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電話の向こうは、誰ですか~入電履歴は語らない~  作者: 凪砂 いる
第四章|孤立した声は迷わない

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孤立した声は迷わない

 市民センターの一角に置かれた長机の向こうで、梓は相談票を揃えながら、歩き回っていた。


 リコリスコーポレーションを退職した後の梓は、住まいの困りごと相談会の手伝いに関わるようになった。

 騒音をはじめ、地域や住まいに関する困りごとの相談を受け、しかるべき窓口につなげる役目も担っている。

 初めは、梓自身の無力感を昇華するために始めたことだった。

 ——それが思わぬ形で一番の心残りに関わることができたのは、偶然だった。


 「あの、住まいに関する困りごとって……ここでご相談してもよいのでしょうか?」


 か細い、折れそうな女性の声がする。

 梓が顔を上げると、肩までのセミロングヘアに眼鏡をかけた、細身の色の白い女性が焦燥した様子で立っていた。


 「大丈夫ですよ。こちらで承ります!」


 梓が明るい声で告げると、女性は安心した様子でふわっと微笑んだ。

 机越しに座ったその女性は、妙に疲れている様子で、梓は思わず声をかける。


 「……大丈夫ですか? ずいぶん顔色が、すぐれないような——」


 女性はゆっくり首を振り、口を開く。


 「いえ、大丈夫です。ご相談というのは……以前、隣の部屋が毎晩騒いでいたのを管理会社へ報告したのですが、それから集合ポストや、ドアのポストに手紙が投函されるようになりまして——こちらです」


 広げられた手紙は多様な字で書かれた罵詈雑言。


 梓は、女性の話と、声に覚えがあった。——しかし、表立っては言えることではない。

 だが確信は持つことができた。梓は、ひとつひとつ確認するように、尋ねていく。


 「手紙が投函されるようになったのは、いつ頃ですか?」

 「1年ほど前です。私が今のマンションに引っ越してきた時に、お隣の方が毎晩騒がれていて、眠れなくて——報告したんです。騒ぎは今もほぼ毎晩、続いています」

 「こちらの手紙の他にも、受け取ったものはすべて保管されていますか?」

 「ええ、全部。写真にも撮っていますし、管理会社の担当の方も写真でデータを持っていらっしゃいます」


 ——やっぱり、彼女は、あの人だ。


 梓は、一番の心残りだったあのマンションの件と、彼女がひとつずつ結ばれていくのを感じた。

 そして梓は、質問を続ける。


 「——相手方の部屋番号や、直接言われた言葉は覚えていますか?」


 女性は一瞬俯いた後、ゆっくり梓の方を見る。


 「相手方は402号室。『男性を連れ込んでいる』『恥知らず』などと……私が報告したせいで……」


 女性の表情が曇る。梓はその確信を胸の奥に押し込み、女性へ声をかけた。ずっとかけることができなかった言葉を。


 「報告したから悪いんじゃありません。困っていると伝える人を、こうやって黙らせようとするほうがおかしいんです」


 女性の頬を、一筋の涙が伝う。

 そして、一冊の書類を差し出す。賃貸借契約書だ。


 「相手方が、今のマンションの大家さんの……親族の方で。大家さんも立場のある方なので、管理会社さんも、強く出られないみたいなんです」


 【名称:フリーデハイム 403号室】

 【貸主(甲):蘇芳 由樹】

 【借主(乙):倉橋 朱音】


 ——やっぱり、そうだった。


 「……少し、確認させていただきますね」


 梓は手元にある小さいノートパソコンで『蘇芳 由樹』の名を検索する。

 画面に表示された情報を見て、梓の指が止まった。

 

 新聞記事と自治体情報、会社の公式サイト——様々な情報が表示される。

 市議会議員、蘇芳 由樹。

 蘇芳興産代表取締役。

 主要取引先:アルフェリアホーム。藤村が所属する管理会社の名だ。


 ——アルフェリアホーム……? ああ、これで藤村さんは歯切れが悪かったのか。繋がった!


 前職の記憶に頼らず、この場の相談として記録するために、梓は女性へ名を尋ねた。


 「ありがとうございます。お尋ねするのを失念していました。私、浅見梓と申します。失礼ですがお名前をお伺いしても——?」


 女性は少しだけはっとし、その後、ふわりと微笑んだ。


 「申し遅れました。倉橋……朱音です」


 ふたりは、お互い確認し合うように頷き、梓は話を続ける。


 「倉橋さん——これは、騒音相談ではなく、嫌がらせとして整理した方がいいかもしれません。先ほど手紙とデータはお持ちとお伺いしました。あとは、時系列順にまとめた物を持って警察へ行きましょう」

 「しかし、警察の方も話を聞いてくださるかどうか——」


 朱音が視線を落とす。無理もない。相手が地元の政治家で、社長。忖度されるかもしれないという不安も、梓はわかった上で、強く告げた。


 「——大丈夫です。その時は私も、ご一緒します」

 

 そう言って、梓は自身の携帯電話番号の書かれた名刺を渡す。

 朱音は安堵の笑みを浮かべる。


 「資料を揃えたら、またご連絡します。浅見さん、ありがとうございます。心強いです」


 朱音が立ち去り、相談会も終わろうとしたところに梓の携帯が鳴った。


 ——リコリスコーポレーション。


 表示されたその名に、何があったのかと一瞬身体がひゅっとなる。

 しかし、梓は朱音のことを知った今、いいタイミングだとも思い電話に出た。


 鈴村からの電話で、二日後にリコリスコーポレーションへ行くことが決まった。

 通話を終えた梓が息をついた、その時だった。


 「浅見……梓さん、ですよね」


 男性がおそるおそる声をかけてきた。

 聞き馴染みのある声に、梓は顔を上げる。


 「藤村です。——アルフェリアホームの、と言っても退職前の有給消化に入るので、もうすぐ元がつきますけれど」

 「藤村さん!? どうされたんですか?」


 藤村は手に、住まい相談会のチラシを握っていた。どうやら彼も、退職後のことを考え、相談先を探してここへ来たらしい。

 

 「先ほど、偶然、倉橋さんにお会いして、浅見さんに会われたと伺って——リコリスコーポレーション、退職されていたんですね」

 「ええ。半年ほど前に……何か?」

 「退職されているのなら——お願いがあります。僕だけでは動けないんです。倉橋さんの件、手伝っていただけませんか?」

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