第十七話 ギルドマスター
ギルドの二階は、初めて上がった。
一番奥の部屋の扉に、名前も紋章もなかった。
ミアがノックする前に、中から声がした。
「入れ」
大きな男だった。
椅子に座っているのに、立っている俺と目の高さが変わらない。白髪。左腕が、肘から先にない。
壁に、柄の折れた斧が掛けてあった。
「バルガスだ。ここのマスターをやってる。ミア、それからお前が空欄の新人か」
「レンです」
バルガスは俺の腰の剣を見て、脇腹の裂けた服を見て、ミアの空になった矢筒を見た。
「座れ。話を聞く。全部だ」
ミアが俺を見た。
(全部?)
天秤のことも、1のことも、俺はまだこの人に言えない。
ミアは小さく首を振った。言わなくていい、の首だった。
「神命依頼で森に行きました。ホブゴブリンを倒したあと、監察官に斬られました」
「監察官が、お前を斬った」
「はい。ミアと俺を殺すつもりだったと、その前の日に塔で聞いていました」
バルガスの目が細くなった。
「聞いていて、行ったのか」
「断れないと聞いたので」
「神命依頼は断れん。それは本当だ」
バルガスは机の上の紙に、指を置いた。
「だがな。神命依頼ってのは、教会が『神の名で』ギルドに出す依頼だ。ギルドはそれを信じて判を押す。その依頼を使って、うちの冒険者を森で殺そうとした。そういうことか」
「そういうことです」
「証拠は」
「……俺の脇腹と、あの人の右手首と肩。矢はミアのです」
「見た者は」
「いません」
バルガスは長いこと黙った。
「教会と戦争はできん。あれは国教だ。ギルドは商売だ」
「……はい」
「だがな、レン」
「はい」
「二年前、教会からの神命依頼が一本、俺の机に来た。灰の森の奥の魔物討伐。報酬は金貨五枚。指名はBランクの斧使い。こいつの親父だ」
バルガスは壁の斧を、顎で示した。
「金貨五枚だ。冒険者は理由なんざ聞かねえ。俺も聞かなかった。判を押した」
「……」
「親父は帰ってこなかった。探しに行って、見つけたのはあの斧だけだ」
俺はミアを見た。ミアは壁の斧を見ていた。
「奥にいたやつは、俺が殺した。腕と引き換えにな」
「……それが、魔物だったんですね」
「分からねえ」
バルガスは自分の額を、指で叩いた。
「ここに、黒い石が埋まってた。魔石にしちゃでかすぎた」
「……石」
「腕を持っていかれて、俺の斧も飛んだ。足元に落ちてたのが、あいつの斧だ」
バルガスは壁の斧を見た。
「右手一本で振った。狙ったわけじゃねえ。額に当たった。石が割れて、柄が折れて、あいつは光の粒になって消えた。死体も血も残らなかった」
「……」
「あんな魔物、俺は聞いたことがねえ。それにな」
バルガスは机の上の紙を、指で叩いた。
「あの森にそいつがいるって、冒険者は誰も見てなかった。教会だけが知ってた」
ミアが息を止めたのが分かった。
「その二月あとに、こいつが弓を持ってここに来た。登録の判を押したのも俺だ。直属になれと言ったが、断られた」
ミアは何も言わなかった。
「奥には、あれ以来誰も行かせてねえ。お前らが最初だ」
バルガスは俺を見た。
「今日、同じ紋章の封書が、また俺の机に来た。今度は娘の名前でな。……二度、押した。三度目はねえ。教会だろうが、監察官だろうが」
バルガスは一枚の紙を、机の上で俺の方へ滑らせた。
「ホブゴブリン討伐。Fランクの依頼じゃねえ。特例でEに上げる。それと、この紙にサインしろ」
読んだ。
『ギルド直属登録』
「直属は、ギルドが身柄を預かる冒険者だ。得は二つ。指名依頼は全部ギルドマスターを通す。教会が神命依頼を出したかったら、まず俺に言うことになる。それと、直属に手を出すのはギルドに手を出すのと同じだ。街の冒険者全員が敵に回る」
「……代わりに」
「縛りが三つ。依頼はマスターの許可制。マスターの許可なしに、森の奥や遺構には入れねえ。報酬の一割はギルドに入る」
バルガスはミアを見た。
「二年前、こいつはそれを嫌がった。一人で森の奥を調べたかったからな」
ミアは何も言わなかった。
「……それで、教会は止まりますか」
「止まらねえ。だが、遅くなる。遅くなる分だけ、お前らは強くなれ」
ミアの言葉と同じだった。
サインした。
バルガスは紙をしまって、ミアを見た。
「ミア。お前も直属だ。二年前は断ったな。今日は断るなよ」
「……断りません」
「よし。行け」
「……ご飯、おごりだから」
ミアが俺の袖を引いた。
同じ夜、東の塔。
ヴェルナーは右手を布で巻いて、左手で羊皮紙を書いていた。
文字が、いつもより乱れていた。
――秤の石、浮遊を確認。階梯の封、二度とも無効。
――対象、Lv6。剣術Lv6。戦闘中に二段上昇。
――処分、失敗。私の手首と肩に傷。
――対象は『階梯の外』に相違なし。
オルデンは横で震えていた。
「王都に何と書く。三百年ぶりの空欄を、取り逃がしたと」
「事実だ」
「大聖堂は、貴殿を」
「知っている」
ヴェルナーは封をして、鳩を放った。
返事は三日後に来た。
返書は、二行だけだった。
――殺すな。生きたまま王都へ。
――聖騎士団を送る。
オルデンは、その二行を三度読み返した。
「……殺すな、だと」
ヴェルナーが言った。
オルデンは答えなかった。
ヴェルナーは返書を畳んで、布を巻いた右手をじっと見て、それから部屋を出ていった。
扉が閉まった。
オルデンは、一人になった書斎で、羊皮紙をもう一度開いた。
生きたまま王都へ。
「……使うつもりか」
声は、自分にも聞こえないほど小さかった。
司祭は就任のとき、一度だけ聞かされる。三百年前、教会が空欄で何をしようとして、何が起きたか。
二年前、この森で娘の父親が死んだのも、その後始末だった。判を押させたのは自分だ。
そして今日、また同じ紋章で、娘の名前で。
「殺した方が、まだ……」
その先は、言葉にならなかった。
オルデンは羊皮紙を鉄の扉の奥に入れて、三つの鍵をかけた。




