第四十話 弓使い
ミアが着いたのは二日後の午後だった。
ユーリが指定したのは大聖堂の南門から出て通りを二本渡った所にある小さな宿の裏庭だった。教会の者は来ない。宿の主人はユーリの顔を知っていて何も聞かずに庭を空けた。
東の館を出るとき見張りの法衣が一人ついてきた。ユーリが「私が伴う」と言うと法衣は少し迷って門の所で止まった。大聖堂を出れば七聖の預かりだ。
通りを歩く。王都の通りは広くて石畳で人が多い。十三騎の列で来たときは道が空いた。今日は誰も俺たちを見ない。白い鎧のユーリが一人いるだけで周りは少し距離を取って、それだけだ。
宿の裏庭に馬が一頭繋いであった。
その横にミアが立っていた。
栗色の髪を一本に結んで深緑の上着。背中に矢筒とその横に黒い木の弓。左足を少し引いて立っている。まだ痛むのだろう。
「……遅い」
それが最初の言葉だった。
「十日で着くって言ったのはユーリだろ」
「あんたが遅いって言ってるの。二日待った」
ミアが庭を横切ってくる。足を引きずっているが歩き方は普通だった。俺の前で止まって上から下まで見た。
「痩せた」
「そうか」
「……何かあったの」
「王都に入る前に一つ。あとで話す」
ミアは俺の顔を見て、それ以上聞かなかった。
「バルガスが薬を持たせてくれた。足の。あと馬。ギルドの馬だから返せって」
「……あいつ、怒ってた?」
「怒ってた。私が勝手に森の奥に入ったこと。あんたと崖から落ちたこと。遺構に入ったこと。全部」
「それでよく出してくれたな」
「殴られてない。それだけで許してるってこと」
ミアは背中の弓に手をやった。
「これ、毎晩引いてた。街道で」
声が少し下がった。
「風、Lv3になった」
俺は周りを見た。ユーリは裏庭の入口に立って通りの方を向いている。こちらの話は聞こえる距離だ。聞こえていても聞いていない顔をしていた。
「ユーリは知ってる」
「あの夜に見られたから」
ミアが小さく言って、それから真面目な顔になった。
「で。記録は」
俺は答えなかった。
代わりにユーリを見た。ユーリは振り返って、鎧の胸当ての内側から折った紙を一枚出した。裏庭を横切ってきてミアの前で止まる。
「書庫の記録の写しです。原本は持ち出せません」
紙を差し出した。
「レンが、あなたが自分で読む物だと言いました。私もそう思います」
ミアはユーリを見て、俺を見て、紙を受け取った。
開く。
俺は読まなかった。何が書いてあるかは知っている。二年前の春の終わり。灰の森奥、魔物討伐。報酬、金貨五枚。指名、ガルド。その下の細い一行。
ミアの目が紙の上を動いて、下まで行って、止まった。
矢筒に置いた手が一度だけ動いた。それだけだった。
紙をもう一度上から読んだ。二度目は遅かった。
「……最後の祝福」
「オルデンが一つ受け取ってる。二年前に」
「父さんに」
「たぶん」
ミアは庭の隅の馬を見た。馬は草を食んでいてこちらを見ない。
「魔物にされた」
「書庫に、それがあった」
「そう」
それきりしばらく何も言わなかった。
俺は待った。慰める言葉は持っていない。持っていたとしても言わない方がいい気がした。
「……父さんは」
ミアが口を開いた。
「森で何を見たの」
「分からない。紙にはそれは書いてない。討伐の依頼と石の一行だけだ」
「なんで父さんだったの。Bランクの斧使いなんてトリムに何人もいる」
「……分からない」
ミアは頷いた。分からないことを分からないと言われて、それで納得した顔だった。
「帰ったらバルガスに聞く」
「聞いてくれ」
「あんたも一緒に聞くの」
「……ああ」
ミアは紙を畳んだ。畳んで、上着の胸の内側に入れた。プレートの裏だ。
自分のCと父のB。二枚が小さく鳴った。
ユーリが入口に戻ってから、ミアが言った。
「で。王都に入る前の一つって」
「……鑑定を、取った」
ミアの顔が止まった。
「鑑定? 教会の?」
「王都の遺構で。ユーリが降ろした」
「なんで七聖がそんなこと」
「言えない。ユーリの理由だ」
ミアはしばらく俺を見ていた。
「……見た? 私の」
「見てない」
「見ないで」
「見ない」
ミアは頷いた。それ以上は聞かなかった。聞かないことが、ミアの返事だった。
ユーリが入口から振り返った。
「そろそろ戻らないと」
「儀式は三日後」
ミアが言った。俺は驚いてミアを見た。
「バルガスの使いが聞いてきた。王都の教会の噂はトリムまで届く。三百年ぶりの器の儀式だって」
「……そうか」
「私は入れない」
「大聖堂の中には」
「知ってる。外で待つ」
ミアは俺の胸を指で一度突いた。
「死なないで」
「死なない」
「儀式で何が起きても」
「……ああ」
ミアはそれ以上言わなかった。矢筒の横の黒い弓を背負い直して宿の裏口の方へ歩いていく。足を引きずりながら振り返らなかった。
ユーリと並んで通りを戻る。
しばらく歩いてからユーリが言った。
「バルガス殿はあの門のことをミアに話していないようですね」
「……ああ」
「話すべきだと思いますか」
「……分からない」
ユーリはそれ以上聞かなかった。
大聖堂の南門が見えてきた。門の脇で見張りの法衣が待っている。その向こうに七つの塔が並んで、一番高い塔の上は今日も屋根がない。
三日後。




