第十四話 祝福
東の塔は、街の建物の中で一番高かった。
石を積んだだけの、飾りのない塔。入口の扉に、階段の紋章。
「ここで待ってる」
ミアは入口の前で足を止めた。
「儀式は本人だけって、案内に書いてあった」
「読んだ」
「じゃあ待ってて」
「あんた」
ミアが俺の袖を掴んだ。
「変だと思ったら、すぐ出てきなさいよ。走って」
「教会だよ?」
「教会だから」
意味が分からなかった。分からなかったが、頷いた。
塔の中は暗くて、蝋燭の匂いがした。
若い司祭に案内されて、階段を上った。
最上階の部屋には、老人が一人。それと、白い外套の男。
「昨日、訓練場にいた人」
思わず口に出た。
男は答えなかった。
老人が、疲れた声で言った。
「司祭のオルデンです。こちらは王都の監察官、ヴェルナー殿」
「監察官」
「教会の、まあ、見回りのようなものです。気になさらず」
気にするなと言われると気になる。でも黙った。
「レンさん。あなたはギフトを持たずに生まれた。神が階段を用意し忘れた方だ」
「はい」
「教会はそのような方に、神の代わりに祝福を授けます。まず、こちらに手を」
机の上に、小さな天秤があった。
片方の皿に黒い石。もう片方は空。
言われた通り、空の皿に手を置いた。
石が動いた。
下に沈むのかと思った。
石は、浮いた。
皿から指一本分、宙に浮いて止まった。
「……」
オルデンの顔が、蝋燭の光の中で白くなった。
ヴェルナーは、表情を変えなかった。ただ、腰の剣に手が触れたのが見えた。
「これ、何ですか」
「祝福の、準備です」
オルデンが震える声で言った。
「手を置いたまま。目を閉じて」
閉じた。
オルデンが何かを唱えた。長い。知らない言葉なのに、意味だけが頭に入ってくる。
神の階段。代価。封。
目の前に文字が浮かんだ。
【状態異常『階梯の封』を受けました】
【無効】
「……無効?」
つい口に出た。
唱える声が止まった。
「今、何と」
「いや。文字が出て。祝福を受けました、無効、って」
オルデンとヴェルナーが顔を見合わせた。
「もう一度」
ヴェルナーが言った。
オルデンがもう一度唱えた。
【状態異常『階梯の封』を受けました】
【無効】
「……同じです」
部屋が静かになった。
蝋燭の火が揺れる音だけがした。
「レンさん」
オルデンが言った。
「祝福は、済みました。ありがとう。お帰りください」
「え、それだけですか」
「それだけです」
(祝福って、あんまり効果ないんだな)
そう思いながら、手を皿から離した。
黒い石が、皿に落ちた。
階段を下りている途中で、上から声が漏れてきた。
扉が閉まりきっていなかった。
「ここでやるな」
オルデンの声だ。
「街中で、ギルドの新人を殺せば、ギルドと揉める。訓練場の一件で、あれはもう顔を知られている」
「なら森だ」
ヴェルナーの声。
「明日、ギルドに指名依頼を出させろ。Cランクの娘にだ。灰の森の奥、ホブゴブリン討伐。指名なら断れん」
「娘に? 狙いは空欄だろう」
「娘が行けば空欄は付いてくる。あれはそういう男だ。訓練場で見た」
「付いてこなければ」
「娘だけでも消す。塔の外で待っていた。空欄が話せば、娘も知る。同行者ごとだ」
足が止まった。
(今、殺すって言ったか)
聞き間違いだと思いたかった。
でも、聞き間違えようがない言葉だった。
そっと階段を下りた。音を立てないように。
扉を出た瞬間、ミアの顔が目に入った。
「何された?」
「祈られて、手を置いて、祝福された」
「それで?」
「……何も変わってない」
それは本当だった。ステータスは何も変わっていない。
変わったのは、俺の方だ。
「ふうん」
ミアは俺の顔をじっと見た。
「顔色、悪いよ」
「……ここじゃ話せない」
塔の入口を、目で示した。若い司祭が、扉の内側からこっちを見ていた。
「宿で」
ミアは眉をひそめて、それでも何も聞かずに歩き出した。
灰猫亭の食堂は、昼前で人が少なかった。
一番奥の席に座った。
天秤のこと、石が浮いたこと、無効の文字。それは言わなかった。
あれが何なのか、俺には分からない。分からないことを人に話しても仕方がない。
でも、一つだけ、話さないわけにいかないことがある。
「ミア。明日、ギルドにミア宛ての指名依頼が来る」
「は?」
「ホブゴブリン。灰の森の奥。教会が出させる」
「なんであんたがそれを知ってんの」
「塔で聞いた。扉が開いてた」
「何を聞いたの」
言うか、迷った。
三日前に会った相手だ。信じてもらえる話じゃない。
でも、言わなきゃミアが死ぬ。
「俺を殺すって。森で。ミアが行けば俺が付いてくるから、ミアに指名を出すって」
「……」
「俺が行かなくても、ミアは知った人間だから消すって」
ミアは、長いこと俺の顔を見ていた。
それから、目を逸らした。
「三日の付き合いで、それを信じろって?」
「信じなくていい」
「じゃあなんで言うのよ」
「言わなかったら、明日ミアは一人で森に行くだろ?」
ミアは何も言わなかった。
立ち上がって、俺を見下ろしたまま言った。
「明日の朝、指名が来てたら。……そのとき考える」
それきり、ミアは店を出ていった。
俺は飯を食わずに、部屋に上がった。
横になった。
目を閉じても、あの声が消えなかった。
――娘だけでも消す。




