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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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尽くす父親像

救いのない話です


 名門ヘイグ侯爵家の令息マキンリーと、その婚約者、レイトーン伯爵令嬢ジョセラインの不仲は有名だった。


 マキンリーには『最愛』の愛人カプリスがいて、それをまったく隠さなかった。だが某男爵家の縁者であるカプリスには、なんの後ろ盾もなく、とても侯爵家へ縁づけない。当然、ヘイグ侯爵が認めるはずもなく、互いの要求を通そうとする、父と息子の関係は一触即発だ。そんなところに侯爵が、ジョセラインを連れてきたものだから、下手をすれば父子は殺し合いそうになるほど険悪になった。


 だが結局、侯爵の命令で、マキンリーとジョセラインは結婚する羽目になる。


 憤懣やるかたないマキンリーは、カプリスにこう告げた。


「真実愛しているのは君だけであり、常に一番に扱う」と。


 そしてジョセラインにはこうだ。


「家のためにお前と結婚するだけで、自分の最愛はカプリスだ。勘違いしないように」と。


 それに対する返事はこうだった。


「私も同じく家のために結婚するだけです。妙な勘違いは勘弁して下さい」


 その時の、まるでゴミを見るような目のジョセラインを見て、マキンリーは初めて彼女に申し訳なく感じた。彼は本来は育ちの良い人間であり、父親との確執さえなければ、こんなひどい態度をとったりはしない。


 だからすぐに謝罪した。


「すまない。さすがに君のその気持ちは知っていた。ちょっと調子に乗って勢いづいたが、忘れて欲しい」と。


 つまりは宣言はなかったことにされ、そんな風に三人の結婚生活は始まった。


 結婚後、優秀なマキンリーは父親の仕事の補佐をしたが、仲が悪すぎたため、もはや一切の私語なく、それは進められた。ジョセラインは、女の子を二人、男の子を一人産み、その末の息子が学院の中等科に入学した頃。


 ヘイグ侯爵が亡くなり、ぎりぎりの所で保っていた危ういバランスが、一気に崩れ落ちたのだ。


 侯爵はまだ五十代だった。

 葬儀は盛大に行われ、大勢が駆けつけ、遺族は忙しくて悲しんでいる暇もない。だが喪主であるマキンリーは、ただぼんやりと突っ立っているだけだった。動揺している侯爵夫人を支えるように、ジョセラインは動き回り、まるで喪主のように働く。仲が悪すぎる親子や夫婦ほど、片方が亡くなったときの衝撃から立ち直るのに、時間がかかることを知っていたからだ。


 親族会議では事前の取り決め通り、マキンリーが当主になるよう進められたが、少なくない反対意見があった。それは当主になる彼の後継者に、カプリスの娘ブロシュを指名したからだ。様々な人間が説得しようとしたが、彼は頑なだ。


 父親が当主である間は従ったのだから、自分が当主になったからには、好きにすると宣言した。そもそもカプリスは愛人で、ブロシュは庶子だから、跡継ぎにはなれない。さすがにマキンリーもそれをわかっていて、ブロシュの夫になる人物を跡継ぎにするつもりだ。


 その戦陣から真っ先に逃げ出したのは、ジョセラインと三人の子どもだ。彼女はしばらくマキンリーを観察していたが、口癖のように亡くなった父親を引き合いに出して、不満を述べる姿に不安があった。行動基準が、彼の頭の中にある父親なら、どんな風に動くか予想が付かない。


 そのため、本来の跡継ぎだった末の息子エドワードを、第一の後継者から事実上はずすのを黙認する代わりに、三人の子どもたちの婚姻に、簡単に口をだせないように書類を整えた。



◇◇◇◇◇◇



 マキンリーはとうとう父親から、ヘイグ侯爵家当主の座を奪い取った。

 これからは最も大切にしていた真実の愛と、その結晶を第一に生きる。


 そう思っていた所、学院でブロシュは問題に突き当たってしまった。庶子だという理由で、彼女は最下位の四番目のクラスに入れられ、腹違いの姉が、高位貴族しか入れない一クラスになった。姉アナレイヤは、マキンリーとジョセライン夫婦の第一子だ。その上、姉の婚約者は公爵家次男と聞かされ、戻ってきたブロシュはひどく荒れて、部屋のものを壊すほどだ。


 家庭内において、ジョセラインの子どもより、ブロシュのほうが上とマキンリーが教育してきたからだ。


「私も高位の婚約者が欲しい」


 そう泣き叫んだ娘を見て、マキンリーは弱り切ってしまった。実を言うと、数年前から探しているのだが、まったく見つからない。最初は将来の侯爵の座をぶら下げれば、容易だろうと考えていた。だが妻が庶子では、生まれる子どもの身分も、後ろ盾もあやしい。よほどの野心がないと、自分や自分の家の価値を下げてまで、手に入れようと思うものは、高位貴族の中にはいない。


 どんどん条件を下げたのに、低位貴族の中でも、勢いのある家からはマキンリーは断られた。


「……自分で探すのも考えてくれないか。真実の愛の相手であるのに越したことはないのだから」


 父親にそう言われたブロシュは、見込みがないことを知り、ひどい衝撃を受けた。そんなブロシュを不憫に感じたマキンリーは、彼女を慰めようととっておきの手を打つ。人気デザイナーに、ドレスを仕立ててもらうことにしたのだ。侯爵家にとっても痛い出費だが、可愛い娘のために父親はためらわなかった。


 現実にショックを受けたブロシュは、翌日アナレイヤに話しかけた。腹違いの姉妹の関係は、父の教育により、距離ができてしまったが、仲が良かった時代だってあったのだ。


「その、突然だけど……、どうやって婚約者を見つけたのか教えて欲しくて」

「お父様はなにをしてらっしゃるの?」

「探しているらしいのだけど、見つからないって」


 アナレイヤはしばらく考え込んだ。ここで父親にまかせろと言っても、意味はないだろう。二人の父親は、常識に欠けている。


「私とリチャードは、親戚同士の集まりで出会いました」

「リチャード様と親戚なの?」


「はい。血はつながっていませんが」

「公爵家となんてどうして? ジョセラインの実家は伯爵家じゃない」


「私の母は七人兄弟で、一人が婿養子、四人が嫁いでいます。逆に二人嫁いできています。嫁いできた女性の一人がリチャードの叔母にあたり、彼女の姉がダウデイン公爵夫人です」

「公爵夫人から紹介を頂けるなんて。まさか……王族もいたりするの」


 アナレイヤの目が泳いだ。


「……はい。私と妹は、侯爵家と伯爵家の血を引いていますので、生まれてすぐにそのお話は頂きました。結局、決まらず公爵家に落ち着きましたが」


 その時なんの音も立てていないのに、ブロシュの胸がえぐられたのが周囲にわかった。そんな話、ブロシュには来ない。


「わ、私も縁談を紹介して欲しい」

「それはできません」


「謝るから。今までのことは」

「私はレイトーン伯爵家のつながりで紹介を頂きました。それは私自身が伯爵家の人間だからです」


「じゃあ、私はどうすればいいの」

「…………ヘイグ侯爵家のつながりで、探してみてはいかがですか」


 そう教えられたブロシュは、希望に満ちた顔で教室に戻っていった。だがそれを見てアナレイヤは暗い顔になった。いくら二人の父親がぽんこつでも、それぐらいはとっくにしているはずだ。


 教室に戻ると、将来の侯爵の座を狙った、低位貴族の男子生徒たちに取り巻かれ、いつものようにちやほやされたことで、虚栄心が満たされると共に、少し元気になる。


 その時、すぐ側の同級生たちが、アナレイヤの妹アンジェリーナが、某侯爵家長男との縁談がまとまり、弟のエドワードは公爵家令嬢との婚約が決まったという噂で、盛り上がった。


 マキンリーの口癖である、「父親に愛されていない格下の伯爵家」の分際で、どうしてそんなにいい縁談ばかり手に入るのかと、ブロシュの頭の中は真っ赤に染まる。


 そこへ男子学生たちが絶妙な間で、気晴らしに遊ぼうと声をかけてくる。彼らがよく授業をさぼり、楽しく遊ぶのを聞かされて、ブロシュは一度やってみたいと思っていた。だから投げやりな気分で、参加することにし、だが学院の裏門から出ようと向かうと、アナレイヤと何人かの侍従たちが、ひどい顔色で走ってきて告げた。


「ブロシュ。たいへん。お父様が倒れたの。すぐに家に向かいましょう」


 アナレイヤに連れられて、ふらふらと戻るブロシュに、一緒にいた男子学生たちが、派手に舌打ちするのが聞こえた。



◇◇◇◇◇◇



 ヘイグ侯爵家の執務室で、マキンリーとその叔父。数人の使用人が控えていた。嘘をついて連れ戻したアナレイヤに、ブロシュは聞く。


「さっきのあれ……なんだったの?」


「つらいと思うけど落ち着いて聞いてね。いつもあなたと一緒にいる男子学生たち五人組で、あなたを襲って、それを脅しの材料にして、侯爵家の婿養子の座を手に入れようという計画をたてていたの」


「そんな……ひどい」


 それを聞いたマキンリーは激怒する。


「娘になんてことを。許せない。そいつらはただではおかないぞ」


 アナレイヤと叔父は、ブロシュには同情的な目を向けたが、マキンリーに対しては敵意のこもった目で見ている。


「ブロシュ。お父さんがいるから大丈夫だ。とにかくそいつらをすぐに逮捕してもらい、学院を安全な場に戻さないと」


「安全になることなどない。校舎はもう狩り場になっているだろう」


 厳かに叔父が告げる。


「どういうことですか。叔父上」


「それはアナレイヤが知っているだろう。君はいつから警戒していたんだ」


「ブロシュが入学した時です」


 ブロシュの取り巻きに、アナレイヤは手駒を潜ませておいた。父親のせいで仲違いしている姉妹だが、楽しい思い出だってあったからだ。


「こうなることがわかっていたの? アナレイヤ」


「ブロシュ。私からすると予想できない方が不思議です」


 気の毒そうな顔で叔父が、ブロシュに話しかけた。


「無理矢理にでも婚姻を結べば、侯爵家が手に入る。仮に失敗しても、その一人を切り捨てて、新しい子息を立てれば良い。安いものだ」


「でも……どういうこと? だって普通はそんなことしないじゃない」


 そういったブロシュを、アナレイヤと叔父は憐れみのこもった目で見た。


「仮にその犯罪が成功しても、普通の侯爵令嬢は、子爵や男爵令息とは結婚しない。身分が違いすぎるからだ。だがブロシュは侯爵の庶子だからな。また被害を公にした場合、君が誘惑した加害者と扱われるだろう。襲おうとした男子学生たちは貴族令息で、君より身分が高いのだ」


「そんな馬鹿な話があってたまるものか。ブロシュは侯爵家を継ぐ我が家のお姫様だ」


 マキンリーが耐えかねて、ブロシュをかばった。アナレイヤは絞り出すような声で告げる。


「ブロシュ。わかって。あなたはなにがあっても、泣き寝入りするしかないのよ」


 ブロシュは父親の教育と、世の中で学んだ常識が、あまりにもかけ離れているのを、学院に入学したことで、薄々と感じ始めていた。だが父親の教育のほうが甘美で、それにどっぷりとつかっていたいという誘惑は抗いがたい。しかしここへ来て、それが危険に直結することがわかり始めた。


「叔父上。どうしてこうなる前に、婚約者を用意してくれなかったのですか。何度もお願いしたのに」


 親族会の面々と仕事をしている時に、マキンリーは全員に無視されるようになっていた。当主になるとき、あらかじめ決めてあった手順のほとんどを、一番大事なカプリスとブロシュのために無視したからだ。


「庶子の縁談など、自分で片付けろ」


「そうではなく、我が侯爵家の当主になる男です。ブロシュの婿養子を当主にすると、提案しているではないですか」


 叔父からは軽蔑しきった目で見られた。カプリスと連れ添った十数年前は、自信満々に言っていた提案だが、今では大分その自信もすり切れていた。


「当主が愚かな代は、資金も人出も出し渋るのは当たり前だろう。侯爵家の婿養子になれるような優秀な人材なら、真っ先に自分の家に囲い込む。そもそも縁談と言うが夫婦というのは、お互いに支え合うもの。お主のような一方的な関係ではない。そんな考えで見つかるか」


「叔父上。私は妻カプリスと、信頼関係を築いてやってきました」


「お前の妻はジョセラインだ」


「いいえ、私の妻はカプリスです。私たちは真実の愛で……」


「つまりはそういうことだろう。自分の一方的な考えをまわりに押しつけて、相手に合わせる気はない。そんな人間と縁組みなど怖くてできるか」


「……」


「こうなったのは、マキンリー。お前のせいだ。庶子のブロシュに侯爵家を背負わせて。その癖、こういった結果を招くだろうと、予想することもできないのか」


 マキンリーと叔父の言い合いを余所に、ブロシュはようやく口を開いた。


「アナレイヤ……義姉様。叔父様。私はまずなにをしたらいいのかしら」


 傲慢になってしまったブロシュに、初めて自分たちの言葉が届いたことを知ったアナレイヤたちの、顔色が明るくなった。


「まず護衛と侍女を複数つけること。そもそもなぜ連れていないの?」

「……誰もなにも言わなかったから」


 アナレイヤはきっときつく父親をにらんだ。


「侯爵家を背負っているという自覚を持って。殺されるのが怖くないの?」

「そんな。なぜ殺されるの?」


 叔父が腹立ちから机を叩いた。


「なにも教えていないのか。なにも。いいか、ブロシュ。お前が死んだら得をするものはたくさんいるのだ。まずは私だ。それにアナレイヤもだ。侯爵家に連なるものたちは、お前の義弟エドワードに跡を継がせたい。それにジョセラインの実家レイトーン伯爵家に、国内の高位貴族家すべてだ。名門侯爵家を庶子に継がせるという珍事を止めさせたい。つまりお前はこの国を支配している勢力に、消えてもらいたいほど邪魔だと思われているのだ。もしかして今日の犯行は単発的なものだとでも思っているのか。私は必ずどこかの有力貴族家が後ろにいると睨んでいるがな。おそらく捕まってももみ消されただろう」


「怖い……いや……私、もう学院に行かない」


 今にも吐きそうなブロシュを見て、アナレイヤと叔父は、言わなくてはならない大事なことを飲み込んだ。これ以上、残酷な現実を告げる気にはならなかったからだ。


「ブロシュ。そんな心配はしなくていい。お父さんが守ってやるから。必ずお前を侯爵家の跡継ぎにさせてやる」


 のろのろと顔を上げて、ブロシュは父親を見た。


「守るって、どうやって?」


 マキンリーの目が泳いだ。なにも考えていなかったからだ。



◇◇◇◇◇◇



 家の中を気分転換に歩いていたブロシュは、祖母の前侯爵夫人と、父親が激しい口げんかをしているのに出くわした。


「もういい加減にして。正妻の席に愛人。跡継ぎの席に庶子。それなのに仕事は私にやらせて。お前が無責任に振る舞うせいで、ブロシュが今まで何回、危険な目にあったと思っているの」


 ブロシュは吸い込まれるように、その部屋に入っていった。

 気がついた夫人は口を覆い、下を向いて黙ってしまう。


「私、そんなに危険な目にあっていたの? それならどうして学院に、平民として通わせたの?」

「そんなつもりは…………貴族が通う学院なんだから大丈夫だろう。それにお前は侯爵令嬢ではないか」


「私の身分は平民よ。叔父様にも、義姉様にも念押しされたわ」

「そんな『大げさ』な。お前は侯爵令嬢だよ。お前の母親だって侯爵夫人だ」


「……」


 自分を危険な境遇に置いた真の敵が誰か、ブロシュはようやくわかってきた。


 理解したくないものに直面し、頭がちりちりと痛み始めたが、ここで逃げたら今度こそ、自分の命が危ないのだと、どこかから警告が発せられている。それと同時に最愛の父親が、突然なにか気味の悪い物に感じられ、自分の心が拒否してしまうのを止められなかった。


「いやだ、助けて。私、なにもいらない。侯爵令嬢なんてなりたくない。エドワードに全部上げる」

「そんなの駄目だ!」


 部屋の中に突然マキンリーの怒声が響いた。驚いて、使用人たちも、外に控えていた護衛たちも目を丸くしている。


「それでは父上の思いどおりになってしまう、真実の愛の結晶であるお前が継ぐんだ。ブロシュ」

「いやよ」


「そうしないと真実の愛がなによりも尊いということが、父上に証明できなくなってしまう。あの男の思惑通りにことを進めるなんて、断じて許さない。なにが不満なんだ」


「いらない」


「そんな贅沢は許さない。お前は侯爵家を継ぐんだ」


 驚愕して二人のやりとりを見ていた夫人が、口を開いた。


「……まるで、亡くなったあの人と、お前の会話みたいね。マキンリー」


 指摘されたマキンリーは、恐怖の表情を浮かべる。


「あの人は息子のお前に対して、威圧的で反論を許さなかった。今のブロシュのように、自分の考えを押しつけて。そっくり」


「やめてください」


 悲鳴のようなマキンリーの叫びは、壁をびりびりと震わせ、部屋の入り口には見物人が集まってきていた。


「私は断じてあの男と似ていません。社会の規範より愛情を優先し、家族を大事にしています。あの男のように冷酷ではありません」


「それならブロシュの、侯爵家を継ぎたくないという願いを、叶えてあげられるわね」


「それとこれとは違います。ブロシュ。お前はわかっていないんだ。お前のような庶子が侯爵家を継ぐことの尊さが」


「いらない」

「駄目だ。継ぐんだ」


「いや」

「ブロシュ」


 いまや化け物を見るような目で、ブロシュは父親を見ていた。


「……ねえ。お父様はどうしてそんなに、侯爵家を継がせたいの」


 間髪入れずにマキンリーは答えた。


「私の父親はな、本当に最低で血の通っていない冷血人間だった。私の愛するカプリスを『商売女』と罵ったんだ。結婚を認めず、侯爵家に入れることも許さなかった。だから私は当主になったら、真実の愛のカプリスを侯爵夫人として迎え、その愛の結晶であるお前に、侯爵家を継がせて見返してやりたかったのだ」


 今はもう存在しない相手を見返すために、どうして生きている自分や、祖母、たくさんの人々が苦しんでいるのかブロシュにはわからなかった。


「ねえ」

「なんだ」


 今の説明で、わかってくれただろうと、マキンリーは笑顔を浮かべている。


「それ、わたしになにか関係あるの?」


 笑顔を浮かべたまま、マキンリーは不思議そうな顔をした。


「説明が足りなかったか? もう一度言うが、私の父親は……」

「ううん。説明はわかった。でも私には関係がないって言っているの」


 マキンリーは朗らかに笑い出した。だがその顔は戸惑っている。


「関係があるに決まっているじゃないか。だってお父さんの夢は、お前に侯爵家を継がせることなのだから」


「でも私は継ぎたくない。自分の意志があるの」


「ブロシュ。あのなあ、お前はまだ若いからわからないのかもしれないが、侯爵家を継げるというのはすごいことで」


「……そうやって自分の父親と同じことを、子どもにするんだね」


「あの男と一緒にするな! 私は子どものためを思ってやっているんだ」


 父親を持ち出されると、急にマキンリーは感情的になった。


 そんな父親をじっと見ていたブロシュは、突然関係のない話を始めた。


「あのね。お父様。アナレイヤ義姉様がよくドレスを仕立てていたよね。私がうらやましいって言ったら、その倍の量のドレスを作ってくれたことがあったでしょう」


 マキンリーは得意げに頷いた。


「ああ。お前はこの家の後継者なのだから。父親としてなんでも願いを叶えてやるさ」

「でもね。私、一度も着たことがないの」


 衝撃の事実を伝えられ、戸惑ったようにマキンリーは顔を上げた。


「なぜだ。誰かにいじめられたのか」


「着ていく場所がなかったからだよ…………。庶子の私の元へは、あんな豪華なドレスを着ていける招待状は来ない。私がお願いしたのは、私のような者でも出られる、小さなパーティの招待状だったの」


「そんなの、言ってくれれば」


「何度も言ったよ。でもお父様は『侯爵令嬢のお前にはもっと相応しい場がある』って見当外れなことを。だから私、この年になって、ただの一度もパーティに出たことないんだ。…………私ね。ドレスが欲しかったんじゃないの。招待状が欲しかったの。でもね。その話を何度してもね。お父様には通じないの。気がつくとなぜか新しいドレスが注文されていて、招待状の話は忘れられているの。ねえ、私がドレスを着ているの見たことある?」


「そんなはずはないだろう?」


 不思議そうな顔でブロシュを見た。一粒種として大事に育ててきたのだ。そんな行き違いなど起りようがない。


「…………わかったわ。お父様が私の願いを叶えてくれたら、侯爵家を継いでもいい」


「なんでも言って見ろ。なんでも叶えてやる」


「私が参加できるような、パーティの招待状を手に入れてきて。ドレスはいらない」


 マキンリーは朗らかに笑った。


「なんだ。そんなの簡単だよ」


 その後マキンリーが手に入れた招待状は、侯爵家に来るだけあり、格式の高いものばかりだった。こういったものに参加させるのならと、仕立屋を呼び出し、ブロシュのドレスを改めさせる。後ろで見ていたマキンリーは、どれもにしつけ糸がついたままなのを不思議に思いながら、今風に仕立て直してもらった。そしてそのドレスと招待状を渡した。


「ブロシュ。ほら。ドレスだ。これで満足だろう」


 欲しいとも言っていないドレスに、マキンリーがこだわる理由は、お金を出せば良いだけの代物だからだ。なんの調整も根回しも必要なく、それでいてなにかをやった気分になる。


 ブロシュのような難しい立場の女性を、公式の場に出すには、入念に調整が必要だ。先方への根回しに手間取る上に、本心では侯爵令嬢のブロシュが、どうしてこんなにへりくだらないといけないのだと許せず、その作業を途中で放り出してしまう。


 つまるところ面倒なのだ。


 だが妻子を大事にする自分が、それら手配を投げてしまうのを認められず、「後にしよう」と言い訳をし、忘れてしまうことを繰り返した。その結果、自分はきちんとやっていると、自認する父親のできあがりというわけだ。


 渡された招待状を見て、ブロシュは悲しそうに言った。


「これ、来月に行われる公爵家の園遊会でしょう? 私が参加できるような集まりじゃない。それにドレスは…………必要ないんだよ」



◇◇◇◇◇◇



 教区の司祭と、ヘイグ侯爵家の叔父に頼み、ブロシュは親族の子爵家の養女になった。


 マキンリーの猛烈な反対があったが、見かねた司祭が厳しい説教をした上でのことだ。それからのブロシュは、息をするのが楽になったように感じた。


 最初の内はつらかった。自分を守ってくれていた父親が、実は自分をまったく見ていなかったということを、認めなければならなかったからだ。まるで半身がちぎれるような気がしたものだ。


 それでいて、自分の父親にこだわるマキンリーと同じになりたくないと、どこか冷静に感じる自分がいた。それを頼りに一人で歩き出すことにしたのだ。


 新しい場所では、誰もが、ブロシュに子爵令嬢以上のなにかを求めず、ただ自分に与えられた義務と権利を淡々とこなした。結婚も驚くほどすんなりと決まり、それは苦労もあるものの、常識の枠の中で生きることが、こんなにも簡単だったとはと驚くことになる。




 親族会の決定で、ヘイグ侯爵家には正妻のジョセラインと、跡継ぎのエドワードが戻ってきた。

 反対しようとしたが、家政を担当するものがおらず、跡継ぎの座も空位で、マキンリーは受け入れるしかない。エドワードはあっという間に当主の仕事を肩代わりし、使用人たちと和気藹々とするようになり、孤立するマキンリーがそれを眺めるようになった。


 どうしてこんな風になってしまったのだろうと、マキンリーは考えていた。父親と折り合いが悪かったのは確かだ。だがなぜか母親とも上手く行かなくなった。正妻とも、跡継ぎとも。そして……娘とも。ブロシュが逃げ出した件でカプリスとも口論になり、今は家庭でも一人だ。


 ただ娘のためを思っていただけなのに。それなら継がせなければ良かったのか? 自由にさせれば。そう思ったときに、心の中の自分の叫びを聞いた。

「そんなことは許さない。私は父親に従うしかなかったのに、自由にするなんて、うらやましいことは許さない」

 マキンリーは心の中からそっと目をそらした。なぜなら自分は、娘に尽くした良い父親であって、そんな感情を持っているはずないからだ。


 マキンリーは娘の望むものは、なんでも与え、願いを叶え、尽くしてきた。それにもかかわらず、娘は家を出てしまった。


 なぜなら、マキンリーが尽くしていたのは、娘の姿をした『昔の自分』であり、自分が本当は欲しかったもの、やりたかったことを、与えていただけで、ブロシュがなにを考え、どう感じるかなんて、本心ではどうでもよかったからだ。だからどこまでいっても、自分の悪かった点がわからない。なぜなら昔の自分にとって、今の自分は満点の父親だからだ。


 そこに「ブロシュにとって」という視点は存在しなかった。


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