第二話 死ななかった
棍棒が、振り上げられた。
考える暇なんてなかった。
俺は、横に転がった。
さっきまで俺の頭があった場所に、棍棒が落ちた。土が跳ねる。
「ギィッ!」
外した、と怒っている。
転がった勢いのまま、四つん這いで斜面を這い上がろうとした。
腰の剣が、地面に引っかかる。
(剣――)
そうだ。剣があるじゃないか。
柄を掴んで、引いた。
抜けない。
鞘の角度が悪い。四つん這いのまま、腰から剣を抜くなんて、やったことがない。
「くそっ、抜けろ――」
背中に、二発目。
「がっ……!」
今度は肩甲骨のあたり。息が詰まって、視界が白く飛んだ。
HP:31 → 22。
(死ぬ)
初めて、はっきりとそう思った。
さっき死んだばかりなのに。今度は鉄パイプじゃなくて、木の棒で。
(ふざけんな)
腹の底から、何かが湧いた。
怒りだった。
俺は、仰向けに転がった。
転がりながら、剣を引き抜いた。
今度は抜けた。刃が、日差しを反射した。
両手で柄を握って、胸の上に、切っ先を真上に向けて構える。
構え、なんて呼べるものじゃない。ただ、剣を上に向けて、しがみついているだけだ。
一匹目のゴブリンが、俺の胸に飛び乗ろうとして――
止まった。
切っ先の真下で、爪先立ちのまま、止まっている。
黄色い目が、剣を見て、俺を見た。
(……止まった?)
ゴブリンにも、刃物は怖いらしい。
その一瞬に、二匹目が、横から回り込んできた。
視界の端で、棍棒が振り上がる。
「――っ!」
反射で、体をひねった。
剣を持った両手が、ひねった体につられて、横に流れる。
一匹目のゴブリンが、俺が剣を動かした隙に、飛び込んだ。
その先に、俺が横に流した切っ先があった。
ずぶり、と。
音がした。手ごたえが、あった。
「ギ、……」
ゴブリンが、自分の腹に生えた剣を、見下ろした。
俺も、見た。
狙ったわけじゃない。振ったわけでもない。ゴブリンが、勝手に、刺さりにきた。
それだけだった。
生温かいものが、剣を伝って、手に流れてきた。
ゴブリンが、俺の上に、崩れてきた。
重い。臭い。頬に、何かが垂れた。
「う、あ……」
喉の奥から、声にならない声が出た。
二匹目のゴブリンが、仲間を見て、俺を見た。
「ギギ……」
後ずさった。
そして、甲高い声で一度叫ぶと、森に向かって走り去った。
草が揺れて、静かになった。
しばらく、動けなかった。
胸の上に、ゴブリンの死体が乗っている。
そのことを、頭が理解するまでに、時間がかかった。
「……ど、け」
両手で押しのけた。死体が、ごろりと横に転がった。
剣が、抜けた。
俺は、四つん這いになって、吐いた。
朝食のパンが、全部出た。
胃が空になっても、まだ吐き気が止まらない。
手が、震えていた。
剣を握っている右手が、赤い。血は、もう乾き始めていた。
(殺した)
言葉が、頭の中で、はっきりと形になった。
魚も捌いたことがない。虫だって、できれば触りたくない。
そんな俺が、生き物を、刺して、殺した。
ゲームじゃない。数字が減って消えるんじゃない。
目の前に、動かなくなったものが、転がっている。
「……はっ、はっ……」
息を整えようとして、うまくいかない。
そのときだった。
目の前に、文字が浮かんだ。
【ゴブリンを討伐しました】
【経験値 +12】
【レベルアップ】Lv1 → Lv2
【SP +1】(所持SP:1)
【スキル『剣術』を習得しました】Lv1
【ドロップ:ゴブリンの耳 ×1、小さな魔石 ×1】
「……」
吐き気が、少しだけ、引いた。
文字のせいだ。
目の前の死体と、この文字は、どうやっても釣り合わない。釣り合わないのに、文字の方が、やたら明るい。
(レベル、上がったのか)
のろのろと、口に出した。
「ステータス」
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【ステータス】
名前:レン
Lv:2
HP:22/47 MP:20/20
筋力:10 体力:11 敏捷:12 魔力:9
所持SP:1
ギフト:―
スキル:剣術 Lv1
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数字が、少しずつ増えている。
それより、目が行ったのは、一番下だ。
『剣術 Lv1』。
さっきまで『なし』だった欄に、それがある。
(剣術……いま、剣で刺したから、か)
指で、触れてみた。
窓が、もう一つ開いた。
【スキル:剣術】
現在 Lv1 → Lv2
必要SP:1
効果:剣を扱う際の身体制御が向上する
所持SP:1。必要SP:1。
「……上げられる」
迷った。
迷ったのは、一秒くらいだった。
さっきの、剣が抜けなかった感覚。振っても風を切らなかった感覚。あれのままで、もう一回あの目に出くわしたら、次は死ぬ。
押した。
【スキル『剣術』Lv1 → Lv2】(消費SP:1/残りSP:0)
その瞬間だった。
体の中で、何かが『噛み合った』。
それ以外に、言いようがない。
右手の中の柄が、急に、正しい場所に収まった。
握り方が分かる。親指をどこに置くか、小指をどれだけ締めるか。
剣先の重さが、どこにあるか分かる。
肘を、どこで支えれば、腕が疲れないか分かる。
教わったわけじゃない。
最初から知っていたみたいに、体が、分かっている。
「……なんだ、これ」
立ち上がった。
剣を、一度、振ってみた。
ひゅ、と。
音がした。
風を切る音だ。さっきは、どれだけ振っても出なかった音。
もう一度、振った。
ひゅ。
「……すごっ」
笑いが、漏れた。
さっきまで吐いていた男とは思えない顔をしているだろう。分かっていたが、止まらなかった。
これがスキルか。
ゲームだと、数字が一つ増えるだけ。実際に自分の体で味わうと、まるで違う。
「良心的だな。1ポイントで、これだけ変わるなら」
剣を鞘に納めた。
今度は、すんなり入った。
それから、ゴブリンの死体を見た。
さっきよりは、まともに見られた。
(耳と、魔石)
ドロップ品、と文字は言っていた。ゲームなら、換金できる。この世界でもそうだと信じて、剣の先で耳を切り取り、腹の中の小さな黒い石を、指で拾った。
最悪の作業だった。倉庫の汚れ仕事なんて、比べ物にならない。
でも、やった。
袋に入れて、口を縛った。
「……行くか」
斜面を、上った。
今度は、木の根に、気をつけて。




