第二十六話 最後の祝福
階段は長かった。
壁の魔石が途切れたあとは、ミアの手の中の灯りだけで降りた。
足元の段だけが見える。それより先は見えない。一段ごとに、剣の柄で次の段を確かめた。
一層目に着いた。上と同じ石の廊下。影犬が二匹出て、二匹とも斬った。
廊下の突き当たりに、また階段。
二層目。廊下が枝分かれしていた。左は行き止まりだった。右の奥に階段。影犬が四匹。
三層目に降りたとき、ミアが背中で言った。
「……空気が変わった」
確かに変わった。冷たい。そして、何かが腐ったような匂いが混じっている。
影犬じゃなくなった。
影の狼。灰狼の倍の背丈。目が青白い。
「三匹」
気配察知Lv1でも、遺構の中では分かりやすかった。魔物以外何もいないからだ。
ミアを壁際に降ろした。
「撃てる?」
「座ってなら」
一匹目が来た。剣術Lv7の剣は影の狼の首を、狼と思わずに落とした。
二匹目。三匹目。ミアの矢が一匹の目を射抜いて、俺の剣が残りを払った。
【影狼を討伐しました】
【影狼を討伐しました】
【影狼を討伐しました】
【経験値 +900】
「……九百」
「言ってる場合か」
ミアが自分の窓を見ていた。
「……レン」
「何」
「上がった。私も。Lv23から26」
「SPは」
「3。……5足して、8」
ミアの声が少しだけ震えていた。
半年。
弓術Lv4で止まって、半年。
「……上げていい? 今」
「上げろよ」
「戦闘中に上げたことない」
「俺は毎回そうだ」
ミアは笑わなかった。
指で宙を押した。
【スキル『弓術』Lv4 → Lv5】(消費SP:8/残りSP:0)
ミアが息を吐いた。
長い息だった。半年分の息だった。
「……変わった」
「どう」
「弓が軽い。矢が、行く先を先に見せてくる」
ミアは弓を引いた。引いて戻した。
それから俺の顔を見た。
「あんたは、1で買ったのね。これを」
責める声じゃなかった。
確かめる声だった。
「……ごめん」
「謝るな。……先に行こ」
三層の廊下は長かった。
影狼の魔石を三つ拾って、袋に入れた。拳ほどの大きさが三つで、袋が重くなった。
廊下の途中で、床に黒い染みが広がっていた。古い。二年前のものかどうかは分からない。ミアは何も言わなかった。俺も言わなかった。
突き当たりに、四層への階段があった。
その手前で足が止まった。
気配。
後ろから一つ。
一つだけ。速い。
「……追いついてきた」
「一人?」
「一人」
階段の上から松明の光が来た。
白い外套。
ヴェルナーだった。
一人だった。ドルクも従者もいない。
右手は布のまま。左手に剣。
「他の者は三層で止めた」
声が少し掠れていた。
「影狼に食われた。二人。……残りは逃げた」
「……あんたは」
「私は逃げられん」
ヴェルナーは剣を構えた。左手で。
「七聖に恥をかかされた監察官が、空欄を取り逃がしたまま王都に帰ればどうなると思う」
「知らない」
「私も知らん。知りたくもない」
左手の剣が来た。
遅かった。
右手のときの半分の速さ。剣術Lv7の目には止まって見えた。
払った。
ヴェルナーの剣が壁に当たって折れた。
「……」
ヴェルナーは折れた剣を見た。
「Lv7。……剣術Lv7か」
「見えるのか」
「見えん。剣で分かる」
ヴェルナーは折れた剣を捨てた。
外套の内側に左手を入れた。
出てきたのは小さな黒い石だった。
親指の先ほどの黒い石。
(あれ)
ミアが息を呑む音がした。
バルガスの話。額に埋まっていた、魔石にしては大きすぎる黒い石。
「監察官が王都から授かる、最後の祝福だ」
ヴェルナーは石を目の高さに上げた。
「死ぬ前に飲め、と教えられる。神の加護が降りて、最後の務めを果たせると」
「……やめろ」
「私はな、レン。三十年教会に仕えた。加護が本当かどうか、一度も確かめたことがない」
ヴェルナーは少しだけ笑った。
初めて見る笑い方だった。
「今日、確かめる」
石を口に入れた。
飲んだ。
何も起きなかった。
一秒。二秒。
ヴェルナーの左手が外套を掴んだ。
「……ぐ」
膝が折れた。
外套の下で何かが膨らんだ。
「ヴェルナー――」
「来るな」
それはもうヴェルナーの声じゃなかった。
外套が裂けた。
中から出てきたものは人ではなかった。
影狼を二回り大きくしたような黒い獣。四つ足。首が太く、背中に骨のような棘が並んでいる。
青白い目が二つ。
その額に黒い石が埋まっていた。
石が光った。
獣が吠えた。
ヴェルナーの声はもうどこにもなかった。
「……マスターが見たやつ」
ミアが囁いた。
「二年前の」
俺は剣を握り直した。
剣術Lv7の手が初めて震えた。




