托された子
作品中のラヴィニアという登場人物は、ジュリウスの母親で、初出は「象に踏み潰された王様」です
初めての出産で、ステファニーアはぐったりとしていた。
とてもではないが、まわりに気を遣う余力などない。だが産室の中が、妙に重たい空気に包まれているのは、気づかざるを得なかった。そして産婆が清拭した赤ん坊を渡してきた時、腫れ物に触るような空気の原因がようやくわかったのだ。
渡された赤ん坊は、夫であるヴィンセントに、全然、似ていなかった。
「…………あれえ?」
◇◇◇◇◇◇
ダブニー商会の若き御曹司ヴィンセントは、女性に人気がある。王都ではめずらしい高身長に恰幅のある体型、ダウニー商会発祥の地であるヴィタリ特有の濃い顔つきが受け、結婚の申し込みは引きも切らない。
そこまで行くと、別なトラブルが発生しそうだが、それを抑えていたのが、幼馴染みのドナの存在だ。商会は、祖父の弟一族が補助についており、その一人がドナだ。ヴィンセントの二歳年上で営業上手、そして本人は隠しているつもりだろうが、ヴィンセントへの思慕が露わで、彼に近づこうとする女性を強く牽制して回っていた。
仕事柄、得られる情報にかけては、彼女に敵う者はいず、事実上ヴィンセントを独占していた。
「戻ったぞ。親父はいるか」
「お帰りなさいませ。ヴィンセント様。旦那様はもうすぐお戻りに」
事務員が案内すると、ドナがそこで待っていた。
「お帰りなさい。ヴィン」
「久しぶり。ドナ。仕事か」
「まあね……。ねえ、しばらくぶりに王都に戻ったのでしょう? 一緒に食事しない? 私、今日は時間があるの。とっておきのお店を紹介するわ」
部屋で待ち構えていたドナにつかまり、ヴィンセントは少し困惑していた。
「いや。親父と話があるから」
「ちょっとぐらいいいじゃない」
「親父は?」
しばらくして父親のラックスが戻ってくる。
「お帰り。ヴィンセント。どうだった仕事の方は」
「ああ、問題ないよ」
「良かった。それで今日はどうしたんだい」
「ちょっと大事な話があって……」
ヴィンセントがちらりと目線を上げると、それを受けて部屋に待機していた事務員は退室していった。続けてドナを見るが、まったく動こうとしない。
「ねえ、伯父様。私、今日は時間があるから、三人で食事でもどう?」
そうは言いつつ、忙しいラックスが来るとは思えず、ドナは自然な流れで、ヴィンセントと二人きりで食事に出かけようとしていた。いつものように彼を、まわりに見せびらかすのだ。
「ドナ」
「なあに」
向き直ったヴィンセントに、ドナは期待に胸を躍らせて返事した。
「俺は親父と大事な話をしに来たんだ。席を外してくれ」
「やだ、私のことなら気にしないで。それともなに、聞かれたら恥ずかしいことでもあるの?」
取り合わず見当違いのことを言われ、ヴィンセントは少し考え込んだ。
「そういうことじゃなくて……」
ヴィンセントはもう一度言った。
「俺は親父と大事な話をしに来たんだ。席を外してくれ」
ドナは急に笑い出した。
「やだあ、大げさねえ。気にしすぎよ」
それを見ていたラックスが、見かねて口を挟んだ。
「ドナ。私は息子と話があるんだ。席を外しなさい」
「伯父様まで……」
「ドナ。下がりなさい」
伯父に厳しく言われたドナは、しぶしぶと席を外した。
「ちょっと様子がおかしいな。なにかあったんだろうか。ドナは」
「前からちょっと変な所はあったよ。でも……、友人が立て続けに結婚したと言っていた時から、急におかしくなったように感じる。なんか俺に、まとわりつくようになったっていうか。とにかく……」
「話が通じない?」
「そう」
ヴィンセントと父親は、難しい顔をして黙ってしまった。
「最近では会話が成り立たないっていうか。ちょっと心配だな。親父」
「仕事はちゃんとしているし、私の前ではそこまでおかしくは見えないが」
「どこが?」
「まあ、色恋が絡むと、若い者は多かれ少なかれ、あんな風になるものだぞ」
ヴィンセントに対するドナの恋心に言及しそうになって、ラックスは口をつぐんだ。みんな知っていることとは言え、他人が軽率に指摘して良いことでもない。ごまかすように、息子に話を回す。
「どうせお前だって」
「はあ? 一緒にするなよ。俺はそんな失敗……」
話しているうちに、ヴィンセントは何かを思い出したのだろう。急に真っ赤になると、口ごもってしまった。
「それで? お前の想い人は? 今日はわざわざ、その話のために来たんだろう」
「……ステファニーアという名前で、結婚を考えている。えっと、父親は会計士で数字に詳しいし、本人も度胸があって、商売人の妻に向いていると思う。それに明るくてからっとしていて、おまけに読書家で博識なんだ。だから親父も爺様も、きっと気に入ると思う。それから……」
「どうして彼女がいいのかな?」
「…………好きだから」
まるでアピールするように、ステファニーアの役立つ所を、ぺらぺらと話していたヴィンセントは、理由を聞かれて真っ赤になって狼狽えた後、消え入りそうな声で答えた。
「そうか。それなら父さんはいいよ。お前が幸せなら」
そうしてヴィンセントは、想い人ステファニーアと結婚することになった。
◇◇◇◇◇◇
ヴィンセントのような素敵な男性が、自分を選んでくれた幸運が、ステファニーアには信じられなかった。そして浮き立つ気分で結婚の準備を進め、式が近づくと、何事にも表と裏があるのだと納得する。
なんの取り柄もないつまらない女と、ヴィンセントが結婚するという噂は、あっという間に広がり、どこへ行っても針のむしろだ。それに疲れて商会に戻ってくると、今度はもっとも手強い小姑ドナが待っている。
ドナは姑のようにあらゆることに難癖をつけ、本物の姑ブレアのほうがずっと優しかった。
一方的にやられてしまうのは、ドナにどう接したら良いかわからないからだ。もし自分と同じような次元の女性であれば、ステファニーアだって渡り合おうとするだろう。戦って、嫌みの一つも言う自信はある。
だが、どう見ても格上の女性。地方都市育ちで、背も低くちょっとぽっちゃりめで、肌がもち肌な事くらいしか取り柄のない、地味なステファニーアに比べると、ドナはすらりと背が高く、大人の女性という感じだ。髪のまとめ方一つ、ベルトの巻き方一つをとっても、華やかで存在感がある。戸惑いが先に立ち、やられっぱなしだった。
救いは商売柄、ヴィンセントは女心に敏感で、ステファニーアが困っていることを聞いて対策を取ってくれることだ。
「気にしすぎだよ」とか、
「そんなに悪く受け取らなくても」などとは言わない。
それだけでも大分気が楽になった。
◇◇◇◇◇◇
その日、新居の生活用品を揃えに、ステファニーアは商会に顔を出していた。
すべて経費で落として良いと言われていたので、吟味を惜しまないつもりだ。事務室の応接室で事務員数名と選んでいると、話を聞いたドナが現れ、ステファニーアは身をすくませた。寝室のリネンやカーテンを選んでいるのを見て、顧客からセンスの良さに太鼓判を押されているドナは、まくしたてるように口を出してくる。
「最近の流行は、ベルベットの暗色のカーテン生地で、ソファ、クッションなどのファブリックを揃えるのがおしゃれなのよ。あなたは知らないだろうけど」
黙っていたステファニーアは、迷った挙げ句、小さな声でこう言った。
「あのう、でも、ダマスク織りで明るく揃えようと思っています。レースカーテンはモスリンにします」
ドナは大きく鼻で笑った。
「なにそれ趣味が悪い。よくそんな田舎くさいセンスで、ヴィンセントの妻になれると思ってるわね」
なにを選んでもドナが口を出すため、ステファニーアの作業が進まず、見かねた事務員が商会に来ていた商会長夫人のブレアを連れてくる。
「ステファニーアの買い物なのだから、ドナは引っ込んでいなさい」
呆れてブレアが一括すると、ドナは悔しそうに何度も抗議し、最後には涙目でまるで子どものように下唇を噛むと静かにはなったが、なぜかその場に居座った。
「それではこの生地を基本に、ファブリックを揃えましょう」
ステファニーアとブレアが楽しそうに話していると、突然ドナが爆発した。それ見たことかとステファニーアの注文品リストを指さす。
「ブレア伯母様。なんでそんなセンスが悪い女に任せて、平気なんですか。カーテンもソファもシーツもなにもかも、田舎くさいです。特に寝室のリネンがこんな安物の麻なんて、どう考えてもおかしいでしょう」
ブレアは大きくため息をつくと、ステファニーアに水を向けた。
「ステファニーアは知っているわね。答えてあげなさい」
そう言われたステファニーアは、とても困った顔で答えた。
「あのう、ヴィンセントは、ドナさんが薦める、なめらかな肌触りの高級生地は苦手なんです。一昔前の安手のごわごわした生地を好みます。だからカーテンなどの織りはダマスクで、でも糸は綿や麻で揃えるつもりです。リネンを」
「嘘よ。そんなの聞いたことないわ。でたらめ言わないで。みんなだって聞いたことないでしょう」
まわりの事務員たちに、同意を求めるようにドナは訴えた。
「わざわざ言う事でもないから、口に出したことはないとヴィンセントが。でもリネンを麻に統一したのは、寝台みたいに肌が出る所ではどうしても……」
言いかけたステファニーアは、急に真っ赤になった。そのまま黙ってしまい、その後ドナがなにを言っても口を開かず、事務手続きをして話は終わった。
◇◇◇◇◇◇
その瞬間までは、ドナは商会内でかなりの発言力があり、人々から一目置かれていた。ところが急に見下されるようになったのだ。
何か言うと、相手から疑わしそうな目で、「それ本当ですか」「根拠は」「いい加減なこと言わないで下さい」など、ひどい侮辱を受けるようになった。
ヴィンセントのことなら、自分はなんでも知っていると、ドナはまわりに誇示し見せつけてきた。だがリネンの一件で、特に女性たちから、「知ったかぶり」とレッテルを貼られてしまったのだ。
誰が見てもドナは、ヴィンセントに惚れていたが、この切りの良い時に告白も、きちんとした失恋もしなかった。男という物は声をかけてくるものであり、その中から選んでやるものだと思い、そのやり方を変えなかった。
実際の所は、外見が美しいにもかかわらず、ヴィンセントの存在のせいで、結婚適齢期を過ぎた今も、人とまともに付き合った経験がない。ドナにとって人間はトロフィーのようなものだからだ。
この時に、たとえ不器用でもヴィンセントと正面からぶつかり、恥をかいたり、傷ついたりしたら、それがドナの血肉になっただろう。だが間違いを犯したのは、ステファニーアを選んだヴィンセントのほうだと思い、その頭の悪さに腹を立てるだけだった。
それにもかかわらず、ヴィンセントに執着することも止めなかった。それはもう愛情ではなく、意地で、その感情を紐解くと、中には憎悪、嫉妬、支配欲などが眠っていた。
◇◇◇◇◇◇
ステファニーアとヴィンセント夫妻は、王都にあるダブニー商会が所持しているマンションの、一室に暮らしている。同じ棟に両親や親族も暮らしていて、困ったことがあれば行き来できる距離だ。ステファニーアは初めての子を出産し、三ヶ月たった。赤ん坊はすっかり肌がきれいになり、髪の毛もしっかりしてきている。
「それにしても……」
乳母が授乳しているのを見ながら、ステファニーアはつぶやいた。
「誰に似たのかしら、この子……」
それを聞いたヴィンセントが、軽く吹き出してしまう。
「確かに」
「子どもは親の思いどおりにならないと言うけど、こんなところまで?」
二人の間に生まれた男の子ジョーイは、さらさらで色の薄い金髪、もちもちした白い肌をしている。
一方、ヴィンセントを始めとしたダブニー一族は、ヴィタリ人特有の真っ黒でうねりが強い髪、少し日に焼けたような肌色だ。ステファニーアも南部の血が濃く、外見の特徴だけならヴィンセントと一緒だ。
最初の頃はまわりに変に気を遣われて、少しつらい時期もあった。しかし夫のヴィンセントも、義理の両親のダブニー夫妻もあっけらかんとしていたため、だんだんと使用人たちの緊張が取れていった。その頃になってようやく、自分が疑われる状況にいると気が付き、ぞっとしたものだ。
ヴィンセントはジョーイが生まれてから、時折、物思いにふけるようになった。最初の頃、赤ん坊の出生を疑っているのではと不安に思ったが、どうもそんな感じではない。むしろそんな風に暗くなっている時こそ、ジョーイを抱かせると満面の笑顔になる。とてもではないが産後の余裕がない時期で、今は夫のほうからなにかを言ってくれるのを、待つだけだった。
支度を終えたヴィンセントは乳母に任せず、自分でジョーイを抱くと、愛おしそうに額にキスをした。今日は義両親の部屋で、ジョーイのお披露目がある。幸い順調に回復しているステファニーアも出席した。
そこでもジョーイの外見を見て、不思議そうにする人はいたが、多くの人は細かいことを気にせず、ただ新しい命の誕生を祝福した。
ドナをのぞいて。
新しく婚約者のオリスを連れてきたドナは、ジョーイを何度も凝視すると、嫌な感じにステファニーアをにらんでくる。
そこにヴィンセントの父方の叔母にあたるレオナが、部屋一杯の花と豪華な贈り物を持ってきてくれた。結婚していないレオナは、甥のヴィンセントのことを猫かわいがりしていて、その子どもであるジョーイの誕生を殊の外喜び、出産時にも駆けつけてくれている。今日も満面の笑みだ。
「なんて可愛いの。ほっぺがふくふくだわ」
レオナに抱かれ、キョトンとしていたジョーイは、急にげたげたと笑い出した。まるで蛙が鳴いているような声だ。それを聞いて、レオナがくすくすと笑い出し、終いには同じようにげたげたと笑い出した。
「いやだわ。ジョーイったら。笑い声が赤ん坊だった頃のヴィンセントそっくり」
隣にいた姑のブレアが、訝しげにレオナに言う。
「そうだったかしら。昔のこと過ぎて覚えていないわ」
「あら、覚えてないの。こんな風に……」
にぎやかな集まりも終わり、ほとんどの親戚が帰った所で、婚約者オリスを連れたドナが、耐えかねたように指摘した。
「ねえ。その赤ん坊。あまりにもヴィンに似てないわ」
とんでもない発言に、使用人を含むその場にいた全員が凍り付いた。しばらく静かになった後、全員が聞かなかったふりをして、帰り仕度を始める。無視されたドナは、妙に目をギラギラさせてもう一度言った。
「どうして誰も言わないの? いくらなんでもおかしいわ」
「おい、やめろよ。祝いの席で」
隣にいたオリスが焦ってドナを止めるが、それが返って彼女に火をつけたらしく、貯まっていた思いをべらべらとまくしたてた。
「ダブニー一族の子どもなのに、髪がさらさらだし、肌も真っ白。全然似ていないじゃない」
ヴィンセントは大きなため息をついて、ドナを無視するのを諦めた。
「ジョーイは俺の子だよ。俺には分かる」
「でも」
「これ以上、ジョーイやステファニーアを、侮辱することは許さない」
「侮辱しているのは、ステファニーアじゃない。どうしてかばうの。他の男の子どもを産んだのよ」
何も起きなかったことにしてやり過ごそうとしていた人々は、決定的な侮辱の言葉に、さっと顔色を変えた。黙らせるようにドナをにらむ。
「いい加減にしろ。根も葉もないことを言うな」
「私はヴィンのためを思って言っているの。あなた騙されているのよ」
ドナはヴィンセントの目を覚まさせようと、懸命だった。
「どちらにせよ。ドナには関係ない。俺たち夫婦のことに口を出さないでくれ」
ドナは反論しようとしたが、伯父のラックスに遮られる。伯母のブレアにもだ。
「そうだ、ドナ。君には関係のない話だ。くちばしを突っ込むな」
「ドナ……。言って良いことと悪いことがあるのよ。あなたにはがっかりしたわ」
他の人が指摘できない不正を、真っ向から正した勇気ある自分が、なぜこうも非難の目で見られるのか、ドナにはわからなかった。
◇◇◇◇◇◇
「なるほど。そんな騒ぎがあったのねぇ」
「それで、博識なラヴィニア先生なら、こういった謎が解けるのではないかと」
大好きな作家ラヴィニアに、いつものとおり手紙を送るついでに、ステファニーアが質問した所、興味を持った彼女が訪ねてきてくれたのだ。いそいそと歓迎し、応接室でおしゃべりを楽しんでいるところだった。話は弾み、全然関係のない話題を一巡りして、二時間たってようやく元の話題に戻った所だ。
「それにしても先生に来て頂けるなんて、光栄ですわ」
「それでこの子が、例の子なのね」
巨大に育っている生後半年のジョーイを、ラヴィニアはしげしげと眺める。
「やだわ。この子ったら、もう持つのがつらそうなくらい、重くなっちゃって。愛情たっぷりに育っているのね」
げたげたと笑うジョーイのほっぺを、ラヴィニアはつついている。
そこへヴィンセントが帰ってきた。ラヴィニアに挨拶をしながら、自然な流れでジョーイを抱き上げると、キスをして、ゆりかごのように揺らし始めた。ジョーイは満面の笑みになる。
「夫のヴィンセントです。あの、……やっぱり似てないって思われますよね」
「うーん。そうかしらぁ」
挨拶をしながら、ラヴィニアは見比べて首を傾げる。
「気を遣われなくてもいいです」
ラヴィニアは気を遣えないということを、知らないステファニーアは礼儀正しく言った。
「別に遣ってないわ。……そんなに似てないかしらぁ」
反対側に首を傾げたラヴィニアに、ヴィンセントがおもしろそうに尋ねた。
「ラヴィニア先生は、どう思われますか。忌憚のないご意見をお聞かせ下さい」
「……この体の大きさ。明らかに父親譲りよね。ステファニーアは王都によくある小柄な体。反してジョーイのこの太い骨。父親そっくりよ」
そう言われたステファニーアは、まだ疑問が解けないように聞いた。
「肌の色や髪の毛はどう思われます?」
「子どもって髪はさらさらな子が多くない? 思春期になると太くうねりも出てくる。肌の色はわからないわぁ。親戚にそういう方がいらしたのではないのぉ」
「……こう言う時、先生ならどうやって解決します?」
そう言われたラヴィニアは、そのこと自体には興味がないらしく、行儀悪く出された茶菓子を弾きながら、普通なら無礼で口に出せないことを、うわごとのように話し始めた。
「髪や肌の色だけ違うなら、浮気でできた子どもと考えたって良いけど、この体格の良さは説明できないわあ。そんな男性を苦労して探して浮気するくらいなら、夫で間に合わせれば良い話だもの。それにステファニーアには、まったく心当たりがないのでしょう。だったら答えは簡単じゃなーい。お互いの両親になにか秘密があるってことよ。二人の出生にね。そのあたりきちんと聞いてみれば、わかることもあるはずよ」
ヴィンセントは肩を震わして、なぜか困ったように笑っている。
「さすが作家先生は、理詰めで考えますね」
ラヴィニアはまったく論理的でない行動を取るが、頭の中は論理的な所もある。
「そんな言い方をすると言うことは、旦那さんは心当たりあるの?」
ヴィンセントはずっと言いたかったことがあり、でも口に出すことができず、聞かれてまるで助かったという顔をした。
「……実はありますが、俺自身、確かめたことがないんです」
両親からも、父親の妹レオナからも、ヴィンセントは可愛がられて育った。特にレオナからは溺愛され、その潤沢な資金となんらかの権力により、なに不自由なく育ち、それが普通だったから、親戚とはそんなものと思っていたほどだ。
ある日そんなレオナに連れられ、一度も行ったことのなかった彼女の邸宅にお邪魔したことがある。その時初めて彼女にはなにか秘密があるのだと感じた。
ヴィンセントは恵まれているが、所詮はただの金持ちだ。だが乗せられた馬車、邸宅の豪華さ、使用人たちの格など、なにもかもが違う世界だった。そこで開放感のあるサロンで遊ぶように言われ、使用人たちに囲まれていると、自分の姿を一人の男性が見ているのに気が付いたのだ。
「どなただったの?」
「大きくなってから調べました。デーンから来た外交官です。あの人が俺の父親なんだと思います」
ラヴィニアの興味津々な問いに、ヴィンセントが答えた。
「デーンから。それでヴィンセントはそんなに体格いいのね」
北方にあるデーンの国民は、背が高いことで知られている。デーンの血を引いているというだけで、ヴィンセントもその子どもジョーイも、体格が良くて当然だと思うほどの説得力があった。
「ああ。つまり、その外交官の色素が薄いのね。薄い髪色でさらさら。肌も……」
「真っ白でした。俺はあの時の記憶は、なにか考えすぎだと思っていました。でもジョーイが産まれた時に確信したんです。俺の両親はレオナ叔母さんと、あの外交官なんだと」
ステファニーアは、軽い気持ちでこう言いそうになった。
「それならどうして言ってくれなかったの?」と。
だが、いつも朗らかなヴィンセントが暗い顔になっており、なにも言えなかった。そっと手を握る。
「ごめん。ステファニーア。でもどうしても上手く口に出せなくて。どうして親父もおふくろも、言ってくれなかったのか。聞いちゃいけない理由でも、あるのかもしれません……」
「……お義父様もお義母様もなにか理由があるのよ。きっと」
お互いに手を握りあい、慰め合う夫婦の感動的な会話を、ラヴィニアはぶち壊した。
「聞いてみれば良いじゃない。そんなの」
「…………ですが。なにか理由が」
「……そうです。……なにか理由が」
逡巡する二人を、ラヴィニアはばっさりと切り捨てるように言った。
「そんなのこじつけよ」
「こじつけ?」
「だって旦那さんが気にしているのは、両親だと思っていた二人と、実の親子じゃなかったということでしょう。そのことにショックを受けて、傷ついて、裏切られた気分になっている。本当のことを言ってくれなかったのは、自分のことを信じていないからだと、腹も立てている。でも、聞いたら両親との関係が、変ってしまうかもしれないと恐れても、いる。だから理由があるかもしれないって、こじつけて、黙っているのね。でも、そんなの言い訳でしょう」
「言い訳」
人の心を持っていないかのように、べらべらとラヴィニアは、ヴィンセントを口撃した。
「ご両親があなたになにも話していないのは、絶対、愛情からね。そうに決まっているわ。だから聞いたら聞いたで、愛情をもって答えてくれるわよ」
「でも……………………、どうしてそう思われるんですか」
我慢できないというように、ラヴィニアは笑い出した。つられてヴィンセントの腕の中にいた、ジョーイも笑い出す。
「やだあ、おかしいわ。鏡を見てご覧なさい。さっきから片時も息子を離さないで、キスの雨を降らせている、自分の姿が映るわ。親にそんな風に愛されて育ったから、同じことをしているのよ。たっぷりと育てのご両親に愛されて、その上で、まだその愛情を疑うの?」
しばらく考え込んだヴィンセントは、ジョーイを抱えたまま、いきなり両親のところへ突撃しようとして、そのことに気が付き、あわてて乳母に息子を預けた。
「ちょっと親父たちのところへ……」
「その必要はないわ」
ヴィンセントの父親ラックスと、母親のブレアが現れた。
「勝手に話を聞いてしまったようですまない。そんなつもりはなかったのだが」
「親父、俺の実の親って……」
「その通りだ。レオナは育てることができなくて、子どもができなかった私たち夫婦が引き取ったのだ。すまないがレオナの事情を、話すことはできない。だから出生のことは秘密にしていたが、本心ではお前を不安にさせたくなかったんだ。だが申し訳ない。返って心配をかけてしまったな。ジョーイも……、こんなにお前の、実の父親に似るとは思わなくて」
「親父、おふくろ。俺に黙っていたのは、不安にさせたくなかったからなのか?」
「ああ、そうだよ。お前がそのことで、悩むんじゃないかと心配で。それにレオナの」
「ならいい」
「え?」
話をさえぎられて、ラックスは不思議そうな顔をした。まだまだたくさんのことを、ヴィンセントは知りたいだろうと思っていたからだ。
「一番大事なことが分かったから、もういいんだ。二人が俺の事を大切に思っているって」
ラックスとブレアは、きょとんとしている。
「そんなのは……」
「当たり前じゃないの」
なにをわかりきったことを、言っているのだろうという顔で、首を傾げる両親を、ヴィンセントは少し照れながら見返した。
◇◇◇◇◇◇
一方、ドナは……。
子どもの頃からなんでも持っていた。大きな商会の構成員で権力を持ち、裕福。人に羨ましがられる美貌とスタイルを持ち、仕事も出来る。誰もが憧れるヴィンセントを独占し、それが永遠に続くと思っていた。
最初のほころびは友人の結婚だった。ステファニーアのように、ちょっとぽっちゃりした子で、どこか馬鹿にしていたのだろう。似たように冴えない相手と結婚したのを表向きは祝福しながら、心の中で「自分ならこんな相手と結婚しない」と見下していた。その後、次々に結婚ラッシュが起きる。みんな冴えない相手だ。だからうらやましくなんかなかった。
だが友人たちの話の中心だったドナが、輪に加われないことが増えていく。話す内容は妊娠、出産、子育て、旦那、義理の家族たち……。全員が盛り上がっている話題に加われない。そして時折、気を遣ったように、「ドナは今、なにしているの?」と聞かれる。得意満面で答えてやると、「さすが」「信じられない」「すごい」と興味なさそうに相づちを打たれる。
話していい気持ちでいると、こう言われるのだ。
「ドナは結婚とかどう? 誰かいい人いないの?」
「誰か」だって? なにを見ている。ドナにはヴィンセントがいるではないか。
そう聞かれる度に、ドナが高みにいることを理解していないみんなに、腹が立って仕方がない。それでヴィンセントとの最新のお出かけについて自慢すると、皆、視線をそらし、曖昧に相づちを打つ。その態度に、いつもむしゃくしゃしてしまい、集まりに行かないことが増えた。
そんな時、最初に結婚したアンと偶然会った。同い年のアンは十六歳で結婚し、今は五歳と三歳の子持ちだ。相変わらずぽっちゃりしている。アンが夫の愚痴をこぼすものだから、為になるアドバイスしてあげた所、困ったように笑い、彼女は話題を変えた。
「えっと、ドナは……もしかして、結婚には興味……ないの?」
その時、なぜかドナははらわたが煮えくり返るほど腹が立ち、こんな風にきつく言ってしまった。
「みんなみたいに妥協するつもりがないだけよ。今日だってヴィンセントと食事する予定なんだから」
するとアンはますます困った顔になり、こう言った。
「あの、その。いつもヴィンセントさんのこと話すけど、彼とは、なにか……約束を…………」
決死の顔で聞いたアンを見て、なぜそんなくだらないことを聞くのだろうと、ドナは思った。男なんて、いつでも手に入る替えがきくものと考えている、もてるドナには、約束する必要性がわからなかったからだ。だが、結婚相手との縁をそうまで軽く考えているドナを、アンは危なっかしく思い、つい口を出してしまった。
「わた、私たち、今年二十二歳だよ。その年まで放っておかれて約束すらしてくれないなら、もっと素敵な男性を探した方がいいよ。ドナなら、いくらでもいるから」
少しどもりながらアンが言った言葉に、ドナはなにも感じなかった。意味が分からなかったからだ。だが汗をかいて真剣に見てきたアンの瞳に、哀れみが浮かんでいることに気が付いた。
くたびれた服にひっつめの髪、化粧もろくにしていない。連れている子どもたちは薄汚れていて、洗い古した服のまま、地面に絵を描いている。
こんな女に、可哀想と思われている……いつから? いつからそう思われていたのだろう。もしかしてアンだけでなく、友人全員に?周りの人も? 次々と恐ろしい考えに襲われ、ドナの心臓は早鐘のように打つ。アンといるのが耐えられず、早足でその場を立ち去った。
商会に戻ったドナは、そこでヴィンセントが結婚することを聞かされたのだ。
◇◇◇◇◇◇
ジョーイが托卵であることを、ヴィンセントのために泥をかぶってまで忠告してあげたのに、話を聞いてもらえなかったドナは、やり返してやらないと気が済まないと思うまでになっていた。
そのためとっておきの場所として、大きな商談に集まっている商人たちの妻を接待する場に忍び込み、怒りをぶちまけることにした。
「デーンに関するなにより大きなニュースは、海峡の税が撤廃されることでしょう」
「どこでも話題になっていますわね」
「航路が一気に活発化しますわ」
「うちとしましても……」
話が落ち着いたところで、ドナは始めた。
「ところで皆様にご相談があって。このダブニー商会の跡継ぎヴィンセントの妻は問題がありまして、浮気した挙げ句、その相手との子どもを産んだんですの。産まれた子どもは父親に似ていなくて、あんな女性が将来の商会長夫人になるのかと思うと……」
部屋の中がしんと静まりかえったと思うと、その場にいた夫人たちの内、二人ががたんと席を立ち逃げるように部屋を出て行った。残った夫人たちはドナから視線をそらしていたが、その場で一番大きな商会のセッカ夫人が話し始める。
「ところで最近のデーンのバターはどうですか?」
「そうですね。うちはレートの指針としてしか見てなくて」
「品質はそのままで、前よりも包装やデザインがよくなったと思いますわ」
ドナは会話が途切れた所で、もう一度試し見た。
「ステファニーアは、将来の商会長夫人には相応しくないのです」
またしても部屋は静かになる。
ドナは反応の鈍さに少し驚き、肩透かしを食らっていた。ドナがこの話を近所の人や街の知り合い、友人たちとのうわさ話で広めると、食いつきがいいからだ。みんな目の色を変えてドナの話を聞きたがる。それなのに。
夫人たちを代表してセッカ夫人が話し始めた。
「ドナ嬢。私たちはここに商談をしに来ています」
「ダブニー商会の将来の商会長夫人の人選は、重要なことではありませんか」
「確かにそうかもしれませんが、それはそちらで決めることでは……」
「だから、誰も私の話を聞いてくれないので、助けて欲しいのです。ステファニーアは相応しくないと言って下さい」
夫人たちは面倒くさそうに、黙り込んでしまった。セッカ夫人がまた話し始める。
「ドナ嬢。私たちはここに、商談をしに来ているんです。大事な議題はたくさんあります。そしてあなたのここでの役割は、私たちの接待でしょう? なぜ私たちの方が、あなたのために動かないといけないのですか。それでもステファニーア夫人を、将来の商会長夫人から降ろせというのなら、その見返りはなんですか」
「見返り……?」
正義のために動いていたドナは、そんな汚い取り引きを持ちかけられて、言葉を失った。
「私はそんな風に話を大きくする気はなく、ただ皆様にステファニーアの話を、聞いて欲しかっただけで」
「時は金なりと申しますでしょう」
「ですが。これは大事な話で」
「私たちには関係ありませんわ」
夫人たちはそう言うと商談を始めてしまい、取り付く島もなかった。
この話は当然他の責任者たちに伝わり、ドナは厳重注意を受け、商会の仕事から退くことになる。婚約も解消され、商会からも家族からも、滅多なことを言うなと注意されたドナだが、自分は正しいことをしているという使命感から暴走し、噂をふりまくのをやめなかった。
そのため結婚させ、隠居させることになった。商人の夫人たちに対する失態で、商会関係者の中ではもらい手がつかず、縁者を頼ることとなる。ドナはまだ若く、美しいにもかかわらず、冴えないお相手だった。
とは言っても、その結婚は別に不幸でもなんでもない。ダブニー一族なのだから、一般的な条件よりも恵まれていた。
だが不幸な結婚だった。なぜならドナが、自分は正当な評価を受けていないと思っていたからだ。思いどおりにならない世の中が、思いどおりにならないことに、ドナは死ぬまで腹を立て続ける人生を送った。
◇◇◇◇◇◇
その日、大勢の人々が、今日、挙げられる結婚式の祝福に詰めかけていた。今日の新婦はダブニー商会の縁者で、噂のヴィンセントとステファニーア一家が出席するからだ。
下衆な好奇心と言われても、夫のではない子どもをぽんぽん産む妻という噂を聞かされては、一度見てみたいと思うのが人情だろう。
はしゃいだ新婦と新郎が飛び出してきて、友人たちに囲まれた少し後ろ、教会の出入り口がある階段上で、有名人ヴィンセントとその妻ステファニーア、そして十歳ぐらいの少年、少し年下の少女が立っていて、三人目の末っ子は、ヴィンセントが腕に抱えている。子どもは三人ともヴィンセントに似て体格が良く、大きくなるのだろうなと感じさせる。
年長のジョーイの髪の色は茶色になっており、はやくも父親譲りのうねりが発生し、鳥の巣のようにはねている。顔が父親にも母親にも、そっくりだった。下二人の子どもは両親にあまり似ていないが、ジョーイにはそっくりで、三人が並ぶと、兄弟以外の何者でもない。
「なんでえ。そっくりじゃねえか」
「どうみても家族じゃない」
「馬鹿馬鹿しい」
他人の家庭にくちばしを突っ込み、あれだけ失礼な噂を無責任に吹聴しておいて、酒の肴にならないことがわかると、群衆はあっという間に興味を無くし、散っていった。
なんの罪悪感も覚えない。
自分をしばし楽しませてくれた噂が役に立たないとわかったら、新しい噂を消費しに行くだけだった。




