余計なことまで書く人
翌朝、鈴村はフリーデハイムの案件に一通り目を通していた。
深夜の浅見名義の履歴は、直接、浅見さんに話を聞いた後、ぱったりと止んだ。
しかし、共有ファイルの浅見の引き継ぎファイルを見て、鈴村の指が、凍りついたように止まった。
【2026/06/13 20:00 入力者:該当なし 読まれたなら、それでいい】
履歴画面ではなく、メモに書き足されている。
鈴村はまばたきをし、再度見るも同じことが書いてある。
「おはようございます……ってなんですかその文!」
柊花が鈴村の後ろで大きな声をあげる。
「深野さん、声が大きいですって。——今朝ファイルと履歴を見ていたら、メモにこんな文章が残っていて」
「誰が「読まれたなら、それでいい」……って、書いたんでしょうね?」
「……見当はついています」
柊花がモニターへ釘付けになっている間、鈴村はちらりとその人物を見る。
大峰は、執務室の一番前の席で淡々としている。何事もなかったように。
――大峰さんのミーティングが終わるまで、待とう。
鈴村は通常通り管理者として見て回る。
フリーデハイム関連の入電が、なぜかあれからなくなっていることにふと気づく。
『フリーデハイムが静かになったのは、気のせいですかね?』
席に戻った時、柊花からチャットが来ていた。
鈴村は少し考えを巡らせる。
――浅見さんに会ったあの日から、妙に静かだ。フリーデハイム案件はないし、通常フローで終わる案件ばかりが続いている。
『おそらく、ですが。あの日の後ですね。気のせいのような、そうでないような。確信は持てませんが』
鈴村は薄く苦笑いを浮かべ、キーボードに手をすべらせる。
水を打ったように静か、とまではいかないが、何かいつもより音の少ない執務室に、寒気すらする。
ふと、前の席に目をやると、ちょうどミーティングが終わったのか、大峰がヘッドセットを外し伸びの動作をしている。
鈴村の背に冷たいものがじわりとする。
その後、ひとつ、深く呼吸をし、ちらりと柊花の方を見る。
鈴村の手は、固く結ばれていた。
柊花は鈴村にちらりと視線を送り、互いに軽く頷き合う。
「お願いします」と柊花が口をパクパクさせている。
鈴村は、もう一度頷いた。
そして、前の席にいる大峰へ、切り出す。
周囲のヘッドセット越しの声とキーボード音に紛れる程度の声量だった。
「大峰さん、少しお時間よろしいですか。——旧システムの件で、確認したいことがあります」
大峰はちらりと視線をやり、すぐ視線をモニターへ戻し、冷淡に返す。
「通常業務に関係のある話ですか? ——通常業務に支障が出るなら、後にしてください」
「フリーデハイムの件で、少し確認が……」
モニターを見る大峰の指が一瞬止まる。それでも彼は冷たく返す。
「フリーデハイムの件なら、通常フローで処理するよう言ったはずです——もう深追いしないように」
それを受けて、鈴村は淡々と話を切り出す。
「浅見さん名義の履歴のことは、ご存知ですよね?」
「ええ、誰かの悪戯では?」
「いいえ。先日浅見さんご本人から彼女の書いたものではないと確認済です」
「それならいいじゃないですか——誰かがやったんでしょう」
わずかな時間、空気がしんとする。少しの呼吸の後、鈴村は話を続ける。
「あの履歴は、仮想端末の旧システムから書かれたものでした。ここで権限を持っているのは——大峰さんと鳥海さん」
「それが、何か?」
「浅見さんの引き継ぎ履歴を見た後に仮想端末のログイン履歴がありました。そして、先日も、大峰さん、あなたしかいらっしゃらない時間に仮想端末のログイン履歴があったんです」
「誰かが、点検のために入ったんじゃないですか?」
「あの時間帯にいらっしゃった方で権限を持っているのは、大峰さんしかいません——しかも」
一瞬、時が止まったかのように静寂。鈴村が、最後に切り出す。
「昨日、浅見さんの引き継ぎメモに、追記がされていました」
大峰の手が、止まり、鈴村の方を見据える。
まっすぐに鈴村を見据える大峰が、ぽつりと呟く。
「彼女——浅見さんは余計なことまで書く人でした」
鈴村は息を呑む。
「一連のフリーデハイムの件——403の声も、402の違和感も、303の高圧さも。全部、余計なこととして残していた」
大峰は視線を落とし、話を続ける。
「でも、その余計なことを——声を、誰も読まなかった」
鈴村は、胸の奥がきつく締まるような感覚を覚え、点と線がすべてつながった——そう感じた。
大峰の視線は、僅かに揺れている——何か遠くを思い出すように。
時間が、ただゆっくりと流れているような。すべてが一瞬遅れて感じる。
そして、鈴村は問う。声は落ち着き払い、はっきりとしていた。
「大峰さん。——あなたが、浅見さんの名前で履歴を残したんですか?」
大峰の目は、ただ揺れている。
肯定も否定もしないまま、ただ、彼は視線を落とし黙っていた。
鈴村は、視線だけで執務室を見渡した。
柊花が深く頷いている。
その時、執務室のロックがICカードで解除された電子音がした。
——鳥海さんが帰ってきたか、ちょうどいい。
鈴村の手に、再度力がこもった。
ただ、一拍遅れて執務室の音が聞こえていた。




