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電話の向こうは、誰ですか~入電履歴は語らない~  作者: 凪砂 いる
第四章|孤立した声は迷わない

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残された声

 「手伝ってくれませんか」という藤村の声は、切実そのものだった。

 まっすぐに梓を見て、瞳の奥には怒りと、決意の色が見える。

 ただ、藤村の声は震えていた。正攻法では大問題になる。だからこそ外に声を上げたのだ。

 梓にはそれが痛いほどわかった。組織という中の限界を、無力感を。


 梓は、口を一瞬ぎゅっと結び、その後、静かに答えた。


 「……わかりました。私にしか今はできない。そういうこと、ですよね」


 藤村は震える声で礼を言い、スマートフォンを取り出した。


 「ありがとう……ございます。あと、これを見ていただきたいのです」


 藤村は画面を操作してカメラロールを開き、梓に見せる。

 梓は一瞬目を丸くし、顔がこわばる。

 フリーデハイムの現地写真。403号室に押し込まれた手紙の束、そこに書かれた、目を背けたくなるような言葉。

 エントランス前や契約区画外に停められた黒い高級車。

 張り紙がボロボロに破られた掲示板。


 「現地に行った際、あえて、僕の私物のスマートフォンで撮影したものです。警察へ相談に行かれるのなら、こちらを使ってください。個人情報や、社内情報は入っておりません」

 「——これ、まずくないですか?」

 「会社としては絶対に許されないことです。しかし、会社に報告したら、この惨状は握り潰されます。だからこのデータを、浅見さん、あなたに預けたいのです」

 「倉橋さんの資料とともに、これを警察へ、と。私としても危ない橋ですが……わかりました」

 

 梓と藤村は頷き合い、藤村はデータの転送を始める。


 受け取るべきではないと、理屈ではわかっていた。けれど、朱音の声を、今度こそなかったことにはできなかった。

 今の自分だからこそ朱音に直接手を差し出せるようになった。声を、拾える。


 データの転送を終えた藤村が、覚悟を決めたように告げる。


 「僕はもう、握りつぶす側には戻りたくない。だからこの現地確認の後、会社に退職願を出しました」


 梓は頷く。自分も似たようなものだったからだ。


 リコリスコーポレーションの会議室に戻ると、梓はそこで一度言葉を切った。


 「——ってね、こんなことがあったの。だから私は倉橋さんと証拠を持って警察へ行く」


 梓が静かに話を続ける。鈴村と柊花は静かに頷きながら、聞いている。

 鈴村が苦く笑い、口を開く。


 「浅見さんらしいやり方だ。——僕たちも、ずいぶん黒寄りのグレーを渡っていますね」

 「鈴村くん()危ない橋渡ってたの? 会社にいたままで?」

 「ええ、会社に所属している立場で、できる範囲を。ね、深野さん」

 「……浅見さんが前、話してた「電話の向こうは案件じゃない、人だよ」って言葉が、忘れられなくて」


 後輩がそのように覚えていてくれたのが、梓にはとても嬉しかった。

 柊花のように想いを受け継いでくれている後輩がいて、本当によかったと梓の目が少し潤む。


 「もう、深野ちゃん、本当にありがとう。——覚えててくれたんだね」


 柊花が梓に近寄り、真っ直ぐな声をあげる。


 「こちらのことは、鈴村さんと私にまかせてください。浅見さんが残した声を、なかったことにはしません」


 鈴村も頷く。


 「組織の外側のことは、浅見さんにお任せします。こちらはセンター内で浅見さん名義の履歴の正体を追います」


 梓が最後に頷き、話す。


 「増えている履歴は、私じゃない。でも、私の言葉を読んでいる人間がいる。倉橋さんたちのことは、私の方でなんとかする」


 そう言って、少し晴れた表情で梓は会議室を後にし、帰って行った。


 白塗りの会議室に、少しずつ差し込む光が茜色に染まり、壁で揺れている。

 それは、まるで松明の光が灯っているようだった。


 執務室に戻ると、徐々に日勤のメンバーが退勤し始め、夜勤担当がちらほらと業務の準備を始めていた。

 時計は、午後五時半を指している。

 鈴村は改めて共有ファイルを開き、仮想端末の旧システムの権限者の中にある者の名前を見つけた。


大峰 遥仁(おおみね はるひと)


 彼もオペレーターから主任に昇格した叩き上げの一人。しかし、外から見れば数値主義、結果主義の冷徹な上司。それが周囲からの印象だ。

 鈴村は思わず苦笑いする。


 ――大峰さんが現場の声を拾う? ありえない。


 しかし、鈴村は入社当時を思い出していた。

 まだ一人の管理者だった大峰は、かつて浅見のようなことを話していた、と。

 「電話の向こうは案件じゃない、人だ。声をなかったことにするな」と、かつての彼も話していた。

 研修のたびに新人へそう言い聞かせてきたのは、大峰だった。

 今の大峰を見ると、驚くほど体温のない、数値とマニュアルを意識しろとしか言わない、声をかけたくない上司に見えるが——まさか。

 

 ちらりと大峰を見やると、まるで機械のように冷たい目をし、カタカタとキーボードの音を立てていた。

 そんな大峰が、鈴村の方へつかつかと歩み寄り、声をかけた。


 「鈴村くん、君のチームは対応時間が長い、通常フローで対応しろといっただろう。余計なことをしないでくれ」

 「……すみません」


 鈴村は、背を向けて戻っていく大峰の背に苦い視線を向け、パソコンをシャットダウンし、カバンを手にした。

 外に出ると、夜の帷がおり、駅前の光だけが眩しいほど明るい。


 駅前の雑踏を、鈴村はただ、進んでいった。

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