第三十五話 見る者
八層まで、ユーリの肩で上がった。
自分の足で歩いたのは九層の途中までで、そこから先は覚えていない。覚えているのは階段の段の数と、ユーリの鎧が肩に当たる冷たさと、HPの窓の隅にある4という数字だけだ。
影狼が二度出た。二度ともユーリが一人で片づけた。俺を壁に座らせて光で縫い止めて剣で額を割る。俺が四歩で届いた距離を、ユーリは二歩で届いていた。
「……見せてなかったな」
「何をですか」
「本気で斬るところ」
「見せる理由がありませんでした」
それだけ言って、また肩を貸した。
丸い部屋の光が階段の上から漏れていた。
八層。七聖の間。
ユーリは俺を水晶の手前で降ろした。俺は床に座って刀を杖にして、それでも立てなかった。
水晶は同じ場所に立っていた。青白くて磨かれていなくて、岩から生えたまま。壁の字も同じだ。
――触れよ。汝、見る者となれ。
ユーリは水晶を見なかった。
反対側の扉まで歩いて、そこで背を向けて止まった。
「私は、止めません」
背中のまま言った。
「止めない理由は、聞かないでください」
俺は水晶を見た。
降りるときに指先が冷えた気がした、あの水晶だ。
膝で這って手を伸ばした。
指が触れた。
冷たい。それだけだった。何も起きないと思った瞬間に、水晶の中に文字が浮かんだ。
俺の窓だ。
名前:レン Lv:13
HP:4/91 MP:31/31
筋力:21 体力:22 敏捷:24 魔力:17
ギルドの水晶はレベルとギフトしか映さなかった。これは全部映す。俺が見ている窓と同じ物を、俺の外側で、水晶が見ている。
見る者。
文字の意味が分かった気がした。
水晶の文字が消えて、代わりに俺の目の前に窓が出た。
【条件を満たしました】
【スキル『鑑定』を習得できます】(必要SP:1)
一。
迷わなかった。四のうち一つを水晶に払った。
【スキル『鑑定』を習得】(消費SP:1/残りSP:3)
【鑑定 Lv1】
手を離した。
部屋が静かだった。
「……取りましたか」
ユーリは背を向けたままだった。
「取った。……一だった」
「そうですか」
ユーリが振り返った。
俺を見て、水晶を見て、また俺を見た。
「私は、八でした」
それだけ言って、少しだけ間を置いた。
「それは七聖が降りて触る物です。教会の外の人間が持ったことは、記録にありません」
「……記録にないものが、また増えた」
ユーリの口元がほんの少しだけ動いた。笑ったのかそうでないのか、分からなかった。
「一つ、試していいか」
「……何をですか」
「これ」
ユーリは少しだけ黙った。
「私には鑑定妨害があります。Lv1では読めません。……一度だけ、切ります」
「どうぞ」
俺はユーリを見た。
見るというのがどういう感覚か分からなかった。ただ鑑定という言葉を頭に置いて、ユーリの顔を見た。それで足りた。
名前:ユーリ Lv:105
HP:460/460 MP:130/130
筋力:112 体力:115 敏捷:120 魔力:88
次のレベルまで:68,400
百五。
声が出なかった。
ヴェルナーが五十二で、俺の腕を一撃で持っていった。その倍だ。俺は十三で、あの数字の十分の一にも届かない。
次のレベルまで六万八千。俺は今夜、犬と狼と獣で四千だった。
この男と木剣で三本打ち合った。この男の隣で獣の額を割った。この男が本気で来たら俺は一本も避けられなかったし、この男は一度もそうしなかった。
私と同じ段、と言った男の数字がこれだ。
トリムに来た三十騎の中でただ一人、鎧に傷のない理由が、やっと数字で分かった。
八と聞いたとき、俺は驚かなかった。
ミアが七までしか確かめられていないと言ったのを覚えていて、それでも驚かなかった。数字が数字にしか見えなかったからだ。ゲームなら九も十もある。俺の頭の階段は最初から十段で、七で止まる理由が分からなかった。
今なら分かる。
七で止まっているのは階段じゃない。人間の側だ。六十四払える人間が王国にいなかった、それだけの話で、ユーリはそれを払って、その上に百五の器を乗せている。
驚くべきだったのは、あの日だった。
「一つだけ」
ユーリが言った。
「今見た数字は、口にしないでください。七聖のレベルとスキルは教会の外に出ない決まりです」
そこで少し黙って、続けた。
「……あの遺構で、私は自分の段をあなたとミアさんに言いました。あれも言うべきではなかった。今さらですが」
「言わない」
「ミアさんにも」
「……言わない」
ユーリは頷いた。
俺はもう一度、今度は自分の手を見た。
名前:レン Lv:13
HP:4/91 MP:31/31
筋力:21 体力:22 敏捷:24 魔力:17
次のレベルまで:1,020
千二十。
水晶には出なかった一行が、そこにあった。
あと何匹で上がるのか、この世界に来て初めて自分で分かる。
「……ミアに、教えてやりたいな」
「ミアさんの分は読んでいません」
ユーリは先に言った。
「読めば、言わなければならなくなる。あの夜と同じです」
それだけ言って、扉の方へ歩いた。
「上がります。……立てますか」
「立てない」
「そうですか」
また肩を貸してもらった。
地上に出ると、空が白み始めていた。
門の騎士が頭を下げる。ユーリは何も言わずに斜面を降りて、火の消えた野営に戻った。副官が起きていて、俺の血を見て、それからユーリを見た。
「……降りたのですか」
「降りた」
それだけだった。
俺は包みの横に座らされて、刀を膝に置いた。動けない。動かなくていいのが、ありがたかった。
所持SP:3。
四のうち一つを水晶に払った。鑑定に払ったのは指一本とSP一つと、ユーリの背中だ。
ユーリが横に座った。鎧のままだ。
「門で、師匠があなたの窓を読みます」
「……うん」
「鑑定Lv1は隠せません。師匠は必ず気づく。誰が降ろしたかも聞くでしょう」
「なんて答える」
「私が答えます。あなたは何も言わなくていい」
ユーリはそれきり黙った。
丘の向こうで鐘が鳴った。
門が開く音はここまで届かなかった。ただ稜線の上の灰色の線が、朝の光で白に変わっていくのが見えた。
「行きます」
ユーリが馬に乗る。
俺も乗った。乗せてもらった、が正しい。HP:12。一晩で八しか戻らなかった。
丘を登り切ったところで、師匠が待っている。ユーリはそう言った。
そして、あの人は俺の窓を読む、とも。




