「セレスティーナの日誌」
ジュリウスを中心とした他登場人物は、以下のエピソードにも登場します。
人物関係については、「登場人物一覧」もあわせてご参照ください。
「進学」「棚からぼた餅」「カナリヤ」
「セレスティーナ。婚約者としてジュリウスはどんな感じだ? 俺から見ると良い奴に見える。もっとも……伯爵家を乗りこなすには、まだまだ未熟だが」
義兄のアリアノエルに、そう聞かれたセレスティーナは少し考え込んだ。
「そう聞かれても、まだ婚約を結んだわけではないわ。だから部下としてしか判断できないけれども、人柄は良いし、信頼できるわ」
「なんにしてもモードレッドに比べれば、遙かにましな人材だな」
無神経な一言を残して、アリアノエルは部屋を出て行った。
その一言でセレスティーナは、またくよくよと悩むことになった。
◇◇◇◇◇◇
ガビン伯爵家の子息たちと、セレスティーナが引き合わされたのは八歳の時だ。
ブラックウェル伯爵家を、第二王子派閥に取り込もうとするガビン伯爵家の動きに、当時八歳の跡継ぎが巻き込まれた形だった。二歳年上のモードレッドと、その兄弟にちやほやされてはしゃいだものだ。
この当時、元凶のロレンス第二王子は十歳だった。その時点ではなにか大きな事件にかかわっていたわけではないが、剣呑さは健在で、どんなくだらない話しをしていても、なにかの陰謀にしか聞こえなかったのを覚えている。ブラックウェル伯爵家が派閥に加われば、ロレンスの勢力はまた大きくなる。そのためにセレスティーナをちやほやとし、夢のようなエスコート攻撃を男たちは繰り出していた。
文字通りの王子様であるロレンスとモードレッド、十二歳の兄のネヴィル、当時七歳の弟エドウィンがこぞってお姫様のように扱ってくれる。鵜呑みにしたわけではないが、とても嬉しかった。
セレスティーナの両親は、かなり問題のある人柄で、そのため教育は当時伯爵夫妻だった祖父母が行っていた。また家令や摂政など、家内の使用人たちが、積極的に教育に取り組んでいた。だから自分がまさに、政争に巻き込まれていることはわかっていた。
愛想笑いを浮かべて、その日一日をやり過ごそうとしていたのに、それをぶち壊したのがモードレッドだ。洗練されたやりとりをしていた、ロレンスとネヴィル、セレスティーナのところに、自分のお宝を持ってきて自慢を始めたのだ。
「どうだ、これ、すごいだろう」
「なんですか、これは……?」
「蛇の抜け殻だ」
セレスティーナは蛇を遠くからしか、見たことがない。抜け殻を知らなかったため恐怖を感じず、しげしげと眺めると、生来の好奇心からモードレッドにいろいろと質問をした。興味を示したことで、彼は得意満面になり、少し早口で無邪気に説明を始める。
子どもっぽい所のある次男のモードレッドは、聡明な長男と、思慮深い三男にはさまれ、今まで誰にも注目されなかったからだ。
「こういうのがな。あっちで時々見つかるんだ。どうだ、見に行かないか」
「あ、はい」
そう言って強引にセレスティーナの手を引っ張り、走り出した。成り行きに茫然としていた使用人たちが、あわてて追いかけてくるが、子どもの足には敵わない。庭の一角の薄暗い場所を案内すると、落ちていたレンガを拾い上げ、その下に隠れ潜んでいた蛇を指さし自慢した。
「どうだ、見ろ。すごいだろう。大きいだろう。見事だろう」
「まあ、立派ですわね」
じっくりと見ていると、驚いた蛇がするすると動き出した。
「こら、待て」
モードレッドはやおら蛇の頭をつかむと、持ち上げた。普段は不用心に蛇に触るようなことはしないが、興味を持ってくれたセレスティーナに、よく見て欲しかったのだ。だがあまり知らないセレスティーナから見ても、その行為は危険に見えた。
「大丈夫ですの?」
「ほら、よく見ろ。すごいだろう。どうだ」
くねくねと暴れていた蛇は、頭をぎりぎりまでひねると、モードレッドの手に噛みつく。
「痛っ」
針のように細い牙で刺し貫かれ、反射的にモードレッドが手を離すと、蛇が地面に落ちるどさどさという重い音がした。逃げようとした蛇に足元をくぐられたセレスティーナは、さすがに大きな悲鳴を上げる。
駆けつけた使用人が目にしたのは、手から血を流した若様と、悲鳴を上げている客人だった。
それ以来、自分に唯一、興味を持ってくれるセレスティーナに、モードレッドは無邪気に懐いてくるようになった。両親に連れて行かれた彼女の手を引いて、庭を歩き回り、自然を見せてくれる。たどたどしい説明を一生懸命してくれて、興味を見せると顔を輝かせる。二歳年上の弟ができたようなものだった。
計算尽くなら断ることもできたろう。だが彼女の来訪を、心の底から待ちわびている姿を見て、拒否することができなかった。最初の内は、ただ気の毒な境遇だと思っただけだ。だが純粋に求めてくるモードレッドを見ている内に、気が付くと好きになっていた。
その時には人の心など思いどおりにならないのだから、仕方がないと諦める。それに仮にモードレッドを婿養子にもらったとしても、必ずロレンスの派閥にならなければいけないわけでもないはずだ。家の問題は、自分さえしっかりしていればいいはずだと言い聞かせた。
だが、セレスティーナをあどけなく求めていたモードレッドに、大きな変化が起きる。十三歳になり学院の中等科の寮に入ると、彼から急に連絡がこなくなった。不審に思っていると、派手に遊んでいるという噂が飛び込んでくる。
家庭ではつねに孤独だった彼は、学院では下にも置かれずちやほやとされていた。大きな伯爵家の子息で、裕福で、誰もが振り向く華やかな外見。それにもかかわらず、人当たりが良く気さくだ。様々な目的で人々が群がった。自分がもてることに気が付いたモードレッドは、幼少期の孤独を埋めるように、女性を貪り、溺れ、あっという間に性格が歪んでいった。
セレスティーナはそれを、黙って見ているしかない。二年遅れて入学し、自分の目で彼の行状を見て思った。これは駄目だと。
どうしようもなく寂しかったのだろう。自分が無価値に思え、自信も持てなかったに違いない。女をとっかえひっかえし、悪いお友達と遊び回ることで、今までの人恋しさを埋めていた。理屈ではなく、まるで喉が渇いた人が水を求めるように、遊び回る姿に、言葉なんてかけても役に立たないと感じる。
なにもできないとわかって、セレスティーナは泣きじゃくった。二人の間に積み重ねた五年の歳月は、なんの意味もなかったのだ。求められた交流には彼を癒やす、なんの力もなく、傍から見て分かる彼の心の空虚さを、埋める力もない。
セレスティーナの恋は終わりだ。
そしてどんなに悲しくても、伯爵家の跡継ぎである以上、誰か男性を選ばなければならない。この身に眠るモードレッドへの想いがどれだけ強くても、断ち切らないといけない。そんな風に感傷的に自分に言い聞かせる。成就しなかった恋愛という悲劇にどっぷりと浸り、まるで舞台の登場人物にでもなったつもりでいた。後から考えればお笑い種も良い所だ。
セレスティーナは自分の恋心というものを、甘く、そして軽く考えていた。次の相手と婚約する頃には、彼への気持ちは薄れているだろうと。
◇◇◇◇◇◇
「そういうわけなの」
「そういうわけですか……」
こんな打ち明け話をしなければならない、自分の情けなさにセレスティーナは顔色を悪くしていた。一方、ジュリウスは自分にも心当たりのある、恋心のしつこさとやらを思い出して身につまされ、セレスティーナがなにか言う度に、まるで自分のことを言われている気分になり、耳まで真っ赤になっている。
義兄のアリアノエルに薦められて、婚約前だが二人でお茶会でもして、親睦を深めようとの成り行きだった。
当然、二人は軽く一仕事する程度の気持ちで始めたのだが、お互いのことは調査報告書等で情報だけはよくつかんでいる。趣味や経歴などの形式的なことは改めて話す必要もないので、どうせならそもそもこの婚約の話が出る元となった、ロレンスの派閥問題や、モードレッドとの関係を、対策するために分析しようという色気のない流れになった。
ジュリウスも割とそういった傾向があるが、セレスティーナは完全な仕事人間だ。それ自体は別に悪いことではない。問題は、二人は明らかに情緒がなく、自分の感情に対して鈍感だという点だ。
最初はロレンスに関する話題として政治問題で盛り上がり、二人は話していて気が合うなどと呑気に考えていた。仕事で知ったロレンスの話題を、ジュリウスは話せる範囲で風刺を交えて提供し、ガビン伯爵家などで個人的に見てきたロレンスの話題を、セレスティーナは愉快な様子で話して聞かせた。特に危険人物と目されるロレンスにも、マドレーヌよりクッキーがいいと、静かに駄々をこねる時期があったという話題では、急に人間味が増したものだ。
だがモードレッドとの馴れ初めや関係を説明する段になると、ぎこちなくなっていった。これから先、それが問題になってくると思うと、どうしたって詳しく説明せざるを得ない。ブラックウェル伯爵家と、所属する派閥問題が関与する上、そこにロレンスが絡み、彼女の恋心を政治利用しようとしているのだから。
仕事人間のセレスティーナは、これも業務の一環だと思い、生真面目に全部、話した。そしてお子ちゃまな情緒が、一周、遅れて羞恥心や、不甲斐なさを刺激し、どんどん落ち込んでいった。子どもではあるまいし、いまだに初恋を引きずって、家の跡継ぎ問題にまで発展させているのはどうなのだろう。あまりにも情けなさ過ぎて、恥ずかしいと。
一方、それを聞かされるジュリウスも、一方的なしつこい片思いを、吹っ切ろうと努力した古傷をえぐられ、同じように赤面し落ち込んでいた。お互いに自分のことで一杯一杯な二人は、下を向いたまま話をそらそうと墓穴を掘る。
「セレスティーナ様。そういったことは誰しもが通る道。落ち込むようなことではありません……」
「もう呼び捨てで構わないわ。ジュリウスも同じような経験があるの?」
その時の様子を見て、傷つけてしまったことがセレスティーナにはわかったのに、ジュリウス本人には、自覚がなかった。
ただ自分の胸から血が流れるような鋭い痛みを感じ、ローズのことを思い出して息が止まりそうになった。それをなんとかやり過ごせたのは、四ヶ月前の彼女の日誌のことを思い出したからだ。大切に取ってあるたった一つの思い出が、温かく傷口を包んでくれ、その場でなんとか立ち直ることができた。
そこに至って、ようやく自分が何一つ忘れていないし、いまだに立ち直ってもいないということを、初めて自覚する。そしてその心の動きは、目の前にいたセレスティーナに、なぜか手に取るようにわかった。
自分と同じような体験をし、同じように悩み、同じように自分の感情に鈍感で、傍から誰かに言われて初めて自覚する所。ほんの一瞬のできごとだったが、彼の人となりがよくわかったできごとだった。
「私にもセレスティーナ様……セレスティーナと同じように、想いを寄せていた相手はいます。その時に自分の気持ちはどうにもならないことを、嫌と言うほど思い知らされました。だからセレスティーナの気持ちはよくわかります。こういった問題は、とにかく無理をしないことです」
言いたくないことだろうに、正直に話してくれ、要らぬ助言までしてくれたジュリウスは、人が良い……を通り越してお人好しなのだろう。
「婚約を結ぶというのに、こんなことを私からも言って、不安にさせてしまい申し訳ありません。相手の方とはなにもありませんでしたし、もう連絡をつけることもできません。そもそも私の気持ちも知りませんし。ですが不安なら……」
「いいえ。一切、不安はないわ」
断言したセレスティーナを、ジュリウスは不思議そうに見つめ返してきた。彼が誠実なことは、本人をのぞいて、この家の者なら誰でも知っている。なにもないと言ったら、なにもないだろう。しばらく黙っていたが、どうしても気になった点をセレスティーナは聞いた。
「あのう、教えて欲しいの。嫌なら答えなくてもいいわ。……気持ちをおさえたり、忘れたりするのにどんな努力をしたの?」
ジュリウスは赤くなり、青くなりを繰り返した後、話すのなら死んだ方がましだという顔をしたが、結局、答えた。前提として、この会話がとにもかくにも仕事の一環であると判断した生真面目さと、困っている人間がいると放っておけない自分の気性をよく分かっていたからだ。
「私の友人が……」
「……」
セレスティーナは黙っていた。
「妹に相談した所、気持ちに枷をはめるのが一番駄目だと。恋をしてはいけないと、自分に禁止するほど好きになってしまうとか」
「……なんだかわかるわ。その気持ち」
「むしろ告白した方が気持ちはおさまると」
「斬新な発想ね」
「それと日誌を書くように薦められました」
「日誌?」
「日誌の中で、自分の自由な気持ちを綴るのです。相手の……好きな点や、思い出、自分の気持ちなどを自由に。書いた後、読み返してみると、そのことについて誰かとおしゃべりしているように感じ、気持ちが落ち着きます」
「なるほど……。言われてみると、そうかもしれないと感じるわ」
ふむふむと頷くセレスティーナを見ながら、「そうらしいです」を付け加え忘れたジュリウスは、今さらやり直すわけにもいかず、なんだか泣きたい気分だった。その後、自尊心がぼろぼろになり、ふらふらの足取りで帰宅しようとすると、追いかけてきたセレスティーナが、ジュリウスの手を取り、小さな両手でぎゅっと握ってきた。
「今日は本当にありがとう。さきほど助言の通りにしてみたら、気持ちが楽になったの。よく考えたら私の心なんだから、別に自由にしててもいいはずよね。そう思うとまるで迷路から抜け出せたようで。感謝しているわ」
「お役に立てて光栄です」
戸惑った様子で帰って行ったジュリウスの背中を見て、今日の一番の収穫は、彼が案外、子どもっぽいことがわかったことだろうとセレスティーナは思った。仕事中は無口で落ち着いているように見えるため意外だった。恋愛方面は二歳年下の自分とそれほど変わりないように見えるし、結構、感情表現が豊かだ。今日の対話で、急に親近感を感じたセレスティーナだった。
◇◇◇◇◇◇
今日のことを早く忘れたくて、ジュリウスは帰り道、つい速歩でブラック号を走らせていた。恥ずかしさからなんとも言えない気持ちでいたが、散漫な気分でもあり、だんだんブラック号の速度も落ち、その内、少しぼんやりしていた間に、さぼってゆっくりと歩き出し、やがて道ばたで草を食み始める。そんなことにも気が付かず、羞恥心にまみれ、気もそぞろだった。
何度も今日のセレスティーナとの会話は仕方がないと、自分に言い聞かせる。元々そういった話だったし、これも仕事の一環だと。そういうことにしておかないと、独り言でももれてしまいそうだ。だがそうやって自分を落ち着かせていると、本当に気にしていることが、むくむくと頭をもたげてきた。
自分にとって一番、衝撃的だったのは、もう終わったことだと思っていたローズへの気持ちを、いまだに引きずっていたことだ。時間が経ったにもかかわらず、まるで昨日のことのようで、あまりにも未練がましくて、自分で自分に驚いてしまった。セレスティーナに言った通り、人間だから仕方がないとは言え、さすがに自分でもどうにかならないかと思う。
自分も人並みの男なので、婚約者になるセレスティーナの前では格好つけたいし、良く思われたいという気持ちがある。それなのに初手からこうでは。せめて他の人と同じくらいには、見栄を張って、うわべを取り繕う努力をするべきだろうか。今日だって、あそこまで馬鹿正直に話さなくても……。
そう思った時、別れ際にお礼を言われたことを思い出して、大きなため息をつく。例え今日の一件をやり直したとしても、セレスティーナが困っているというのなら、同じことを助言するだろう。自分はそういう人間なのだから。終わったことをくよくよ考えても仕方がない。
そう思って顔を上げ、足に力を入れると、ブラック号が思い出したように歩き始める。まるで自分の主人は手間がかかって仕方がないとばかり、大きないななきをあげて首を強く振る。そしてちらりとジュリウスを見て、ようやく立ち直ったことを確認すると、リズミカルに鼻を鳴らし始めた。規則正しい足並みと鼻息を聞きながら、ぼんやりとしていると気持ちが落ち着いてきた。
その時、ジュリウスは自分より遙かに小さくて細い手が、自分の手を握ってきた感触を思い出す。触られた所にほんのりとした温かみを感じ、例え情けない姿を見せたとしても、彼女の役に立てたことで良しとしようと思った。




