第四十六話「門」
鐘が三度鳴って止んだ。
塀の上は人一人が屈むのがやっとの幅しかない。レンは外套の裾を掴んで身を低くした。隣でミアが弓を背に回す。下は東の館の裏手で降りてきた縄がまだ揺れている。
「こっち」
ミアが顎で塀の外を示した。民家の屋根が並んでいて瓦の傾きの一番高い所が塀とほとんど同じ高さにある。
先にミアが跳んだ。瓦が一枚も鳴らない。塀の上で引き上げられた時と同じで何か仕掛けがあるのだろうがミアは言わないし今聞くことでもない。俺は音を殺す方法を知らない。足の裏で受けてそのまま転がり瓦が二枚ずれて滑り落ちる前にミアの手が伸びて押さえた。
「あんたの気配察知いくつ」
「1」
「なら私が見る。あんたは刀を抜かないで」
鐘が止んだあとの王都は静かではなかった。通りを走る足音が右からも左からも来て鎧の音が混じる。屋根の上からは見えないが数が多いのは音で分かる。
ミアが煙突の陰に背を寄せて目を閉じた。三つ数えるほどして開く。
「大聖堂から出てきたのが二十。館の周りに十。門の方へ行ったのは……分からない。遠い」
「門」
「日没で閉まるんでしょう。あんたが言ってた」
十日前に丘の手前で野営した夜のことだ。門が閉まって入れなかった。あの時は困った程度だった。今は閉まれば出られない。
「閉まる前に抜ける」
「今行けば門の前で三十と会うわよ」
ミアの言う通りだった。鐘の直後が一番人が動く。館から門までの間に何人いるかミアが「分からない」と言う数だ。
「待つ」
「どこまで」
「日が傾くまで」
俺は瓦に背を預けた。外套が瓦の上で音を立てない。窓を出す。
HP 44/91
半分より下だ。ミアが革袋から布を出して黙って左腕に巻いた。手当てをしても数字は戻らない。減るのが止まるだけだ。
「その格好」
ミアが外套の襟を指で弾いた。
「あの部屋の物だ」
「剣が滑ってたわよ」
「……知らない」
同じ答えを二度言うのは嫌だったが他に言うことがなかった。ミアはそれ以上聞かずに煙突の向こうへ目を戻した。
足音が真下の通りを通る。鎧が四つ。一つが止まり瓦の音を聞いたのか屋根を見上げる気配がした。ミアの指が俺の外套を掴んで動くなと言う。俺は息を止めた。外套の黒が瓦の影に沈んでいるのが自分でも分かる。
足音が動いた。遠ざかる。
ミアが息を吐いた。
「……見えてなかった」
「影だからな」
「影にしては黒すぎる」
それきりミアは黙った。俺も黙る。日が屋根の向こうで下がっていくのを瓦の影の長さで測る。影が煙突の根元から俺の膝まで来た頃にミアが立ち上がった。
「今なら門番は閉める支度で手が塞がってる。館の周りの十は動いてない。門の方の数はまだ分からない」
「行く」
「刀は」
「抜かない」
俺は先に屋根を降りた。
路地は暗くなり始めていた。壁に背を付けて通りを一本ずつ渡り荷車の陰から荷車の陰へ移る。ミアが前を行き俺は外套の裾を踏まないようについていく。通りが広くなって石畳が白くなり門の両側の塔が見えた。
門は開いていた。
鉄の帯を打った木の扉が二枚。右の扉に門番が四人取り付いて肩で押している。扉はまだ半分も閉まっていない。左の扉の前に鎧が二つ。聖騎士の白ではなく王都の衛兵の色だがその後ろにもう一つ白い鎧が立っていた。一つだけだ。
「一人」
「見えてる」
ミアが弓を持ち上げた。
「あんたが先。私が道を作る」
「ミアは」
「あんたが抜けたら追う。行って」
俺は走った。
石畳の上を外套が音もなく流れる。衛兵が気づいて槍を構えるまでに半分の距離が消えた。風が裂ける音が後ろから来て俺の右を抜け衛兵二人の足元で石畳が砕けた。破片が跳ねて二人が横に飛ぶ。俺はその間を抜けた。
白い鎧が前に出た。
剣が来る。俺は左に滑った。回避Lv2で見える速さだ。剣が空を切って返ってくる。今度は避けきれずに右の肩で受けた。刃が鱗の上を滑って外套の肩を裂き俺の腕に届かない。
聖騎士が目を見開いた。
俺はその隙に体を捻って肩をぶつけた。中庭で三人相手に斬れなかった鎧だ。倒すつもりはない。押しのけるだけでいい。聖騎士が二歩下がって剣を構え直したところへ二本目の矢が来た。
俺の頭の上を抜けて右の扉に当たる。
閉まりかけていた扉が押し戻され蝶番が悲鳴を上げた。門番四人が扉ごと後ろに転がる。人一人が通れる隙間が開いた。
「抜けて!」
俺は隙間に体を入れた。鉄の帯が外套を擦る。抜けた。外は街道でまだ明るい。振り返るとミアが弓を背に回して走ってくる。衛兵の一人が立ち上がって手を伸ばしミアの肘を掴みかけた。俺は隙間に腕を突っ込んでミアの手首を掴み引いた。
ミアが抜けた。
扉が閉まった。門番が総出で押したのか閂が落ちる音が鉄の向こうでした。閉まってしまえば内側から開けるにも人が要る。それだけの時間が要る。
「走って」
ミアが先に走った。
街道を外れて草の斜面に入り丘を登る。日はもう地平に半分沈んで草が赤く見えた。俺は途中で二度膝を突いて二度立った。ミアは立ち止まらずに待つ。門の方で人の声が上がり松明が二つ三つ外に出てくるのが見えたがこちらへは来ない。暗くなりかけた斜面の黒い外套は見えないのだろう。
丘の上に着いた。
王都が下にある。壁に囲まれた街の灯りが点き始めて大聖堂の七つの塔が黒く立っている。
俺は草の上に座り込んだ。ミアが隣に立ったまま王都を見て言った。
「儀式で何があったの」
「分からん」
「あんたの窓は」
「空欄のまま」
「……そう」
ミアはそれ以上聞かなかった。父のプレートに手を当てる癖が出て指が二枚の銀と銅を撫でる。
「北ね」
「ユーリがそう言った」
「その前にトリムを通る。まだ確かめてないことがある」
俺は頷いた。何を確かめるのかは聞かなかった。書庫の写しはミアがプレートの裏にしまっている。
「……レン」
ミアの声が変わった。王都の方へ指を上げる。
俺は立って振り返った。
七つの塔の一つ。屋根のない塔の上に白いものが立っていた。人の形をしている。顔も鎧の傷も分からない距離で動きもしない。ただこちらを向いている。そう感じるだけで確かめようがなかった。
俺は刀の柄を握った。抜きはしない。
「行くぞ」
背を向けても見られている感じは消えなかった。丘を下りる。王都が背中で暗くなっていった。




