文書が多すぎる【ロッテンブルク侯爵の不在と中央の対応】【2話】
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様式第二一三号の督促に対する返信は、予想外の形で届いた。
一通ではなかった。
三通、同時に。
財務局の受付が「返信三通、いずれも様式第二一四号、ロッテンブルク侯爵領発」と記録票を起票した時点で、すでに何かが起きていることは明らかだった。様式第二一四号は「督促受理及び履行予定通知」である。一通が正規の回答であれば、それ以外は何なのか。受付担当者は規定を参照したが、「同一事案に対する同一様式の重複提出」について定めた条文は存在しなかった。
担当者は上司に回した。上司は局長補佐に回した。局長補佐はフェリックス・ヴォルフの机の上に三通を並べた。
フェリックスが各通の署名欄を確認した。
最初の一通。署名:ルードヴィヒ・フォン・ロッテンブルク(侯爵嫡男、代理)
次の一通。署名:ハンス・グリュン(ロッテンブルク侯爵領家宰、当主委任代理)
最後の一通。署名:クラウス・フォン・ロッテンブルク(ロッテンブルク侯爵)
本人の署名が、末尾にあった。
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エリザベータが三通を並べて読んだのは、フェリックスが持参してきた翌朝のことだった。
「クラウス侯爵の署名は、筆跡鑑定を行いましたか」
「文書規定上、署名の真正確認に筆跡鑑定を用いる手続きは存在しません。様式が整い、押印があれば有効です」
「押印は」
「三通とも、ロッテンブルク侯爵家の正式な封印です」
「三通とも」
「はい」
エリザベータはしばらく三通を見比べた。内容は微妙に異なっていた。ルードヴィヒ名義の一通は「上納は来月初旬までに完了する」。家宰グリュン名義の一通は「当主の体調回復後に改めて協議の上で履行する」。当主クラウス名義の一通は「予定通り上納を実施する、以上」。日付は三通とも同日だったが、時刻の記載はなかった。本家国の様式に時刻記載の欄はない。
「フェリックス局長、三通のうちどれを正規の回答として受理しますか」
フェリックスが答えを持っていないことは、顔を見れば分かった。
「財務局の所管では判断できません。三通の優先順位の確定は法務局の所管になります」
「法務局に照会しますか」
「すでに局長補佐が連絡を入れています。ゲルハルト局長からは、本日の昼に回答があると」
マリアンネがごく静かに言った。
「もはや意地ですね」
エリザベータは三通の書状から顔を上げなかった。
「何が」
「三通送りつけることが、です。返信を出したという実績だけ作りたかったのでしょうに」
「それは確かにそうです」
エリザベータは三通を揃えて伏せた。三通が届いた。三通はいずれも様式上有効である。しかし三通が矛盾しているため、どれも実質的に無効に近い。
様式のないものは存在しない。では、矛盾した様式が三つ存在すれば。
「どれが有効か確定するまで、財務局の台帳はどう記録されますか」
「回答受理として処理します。履行の有無は別途確認待ちです」
「督促の進行は止まりますか」
「一時停止になります。法務局の判断が出るまで」
一時停止。上手くできている、とエリザベータは思った。中央の手続きを停滞させながら、返信は出したという形を作った。ロッテンブルク侯爵領の内部で何が起きているにせよ、時間を稼ぐ意図は明らかだった。
「では、時間を稼がれないようにします」
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法務局長ゲルハルト・ブラントが執務室に現れたのは昼を少し過ぎた頃だった。
「三通の優先順位について、確認できたことをご報告します」
「どうぞ」
「まず、署名者の代理権限の根拠について照会しました。ルードヴィヒ名義の書状には代理権限の授権文書の添付がありません。家宰グリュン名義の書状には、当主からの委任状が添付されていますが、日付が今月初旬です。そして当主本人の名義の書状が同日に届いている」
「つまり当主が代理を委任し、当主本人も書状を送った」
「その通りです。当主が委任状を発行した上で自ら書状を送るという構造になっています。委任の必要がない状態で委任状が存在する」
マリアンネが「もはや意地ですね」以外の言葉を探しているような沈黙があった。
「当主は署名できる状態にある、ということになりますか」
「書類上はそう解釈せざるを得ません」
「では、当主に直接、三通の整合性についての照会を出すことはできますか」
ゲルハルトが少し間を置いた。
「できます。ただし、ロッテンブルク条款第三条の範囲で回答を拒否することができます。『内政に関する照会への応答義務は諸侯の裁量による』という条文です」
「財務上の義務履行に関する照会は内政ですか」
「条款の文言上は曖昧です。過去の解釈では内政に含まれないとされた例が複数ありますが、異論もあります」
エリザベータは少し考えた。
「では、照会は出します。ただし照会内容は一点だけです」
「内容は」
「三通の書状のうち、どれが有効であるかをご確認ください、と。それだけです。当主の状況も、領内の事情も聞かない。財務局の台帳に何を記録すべきかを確認するための、事務的な照会です」
ゲルハルトが少し口を閉じた。
「それは、ロッテンブルク条款の対象外です」
「そうです。諸侯への事務照会は、義務的な応答事項として条款第七条に明記されています」
「……確かに」
「しかも回答がなければ、三通が同時に無効になりかねない。督促の一時停止も解除されます」
ゲルハルト・ブラントが珍しく何も言わなかった。法務局長として、言うべきことがないのではなく、言わなくて良いと判断したのだとエリザベータには分かった。
「照会を出してください。返信期限は規定の十日です」
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十日後、返信は届かなかった。
十一日目に、ロッテンブルク侯爵領から一通の書状が届いた。様式外の便箋に、走り書きに近い文字で、こう書かれていた。
「当方の事情をご賢察いただきたく、しばらくの猶予を――」
様式番号がなかった。
本家国において、様式のないものは存在しない。
エリザベータはその便箋をしばらく見てから、フェリックスとゲルハルトを呼んだ。二人が揃ったところで、便箋を机の中央に置いた。
「これは、届いていません」
二人が黙って見た。
「届いていない代わりに、十日の期限が過ぎました。財務局として取るべき次の手順は何ですか、フェリックス局長」
「様式第二一七号の発行です。履行期限超過の正式通知になります」
「様式第二一七号は何を引き起こしますか、ゲルハルト局長」
「枢密院への自動通知が発生します。十二諸侯の条約義務未履行として、議題に上がります」
「枢密院の議題になると」
「審議の結果によっては、当主の召喚状が発行されます」
エリザベータは便箋を裏返した。様式のないものは存在しない。存在しない書状は記録されない。
「では、様式第二一七号を発行してください」
「かしこまりました」
ゲルハルトが退室の前に一度だけ振り返った。
「殿下。ロッテンブルク侯爵領の現状については、いずれ詳細が明らかになりますが」
「はい」
「介入の根拠が何であれ、ロッテンブルク条款は残ります。条款そのものを問題にするつもりはありませんか」
エリザベータは少し考えた。
「ロッテンブルク条款は、当主が条款を守れる状態にあることを前提に機能しています。その前提が崩れた時に何が起きるかについて、条款は規定していません」
「……」
「規定されていないことが何を意味するかは、規定が教えてくれます」
ゲルハルトが一礼して出ていった。
マリアンネが便箋を持ち上げ、「これはどう致しましょう」と聞いた。
「届いていないので、記録は不要です」
マリアンネが一瞬だけ間を置いて、便箋を折り畳んだ。
「お好きなように」




