いないはずのアカウント
翌朝、鈴村の机には、いつもより一枚多くモニターが開かれていた。
浅見名義の対応履歴がどのアカウントに紐づいているか、ひとつひとつ穴を埋めるように調べていく。
——浅見さんが在職時の履歴は〈a_azami〉できちんと紐づいている。では、退職後は?
彼女のログイン記録も、退職日で止まっている。形跡はない。
——誰かが、なりすましている? あるいは……?
霧の中から掴み取るような、果てしない作業。鈴村は終わりの見えない道に焦りの色を滲ませる。
ふと、柊花の方を見る。彼女も首を何度も傾げながら眉を寄せていた。
〈a_azami〉のアカウントは浅見の退職日付で確かに削除されている。しかも、業務用端末でしかログインはできないはずだ。
それならなぜ、彼女の名義で今も履歴が増え続けているのか。
『鈴村さんが出してくれた夜勤担当者のログ、時刻だけ照合しました。怪しいアクセスは見当たりません』
柊花からのチャットがモニターに浮かぶ。それを見た鈴村も、管理者権限で再度検索するも、それらしきアクセスはない。
彼は首を振り、肩を落としたあと、ふらりと立ち上がり、外の自動販売機へ向かう。
最初に彼は、栄養ドリンクを一瓶買い、飲み干す。そして、コーヒーを2本。
後ろに人の気配がし振り向くと、柊花が疲れた顔をして立っていた。
「深野さん、お疲れ様。——はい、コーヒー」
「ちょうど飲みたかったんです。ありがとうございます」
ふたりの間には、終わりの見えない迷い道の中にいるような空気が流れていた。
「探せば探すほど、霧の奥に入っていくみたいだ……」
鈴村がふとつぶやく。柊花は苦笑いして、言葉を返す。
「——ほんと、そんな感じですね。霧の中」
プシュっとコーヒーのボトル缶の蓋が開かれる音が、休憩室に響く。
霧の中を歩くふたりは、休憩室という名のオアシスに腰をおろし、天井を仰ぐ。
先の見えない中で、ひとつひとつ拾い、繋げていく。
それがいつ終わるのかもわからない。
だからこそ、柊花と鈴村には、その作業そのものが何か悍ましいもののように感じられた。
執務室に戻り、鈴村は浅見名義の履歴について、さらに詳細なログを開いた。
【表示名:浅見 梓】
【操作アカウント:該当なし】
【通話ID:なし】
【端末ID:旧システム連携】
——旧システム……?
鈴村は思わず画面に顔を近づけた。
あれは何年も前に廃止されたはずだ。連携端末も、すべて回収・廃棄されたと記録に残っている。
「……これは、浅見さんのアカウントで入力された履歴じゃない、そもそも、現在では『ありえない』方法で作られている」
隣で作業をしていた柊花が、顔を上げて眉をぴくりとさせる。
「……じゃあ、誰が……?」
鈴村が首を振る。その表情は暗い。
「旧システムに連携されている端末は、もう会社には存在しないはず——システム自体も、ないはずなんだ」
鈴村は共用ファイルを開き、旧システムについての記録を探す。
「旧システム移行作業報告書」
「連携端末廃棄一覧」
「未移行データ一覧」
「退職者アカウント整理表」
それらのひとつひとつを開き、不審なものがないか、可能性を埋めていく。
——確かに、連携端末は廃棄されている。
——退職者アカウント、『a_azami』削除済。
ふと、「旧システム移行作業報告書」の中に、ひとつの記載が目に留まる。
【旧システム連携:保守用仮想端末/用途:夜間バッチ検証/状態:廃止予定】
——仮想端末。それなら昔は申請済みのオペレーターなら個人端末から仮想環境に入れた。主に感染症対策の在宅勤務用に。
昔は会社貸与の端末ではなく、個人のパソコンから仮想端末にログインして勤務していた。仮想端末にまだログインできる権限があるのは、限られる。
——旧システム本体は廃止されている。けれど、夜間バッチ検証用の仮想端末だけが、現行システムとの連携口を持ったまま残っていたとしたら。
鈴村は周囲を見渡す。
この数年で、このコールセンターも人が入れ替わったものだ。残っているのは、センター長と……主任。
異動で当時の管理者は散らばってしまった。ここに残っているメンバーは……まずありえない。
感染症対策が取られた頃から残っているメンバーも半分はいるが、仮想端末アカウントは使えなくなったはずだ。
心当たりを考えるほど、鈴村は暗闇の中を手探りで進んでいる感覚に陥っていた。
——保守用アカウントの、アクセス権限を持っていそうなのは……?
考えられるのはセンター長、主任クラス。あとは異動済の当時の管理者。数人はシステム部へ行ったはずだ。
鈴村の頭の中に、それぞれの顔がちらつく。誰かが、この件を忘れられずにいたとしても、おかしくない。それほどまでに昔から、フリーデハイムは今考えると変な問題が多かった。
過去の履歴外の社内連携メモには数々の記載があった。特に、浅見が在職中に残したと思われる社内連携メモには、数々の記載があった。
「403:孤立傾向。話を聞いてあげてください」
「402:若い女性。おとなしそうで物腰も柔らかいが、突然温度感上がる。対応注意」
「303:高圧的。言質を取ろうとする若い男性。対応注意」
「物件担当、歯切れ悪い」
「騒音、共用部私的利用の相談多数あり」
以前からの声にならない声が残されていた。しかし、藤村が言うように『管理会社も動けない』のだ。
「鈴村さん? もう夕方ですよ」
後ろから柊花の声がする。
僅かに視線を窓に移す。外はすっかり茜色に染まっている。だが、視線を戻し、鈴村は呟く。
——仮想端末は、今も動いている。
「旧システムは、もうないはずなんです。しかし、保守用アカウントがありました」
鈴村はそう言いながら、画面の端に残った一行から目を離せなかった。
【最終連携日時:2026/6/10 03:15】
浅見名義の履歴と、それは一致していた。




