
バルガスは何も言わない。
「オルデンが王都からそれを一つ受け取って、三日後に父さんを指名した依頼をあんたに持ってきた。父さんは森で石を飲まされた。私はそう読んだ」
部屋が静かになった。裏庭で馬が鼻を鳴らす。
俺はバルガスを見た。バルガスの目が壁の斧に行って戻る。
「森でお前の腕を落とした奴はどうだった」
俺が聞く。
「額に石があった。顔は無かった」
それだけ言って紙を畳み、ミアに返した。手が少しだけ遅い。
「紙に書いてあるのはそれで全部か」
「それで全部」
「なら聞きに行く相手は俺じゃねえ」
ミアは紙をプレートの裏に戻した。二枚が鳴る。
「塔に行く」
「行くな」
バルガスがすぐに言った。
「塔には四騎のうち三騎がいる。門の一騎は塔の指図だ。お前が塔の扉を叩いた時点で終わりだ」
「オルデンに聞かないと終わらない」
「聞いて何が変わる」
「父さんに何をしたか、あの人の口から聞ける」
バルガスは椅子の背に体を預けて目を閉じ、しばらくそのままでいてから開けた。
「……夜だ。オルデンは日が落ちてから一人で塔の一階にいる。三十年そうだった。騎士は上の階で寝る」
「入れるの?」
「裏から入れる。塔の裏の戸は司祭の物置に繋がってる。葬式の道具を出し入れする戸で、鍵はオルデンが自分で持ってる。俺が二年前まで祝福の帰りに何度も通った」
ミアが目を見開いた。
「連れていくのはミアだけだ」
バルガスが俺を見る。
「お前は出るな。その格好は闇でも目立つ。塔の中で剣を抜けば三騎が降りてくる。ミアの弓なら音を立てずに済む」
「ミアを一人で行かせるのか」
「俺が付く。腕は片方しかねえが塔の裏は目を閉じても歩ける」
俺はミアを見た。ミアは俺を見ていなかった。プレートの上に手を置いて、それからバルガスに頷いた。
「今夜行く」
「日が落ちて一刻したら裏口に来い」
バルガスが立って盆を持ち上げた。
「昼はここで寝ろ。ラナが事務所に来る。壁一枚向こうだ。声を出すな」
扉が閉まる。ミアが毛布の上に座り直して弓を膝に置き、弦を指で確かめてから俺を見た。
「一人で行かせたくないって顔してる」
「バルガスの言う通りだとは思ってる。俺が塔で剣を抜けば三騎が降りてきて終わりだ。分かってて嫌なだけだ」
ミアが少し笑って弓を膝の上で回した。
「オルデンに聞くだけよ。聞いたらここに戻って全部話す。それまで寝てなさい」
「寝られるか」
「じゃあ起きてなさい。どっちでもいいから塔には来ないで」
それきりミアは弓の手入れを始めて、俺は壁の斧を見ながら黙っていた。待つと決めたのは俺で、決めた自分が嫌だった。
【お知らせ】
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日10月4日は日曜日なので、午前に2話、午後に2話、合わせて4話を更新します。休みの日に少し長く読んでもらえたら嬉しいです。
それでは明日、よろしくお願いします。




