捨て駒(後編)
一年間の喪が明けてすぐ、学院で関係者が集まり新しい婚約者を紹介された。
ブリュノエ伯爵次男エリスティッドだ。
その場には、祖母に当たるカロー侯爵前夫人、従兄伯父ヘネラ公爵、母ディアナ、母方実家レイコル伯爵、そしてブリュノエ伯爵。立会人としてルーク第三王子殿下がいた。前の婚約者とは比べものにならないほどの大物で、ユージェニーヌは緊張しきりだった。
「カロー侯爵家を今後動かす人材だからな。大物の方がいいだろうと、エリスティッドを用意してやった」
「……大物過ぎます。殿下。このことを父は知っているのですか」
「話自体は通しているよ。それにこれは前侯爵閣下の時に、既に決まっていたことなんだ」
そう言われたユージェニーヌは、祖父が侯爵家を継がせるために、手を打っていたことを知り、なんだか胸が温かくなる。
その地位に似合わず、エリスティッドは気さくな人柄だ。率直な物言いの割には穏やかで、仕事に関する話題になると、お互いに話が弾み、夫婦というよりは、きっと仕事上のパートナーという、組み合わせになるのだろうとの予感がした。
そこにルークが加わると、話はすっかり政治や政策の話題になり、今ここでこの国が動いているのだと感じられる。生き生きと話すルークとエリスティッドの話を聞いていると、自分にもこの国を動かしていく責任があるのだと感じられ、侯爵令嬢としての義務を果たすべきだと、亡くなった祖父に誓った。
お披露目をしようと、早速、次の舞踏会で、ルークにより特別に発表されることとなった。
婚約が大勢の前で発表されると、レニエを連れたヴィヴィがずかずかと前に向かってくる。その後ろから、セヴォールが止めようとしている。しかし近づく前に、警備の騎士に止められる。
「ちょっと、なによ。どいて」
「ヴィヴィ。どうしたんだい」
驚いた顔のレニエが、ヴィヴィを止める。
「だってこの騎士が止めるから」
「それは僕は伯爵令息だし。君だって今は子爵令嬢だ。これ以上はお側に近づけないよ」
本当のことをレニエが言うと、彼を視線で射殺さんばかりに、ヴィヴィはにらみ付けた。まるでいらないものを遠くに投げ捨てるように、彼の腕を振り払うと、セヴォールの腕をつかんで、前に進む。国内でも屈指のブリュノエ家の婚約者を、目の前にぶら下げられ、急に自分の婚約者がみすぼらしく見えたようだ。しかしそれも止められる。
「なんで、どうして。ユージェニーヌばっかり特別扱いなの。ずるい」
ユージェニーヌはエリスティッドとルーク、そして他の王族と話していたが、耐えかねたヴィヴィはその輪に加わろうと駆け寄った。騎士に捕まる前に、セヴォールが寸前で止める。
「初めまして、カロー侯爵令嬢のヴィヴィです」
精一杯の笑顔を浮かべて挨拶したヴィヴィに、誰も目を合わせようとしない。この頃にはヴィヴィは有名人になっており、悪い意味で顔を知られていた。セヴォールとレニエは、無理矢理ヴィヴィを連れ出した。
「ずるいわ。ユージェニーヌが許されているのだから、私だっていいじゃない」
焦ったセヴォールは本当のことを言った。
「ヴィヴィ。私の権限でどうにかなることなら、なんでもしてやるさ。だが家の外のことまではどうにもならない。外に一歩出れば、お前はただの子爵令嬢なんだ」
ただありのままの現実を口にしただけなのに、ヴィヴィは到底許せない侮辱を受けたかのような顔になった。
「……ユージェニーヌは家の中のことでしょう。伯父様の権限でどうにかなるじゃない」
「どうにかって?」
「今すぐ、エリスティッド様を私の婚約者にして。ブリュノエ伯爵家なんて私も欲しい」
隣にいたレニエは唖然とした。セヴォールはそれでも一瞬考えてやったが、すぐに首を横に振った。
「ユージェニーヌとエリスティッド殿の婚約は、単なる家同士のことではない。派閥や支配者層の勢力争いにおける均衡を考えた上での結びつきなんだ。前侯爵閣下が締結したもので、私の一存でどうにかなるものではない。ましてやブリュノエ伯爵家はこちらが口を出せるお相手ではない。おまけに第三王子殿下が立会人だ。一つの家や個人が口を出せる規模の話ではないのだ」
「なんで、どうして、私とユージェニーヌを入れ替えれば済むだけの話でしょう。私は侯爵令嬢よ。どっちみち侯爵家を継ぐのだから、別にいいじゃない」
「……」
セヴォールは、ヴィヴィがユージェニーヌのものを欲しがるのを、可愛らしい我が儘と流してきた。物に不自由したことなかったし、それ以上に、自分に迷惑がかからなかったからだ。
しかしヴィヴィの振る舞いで恥をかくようになり、急に自分がやって来たことが、どんな結果を招くのかということを突きつけられ、不安が湧き起こってきていた。可愛い妹の娘だから甘やかしてきたのに、そのことでヴィヴィがちっとも幸せそうに見えなかった。
◇◇◇◇◇◇
翌日から学院でヴィヴィは、ユージェニーヌとエリスティッドの後を追い回し始めた。
レニエとはすっかり冷め切ってしまって、距離ができてしまったようだ。しかし王族とも距離が近いブリュノエ家に、近づけるはずもなく、時間だけが過ぎていく。
諦めきれなかったその時、思いがけない出会いがヴィヴィにあった。
学院でユージェニーヌ、エリスティッド、そしてルークが、王侯族専用の建物に入っていくのを見た、ヴィヴィが忍び込もうと駆け出すと、そこから出てきた第二王子のロレンスにぶつかりそうになったのだ。ロレンスはジャケットを脱いで肩にかけた軽装で、騎士も一人しか連れていず、転びかけたヴィヴィを親切にも支えてやると、こう言ってくれた。
「そんなにあわてて、なにか困りごとでも? 僕で良ければ相談に乗るよ」
話したかった王子様の一人が目の前に出てきて、こんなに優しくされては、ころりと行ってしまうだろう。その日はたっぷりとロレンスに話を聞いてもらい、満足して家に帰った。家では真っ青な顔をしたセヴォールと、前侯爵夫人がいて、厳しく説教をされる。
「第二王子殿下は難しいお方なんだ。政治的にも、お人柄も。お前が近づいて良いお方ではない。命が惜しかったら、二度と近づかないように」
ロレンスは派閥も違えば、思想も違う。なにを考えているかわからない危険人物なため、きつく注意があったが、自分は特別だと考えているヴィヴィには無駄だった。翌週、王宮で会っていたユージェニーヌとエリスティッドの元へ、ヴィヴィを連れたロレンスが現れた。
「少しユージェニーヌと話したいことがあってね。エリスティッドはヴィヴィと話していてくれないか」
真っ青になった二人は、なんとか言い訳をしたが、ロレンスはユージェニーヌを連れて行ってしまう。その間エリスティッドはヴィヴィにしなだれかかられていたが、心配するあまり話しかけられても上の空だった。図ったように第三王子ルークが手が離せない時間帯で、目をつけられたことをひしひしと感じ、関係者が恐怖におののく。
その後、運良くなにも起こらなかったが、話を聞いたレイコル伯爵家もカロー侯爵家も戦慄を覚え、しばらく体調不良を理由にユージェニーヌは家にこもり、ロレンスにこれ以上目をつけられないよう息をひそめて暮らすことになった。
しかしエリスティッドの方は、何度もロレンスの名前で呼び出され、恐る恐る伺うと、ヴィヴィと二人っきりにされることが続いた。ヴィヴィはしばし、ロレンスとエリスティッドの両手に花で浮かれ、この状況を引き延ばせないかと思索にふける。
だが、ある日学院でロレンスに呼び出され、ウキウキと向かうと、爽やかな笑顔でこう言われた。
「なんの成果も上げられない役立たずだね。もう来なくて良いよ」
意味が分からず、カロー侯爵家に戻りそのことを話すと、実家のジゴット子爵家に戻されることになった。
「どういうこと? まだ学院もあるし、なんで私が戻らないといけないの」
「殿下の仰った、『もう来なくて良い』とは、殿下の前から姿を消せという意味だ。だから学院からも王都からも出て行かないといけない」
「なんでそんなことになるの?」
「何度も言っただろう。殿下には関わるなと」
セヴォールは心の底から嘆くように、両手を前に出した。
「第二王子殿下は、第一王子殿下と対立派閥なのだ。第三王子殿下は表向きは無派閥だが、事実上は、第一王子殿下派閥に属しているから、ロレンス殿下とルーク殿下は敵対している。ルーク殿下が取り持ったユージェニーヌとエリスティッドの婚約を、なんらかの目的で解消に持って行きたかったのだろう。だからお前に協力……いや利用しようとしたんだ」
ヴィヴィはきょとんと首を傾げた。
「ロレンス殿下はお優しいから協力して下さったのね。もっとお話しできれば、きっとお近づきになれるわ」
「違う。お前のことをなんとも思っていないのだ。羽虫ていどにしか」
侮辱されたヴィヴィは、セヴォールをにらみつけた。
「殿下から見れば、お前は吹けば飛ぶように軽い。適当に利用して、上手く行かなければポイ捨てする。消耗品の一つでしかない」
「でも……殿下の作戦が上手く行かなかったとして、どうして私が地方に戻ることになるの?」
「何度も言ったろう。何度も」
セヴォールが悲鳴のように言った。
「殿下は雲の上の人だと。そんな人に命令を受けたら、死に物狂いで成果を上げなければならない。お前はユージェニーヌとエリスティッドとの婚約を、解消させろという命令を受けたんだってな。それなら体を使ってでも、誰かを殺してでも、成功させなければならなかった。王家からの命令とはそういうものなのだ。私が言うのもなんだが、なぜそうしなかったんだ」
セヴォールやまわりの人々に、ロレンスには近づくなと厳命を受け、それにもかかわらず、遊び気分でこっそり会っていたヴィヴィは、ぼそぼそとつぶやいた。
「だってそんなの知らなかったし」
セヴォールになにを言われても、大げさにしか聞こえなかった。それは今もだ。
「とにかく実家に戻りなさい」
「いやよ! 侯爵家にいるわ。それに戻ったら侯爵家を継げないじゃない」
「ヴィヴィ……お前は勝手に第二王子殿下派閥に与し、そして捨てられたんだ。我が家は第一王子殿下派閥で、もうお前を擁立できない。どうして子爵令嬢の分際で、王族の派閥争いなんかに関わったんだ。とにかくこのままでは、気まぐれに殺されても文句は言えない。安全のために実家に身を隠さないと」
セヴォールはエリスティッドの登場で、ヴィヴィとレニエを侯爵夫妻にするのは、難しいことはわかっていた。だが可愛い姪の頼みだから、努力はするつもりだった。しかしその姪が自らロレンスの派閥に与しては、どうしようもなかった。こうなったらレニエとの婚約すらもう……。
「私が……私が退場させられるのなら、ユージェニーヌはどうなの。えっと、ロレンス様ににらまれたりはしないの? ユージェニーヌのほうこそ、殿下にとって邪魔者なんでしょう?」
段々と現実が見えてきたヴィヴィは、それを認めたくなくて、子どものように泣きべそをかきながら、最後の抵抗を試し見た。
セヴォールは初めて、反省した顔つきになる。
「ヴィヴィ。私が悪かった。今回のことは私の責任だ。私は妹のサンドラ可愛さに、お前を特別扱いしてしまった。子爵令嬢のお前を、侯爵の私が連れ回した。それがこんな危険な結果を招くとは思わなかったのだ。いいか、ここにいる我々は、この王都という盤上における要石なんだ。私も、ユージェニーヌも替えのきかない駒で、いかにロレンス殿下といえども、そうそう簡単に追いやることはできない」
「…………私は?」
ヴィヴィはどうしても知りたくて聞きながら、同時にその答えを聞きたくないと強く感じ、自分の声が震えるのがわかった。
「その中でたった一人、捨て駒として使えたのがヴィヴィ、お前だ。関係者の中で唯一自由に遊ばせることができて、不要になったらポイ捨てしてしまっても支障が出ない。すまない。得意になって見せびらかして回った私の落ち度だ。お前を社交の場に連れていったのは大事だったからだ。だが本当に大事なら、あんな危険な場所に連れて行くべきではなかった」
「…………」
「だが、ヴィヴィ。危険だと何度も言ったはずだ。……どうしてロレンス殿下に……とにかく今は、…………命があっただけで良しとしよう」
セヴォールは両手で顔をおおって、うなだれてしまい、それきり一言も話さなかった。
ヴィヴィは、特別扱いされることに有頂天になり、それを物足りないくらいに感じていた。だが特別な人々が戦っている盤上で、対等に戦わされ、その結果、捨て駒として都落ちさせられることを説明されて、どうして子爵令嬢の座で満足しなかったのだろうと、後悔で胸が一杯になった。
確かに侯爵令嬢の座や、エリスティッドが欲しかった。だがそれは命を賭けてまでではない。どうして誰も教えてくれなかったのだろう。この王都で行われていることは、真剣なできごとで、遊びではないということを。確かに何度も危険だと聞かされたが、本当にそうだなんて、言ってくれないとわからないじゃないか。調子に乗るあまり、現実を理解したくなかった自分にヴィヴィはそう言い訳をした。
ヴィヴィはロレンス殿下に、望み通り、特別扱いを受けた。今までのように偽物ではない。本物の戦いだ。侯爵令嬢ユージェニーヌという駒と、同じ盤面で対等に戦わされたのだ。
「どうしてそんな危険なことをしたのだ」と聞かれたら、こう答えるしかない。
「そんなつもりじゃなかったから……」と。
◇◇◇◇◇◇
可及的速やかに、ユージェニーヌとエリスティッドの婚姻は成立し、ユージェニーヌはカロー侯爵位を継承した。
ぽんこつなセヴォールの行動により、カロー侯爵家が傾き、終いにはロレンス殿下に目をつけられたことが、継承が早まった決定打だ。侯爵家を支える人々も、この国を支える人々も、侯爵家の中の上下関係がおかしくなっているのを、ずっと気にしていた。
ヴィヴィに侯爵家を継がせるという発言を、セヴォールがしたことで、到頭支配階層全体が動き、ユージェニーヌとエリスティッドの婚姻を、後押しすることとなった。
ユージェニーヌは正統なる跡継ぎの血筋であり、国全体を味方につけている侯爵令嬢だ。つまりこの世界が彼女を後見したということだ。
そんな力関係が働いている場所で、ただの子爵令嬢がうろうろしたらどうなるか。命があっただけで掘り出しものだろう。




