上奏
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宮内局長ハインリヒ・フォン・ハルテンが上奏の手続きを確認したのは翌朝だった。
「国王陛下への上奏は、様式第一〇一号によります。上奏文の書式、添付文書の目録、提出先の確認が必要です」
「添付文書は揃っています」
「添付文書の数が多い場合、陛下の御覧になる前に宮内局による要約文書の作成が慣例です」
エリザベータは少し考えた。
「要約は不要です」
「しかし」
「要約すると、何かが落ちます」
ハインリヒが一拍置いた。宮内局長として異論があることは顔に出ていたが、王女の判断を覆す権限は持っていなかった。
「承知しました。様式第一〇一号の正本一通、副本三通を準備します。陛下のご都合は、明後日の午前が空いております」
「それで」
「記録官の同席は」
「必要です」
ハインリヒが一礼して退室した。
マリアンネが後ろで言った。
「要約すると何かが落ちる、というのはどういう意味ですか」
「数が多いことも、情報です」
マリアンネが少し間を置いた。
「ああ」
それだけだった。
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二日後の午前、エリザベータは国王リオナルド二世の執務室に入った。
記録官が後ろについていた。マリアンネはその後ろだった。
国王は机に向かっていた。五十代半ば。書類を読む姿勢には無駄がなく、読み終えた紙を重ねる動作だけが繰り返されていた。エリザベータが入ってきた気配に、視線だけを上げた。
「上奏を受ける」
「ありがとうございます」
エリザベータが様式第一〇一号を机の前に置いた。添付文書の束がその隣に置かれた。厚みは指二本分あった。
国王が上奏文を読んだ。黙って、最後まで。それから添付文書の目録を確認した。目録だけで止まった。
「全部読む必要があるか」
「財務局の台帳記録と法務局の照会文書だけであれば、経緯の把握には十分かと存じます」
「それが何枚あるか」
「合計で十七枚です」
国王が十七枚を抜き出して、読んだ。読む速度は速くも遅くもなかった。読み終えた紙が机に重なっていった。
最後の一枚を置いてから、国王は上奏文の末尾に視線を戻した。
「ロッテンブルク条款は継承認定に及ばない、とある」
「はい」
「ゲルハルトの確認か」
「法務局として確認しています」
「二百年で初めての事例か」
「建国以来、継承の争いになった前例はございません」
国王が少し考えた。考えながら、添付文書の束を指でゆっくりとたたいた。
「ルードヴィヒを認定する場合と、グリュンの暫定管理を認める場合で、何が変わるか」
「ルードヴィヒを認定した場合、条約義務の履行責任が嫡男に確定します。グリュンの暫定管理を認めた場合、履行責任の所在が再び曖昧になります」
「曖昧になるとどうなる」
「また書状が二通来ます」
国王が初めて、ほんのわずかに表情を動かした。笑いではなかった。しかし、笑いに近い何かだった。
「遺言書の照会結果は」
「様式第三〇五号で照会中です。まだ回答がありません」
「遺言書がない場合は」
「嫡男による継承が原則です。グリュンの主張する『当主の意思による委任』は、当主死亡とともに効力を失います」
国王が上奏文を閉じた。
「勅書を出す。継承者はルードヴィヒ・フォン・ロッテンブルクと認定する。条件として、三十日以内に条約義務未履行分の履行計画を中央に提出させる。計画の様式はゲルハルトに確認させろ」
「かしこまりました」
「以上だ」
エリザベータが書類を整えながら立ち上がりかけた時、国王が言った。
「これを動かしたのはカロリーネか」
「エッカルト侯爵が情報をお持ちでした」
「カロリーネが情報を持っていることを、どこで知った」
「南隣の侯爵が穀物の流通に関心を持つことは、自然なことと存じます」
国王がエリザベータを少し見た。
「そうだな」
それだけだった。記録官が羽根ペンを走らせた。走らせた内容は「陛下、勅書発行をお決めになった」だった。走らせなかった内容は、その前後の会話の空気だった。
空気は記録されない。
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翌日、勅書が発行された。
様式第一〇〇号。国王の印璽。継承者はルードヴィヒ・フォン・ロッテンブルク。
宮内局から法務局に写しが送られた。法務局から財務局に通知が届いた。財務局が台帳に記録した。枢密院事務局が審議記録を更新した。
一通の勅書が、七つの台帳に記録された。
それぞれの台帳で、事案が「継続中」から「対応中」に変わった。
「完了」になるのは、ルードヴィヒが条約義務の履行計画を提出した時だった。
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勅書がロッテンブルク侯爵城に届いた時、グリュンは三日間、何もしなかった。
三日目に、グリュンは城を出た。
行き先は記録されなかった。ただし、グリュンが城を出たという事実は、城の門番の記録に残った。門番は毎日、出入りの記録を取っていた。グリュンが二十年間そうするように命じてきたからだった。
ルードヴィヒが財務局に送った履行計画書は、期限の三日前に届いた。
様式は整っていた。押印があった。署名はルードヴィヒ本人だった。
フェリックスが受領記録を台帳に書いた。
「受領。内容確認中」
次の欄に何が書かれるかは、計画書の中身によった。計画書の中身が妥当かどうかを確認するのは、財務局の仕事だった。
財務局の仕事は、続いていた。
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その夜、エリザベータの執務室でマリアンネが燭台の芯を整えていた。
「一つ教えていただけますか」
「何ですか」
「この件は、最初からこう終わるとお思いでしたか」
エリザベータは今日最後の書類に目を落とした。
「最初というのは、カロリーネ侯爵が散策路に来た時のことですか」
「そうです」
「こう終わるとは思っていませんでした」
「では」
「記録が積み上がれば、どこかに届く。どこに届くかは、積み上がってみないと分かりません」
「でも勅書まで届くと」
「届くとは思っていませんでした。勅書が必要になる事態があることは、知っていました」
マリアンネが燭台を置いた。
「違いが、私には分かりません」
エリザベータが書類から顔を上げた。
「届くと思って動くと、届かなかった時に判断が歪みます。必要なことをする。それだけでいいんです」
マリアンネが少しの間、燭台の炎を見た。
「お好きなように」
その言葉には、今日という日に対して言えるだけのことが全て入っていた。
エリザベータは最後の書類を閉じた。
明日も、財務局からの台帳確認が来る予定だった。




