第四十九話「野営」
畑が終わって林が始まる所で日が落ちた。
老いた馬は速くない。ミアの馬が先を行って何度も待つ。それでも歩くよりずっと遠くまで来た。後ろの村はもう見えない。
「今夜はここ」
ミアが馬を止めたのは林の縁の、街道からは木で隠れる窪みだった。昨日と似た場所を選んでいる。
馬から降りると膝が固まっていた。十日乗った時は聖騎士団の馬で鞍も良かった。借り物の鞍は固くて尻が痛い。ミアは平気な顔で馬の腹帯を緩めている。足首の方が痛いはずだ。
「馬、繋いどいて。水はそこ」
林の奥で細い流れの音がした。俺は二頭を引いて水を飲ませ、木に繋いだ。老いた馬は水を飲み終わると俺の外套の裾を噛んだ。引くと放す。また噛む。
「何だ」
馬は答えない。
戻るとミアが火を起こしていた。昨日より少しだけ大きい。ここは王都から遠い。
「ご飯がない」
ミアが言った。硬貨は全部馬に消えた。最後の一枚は村の女に置いてきた。
「狩る」
「私が行く。あんたは火を見てて」
ミアは弓を取って林へ入った。足を引きずっているのに音がしない。俺は火に枝を足しながら林の暗さに目を慣らした。気配察知Lv1で分かるのは近くに何かがいるかどうかだけで、それがミアなのか獣なのかは分からない。
しばらくして矢の音が一度した。
ミアが戻ってきた。片手に野兎を提げている。
「一本で」
「風は使ってない。兎に使うものじゃないから」
そう言って火の脇に座り、短剣で兎を捌き始めた。手が速い。二年前から一人でやってきた手だ。
串に刺して火にかざす。脂が落ちて火が鳴る。匂いが立って腹が鳴った。ミアが笑った。
「あんたの腹、正直ね」
「昨日も一昨日も足りてない」
「王都で食べさせてもらってたでしょ。客人」
「客人の飯は不味くはなかった」
「ならよかった」
焼けた兎を二人で分けた。俺は肉から食べた。骨まわりの肉をミアが齧っている。
「トリムに着いたら、ご飯」
ミアが言った。
「あんたのおごりで、って言いたいけど無理ね。一文無しだもの」
「借りに足しといてくれ」
「足しとく」
食べ終わってミアが足首の布を解いた。腫れが引いていない。俺は応急手当Lv1で分かる範囲で布を巻き直した。ミアの2の方が上手いはずだが黙って足を出していた。
「トリムでどうする」
俺が聞くとミアは火を見た。
「バルガスに会う。馬の金を送る手配。それから、塔」
「オルデン」
「写しを持ってる。二年前、王都から一つ受け取って父さんを森へ送った。書いてあるのはそれだけ。それが何かは書いてない」
「聞くのか」
「聞く」
ミアの手がプレートに触れた。二枚が鳴る。
「聞いて、答えなかったら。それも答えのうち」
俺は何も言わなかった。言えることがなかった。塔に行けば教会だ。教会は俺たちを追ってる。ミアはそれを分かった上で行くと言っている。止める理由は俺にはない。
「あんたは」
「俺?」
「SP3。何に振るの」
考えていなかった、というより考える暇がなかった。剣術は8。中庭で聖騎士三人相手に斬れなかった。斬れたのは膝の裏だけだ。剣術を上げれば斬れるようになるのか、それとも別の何かが足りないのか、答えは出ていない。
「まだ決めてない」
「決めときなさいよ。次に上がった時に迷う暇はないから」
「……そうだな」
ミアは弓を膝に置いた。弦のない黒い弓。火の光で木目が赤く見える。
「あれ、見せて」
「あれ」
「窓の、あの行」
俺は窓を開いてミアの方へ向けた。???の行は昨日と同じ所にある。数字も名前も増えていない。
「何か、できるの」
「分からん。やってみたことがない」
「やってみたら」
俺は刀を抜いた。火の光が刃に映る。何かをしようとしてみた。儀式の時に胸の前で止まった光を思い出す。塀の上で背中に来た光。あれは俺が何かした結果じゃない。向こうから来て勝手に消えた。
何も起きなかった。刀は刀のままで、火は火のままだった。
「……何も」
「光がないからじゃない?」
ミアが言った。
「儀式の光。塀の上の矢。どっちも光が来た時でしょ。今ここにあるのは火だけ」
「火も光だ」
「じゃあ足りないのね」
俺は刀を鞘に戻した。ミアの言う通りかどうかは分からない。分かるのはこの行が何なのか俺は何も知らないということだけだ。
「今夜は俺が見張る」
「足が痛いから眠れないって言ったでしょ」
「昨日も一昨日も寝てない。今日は寝ろ」
ミアはしばらく黙って、それから弓を抱えたまま横になった。
「……起こしてよ。何かあったら」
「起こす」
火を小さくして刀を膝に置いた。林の奥で馬が一度鼻を鳴らした。それきり静かだった。
空が白む前に馬が動いた。
繋いだ木の向こうで老いた馬が耳を立てている。俺は立って街道の方を見た。木の隙間から道が見える。誰もいない。
しばらくして遠くで蹄の音がした。二騎。東から来て西へ抜けていく。速い。松明は持っていない。もう明るいからだ。
ミアが起きていた。弓を持って俺の隣に立っている。
「四騎じゃない」
「二騎。別の組」
「王都は全部で何騎出してるのかしら」
答えは二人とも持っていなかった。
蹄の音が消えてから火を消して馬に鞍を載せた。老いた馬はまた俺の裾を噛んだ。
窓を見るとHPは58に戻っていた。
「今日は街道に近づく。水と、それから村がもう一つあるはず」
「金がない」
「あるふりをする」
ミアが先に馬を出した。俺は裾を噛んだ馬の首を叩いて後に続いた。




