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電話の向こうは、誰ですか~入電履歴は語らない~  作者: 凪砂 いる
第四章|孤立した声は迷わない

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空を掴むような声

 ――辞めた会社に来るなんて、思わなかった。


 明るい茶色に染められた髪は、ひとつにまとめられ、久しぶりに着るスーツが少し窮屈でならない。

 浅見梓(あざみあずさ)はふぅ、とため息をひとつ整えるように吐き、センター入口のベルを鳴らす。

 チーンと鳴ったそのベルが反響している間、彼女は半年前に辞めた元・職場からの突然の電話に何事かと思ったことを思い出す。


 それは二日前、リコリスコーポレーション時代の直属の上司、鈴村からの連絡だった。


 「浅見さん、突然すみません。浅見さんの退職後に、あなたの名前で対応履歴が増えている件がありまして……」

 

 ——は? なぜ半年も前に辞めて機材もすべて返した会社に私の痕跡が残ってるんだ? そして今も私の名前で増え続けてる?


 梓は事態が飲み込めず、頭の中にぐるぐると渦が巻き始める。


 「——鈴村さん、私、本当に言っている意味がわからないんですけど、機材も、返してますよね?」

 「確かに、浅見さんの使われていた在宅勤務用パソコンもこちらにあって、IDも確かに消えてるんですけれど、浅見さんの履歴が増えてるんです」

 「それ私のID本当に消えてなかったとかいうオチじゃないですよね?」

 「いや、確かに消えてます。大変申し訳ないんですが……一度会社で見てもらえますか?」

 「わかりました。私も辞めた会社に今も名前が増え続けてるのは不気味なので、行きます」


 そう言って電話を切ったあと、梓の視線が沈む。


 ——あの会社で心残りとして残っていたのは、人間関係が歪だと感じたフリーデハイムというマンションの案件だった。所詮声だけでは人を救えない、無力さを感じて、辞めた。


 どれだけ話を聞いても、あのマンションだけは人を救えている感じがしない。

 ただ、空を掴むような感覚だけが増えていった。


 特に403号室、402号室、303号室の歪さは今でもよく思い出せる。

 裏に何かがある。そう感じるのに、たどりつけない。仕事の範囲では何も解決できない。

 無力だった。ただ、何もできない自分が、歯がゆかった。


 その時、梓の前に足音が近づいてきた。


 「浅見さん、お久しぶりです。お呼び立てしてすみません」

 「鈴村くん、まだそんな顔して働いてるの? 老けるよ? そして深野ちゃんも、元気そう……じゃないね」


 梓は、目の前に現れた鈴村、そして後輩の柊花を交互に見る。

 

 「会議室を借りてあります。——詳しい話はそこで」


 白を基調にした殺風景な会議室は、昼の光が柔らかく、しかしブラインドによって歪な影を伴いさしこんでいる。

 鈴村がノートパソコンを開いて、履歴画面を見せる。


 「個人情報部分は伏せています。文体確認と、本人入力でないことの確認だけお願いしたいんです……このように、浅見さんの退職後も、浅見さん名義の履歴が深夜に増え続けています。フリーデハイムだけです」


 示された覚えのない履歴に、梓の表情が一瞬凍る。

 しかも、心残りだったフリーデハイムの案件だけに今も『自分』が声を残し続けている。

 それだけで、梓の胸の奥が冷える。


 「私、辞めたよ。ちゃんと。会社の端末からしか入れないし端末も置いてきた。だから、その履歴は私じゃない」


 鈴村が、梓の退職前の履歴と、増え続ける『梓ではない誰か』の履歴を見比べて頷く。

 柊花が梓をまっすぐ見て口を開く。


 「浅見さんらしい言葉なのに、浅見さんが書いたものじゃない。それが一番気持ち悪いんです」


 梓は俯く。


 「深野ちゃん……まっすぐだけじゃ、届かなかったよ。届けられない光が、あったんだよ」


 鈴村が首を傾げる。


 「浅見さんがありえない、とすると一体誰が……こんなに道を示すように書き続けている?」


 本当に不気味だ。誰かが自分の名前を使って会社に居座り続けるなんて。

 梓は心底、自分の無力さと、知らないところで名前が残る不気味さに身が震えていた。


 「フリーデハイム……私、あの件だけは忘れられなかったんだよね。一部の住人が好き勝手やってさ」


 鈴村と柊花が、頷く。

 梓は話を少し語気を強めて続ける。


 「電話の向こうに人がいるのに、こっちはさ、ひとつの案件としてしか残せない」

 「それなんですよね」

 

 柊花が同意するように憤りを隠せない様子で頷く。


 「——それにさ、履歴って残るじゃない。でも、残ってるだけ。誰かが読まなきゃ……なかったことと同じ、なんだよね」


 梓が一息つき、静かに告げる。


 「辞めてから、たまたま知っちゃったんだよね。……フリーデハイムの大家の名前」


 梓の声は明るいが、表情は一切の笑みを宿してはいなかった。

 柊花がごくりと息を呑む。


 「地元じゃ、ちょっと顔の利く人だった。政治家」


 梓が続ける。

 

 「これは、会社の履歴から知ったことじゃないよ。ここ辞めてから、住まいのトラブル相談の手伝いをしてた時期があってさ。そこで倉橋さんが来たの。それで、聞いた」


 鈴村が手元のノートパソコンでその名前を調べ、次第に表情が凍りつく。


 「私さ、それを知った時「あ、これ繋がった」って思った。あの2部屋が好き勝手やってた理由も。——倉橋さんが孤立した理由も。藤村さんに報告しても言葉をいつも濁してた理由とかさ、そりゃ忖度するよね。地元の有力者相手なら……どこが『フリーデ』だって、ちっとも平和じゃない」

 

 鈴村と柊花の顔から次第に色が失われていく。

 そして、震えるように鈴村が声を上げた。


 「それで、倉橋さんは……402号室の件を相談しただけで、ターゲットにされた、と」

 

 梓は、強く頷いた。瞳に怒りの色を宿して。


 「もう会社の人間じゃないからね。今度は、ちゃんと倉橋さんの隣に立てる」


 そう話す梓の表情は、まっすぐと前を見据えていた。

 柊花と鈴村も、続けて頷いた。

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