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電話の向こうは、誰ですか~入電履歴は語らない~  作者: 凪砂 いる
第一章|403号室とあるはずのない履歴

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孤立した女性

 それは、突然の入電から始まった。ヘッドセットの向こうから震えて憔悴しきった女性のか細い声が今にも折れそうに聞こえてくる。


「フリーデハイム……403号室の倉橋朱音(くらはしあかね)と申します。……もう、こちらから連絡しないほうがよろしいのでしょうか……?」

「いえ、承ります。倉橋様、いかがなさいましたか?」


 (とうとう、403号室の入居者から話が聞ける——とりあえず鈴村さんに報告しておこう)


 柊花はキーボードにカタカタと指を滑らせ、鈴村にチャットで簡単に報告を送る。


 『フリーデハイム403号室、入電です。やはり女性の方です。お話伺い次第、報告します』


 鈴村は柊花のほうを見て頷く。フリーデハイムの騒音案件の真相。そして、謎の履歴にも一歩近づけるかもしれない。——彼はそう感じた。


 倉橋は、折れそうな震えた声で話し始める。

 

 「以前、ご相談させていただいたことがあったんです。その時のご担当は……浅見(あざみ)さん。女性の方でした。隣の402号室が毎晩パーティーか何かのように騒ぐのです。それをご相談した時から……謎の手紙が届くようになったり、下の階に住むという男性が訪ねてきたり……逆に、隣の住人の方から、騒音元として通報されたり……」

 「管理会社の方へは、報告されたのですか?」

 「何度か「注意します」と言っていただけたのですが……402号室の方は、管理会社さんも、あまり強く言えないみたいで……」

 「強く言えない、と申しますと?」

 「402号室の方が、大家さんのご親族と聞いています」


 (オーナー親族……。藤村さんが濁した理由は、それか)


 恐らく、そのオーナーの親族はどこかで自身に苦情が入ったことを知ったのだろう。そして、彼女を——逆恨み、という言葉が頭をよぎる。けれど、まだ決めつけるには早い。


 視界の横で、入電をモニタリングしている鈴村が見える。キーボードに置いた指が止まっていた。

「続けて」と目で訴えているのが見え、柊花は頷き、倉橋と話を続ける。


「複数の筆跡で玄関に『この部屋は男を連れ込んでいる』『うるさい』といった手紙が入れられ……もちろん、管理会社にもコピーは証拠として渡したんです。しかし……毎日続いていて、家から出られなくて……警察に……動いてもらうにも、ここの大家さんは……」


 ここまで話して、倉橋は息を呑む。

 柊花のメモを入力する手が、止まる。

 そして、視界の横で鈴村の目が、わずかに揺れ、指が止まる。


 電話の向こうには、案件ではなく、人がいた。

 

「倉橋様。お話、確かに承りました。私、深野と申します。しっかりとお伝えします」

「ありがとう……ございます……」


 電話の向こうで、倉橋が涙ぐんでいるのを感じる。彼女は、どれだけ終わりのない絶望と戦っているのだろうか——想像がつかない。

 彼女の孤独を少しでも照らせたら——と思う。

 

 話が終わると、柊花はひとつだけため息を漏らし、俯く。

 そして、履歴を入力する指は鉛のように重い。

 

『鈴村さん、この件、通常の騒音案件として処理するには危険だと思います。過去履歴と現在の訴えが繋がっています』

『僕たちが直接介入はできません。できるのは、藤村さんへ正確に報告するところまでです』


 それが歯がゆいのだと、文面の端からにじみ出るように伝わる。

 

『ですよね……』

『倉橋さんの言っていることが確かなら、手紙のコピーのこと、藤村さんはご存知かもしれません。僕の方で連絡します』


 鈴村はヘッドセットを装着し直す。

 そして、息を整え、声を発する。


 「リコリスコーポレーションの鈴村です。先程、フリーデハイムの件で403号室の倉橋様から連絡がございました」


 電話の向こうの藤村は、歯切れの悪そうな声で答える。


 「そうですか……倉橋様から……」

 「投函されていた嫌がらせの手紙のコピーを、御社に渡してあると仰っておられました。——ご存知です、よね?」

 「ええ。確かに受け取っております。実は……弊社も上層部からもフリーデハイム402号室には強く出るな、と言われておりまして……」

 「それほどまでに、オーナー様が……?」

 「弊社にも402号室と303号室に対しての苦情が多く寄せられておりますが、上層部命令で、注意するしか、できなくて……」


 藤村も電話口で唇を噛み締めているようだった。互いの立場は違えど、同じなのだ。


 「実は303号室も、402号室と近しい方なのです。他にも迷惑駐車などを繰り返している方なのですが——」


 藤村のひとつひとつの言葉から、フリーデハイムの影の部分が少しずつ手渡される。

 互いに、介入できない歯がゆさ、組織に対しての無力さを噛み締めていた。

 最後に、藤村は歯がゆさを滲ませながらも、芯のある口調で答えた。


 「できる限りのことは、こちらで対応します、また何かありましたらご連絡ください」

 「ありがとうございます。お手数おかけいたします。それでは」


 電話を終えた鈴村があたりを見渡すと、時刻は正午を回っており、モニターを見てげっそりとしている柊花に声をかける。


 「深野さん、対応ありがとう。それが終わったら昼休み行ってきて」


 柊花が「はい」と頷き、力なく微笑む。


 「——なんか、無力ですよね」


 鈴村も深く頷き、ふっと苦笑いをする。


 「確かに。介入できないから、あとは藤村さんに任せるしかない——これが仕事と言ったら、それまでだけど」


 柊花が休憩に出ていったあと、鈴村は業務用チャットの全体周知チャンネルに文を打ちこむ。


『フリーデハイムの件はすべてこちらに回してください|鈴村』


 そこまで入力し、鈴村は天を仰ぎ、軽く肩を回す。


 ——近くのファミレスで、ランチでもするか。


 心の中の声が少しだけ漏れ出す。

 執務室を出ると、少しだけ空気が変わる。

 ロッカー室には、ちょうどバッグを取り出し外に出ようとしている柊花がいた。


 「お疲れ様です。鈴村さんもお昼ですか?」

 「ああ」

 「よかったらですけど——近くのファミレスのランチ行きません?」

 「僕も行こうとしてたところだった。深野さんさえよければ」


 柊花は頷き、ふっとほどけた表情を見せる。


 オフィスビルを出て、横断歩道を渡った所に、ファミレスはある。

 配膳用の猫型ロボットが縦横無尽に動き回る店内は、お昼だというのに少し空いていた。


 昼の光が差し込む店内は間接照明も相まってあたたかい雰囲気を醸し出している。

 午後の業務のことなんて、ふたりは今、忘れたかった。


 柊花の頭には倉橋との会話が、ずしりとのしかかっていた。

 それを聞いていた鈴村も、倉橋のか細い声と、藤村の歯がゆそうな無念を滲ませた声が響く。

 ただ、ランチセットとコーヒーを、ふたりは黙々と口に運ぶ。


 コーヒーを飲み終わる頃、柊花がふと口を開く。


 「鈴村さん、コーヒーもう一杯どうです? なんだか、流し込みたい気分で」

 「……そうだね。仕事の前に、流し込んでしまおう」


 コーヒーマシンの前でガリガリと豆を挽く音の後、ゆっくりとコーヒーが抽出される。

 柊花は、この香りに、いつもと違うものを感じていた。


 まるで、新たな歪みが、聞こえてくる予感がして。


 執務室に戻り、パソコンのロックを解くと、履歴画面が更新されていた。


(——また、だ)


 【2026/6/9 3:15 403号室より入電。相談者は謝罪を繰り返す。これは騒音ではなく、孤立の訴え。孤立は解決されていない。 入力者:浅見 梓】

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