第四十八話「馬」
畑の畝を抜けて村の道に出た。
道と言っても土を踏み固めただけの幅で、両側に低い家が並び屋根は藁と板だ。門も柵もない。畑の脇の柵は馬のためのもので村を囲ってはいなかった。
外套の前を合わせて胸当ての鱗を隠した。裂けた肩は隠しようがない。
最初に会ったのは水桶を運ぶ女だった。俺たちを見て足を止め、それからミアの胸の二枚のプレートを見て息を吐いた。
「冒険者かい」
「そう。トリムから王都に行った帰り」
ミアが答える。俺は黙っていた。
「その足でよく歩いたね。宿はないよ。うちの納屋でよければ」
「助かる。あと、ご飯を」
「煮込みなら鍋に残ってる」
女は桶を持ち直して先に歩いた。ミアが俺を見る。俺は頷いた。
家は村の真ん中にあって土間と板の間しかない。板の間の隅で子どもが二人こちらを見ていた。女が鍋を火にかけ直し木の椀に煮込みをよそう。豆と根菜と少しの肉。俺は肉から食べた。ミアが隣で椀を両手で持って黙って食べている。昨日の朝から何も入れていない腹に煮込みは重くて温かかった。
「王都の鐘、昨日聞こえたよ」
女が言った。手は鍋を洗っている。
「風向きでたまに聞こえる。あんな鳴り方は初めてだった。何かあったのかい」
「着いた日にはもう鳴ってた。私たちも知らない」
ミアの声は平らだった。
「今朝は騎士が四騎、西へ駆けていったよ。止まりもしないで」
ミアの匙が止まった。一瞬だけで、すぐ動いた。
「王都の騎士はよく通るの」
「年に何度か。あんなに急いでるのは見たことがない」
女はそれきり鐘の話をしなかった。俺は椀を空にして板の間に置いた。
納屋は家の裏にあった。藁が積んであって夜露は防げる。ミアが足首の布を解いて女に借りた湿布を巻き直している。
「馬」
俺が言うとミアが顔を上げた。
「あの柵の二頭。売ってもらえるか聞く」
「農家の馬よ。畑に要る」
「歩けば一月だ」
ミアは布を結び終えて立った。足を軽く踏んで確かめる。
「私が話す。あんたは黙ってて。その格好で値段の話をすると足元を見られる」
外套の裂けた肩を見て言ったのだと分かった。
柵の前に村の男が二人いた。一人は馬の飼い主で、もう一人は隣の家の男らしい。ミアがプレートを見せて名乗り、王都の帰りで急いでいると言った。飼い主は柵の馬を見て首を振る。
「二頭とも出したら畑が回らねえ」
「一頭なら」
「一頭でも困る」
ミアが革袋を出した。中身を手のひらに空ける。硬貨が鳴った。俺には多いのか少ないのか分からない。飼い主の目が硬貨を数えて、隣の男を見て、また硬貨を見た。
「……若い方は駄目だ。老いた方ならこれで」
「二頭要る」
「無理だ」
ミアは黙って硬貨を袋に戻した。戻しながら言う。
「若い方はまだ育ってない。老いた方は乗り慣れてる。私たちは十日走らせるだけで、その先で売る。売った金はここに送る。トリムのギルドを通して」
「信用しろってか」
「Cランクの名前で言ってる」
飼い主がしばらく黙った。隣の男が何か耳打ちする。飼い主は柵の馬を見て、それから遠くの街道の方を見て、息を吐いた。
「老いた方と、若い方の親の方だ。若いのは残す」
柵の奥にもう一頭いた。畑の陰で見えなかった。
「それで」
「それで」
ミアが硬貨を全部渡した。革袋が空になる。俺は一枚も持っていない。トリムを出てから金を触ったことがなかった。
「借りにしとく」
ミアが小さく言った。俺にだけ聞こえる声で。
「ご飯もね」
鞍は古いのを二つ借りた。村の男たちが馬を柵から出し、飼い主が老いた方の首を撫でて何か言った。馬は耳を動かしただけだった。
日が沈む前に村を出た。
納屋で夜を明かすつもりだったが騎士が四騎西へ行ったと聞いて気が変わった。あとから来る誰かがこの村で俺たちの話を聞く。それより先に離れる。女には礼を言ってミアが最後の硬貨を一枚、袋の底から出して置いた。全部渡したのではなかったらしい。
街道には出ない。畑の縁を馬で行く。老いた馬は俺で、ミアはもう一頭に乗って前を行く。足首が痛むはずだがミアの背中はまっすぐだった。
馬の上は歩くより高い。王都まで十日乗った馬とは違って鞍が固い。それでも歩くよりずっと速く、畑が後ろへ流れていく。
「前に四騎」
ミアが振り向かずに言った。
「後ろに何騎いるかは分からない。街道は使えない」
「畑の縁を行く」
「畑が終わったら」
「森の縁」
ミアが小さく笑った気配がした。笑う所ではない気がしたが理由は聞かなかった。
西の空が赤くなって暗くなる。老いた馬の背で揺れながら、俺は外套の裂けた肩を寄せた。




