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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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お邪魔虫


「あら、きれいじゃない。これ頂戴」


 妹のフレデリカが伸してきた手をよけるように、アンネリースは商人の前で、時間をかけて選んだ髪飾りを手の中に隠す。


「ずるいわ。お姉様。隠すなんて、ひどい」


 フレデリカの抗議の声を聞いた、母親グレタが近づいてくる。それを見て、妹は優越感に満ちた顔で姉を見てきた。


「どうしてあなたはそんな風に意地悪なの。妹が欲しがっているのだから、髪飾りくらいあげなさい。フレデリカは体が弱くて、外出もできない可哀想な子なのよ」


 すぐ側に座っていた祖父母を見ると、孫たちが争うのを見て眉をひそめている。


「そうよ、アンネリース。つまらないことで姉妹が争っては、いけないわ」


 祖母には悪気はないが、どちらかが我慢すればいいと顔に出ている。そして我慢するのはつねに、姉のアンネリースだ。彼女以外の全員にとって、これは「つまらないこと」だからだ。


 手の中にあった髪飾りは、いつものように母親の手によって奪い取られ、不憫な妹の手に渡り、一週間……いや、二三日で飽きられて、彼女の部屋の床に転がる羽目になる。フレデリカは自分の物になった物には興味がないからだ。


 幼い頃からアンネリースは、病弱な妹になにもかもを譲らねばならず、十三歳の頃から通い始めた学校が、唯一の息抜きだった。学院なら妹とそれを際限なく甘やかす両親や、祖父母から離れられるからだ。



◇◇◇◇◇◇



 しかし自分では離れたと思っても、向こうから追いかけてくることもある。学院の中等科で親しくなった、ナタリエとベツィーという友人を、自宅に連れて行った所、フレデリカがまた暴れたのだ。二人を自分の友だちにしたいと。その日は三人で野外学習に赴いた。


 元々外歩きが好きな三人は、とっておきの経路を散策していたが、急に天候が悪くなり中止になってしまう。気軽に出歩けない貴族女性が、何週間も前から計画していた予定が取りやめとなり、たいへんがっかりし、一番近いアンネリースの、パッシェン子爵家で雨宿りをすることとなった。


 それを鼻がきくフレデリカに、嗅ぎつけられてしまったのだ。体が弱くてあまり外出しない彼女には、友人はほとんどいないため、同世代の少女たちに気がつき早速乱入した。フレデリカはとても外面が良く、場が盛り上がったのは良いが、問題はその後だ。


「え、三人は、ほぼ毎日会っているの?」


「ええ、私とベツィー、アンネリースは同じクラスなの。今日みたいにしょっちゅう出かけているわ」


 ナタリエがそういうのを、アンネリースは黙っていてほしいとでも言うように、ちらちらと視線を送っている。そんな姉を、まるで獲物を見つけたキツネのように、フレデリカは残忍な目で見ていた。


「私……、体が弱くて、お友達が少ないの。だからあまりお出かけしたことがなくて。良かったら私も誘ってくれない?」


 上目遣いでそんな風に言われて、誰が断るだろうか。


「もちろんよ」


 ナタリエとベツィーが快諾し、フレデリカは姉にだけ聞こえるように、「お邪魔虫は来なくていいから」と告げた。


 外出するとすぐ疲れてしまうフレデリカが、積極的に出かけたいと言いだしたことで、パッシェン子爵夫妻は、ナタリエとベツィーの家に交流を持って欲しいと正式に連絡した。


 しかしそれはあまり上手く行かなかった。


 二人は、アンネリースと同じく野外の散策を好み、時には馬にも乗る。一方、フレデリカは都会の歓楽地でおしゃべりするくらいが精々だ。せっかく二人が特別な庭園や森に招待してくれても、その価値がわからないし、ついていけないのだ。フレデリカの方から自然と誘いを断るようになり、その恨み節をアンネリースにぶつけるようになった。


「もっと『まとも』な友人を紹介しろ」と。


 その理不尽な圧力は長く続き、それを悪気なく後押しする両親や祖父母からは、アンネリースはまともな交流関係を持てない、社交が不得手な人物という烙印を押された。跡継ぎとして失格であるとまで言われた時には、あまりにもつらくて、どうしたらよいかわからなかった。



◇◇◇◇◇◇



 婚約者となるハネス子爵令息フォルクマールを、初めて自宅に連れて行ったのは十六歳の頃だ。


 アンネリースは学院で、古地図研究倶楽部に入っている。子どもの頃から地図を眺めるのが好きで、単に古いものから、歴史や地理趨勢が絡むものまで集め眺めている。その倶楽部に遊びに来たのがフォルクマールで、彼は戦記好きで、大きな戦いのあった場所を好んで眺める。話が合い、最初に友だち数名と、ハネス子爵家に何度かお邪魔させて頂いたのが、さらに仲良くなったきっかけだ。


 その内、パッシェン子爵家に保管されている、古地図の話になり、もっと親しくなりたかったアンネリースは、その良い機会として彼と友人たちを連れていった。同じように仲良くなりたいと思っていたらしい、ナタリエとベツィーの三人で、彼を華やかに囲み、距離を縮める。


 話は盛り上がり、声を聞いてのぞきにやってきた父親のパッシェン子爵が、フォルクマールの話に好印象を持ってくれたようだ。


 その晩、アンネリースは父親に打ち明け話をした。


「お父様。誰にも秘密の話があるの」

「なんだい。言ってごらん」


 フレデリカが絡むと信用できない父親も、別に普段から悪い人間ではない。


「私、本当は……フォルクマール様と結婚したいの」

「いくらなんでも無理ではないか。お前もフォルクマール殿も、長女であり長男だ」


「わかっているわ。でもどうしても諦められなくて。それでね、お父様。この家はフレデリカが継ぐというのは駄目かしら」

「無理に決まっている。体の弱いあの子に、そんなことはさせられない」


「ええ、でもどっちみち、フレデリカの事情を汲んでくれる家に、嫁がせるのよね。それって…………我が家でもいいのではないの? つまり…………」


 提案を聞いたパッシェン子爵は、その素晴らしい内容にしばらく返事ができなかった。


「考えてみて。お父様もお母様もいるこの家で、婿を迎えた方が、フレデリカはどんなに安心できるか」


「しかし……子どもは……」


「そんなのどうとでもなるわ」


 アンネリースは言い切った。


「もしかしたら生めるかもしれないし。駄目なら養子を取ってもいい。子どもがたくさんいれば、私も協力することができるわ。ふふふ。私がフォルクマール様と、結婚していたらの場合だけど」


 子爵の頭の中で、チェスの駒のように人間が動き、新しい提案の長所短所を洗い出していった。


「もしこの提案が上手く行ったら、フレデリカはずっとお父様お母様と一緒よ。体の弱いあの子がどんなに喜ぶか」


 アンネリースのこの言葉は、子爵に思いのほか圧力をかけ、すぐにフォルクマールの家に連絡を取ることとなった。



◇◇◇◇◇◇



 婚約はめでたく成立し、ハネス子爵家の長男であり跡継ぎのフォルクマールと、パッシェン子爵家の長女であり、跡継ぎだったアンネリースは縁組みした。


 倶楽部の部員を自宅に連れてくるときは、事前に古地図の集まりだと、まるで自慢するかのようにアンネリースは宣伝した。部員らは図書室にて古地図で盛り上がり、その後、サロンでお茶を飲む。いつも連れてくるのは、友人のナタリエとベツィー、男友達のアーデルヘルム、たまに先輩のジュリウスと、婚約者のフォルクマールの五人だ。


 自分の部屋で横になっているフレデリカは、最初にその話を聞いた時に、「地図を見たいだなんて意味が分からない。馬鹿じゃないの」と、本当にこう言った。それを聞いてアンネリースはほっとしたものだ。だから友人たちを紹介したことはないし、フレデリカが見に来たこともない。


 だが秘密にしてと言ったにもかかわらず、いつのまにか話は広がり、アンネリースがその一人と婚約をしたと聞いては、居ても立ってもいられなかったようで、見に来てしまった。


 なんだか嫌な予感がしたアンネリースは、入ってこようとした妹を止めようとしたが、それが返って皆の注意を引いてしまい、結局、彼女はフォルクマールの真横に座ってしまう。座る場所がなくなったアンネリースは、仕方なくアーデルヘルムの横に座って、自分の婚約者を心配げにじっと見ている。


 貴族らしい端正な顔立ちで、華奢なフォルクマールを見たフレデリカは、彼に夢中になったようだ。穏やかな風景ではなく、アンネリースは幼い頃からずっと続いている妹との関係を、どうにかしなければならない時が来たようだった。


「フォルクマール様は地図がお好きなんですね。私も興味があって。でも……難しくて。誰かに教えてもらえたら……」


 さっそく距離を縮めようと、フレデリカは心にもないことを笑顔で告げている。


「僕に任せてくれ。でも難しくなんてないさ。自分の好きなように楽しめばいいんだから」


 可愛らしいフレデリカに甘えられて、明らかにデレデレとしていた。


「女の子なのに地図が好きなんて。変ってるって……思われます?」


 上目遣いでフォルクマールを見上げ、器用なことにちょっと下を向いた瞬間、フレデリカは姉に優越感に満ちた視線を送った。


「そんなことないさ。大歓迎さ」


 明るく返事するフォルクマールに、「さすがぁ」と大げさに相づちを打つ。地図が好きな「変人女め」というメッセージを姉に送りながら、フォルクマールの優しい言葉を、自慢するように鼻高々だ。


 その日、アンネリースは食欲がなく、あまり夕食を食べられなかった。だがいつものようにまったく気づかない両親と、それを見て得意満面の妹に挟まれ、なにごともなく食事は終わった。



 それからアンネリースの孤独な戦いが始まった。


 月に一度、フォルクマールは会いに来ることになっているのだが、それがなぜか彼女にだけ、到着の知らせが来ない。ひどい時は日にちの変更すら知らされず、その間、フレデリカが二人きりで会っている。


 フレデリカは彼にべったりになり、今やその距離感は婚約者の妹から、恋人になり、数ヶ月もすると愛人の距離になった。


 自分の婚約者であることを訴え、どれだけ彼を愛しているのかを打ち明け、彼のハネス子爵家に嫁ぐのが夢であることを懸命に話しても、鼻で笑われるだけだ。


 これではいけないと、学院に行き、倶楽部に顔を出したが、フォルクマールは来ない。学院を歩いてまわり、彼の行きそうな場所を探した所、歩いてくるのが見えた。彼は気がつくと、後ろめたそうに目を泳がせ、わざとらしく反対方向を向いたまま立ち去っていった。


 関係は破局したのだ。もう自分にできることはなにもない。ただ婚約者が妹に奪われるのを、指をくわえて見ているしかない。


 それがわかったアンネリースは、心の平穏を求めるかのように、ふらふらと古地図研究倶楽部に顔を出した。そこにはアーデルヘルムがいて、いつもの通り中世の地図のいい加減な測量具合に、低い声でぶつくさと文句を言いながら、地図を片時も離さず、大きな体で嬉しそうに解説している。ただぼんやりと横に座り、窓の外を眺めながら、アンネリースはその声を聞いていた。



◇◇◇◇◇◇



 フレデリカとフォルクマールの婚約は、すぐに成立するものと思っていたら、案外時間がかかった。長男のフォルクマールは、絶対に嫁をもらわないといけない立場だ。しかしハネス子爵家からすると、体が弱いという理由で学院に通わず、まともに教育を受けているとも思えない娘を、嫁に取る危険はおかせない。パッシェン子爵家からすると、手元で大事に守るはずのフレデリカを嫁に出すなんて、本人の希望でも許可できない。当人同士は盛り上がっているが、両家の猛反対で話は一向に進まない。


 だが我慢することを知らない二人は、強硬手段に出た。

 まだ十六歳のフレデリカの妊娠がわかり、猶予がなくなったのだ。


 最後のお茶会だけは、日時や到着が正確に伝えられ、部屋に赴くと、フレデリカの肩を抱いたフォルクマールがいた。


「アンネリース。すまない。俺はフレデリカを愛してしまったんだ」

「ごめんなさい。お姉様。フォルクマール様が私を選んでしまったせいで……」


 ひどい状況に気分が悪くなりながらも、それでもアンネリースは自分の気持ちを話した。フォルクマールと婚約できて嬉しかったこと。彼の家に嫁ぐことを夢見ていたこと。話している途中で感極まって涙が溢れてしまい、その姿は誰が見てもみっともなく、みじめなものだった。


 だがそれを見たフォルクマールは、さすがに良心が痛んだらしく、一瞬、彼女を慰めようと手を伸ばしてしまい、フレデリカに鬼のような形相で睨まれる。


 勝ち誇ったようなフレデリカだが、かなりイライラしているようだ。そもそも妊娠初期のフレデリカは今、体調が最悪で、頭や、お腹の中を誰かがかき混ぜているのかと思うほどの、暴力的な変化に晒されている。アンネリースのみじめな姿が見たいという、たったそれだけの理由でお茶会に出たが、もう限界だった。




 もともと病弱を売りにしているフレデリカは体力がなく、これは今後ずっと付き合わなければならない戦いの始まりだった。


 二人の結婚はハネス子爵領地内にある、教会でひっそりと行われた。最初は、それでも参列者を呼ぼうという案が出たが、ドレスの採寸すらまともにできず、青い顔で横になるしかできないフレデリカを見て、立ち消えになった。


 その後、彼女はふくよかな「未熟児」を出産することになる。その妊娠、出産、産褥期を経て、早々に将来の子爵夫人になる道が、途絶えることになった。あまりにも体力がなさすぎるという判断が、下されたからだ。


 そしてそれは自動的に、夫のフォルクマールが跡継ぎの座から外された、ということを意味していた。


 実家にいた頃は、フレデリカだって好きなことを楽しんでいた。嫌なことはすべて姉に押しつけ、「今日は体調が良いから」と言って、外出さえすることもあった。だが嫁ぎ先で気を遣いながら、神からの贈り物である子どもを、腹の中で育て、出産すればその度に、体重は八キロ近く減る。これを全く体力がない人間が、数年間、続けるのは無理がある。


 なにかを諦めなければならなかった。

 つまりは子爵夫人の座を。


 今では心の中で後悔し通しだ。両親のいる実家から出るべきではなかったと。


 それを介護するフォルクマールも後悔していた。

 病弱だと知ってまず最初に思ったのは、「守ってやらないと」、そんな薄っぺらい感情だ。


 庇護欲のそそる女を側に置く自分が、世間からどう見えるかという、見栄ばかり先行し、実際にどんな生活になるのかということを、まるで想像もしなかった。


 他の女に比べて、格段に弱いのだから、守ったり世話したりする必要があるとわかっていたのに、なぜか他の女と同じことくらいはできるだろうと、どこかで思っていた。


 時間が巻き戻せるのなら、あの時の自分に「よく考えろ」と言ってやりたい。「お前が選ぶのは愛玩動物ではなく、パートナー、つまりはアンネリースだ」と。



◇◇◇◇◇◇



 学院の古地図研究倶楽部で、いつものようにアンネリースはアーデルヘルムと話していた。アーデルヘルムはアレント伯爵家の三男で、中等科の頃から親しい。話していて気が合うし、なにより価値観が近いと感じる。妹の結婚により、解放された彼女は、気を抜いて、自由を謳歌していた。


 だから、うっかりといつもの癖で、この場で一番、興味が持てない羽ペンを、さも欲しいものであるかのように、うっとりと眺めてしまい、それを見たアーデルヘルムが笑い出した。


「俺にはわかった。アンネが本当に良いと思っているのは、この切子細工の携帯用のインク壺と、セットのガラスペンだろう」


「え! どうしてわかったの?」


 長い付き合いのアーデルヘルムは、彼女がまったく興味なさそうにしているのに、欲しいものがわかったようだ。ちょっと照れながら、理由を話す。


「フレデリカ嬢の前では、自分の好きな物には絶対に目をやらない、って前に言っていただろう。それと好きなものの傾向から予想してなんとなく」


「私、そんなにわかりやすい?」


「俺はアンネのことよく見ているから。逆にアンネは絶対に俺のこと見ないよな。フレデリカの前でなくても」


 アンネリースは耳まで真っ赤になった。物なら盗られても諦めようはある。だが。


「気が付いた時、めちゃめちゃ嬉しかった。今度、このインクとペンを十セット送るよ」


「十セットはやりすぎよ。いくらフレデリカでもそんなに盗らないわ」


 部室に二人の明るい笑い声が響く。


 アンネリースは無邪気だった、十歳の頃を思い出す。自領の分をまとめた地図を、自分のやり方で整理していて、それだけで心は浮き立っていた。


 当時、一歳下のフレデリカの欲しいものは、はっきりとしていた。きらきら光る髪飾り、子どもっぽいネックレス、光沢のあるリボン、幅広のレースがふんだんに使われたワンピース。そんなものはたくさん用意して、欲しいだけ持って行かせれば済む話だ。


 だから油断していた。

 うっとりと地図から顔を上げた時、目の前に気味の悪い人形のような顔をしたフレデリカが、立っていたのだ。姉から「欲しいもの」を奪うことで、自分の方が立場が上だと示してきたが、「欲しいもの」が人によって違うということに、その時、初めて気が付いたようだ。まるで手ひどい裏切りを受けたかのような、目をしていた。


 その一件から、幼いアンネリースは用心し、二度と失敗しないと誓った。なぜならどうしても手に入れたいものがあったからだ。



 そこへ呼び出されたジュリウスが顔を出した。


「なにか用事があるとか」

「ええ。目的を達成したわ」


 すると横で聞いていたアーデルヘルムは、拍手を始めた。


「おめでとう。アンネ」


 ジュリウスも拍手する。


「おめでとう。アンネリース殿」

「それで、ジュリウス先輩には、約束していた報酬を渡すわ」


 ジュリウスは感無量で、返事もできなかった。


 アンネリースとアーデルヘルムから、最初にこの依頼を受けたのは、一年半前の高等科二年生の時だ。彼女には厄介な妹がいて、人の物、特に姉のものを、なんでも欲しがるのだという。アンネリースの目的は一つ。実家を手に入れることだ。そのために邪魔な妹を追い出し、実家に帰れなくしたい。だから妹が欲しがるような男性で、そんな妹を欲しがる跡継ぎの男性を見つけなければならない。


 しかしこういったデリケートなことに関する情報を、手に入れるのは中々難しく、アーデルヘルムや、友人のナタリエとベツィーと長年、協力したが手応えがない。そのため様々な情報を知る立場にあるジュリウスに、彼の守秘義務を犯さないことを条件に頼み込んだのだ。


 面倒なことには関わり合いになりたくないため、二週間ほど悩んでいたジュリウスだったが、とうとう報酬と引き換えに、ハネス子爵家のフォルクマールという人物を推薦した。


「ここだけの話にして欲しいが、複数の女性に争われるのがお好みの軽率な男だ」と。


 報酬は、パッシェン子爵家で生まれる予定の子馬。母方が北部の農耕馬の血を引いて、少し大柄だが、おとなしくて従順な子が生まれるだろう。アンネリースにとっては安い報酬であるし、ジュリウスにとっては既に知っている情報で、子馬が手に入るのはお得だ。


 お邪魔虫が片付き、さあ、あとはアンネリースと、アーデルヘルムが結婚するだけだ。二人は自然とアンネリースの故郷の話について盛り上がった。


 冬になると、真っ赤な実をつけたナナカマドが雪の中、猛々しく土地を守り、その枝を暖炉に立てかけ厄除けを願う。春の訪れを待たずに、雪を割って顔を出すスノードロップ。イチイの木に実る甘くて危険な実。そして春は……。


 高山があり、急勾配が続くおかげで、豊かな植生を持ち、それがおとぎ話の元になった古い歴史の逸話を持つ自領が、アンネリースは好きだ。そしてそれを著した地図を眺めるのは、もっと好きだ。


 だから家を出る気など、微塵もなかった。



◇◇◇◇◇◇



 アンネリースのパッシェン子爵家に、ジュリウスはしばらく雌の子馬を見に通った。


 生まれてすぐの頃、抱っこしてみたが、大人しい性格らしい。その癖、好奇心が強いらしく、よく母馬から離れて探検する姿を見かける。ブラック号にも懐いてくれたようで、気を許しているところや、足が太くあっという間に大きくなるのかと思うと、今後が楽しみでたまらない。


 そのため離乳が済んですぐに引き取ってきたが、やはりさびしいらしく、ジュリウスは馬房に毛布を持ち込んで、しばらく付き合って夜を過ごした。


「この子馬も、大分慣れてきたようだな。ジュリウス」

「はい。まだ指を吸う癖は抜けませんが」


 祖父のゲイアスも、子馬を可愛がっている。


「そういえば、どうしてこの名前にしたのだ?」


 名前をどうするかアンネリースに聞かれた時に、たまたま道に生えていた、スノードロップの名を口にした。子馬にぴったりだと思ったからだ。


「……」


 その話を聞いたゲイアスは、通常よりも大きくなるこの馬に、そんな可愛らしい名前は似合わないだろうと思ったが、わざわざ口にはしなかった。だがせめて、大きさに合った女神のように勇猛な名前……例えば、アルテミスとか、ガイア、ヴァルキリーなど、もっと良いのがあっただろうにと、少し不満だった。


 やがて巨大になるこの馬を、人前でもスノードロップと呼ぶのだろう。そしてうちの孫は、どう見られるかなんて細かいことは、気にしないのだろうなとゲイアスは遠い目をした。


「よしよし。スノードロップ。早く大きくなるんだぞ」


 にこにこしてスノードロップの鼻を揉んでいるが、名前のことを聞かれて、なんでもいいから、早めにつけておいて良かったと、ジュリウスはほっとした。


 祖父はちょっと……まるで、中等科の少年のような名前をつけることが多く、少し恥ずかしかったからだ。もちろんそんなことを、口に出したことはない。ジュリウスの祖父は人からどう見られるかなんて、、細かいことは気にしない所があるのだ。


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