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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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足るを知れ


 エルタミラ子爵家の長男クリストバルは、ここ最近、学院で妙な居心地の悪さを感じていた。


 普通にしているだけなのに、人の視線を感じたり、廊下でひそひそとうわさ話の的になっていたりする。友人たちに聞いても、心当たりはないそうだ。


 帰る時間になり、婚約者のイレーネが現れると、教室中の注目が集まった。欲しがったため、ちょっと奮発して作らせた髪飾りで髪を留めていて、そこに同じく作ってやったばかりの帽子をちょこんと乗せている。ガリア国産の絹で揃えたいというので、輸入したシルクリボンを豪勢に使ったものだ。


 守ってやりたくなるような儚げなイレーネに、とてもよく似合っていて、これが自分の婚約者だと思うと誇らしい。


「帰ろうか」


 そう声をかけ荷物を持とうとすると、先に手を伸ばしてきた。


「お持ちしますわ」

「そんなこと……いいよ」


 その動作に少し違和感を抱きながら、それがなんなのかわからぬまま日々は過ぎていった。


◇◇◇◇◇◇



 クリストバルは果報者と呼ばれている。


 彼の婚約者は、男性から人気を得ており、「清純で一途」な女性として有名だった。庇護欲をそそる外見に、婚約者に尽くすいじらしさ、男を立てるつつましさ。実際の所はそこまででもなく、我が儘だって言う年頃の少女だ。


 だがそう言うと、かならずこう言われるのだ。「わかってないな」と。


 まるでクリストバルが傲慢で、贅沢であるかのように言われるのが常だった。


 妙に視線を感じるようになり、イレーネともすれ違いが続き、そして三ヶ月が経った頃、教室にフエンジャーナ伯爵家次男サロモンがやってきた。


「イレーネの件で話がある。わかっているだろう。観念したまえ」

「……」


 クリストバルには、なんの心当たりもない。観念とはなんのことだろう。そう思っていると友人たちが、彼を守るように取り囲んだ。


「若君。言いがかりはおやめください。証拠でもあるのでしょうか」


「イレーネの訴え以外に、証拠がいるのか」


「糾弾するのなら、証拠を揃えるのが筋ではありませんか」


 ここまでくると、クリストバルにもわかった。ここ数ヶ月の異変は婚約者に関係していて、それも良くないものだと。これから、どうやら裁かれるらしい、


「一方的ではありませんか」


 友人たちはそう言ってくれているが、ここで言い争っていても仕方がない。


 フエンジャーナ伯爵家は、エルタミラ子爵家の寄親であり、派閥も一緒だからだ。頭を下げる相手であって、争える相手ではない。


「私にはなんの心当たりもありませんが、同行します。若君」


 そう申し出ると、サロモンは鼻をふんと鳴らして歩き出した。友人たちに礼を言うと、彼らは悔しそうにしている。きっと事情を知りながら、かばってくれていたのだろう。


 連れて行かれた会議室には、イレーネと、その男友だちがいた。


 どう見ても彼らはイレーネの味方で、集団で吊し上げられるのかとうんざりしていると、果たして尋問が始まった。容疑は彼女への精神的暴力についてだ。いくら心当たりがないと言っても意味がなく、彼女はそう言っているの一点張りだ。


 まずい立場になったと冷や汗をかいていると、しばらくして扉が開く音がし、友人たちが三年の先輩を連れてきた。


「こんなのはひどすぎます。せめて立会人を置かせて下さい」

「なんだと勝手な……」


 ふんぞり返ったままサロモンは追い払おうとしたが、入ってきたのがラムレイ男爵家のジュリウスだったのを見て、どうしたものかとしばし考えた。


 彼はただの男爵令息だが、軍閥のボウエン伯爵家家門で主に重用されている。その程度なら自分の身分を盾に断ることもできるが、最近、名門ブラックウェル伯爵家にも兄妹で出仕している。それがどういう意味を持つのかわからない以上、下手な手は打ちたくなかった。


 ほとほと弱り切った顔で部屋に入ってくると、ジュリウスは、こう言って両者の間に椅子を置いて座った。


「余計な口出しをする気はない」


 とたんにそれまで勢いづいていた、サロモン側の尋問はやんだ。立会人の存在感は大きかった。それまで一方的に糾弾していたサロモンたちは、可憐な乙女を守る正義の味方気取りだったわけだが、主従も派閥も違う人間に見られて、急に冷静になった。


「とにかく……イレーネは君から日常的に、精神的な暴力を受けていたと言っている。犯行を正直に白状したまえ」


「先ほどから何度も言っていますが、心当たりはありません」


 サロモンは舌打ちした。この繰り返しだ。


「一つ質問が」


 口を出さないと言いつつ、ジュリウスが手を挙げた。


「フエンジャーナ伯爵令息は……」


「サロモンで結構です。先輩」


「サロモン殿は、クリストバル殿にそれを認めさせてどうしたいのだ?」


 サロモンが鼻息荒く宣言した。


「気の毒なイレーネ嬢と、この卑劣感の婚約を解消させたいのです」


「それなら……」


「解消します」


 クリストバルがさらっと放った言葉に、ジュリウスだけでなく、サロモンもお友達も、そしてイレーネも驚愕した。特にイレーネの驚きは確かで、大きな声で「え!?」と叫び、椅子から音を立てて立ち上がったほどだ。


「どうしてなの? クリストバル様」


 そう言われたクリストバルは、なんとも言えない空しい気持ちになった。


 言いがかりをつけられている間、イレーネは目も合わさず、時には怯えたような仕草をして、その度に取り巻きたちが彼女をかばっていた。そんな計算づくの行動を見て、つまりはより条件の良い伯爵家次男のサロモンが目当てだったのだと見当がつく。しがない子爵家長男を悪役に仕立て、伯爵家を手に入れる。


 だったらさっさと婚約を解消して、こんな面倒なことは終わりにしたい。それに……。


 クリストバルはつい先ほどまで、彼女のことが好きだった。その気持ちに間違いはない。だが婚約の解消を告げた所、椅子を倒す勢いで立ち上がって抵抗を見せた。その時に、彼女の心の中がわかってしまったのだ。


 クリストバルが、絶対に婚約の解消を認めず、どうせ今後もしつこくつきまとって、泣きながら縋ってくるだろうと彼女は考えていた。新しい恋人サロモンとの間で、自分が取り合いになってしまうとも。ところが、あっさりと手放したので驚愕し、それに抗議して、文句を言ったのだ。


 一体、何様のつもりだろう。なにもしていないのに、人を付きまといのように思っていたことがわかり、クリストバルは幻滅した。百年の恋も冷めたとは、まさにこのことかと思う。


「よし。解決だ。イレーネ殿も、クリストバル殿も解消したいなら、それでいいではないか」


 ジュリウスがそう言って立ち上がると、クリストバルも続いた。


「ちょっと待て。まだ暴力の件を認めていない」


 道理を説くように、ジュリウスはサロモンに語りかけた。


「サロモン殿。……犯罪を立証したいのなら、証拠を集めるのは君の責務だ。それと言わせてもらうが、寄親ならクリストバル殿の面倒を見ることはあっても、糾弾するなど……。ご自分の立場を考えてはいかがかな」


「それはおかしくはありませんか。先輩。奴はか弱い女性を……」


「その割には、婚約を解消されて、納得が行かず不満そうに見えるが」


 ジュリウスが指さす先には、まるでクリストバルを責めるように、イレーネが立ち上がって婚約を解消した理由を聞いていた。


「どうしてなの? クリストバル様」

「後で書類を送ります」


 クリストバルは話す気はなく、そういうと部屋を出ようとした。


「待って」


 追いすがろうとしたイレーネを、周りが止める。彼女は自分が誰かを振るのは良くても、振られるのは絶対に許せないという性格だった。サロモンや取り巻きにはなぜかわからないようだったが、初対面のジュリウスにはわかり、彼女が抑えられている内に足早に部屋を出る。


「ジュリウス先輩。ありがとうございました。友人らにも感謝しないと」

「どうかなあ。突然彼らに呼び出されたが、その払いは君からもらってくれと言われている」


「それって……」

「まあ、今日の所は貸しということだ」


 クリストバルのエルタミラ子爵家は、すぐにイレーネのコルテス子爵家との婚約を解消した。


 イレーネはしばらく付きまとったため、身の潔白のため学院の寮にこもり、彼女が来ると、コルテス子爵家ではなく、サロモンに迎えに来させた所、ようやく来なくなった。


 イレーネはサロモンと婚約にこぎ着け、フエンジャーナ伯爵家の玉の輿に乗る。このニュースは明るい話題として、学院に広まった。噂はかなり広まっており、真相がどちらにせよ、これで解決と言うことでいいだろうと、皆が安堵したからだ。


 これでこの件は一件落着となったが、一人だけ納得できない人間がいた。


 イレーネだ。


 クリストバルの方から、簡単に婚約を解消するという、ひどい侮辱をイレーネは受け、納得できず、絶対に許す気はなかった。だから彼が自分に執着し、しつこくつきまとっていると、サロモンに相談した。彼女にとっては、それが事実だったからだ。しかしそれは少し、やり過ぎだったようだ。


 また根拠のない糾弾をサロモンから受けたクリストバルは、実家からフエンジャーナ伯爵家に正式な質問状を送った。伯爵家は自身の子息が権限を濫用して、家門の者に二度も言いがかりをつけたことを詫びた。サロモンは譴責処分とし、イレーネはクリストバルが卒業するまで、二年間の休学。その間、伯爵家で、花嫁教育を受けることになった。


 サロモンとイレーネが思っていた以上に、伯爵家が重く受けとめたのには理由がある。伯爵家は第二王子派閥で、当然、寄子のエルタミラ子爵家もそうだ。だが最近の第二王子の不穏な動きにより、離反する家が相次いでいる。子爵家は元々、帰属意識が高くなく、伯爵家との繋がりは薄い。これを機会に離反されてはたまらないと、詫びを入れて、子爵家をつなぎ止めにかかった。


◇◇◇◇◇◇



 某日、学院の会議室で秘密裏に会合が開かれた。


 出席したのは、クリストバル、父親のエルタミラ子爵。ボウエン伯爵次男レイモンド、三男グリフィン。レジェス伯爵、三女レティシエンヌ。書記兼護衛に、ジュリウスとマックスだ。


 子爵家が、災難に巻き込まれたのにつけこんで、派閥に取り込もうと、ボウエン伯爵家が動いていた。第二王子派閥のクリストバルに、第一王子派閥のレティシエンヌを紹介する。彼女はボウエン伯爵家家門だけあって、騎士姿の凜々しい女性だ。今の政治情勢を鑑みるに乗らない手はなく、子爵は乗り気だった。まさに棚からぼた餅だ。


 イレーネが流した噂が、沈静化していないのも良かった。突然、乗り換えたら、それこそあらぬ噂を流されても手の打ちようが難しい。しかし悪役が、追い立てられるように派閥を抜ける。人はそういうのを見聞きすると、本当はなにかもっと真相があるのではと思うものだ。


 黒幕は別にいるのではないかと。


「レジェス伯爵令嬢。この度は突然のことで驚かれたでしょう。ましてや私は悪い噂がある身。さぞかし……。なにか不安な点があれば、なんなりとご質問下さい。どのような問いにもお答えします」


「どうぞ、レティシエンヌとお呼び下さい。ご心配なく。我が身は主君に捧げております。いついかなる時にも命令に従う覚悟がございます。エルタミラ子爵家を共に支えましょう」


「そう言って頂けると助かります」


「伺った所では、コルテス子爵令嬢が、フエンジャーナ伯爵家に嫁ぐための狂言だったとか。災難でしたね。見かけによらず野心たっぷりのご令嬢のようだ。個人的にはそういったタイプは嫌いではありませんが」


「私もです。ただし自分が損をしない限りにおいて、ですが」


 話したのは初めてだったが、二人の目が合うと自然と笑みが浮かんだ。どうやら話が合いそうだ。


「だが……。コルテス子爵令嬢が、有力なフエンジャーナ伯爵の次男に嫁ぐ以上、我々はなにか手を打った方がいいのでは」


「必要ありません。レティシエンヌ殿」


 クリストバルは少し疲れたように、否定した。


「ほう。どんな根拠があるのですか」


「婚約関係にあったため、コルテス子爵令嬢のことは、不本意ながらよくわかっています。彼女はおそらく汚い手段を使って、次々に欲しいものを手に入れて来たのでしょう。手に入れるために自分を高めるための努力をしたこともないし、一度手に入れたものを維持する努力もしたことがない。そんな人間が、次男とは言え名門伯爵家に嫁いでも、なにかできるとは思えません」


 ばっさりと言い切ったクリストバルを見て、レティシエンヌはこれが最初の試金石になるだろうと思い、自分の未来の夫の手腕を見届けることにした。


◇◇◇◇◇◇



 名門伯爵家フエンジャーナ家は、巨大な軍艦のようなものだった。


 現伯爵夫妻とその両親である前伯爵夫妻。たくさんの親戚。そして長男のオノラトと婚約者シャンテイル。シャンテイルはアグアート侯爵家の五女で、オノラトとは幼い頃から仲の良い間柄だ。長女のマリクルーズは結婚が決まっていて、三番目の次男がサロモンだ。サロモンはオノラトの予備でもあり、補佐でもあり、この巨大な家の実務を担当する。四番目の妹ラセフィーナの下に、弟が二人と妹が一人いる。


 自分は優秀だとの自負があるイレーネにとって、姑のパメラから与えられる課題はそれほど難しい物ではなかった。だがすぐに壁に当たる。


 現在、長男嫁のシャンテイルのお迎えと、長女のマリクルーズの嫁入りでばたばたしている。おしゃべりの内容も、派手なものばかりだった。


「シャンテイルお義姉様は、セアブル大聖堂で式を挙げられるなんて……。あんなに大きくて立派な。おまけにマリクルーズお義姉様は、イスカ大聖堂だなんて。素晴らしい。ああ、どうしよう。迷ってしまうわ。私はどちらで式を挙げようかしら」


 黙ってイレーネの話を聞いていたまわりは、途中から怪訝な顔になり、最後に茫然とした。


「あの、イレーネさん? どちらの聖堂も二人に縁があるものだから、あなたは……難しいわ」


 姑パメラが釘を刺すと、イレーネは少しうつむき泣き真似をして、サロモンにしがみついた。


「どうして……そんな意地悪を」


 なにかぴんときたパメラは、お世辞をやめてはっきりと言った。


「セアブル大聖堂は、シャンテイルの実家アグアート侯爵家の菩提寺なの。イスカ大聖堂はマリクルーズの嫁ぎ先の菩提寺よ」


 そう言われたイレーネは、サロモンを上目遣いで見てこう言った。


「駄目?」

「無理に決まっているだろう」


 あれほど甘やかしてくれたサロモンが、結婚が本決まりになると、急に素っ気なくなった。恋人から妻に昇華するイレーネに、気を遣わなくなったからだ。


 この時、イレーネは様々な面で悪手を打った。サロモンの理想だと聞いた、「清純で一途」な女性だと、まわりに強く印象づけ、更に伯爵家に潜り込むために、優秀と謳った。だからサロモンは、こんな風に思ってしまった。


「適当にしておいても、黙ってついてくるだろう」

「いちいち文句を言わないだろう」と。


 そして目の前にいる女性が、イレーネという名前の一人の女性ではなく、自分の理想の「清純で一途」な女性という、記号的存在だと受け止めてしまった。


 またサロモンを狂言騒ぎに巻き込んだことで、姑のパメラが、イレーネの訴えの聞き役を買って出た。そのためサロモンはイレーネからの訴えも、連絡も、ただのおしゃべりも無意識に聞き流すようになる。


 格下の子爵令嬢という身分で、伯爵家に嫁いだのに、最も大事な夫の手助けを得られない状態にしてしまう。サロモンに悪気があったわけではないが、夫婦の絆を築こうという意識が、薄くなってしまったのだ。


 ウェディングドレスの件も納得行かなかった。


 兄嫁シャンテイルのデザイン画や、義姉マリクルーズの仮縫いを見て、自分もときめきを抑えられず、同じデザイナー、同じ仕立屋に頼もうとした。またしてもパメラに止められる。


「……シャンテイルのデザイナーは、親子二代に渡って侯爵家のサロンで修行しているわ。パトロンのお嬢様だから、特別にデザインしたのよ」


「でも……だって……、じゃあ、なんでマリクルーズお義姉様も、してもらっているのですか。ずるくありませんか」


「二人は子どもの頃から姉妹のように、仲が良いのよ。だから結婚祝いとして、デザイナーを紹介したの。当然、我が家はその分を負担して……」


「だったら私も……」


 パメラは大きなため息をついた。


「仮にデザイナーを紹介できたとするわ。でもあなたはその支払いを負担できるの?」


 イレーネはぽかんとして、パメラを見た。


「以前から、どうもなにかを勘違いしていると感じるのだけれども、嫁なのだから、結婚式の支払いは、すべてあなたのご実家が負担するのよ。もちろん我が家に関わる経費は払うけど、どうして、フエンジャーナ伯爵家が、すべて負担するような物言いをするの?」


 侯爵家の兄嫁と、伯爵家の義姉を見て、夢を限りなくふくらませたイレーネの、理想の結婚式は絢爛豪華だ。その費用はすべてサロモンと、伯爵家が出すものと思っていたため絶句した。


「え、え、……私の父親が? 父はただの子爵です」

「花嫁の支度は父親が整えるものよ」


 コルテス子爵家次女イレーネの最初の恋人は、某男爵家の男性だった。成り上がりの富豪で、なんとかして彼女を射止めようと大枚をはたいた。当然、世の常識など関係なく、すべて男性持ちだったし、もし結婚したらという話でも、男性が出すことになっていた。それを聞いたコルテス子爵は、嫁入り支度用の資金が浮いたとご機嫌になったものだ。


 自分の魅力に気が付いたイレーネは、次にエルタミラ子爵家の跡継ぎクリストバルを狙った。桁違いの資金力で、家柄も良かったからだ。同じく派手な結婚式をねだると、なんの躊躇もなく承知してくれた。だから自分の魅力さえあれば、男性側がすべての予算を出してくれるものと思い込んでしまった。


 クリストバルたちが、気軽に出費してくれたのは、家の規模が小さく自由だからだ。おまけにどちらも跡継ぎであり、裁量が大きい。


 しかしフエンジャーナ伯爵家は巨大で格式が高く、跡継ぎでない次男の嫁の予算はきっちりと明文化されている。それはもちろん夫のサロモンが負担してくれればいい話だが、率直に言って、伯爵家予備のサロモンと、子爵家跡継ぎのクリストバルでは、使える費用にそこまで違いはない。それなのに伯爵家に嫁ぐのだからと、より大きな結婚式をとねだっても、とてもそんな費用は出せなかった。


 不満の残る結婚式を挙げた後は、今度は家内格差だ。


 兄嫁のシャンテイルは毎月のように豪華なドレスを仕立て、更に予備も作る。子どもが産まれれば乳母の家柄、教育の内容などまで、散々差がつけられる。その度にイレーネが、姑のパメラに不満を言うと、こう言われる。


「シャンテイルは、亡くなったお母様の代わりに、アグアート侯爵家を代表して、社交を行っているの。妹さんたちがまだ小さいから。伯爵家にかかわる場は、我が家が出費を負担して、侯爵家にかかわる場は侯爵家が出しているの。二家を代表しているから、収入も出費も多いのよ。イレーネさんは、そこまで格式張った社交の場には出ないし、回数も圧倒的に少ないでしょう」


「……そういうことじゃなくて……」


 イレーネは、「ずるい」と言いそうになるのをぐっと我慢した。


「それに乳母や教育は、将来、伯爵家を継ぐ子とそうではない子で、違いが出るわ。そもそも乳母の調達は母親の仕事よ。母方が侯爵家か子爵家では、差が出て当たり前ではないの」


 イレーネは毎日不満で一杯だ。だってそんな費用、出してくれれば良いし、やってくれればいいではないか。実家が子爵家だからと何度も言われるが、どうしてそんなに言われないといけないのだろう。


 今ではなにか予算を超過する度に、姑にぺこぺこと頭を下げて、追加してもらう始末だ。


◇◇◇◇◇◇



 憧れの伯爵家に嫁いだのに、がんじがらめの生活を送らなければならず、くさくさしていると、お茶会でエルタミラ子爵夫人、レティシエンヌを見かけた。


 彼女によく似合う鮮やかな緑色の乗馬服に、豪奢な羽をつけた粋な帽子をかぶっている。元婚約者だからわかる。クリストバルが妻のために、特別に注文したのだろう。そっと近寄り世間話を始める。


「まあ、ウェディングドレスはあのデザイナーに? 式場も……。子爵夫人。そんな、どうやって……? なにかコネでも?」


「私たち夫婦は、派閥を移った関係で無駄に顔が広いのです。まあ……特別な結婚祝いというものを、特別な方々から頂くことが多かったと言いますか……」


 そんなはずない……。ただの子爵夫妻が、どうしてそんなに恵まれているのか。二人の結婚にあたって、多くの家が動いたことを聞かされ、イレーネはわけがわからず唇を噛みしめた。


「でもそれでは結婚式には、大分、費用がかかったでしょう」


「どうだったか……。父と夫が出したので、私は詳しくは」


 どうせ強がりだろうと横目で見ると、関心がなさそうに淡々としている。つまりは費用のことを、気にもかけなかったということだ。


「子爵は大分、奥様のことを甘やかしておいでなのね」


 話を聞き出そうとしたのに、耐えかねて嫌みを言ってしまう。しかしレティシエンヌは急に柔らかく笑った。


「誠にその通りだ。私の連れ合いは、私を甘やかすのが好きなようで、次から次へと贈り物を持ってくるんだ。驚くことになにも言っていないのに、好みのものを正確に当てる。一つだけ困っているのは、あまりにもたくさん持ってくるので、使えず仕舞ったままになっているものもあることだ。一度、そのことで贅沢だが文句を言ったら、こう言われたよ」


『すまない。君の喜ぶ顔が見たくて、我慢ができないんだ』


「そう言われてしまったら、なにも言えなくなってしまってな」


 もうイレーネにもわかっていた。ただ単に贅沢な暮らしをしたいのなら、最初の男爵令息を選べばよかっただけだ。いっそ新たに商人とでもよかった。


 そして目の前のレティシエンヌを見る。彼女なら、仮にサロモンの妻になっても、特に不自由を感じないだろう。問題はイレーネだ。


「レティ」

「クリス」


 クリストバルが、妻を見つけて、目を輝かせた。レティシエンヌは、イレーネに軽く会釈すると、すたすたと歩き出した。二人ともイレーネに気が付かなかったかのように、歩き去った。いや、本当に気が付かなかったのかもしれない。


「どうしてそんなに…………、簡単に満足できるの?」


 なんのために伯爵家での生活を手に入れたのか、イレーネにはもうわからなかった。


 夫とはしばらく顔を合わせていない。別に不仲というわけではない。ただサロモンは、妻は「清純で一途」なのだから、放っておいても別にいいと考えている。放っておいても義理の家族とちゃんとやってくれるし、子育てもきちんとしてくれると。そういうものだと思っている。だから外に「清純で一途」ではない女を作り、火遊びを楽しめるのだ。


 心の底から幸せそうにしているレティシエンヌを見て、人に自慢できる幸せを手に入れたところで、満足できないのなら、意味はないのだと悟った。


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