第四十三話 失敗
黒が台の後ろに垂れた白い布の裾に触れた。
布の向こうの脈が一度大きく跳ねた。白い光が布いっぱいに広がってそれから急に暗くなる。暗くなった所から黒が布を登っていく。染みが布を上っていくように裾から膝の高さ、腰の高さ。白い布が下から黒に変わっていく。
布が重くなったように見えた。
天井の留めが音を立てて布が落ちた。
台の後ろに白い柱が立っていた。
人の背丈の倍ほどある。石ではない。水晶に似ているが水晶より白く中に光が入っている。光は柱の芯にあってそこから外へ向かって脈を打っていた。布越しに見えていた呼吸はこれだった。
集めた光。
司教はそう言った。何を集めたのかは言わなかった。
黒が柱の根元に届いた。
触れた所から黒が柱を登っていく。布を登ったのと同じ速さで膝の高さ、腰、胸。黒が芯の高さに届いたとき柱の中の光が一度だけ強く光った。
次の脈が来なかった。
芯の光が消えて柱の白が濁った灰色になって部屋の光が壁の魔石の分だけになる。
誰かが息を吐いた。
俺だった。
誰も動かなかった。
法衣たちは床の黒の上に立ったまま祈りの姿勢を崩していない。崩せないのだと思った。壁際の七聖は四人とも壁から離れていない。段の上でユーリが猊下の右に立っている。司教は柱を見ている。
トーカは動いた。
杖を下ろした。
杖の先が段の石を叩いて小さな音を立てた。それがこの部屋で光が消えてから最初の音だった。
トーカが柱の方を向く。目元の布の下で目が動いているのかどうかここからは分からない。灰色になった柱に向かって口元が少しだけ動いて止まった。
それきりだ。
司教が息を吸った。
「……儀式は」
しわがれた声が高い天井に当たって落ちてくる。
「失敗した」
法衣の一人が床に膝をついた。祈りの姿勢からそのまま崩れたのだ。誰も助けなかった。
司教が俺を見た。
昨日の朝の目ではなかった。記録にはないと言った目でも三百年前と漏らした目でもない。初めて見る目だ。何かを数えている目だった。
「器ではない」
俺に言っているのか部屋に言っているのか分からなかった。
「光を受けず光を返さず光を消した。……三百年この柱は消えたことがない」
俺は自分の足元を見た。
黒は円の外まで広がったまま動いていない。床の上でただ黒い。窓は何も言わない。ギフト:―。
「押さえろ」
司教の声が大きくなった。
「器を押さえろ。第七聖。円の外に出すな」
ユーリが段を降りてきた。
三つの段を一つずつ。足音が石に響く。剣は抜いていない。柄に手も置いていない。
俺の前まで来て止まった。
目が合った。ユーリは何も言わなかった。俺の左に回って円の外に立って段の上を向く。
「……押さえています」
それだけ言った。
司教の眉が動いた。ユーリは何も足さなかった。それが命令どおりなのかそうでないのか俺には分からなかった。司教にも分からない顔をしていた。
ヴァルドが壁から半歩出た。剣の柄に手をかけている。
「猊下」
声が硬い。
「これは光ではありません」
誰も答えなかった。イグナスは目を開けて床の黒を見てそれから俺を見てまた目を閉じた。何も読めない顔だった。名前を知らない七聖は伏せた顔を上げない。
ハルディスは腕を組んだまま壁から動かなかった。目だけが黒を追ってそれから俺の腰の刀で止まった。
司教がトーカを見た。
トーカは灰色の柱を向いたままだ。
司教が待って待つのをやめた。
「牢へ」
法衣に言った。
「器ではない者を東の館には置けぬ。猊下のご判断が下るまで塔の下へ」
ユーリが俺の方を向いた。
「刀をこちらへ」
俺を見て言った。声は低かった。
手が刀の柄に落ちて止まった。抜く理由はない。抜いてどうする相手でもない。この部屋には七聖が四人いてそのうちの一人が目の前で手を出している。
鞘ごと外してユーリの手に渡した。
ユーリは受け取って自分の剣の反対側の腰に差した。刀の重さが腰から消えて代わりに何もない軽さが残った。
司教は何も言わなかった。ヴァルドの手が柄の上で動いてまた止まる。
法衣が二人、床の黒を避けて回り込んできた。避けられなかった。黒は部屋の半分にある。二人は靴の下の黒を見て見ないことにして俺の両側に立った。
鉄の扉が開いた。
法衣の灯りが石段の下を照らす。俺が先で両側に法衣、後ろにユーリ。段を数えなかった。四十を過ぎた辺りで背中の方から音がした。振り向くと鉄の扉が閉まる所だった。閉まる前の隙間に灰色の柱とその前に立ったままのトーカの白が見えた。
扉が閉まった。
石段は暗い。灯りの丸い明かりだけを頼りに登る。書庫の前を通る。書記は今日もいない。
ユーリが後ろから言った。
「……歩けますか」
「どこも痛くない」
「そうですか」
それきりだ。
石段の上の小さな扉が近づいてくる。木の扉の隙間から朝の光が漏れて床に一本の線になっている。地下に入ったときより光が強い。鐘からどれほど経ったのか分からなかった。
法衣の一人が扉を押した。
中庭の光が目に入って俺は一度目を閉じた。
開けたとき中庭の石畳に白い鎧が並んでいた。
十人ほど。門の外で見た聖騎士団の鎧だ。扉の前を半円に囲んで全員が剣に手を置いている。
その半円の一番奥、塀の上に人影が一つ。
弓を持っていた。




