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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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在るべき所へ戻す


 ホテルの特別室で、ヴァレリアーナはお茶を飲んでいた。貿易商を営んでいるオーナーが、各地から買い付けてくるめずらしい茶葉を、品質を保ったまま最も良い状態で提供する腕を見る度に、お茶の道をよく研究していると感心する。そのお茶に合った飲み方を推薦してくる姿勢は、自分たちの見極めに自信のある証拠だ。彼らの腕は信頼に足るものだった。


 目を移すと窓の外には、見事なセイヨウサンザシの木が並んでおり、真っ赤な実をつけた鮮やかな緑の葉が、少し肌寒くなった季節の中にも楽しみを見せてくれる。


 充分に目を楽しませた後、先々週、婚約者となったジョルジェットが、言づてを読んでいる姿に戻した。


「……従姉妹のエリカが熱を出したそうなんだ」

「まあ、ご心配ですわね」


 あまりいい噂をきかない従姉妹の名前を出されて、最初に警戒心が働いてしまう。人として良くないと自分をたしなめ、案ずる言葉を吐く。


「私の母の妹で叔母のフランが、娘のエリカと、我が家に滞在しているんだ」

「ええ、伺いましたわ。賑やかでうらやましいです」


「エリカは体が弱いらしく、いつも横になっている」

「まあ……」


 品のないことを考えないように努めたが、結婚も出産も難しそうな「小姑」がいる家に嫁ぐ不安を、ヴァレリアーナの頭は勝手にかき立てた。おまけに……。


「そのせいで友だちも出来なかったようでね。側にいて欲しいと、よく頼んでくるのだ。特に具合が悪い時に」

「お可哀想に」


「この伝言の詳しい事情を、使用人のジェマに聞いてもいいかな?」

「もちろんですわ」


 ファディーニ子爵家の長男である彼は、すらりとした体躯に、いかにもな貴族らしい華奢で端正な顔立ちが、女性たちに人気がある。きっとエリカにも……。誰にでも優しいところが魅力でもあり、不安の種でもある。だがそれはヴァレリアーナにだって、優しいと言うことだ。今の所、なにか問題が起きると、二人できちんと話合って解決している。だからこの状況は心配だが、まずは彼を信じようと彼女は思った。


 ジョルジェットは入り口近くに控えていた、好戦的な顔の使用人に目を向ける。ヴァレリアーナは確かにエリカの噂を聞いて、不安に思っていることはある。だが噂は所詮、噂だ。伝言を持ってきたジェマが呼ばれた時の、こちらを見る勝ち誇った顔の方が、遙かにヴァレリアーナを落胆させた。


「エリカお嬢様はひどい熱を出して、苦しんでいるのです。すぐに戻って下さい」


 そうやって訴えるジェマの話を聞き、いくつか質問するジョルジェットの姿を、ヴァレリアーナは黙って見ていた。経済的に困窮しているところを、たまたまエリカに拾われたジェマは、彼女に心酔している。自然と説得にも熱がこもり、困惑しているジョルジェットは押されていく。そこへ止めが刺された。


「お嬢様は明日をも知れぬ身。お医者様にも、長くは生きられないと言われたのです」

「そうなのか?」


 驚いたジョルジェットが、大きく目を見張った。


「そうです。先行き短いお嬢様に、少しでも寄り添ってあげようとは思いませんか。そうでなければ冷たいです」


 そう言うと、ジョルジェットを引き止めている、性根の腐った婚約者をたしなめようと、ジェマは彼女の方をきっとにらんで、何事か言いかけた。


「止せ」


 あわてたジョルジェットが立上がって、二人の間に割って入った。眉根を寄せてしばらく考え込んだ後、ヴァレリアーナに丁寧に礼を執る。


「ヴァレリアーナ、申し訳ない。どうやら家の方でごたごたが生じたらしく、このまま腰を据えているわけにもいかないようだ。誠に心苦しいが、本日はここで失礼してもよろしいだろうか。迷惑をかけて恐縮だが、後日あらためてお詫び申し上げたい」


 今回のジョルジェットの判断をまずは見守ろうと思い、ヴァレリアーナは鷹揚に頷いた。


「お構いなく。エリカ様にお大事にとお伝え下さい」



◇◇◇◇◇◇



 ヴァレリアーナと別れたジョルジェットは、あまり良い機嫌ではなかった。約束していた相手との会談を中断された上に、不本意な形で解散の運びとなったからだ。彼女のミレッラ男爵家からは、無能の烙印を押されても仕方がないし、第一失礼だ。しかしそれ以上に思考の邪魔になるほどの、大きな疑問が頭を占めている。


 エリカの部屋に行くと、彼女はヴァレリアーナへの優越感を一瞬顔に浮かべた後、すぐに上目遣いで申し訳なさそうに言った。


「ごめんなさい。ジョルジェット。でも私、不安で……」

「どうして私なんだ? 私は君のなにものでもないのに」


 疑問を率直に告げると、まるで無粋をたしなめるような、大人びた顔つきになった。


「従兄弟じゃない。それに体が弱いといろいろ不安になるのよ。あなたの存在が私の心の支えに……」

「それほど親しい訳ではない。事情があるのなら仕方がない面もあるとはいえ、こういった頼られ方は困る。他の人間にお願いしてくれ」


 図々しいお願いをした割には、はっきりとした拒否に、エリカは思いのほかショックを受けたようだ。本気で泣きだしてしまう。


「ひどいわ。なにもそんな言い方しなくても……。そんな言い方……しなくたって……」


 母親似のエリカは、「体が弱い自分」を使ってまわりを支配する癖がある。エリカの父親サロモーネ男爵は窓際族で、宮廷で官吏として働いているが、仕事はろくにない。領地もなく華やかな世界とは無縁だったエリカの憧れが、従兄弟のジョルジェットだ。誰もが憧れる彼を手に入れ支配しようと、虎視眈々としていた。父親も母親も味方であり怖い物はない。エリカは万能感から、まるで自分に正義があるかのような気持ちになっていた。


 めそめそと泣き出したエリカを見て、ジェマが、エリカの母親であるフラン叔母、そして一緒にお茶をしていたジョルジェットの母親ハンナを連れてくる。


「まあ、エリカ。泣いているのね。ひどいわ。ジョルジェット。エリカはただ、不安になって、あなたについていて、もらいたかっただけじゃない」


「こういうのは困ります。今度からは止めて頂きたい」


「なんですって」


 ジョルジェットの断りの文句に、鬼の形相で答えたのは、彼の母親のハンナだった。


「あの子は体が弱くて、先が長くないのよ。可哀想だと思わないの。少しは思いやりの心を持ったらどうなの」


「事情があるからと言って、人に迷惑をかけていいわけありません。優先されて当然だというのもよくない考えです」


「なんて冷たいの。人の心はないの?」


 そう決めつけた母親のハンナを見て、諦めた顔になったジョルジェットは話を切り上げた。


「話が平行線のようですね。母上の考えは理解しました。ですが私はそう考えないだけです。失礼します」


 大股で歩き出したジョルジェットに追いつけず、ハンナは金切り声を上げながら、その背中に非難の言葉を投げかける。叔母のフランは典型的な末っ子の甘えん坊で、少し年の離れたハンナは、お人形のように可愛がって育てた。そのためフランやエリカを、少しでも批判するようなことを言うのを、ハンナは許さず三人は歪な関係だ。


 ジョルジェットはその足で、父親のファディーニ子爵の元へ行き、事態を報告する。


「今日の場所や日時は、別に秘密にしたわけではありませんが、少なくともエリカやジェマは知らない情報です。それにジェマがそこに来るための馬車も、誰かが準備しないといけません。つまりこの件は、エリカとフラン叔母にねだられた、母上が糸を引いていると見ています」


「えー、やだなー」


 子爵は肩をすくめた。途轍もなく感情的な妻ハンナを、子爵は苦手としており、手綱を握ろうとは決してしなかった。それでも上手く行っていたのは、今まではフランとエリカがたまにしか現れなかったため、ハンナは息子のジョルジェットのほうを、猫かわいがりしていたからだ。


「このままでは私の社交が邪魔され、評判が落ちます。対応して下さい」

「……おおげさじゃない? 考えすぎだよ。きっと大丈夫だって……」


「対応して下さい」

「……」


 子爵は耳を塞ぎ、目をつぶった。まるで子どものような仕草にジョルジェットはがっかりし、言葉を失った。



◇◇◇◇◇◇



 ヴァレリアーナとの次のお茶会は、王宮で行われた。


 ジョルジェットは勉強のために、議会の研修生として働いており、多くの名士たちと直接交流する機会が多く、大変ためになっている。議会が開催されている時は、国会議事堂に詰め、閉会している時は、王宮の専用事務室で仕事をしていた。そこの付属の茶室で会ったのだ。


「この間は本当に済まなかった。なにかお詫びをしたいのだが」

「そうですね。実は一つお願いが……」


 気まずいジョルジェットの気持ちが分かるヴァレリアーナは、自分から希望を申し出た。そのほうが洗練されていると思えたからだ。


「なんでも言ってくれ」


「王立博物館に付属植物園がございますよね。あそこは立ち入り禁止区域の方が広くて、一度で良いから中を見たいのです。ファディーニ子爵家はスポンサーを……」


「まかせてくれ。我が家はスポンサーの一つだ」


「まあ、嬉しい」


 役に立てそうでほっとしたジョルジェットは、嬉しそうなヴァレリアーナを見て、自然と笑顔になった。


「今度二人で行きましょう。……ですが、かなり歩きますよ」


「大丈夫です。外歩き用のブーツを持っていますわ。それにこう見えて健脚ですの」


「それなら、ぜひ」


 二人が微笑みあった時、そこにジェマがやってきた。


「ジョルジェット様。大変です。エリカ様が具合が悪くなってしまって。すぐに自宅に戻って下さい」


 なぜか大きな声で嬉しそうに話すジェマを見て、部屋の全員が不思議そうな顔をする。部屋にはジョルジェットとヴァレリアーナ、それ以外に休憩を取っている者や、それぞれの護衛、侍女が立っている。


 そこに、ずかずかと入り込み、主人に直接声をかける非礼を行ったジェマを見て、奇妙に感じたのだ。ジョルジェットは当然ながら無視をしたが、なぜか声をかける権利があるとでも思っているかのように、ジェマは訴えた。


 その状況でしばらく考え込んだ後、ジョルジェットはヴァレリアーナに中座を願い、ジェマを連れて部屋から出て行く。その時のジェマの得意げな顔に、またしてもヴァレリアーナはげんなりとしたのだった。


 すぐ近くの、閉会中に議員が作業している部屋に、ジョルジェットは入っていき、エリカの父親サロモーネ男爵に話しかける。


「サロモーネ卿。お宅のエリカ殿が、具合が悪いそうなんです。誰かがついていないと不安だそうですよ」


「は? 突然なにを」


 男爵を見た途端、それまで「命がかかっているのだから」と勢いのあったジェマが、急に口ごもる。ジョルジェットの説明に、ほんの一瞬で、なにからなにまで事の次第が想像がついた男爵は、その上でこう言った。


「エリカはきっと、ジョルジェット様に側にいて欲しいのでしょう。先行き短い娘の願いを、叶えてやって下さい。末期の願い、断れませんよね」


 男爵から見ても扱いづらい娘を、子爵家の嫡男に嫁に出せるかもしれない、良い機会だった。全力でぶら下がろうと笑顔で告げる。


 その時のジョルジェットの表情。感情のこもらない表情であるにもかかわらず、男爵はなぜか「見限られた」という焦りを感じ、今すぐに謝らないといけない気持ちになった。それにもかかわらず、目の前の若輩に頭を下げる気になれず、そのまま無策に突っ立っていた。


 なにやら不穏な空気を感じさせる二人の会話は、部屋にいたこの国を支配する人々の耳に、良く届いているようだ。


「どうして」


 感情が高ぶった張りのある声で、ジョルジェットは訴えた。


「どうして末期の娘さんの気持ちを、わかって上げないのですか」


「なに」


「娘さんは長く生きられないのでしょう。明日にでも死ぬかもしれないと聞きました」


 人々の注目が更に集まった。この部屋にいるのは、皆いい年をした男で、娘もいれば孫娘もいる。こんな話を聞かされて動揺しないはずがなかった。


「本心では実の父親に会いたいに、決まっているではないですか。でもそんな我が儘は言えないと黙ってしまう。そんな娘さんの気持ちを、どうしてわかってあげないのですか」


「いや、その」


「最低です。このまま娘さんが亡くなったら、私はあなたを死ぬまで軽蔑します」


 そう言うとジョルジェットはさっさと部屋を後にし、ヴァレリアーナの元へ戻った。その背中に、男爵に帰るように促す声が、次々とかけられるのが聞こえた。


「いや、本当に大丈夫だ。お構いなく」


 男爵はその目立たない立場で、今季めずらしく大きな政策の立案に携わっている。これが認められれば、今後の出世につながると張り切っていた。こんなつまらないできごとで、弾き出されてはたまらないのに、次々と親切ごかしに帰るよう促される。男爵の今いる場所に座りたい者はたくさんいるのだ。


 それでもしつこく反論した男爵を見て、部屋の隅にちょこんと座って新聞を読んでいた、子煩悩で知られる大法官のハワード伯爵閣下が立ち上がった。立ち上がっても小柄だ。


「サロモーネ卿。いますぐ帰りたまえ。……これは命令だ」


 ろうろうと響く声になにも言えず、男爵はファディーニ子爵家に向かい、そこで理不尽にもジェマを吊し上げ、大事な仕事を取り上げられた怒りをぶちまけたのだ。



◇◇◇◇◇◇



 三回目の二人の面談は、邪魔が入らないという意味では上手く行った。


 正確に言うと、ジェマはやってきたが、入り口近くで声をかけられるまで大人しく待機し、ジョルジェットはそこで声をかけなかったということだ。


 その前にジェマは、ジョルジェットと、ファディーニ子爵家の家令から、厳しい叱責を受けていた。客人という名の居候フランとエリカ親子の、使用人という立場でありながら、その未熟さで本家の嫡男の体面を二度も傷つけ、手を煩わせ、ヴァレリアーナのミレッラ男爵家の体面に泥を塗り、エリカの父親サロモーネ男爵の議会での立場を失わせた。


 これだけの重大問題を、立て続けに起こしたことを追及されたのだ。


「どうしてこのようなことをしたのだ」


「それは……エリカお嬢様がそうしろと。それに……フラン奥様も、ハンナ奥様も、そうしろと。私は命令を忠実に」


 側に控えていた家令は、心底軽蔑したようにジェマに言った。


「言っていて恥ずかしくありませんか。私でしたら到底口にできません」


「……え?」


「命令されたから、やっただけ。自分は悪くありません。そういうことですね」


 本当に言ったとおりなら、気の毒にもなるが、誰が見てもジェマはつけ上がり、命令を拡大解釈し、周囲に迷惑をかけていた。


 家令は厳しく諭した。


「それは洗濯などの下働きをするような、下級使用人なら許される答えです。ですがあなたはエリカお嬢様の側用人。例えお嬢様の命令でも、自分の頭で考え行動し、失敗しないよう結果を調整し、時には主人に反論し、お諫めする心構えを持たないとなりません。今のあなたは子どもの使いではありませんか」


「そんな」


 ジョルジェットもたしなめる。


「楽だからだろう。自分の頭で考えないのは。上手く行かなかったら、命令が悪かったとわめき、主人に罪をなすりつける。自分のどこが悪かったのかを考えない。主人にそっくりだな。……まあ、使用人は主人に似るものだ」


「わたし……そんなつもりは」


 不憫なエリカに助けられ、心酔しているジェマには、一番堪える説教をした二人は、使用人としての心構えをたたき込んだ。改善の見込みがある者から、根性をたたき直したほうが楽だったからだ。



◇◇◇◇◇◇



 四回目の二人のお茶会は、ブロキ伯爵家の園遊会の一角で行われた。


 もっともヴァレリアーナのその日の目的は庭であって、ジョルジェットではない。嬉しそうな彼女が、侍女と一緒に庭の説明を聞いている間、一歩引いた所でジョルジェットは、その笑顔を見ながら控えていた。そこへ見違えるように躾直されたジェマがやってきて、視線を送ってくる。側に近づいても良いと目で合図すると、ほっとした様子のジェマが連絡事項を述べた。


「ご多用の所恐れ入ります。主人のサロモーネ男爵令嬢エリカ様が、発熱なさっております。ご迷惑をおかけして恐縮ですが、卿にお側にいて頂けないかと申しており、何卒お頼み申し上げます」


 ジョルジェットはジェマを連れて、母親のハンナと、エリカの母親で叔母のフランが歓談している場所に向かった。


 フランは久しぶりの華やかな場への外出ではしゃいでおり、しゃべりっぱなしだ。その様子をハンナは慈愛のこもった目で見ているが、周囲は一方的な会話に戸惑った笑みを浮かべており、特に主催のブロキ伯爵夫人は、なんともいえない顔をしている。


「フラン叔母上。あなたの娘のエリカ殿が、熱を出したそうです」


「まあ、それならすぐに帰ってあげて。ジョルジェット」

「そうよ。エリカはあなたに、側にいて欲しいはずよ。ジョルジェット」


 フランもハンナも、まるでなにか嬉しいことがあったかのように、帰宅を促す。自分の娘が、子爵家の嫡男と親しくなり、おまけにその母親が強力な後ろ盾になっていることで、フランは調子に乗っていた。なにより自分より身分が高い子爵夫人である姉が、ちょっと甘えるだけで言いなりになる現状が、たまらなく支配欲が刺激される。


 そしてその姉に、嫡男の頭が上がらず、間接的に言いなりになっている姿を見るともう…………。他者を支配する欲求が止まらないフランは、この遊びを終わらせる気はない。


 そして可愛い妹の言うことを、なんでも聞いてあげる、寛容で優しい姉という幻想に浸ることで、自己顕示欲を満たしているハンナもそうだった。


「エリカ殿は叔母上の娘です。具合が悪いなら、戻ってやってはいかがですか」


 水を差されるようなことを言われ、フランは強い不快感を示した。その表情は一瞬で消え、作り笑いを浮かべると、甥の生意気な態度をたしなめにかかる。


「ジョルジェット。人は思いやりを持たないといけません。エリカは体が弱くて先が長くないの。今日も熱を出して寝込んでいるわ。あなたに側についていてほしいという、エリカの最後の願いを、叶えてやる優しい心はないの?」


「それは私の役目ではありません」


 フランは聞き分けのない甥を、諭すように優しく言った。


「そんなに冷たいとは思わなかったわ。今すぐエリカの所に戻らないと、ここにいる皆様の前で恥をかくわよ」


「そうよ、ジョルジェット。エリカの最後の願いを聞いてあげて」


 叔母と母親の二人がかりで責められたジョルジェットは、状況を整理した。


「エリカ殿は体が弱く、長く生きられない。そして今日も熱を出しているのですね」


「「そうよ。だから早く戻って……」」


「そんな状態のエリカ殿を放って、あなた方はなぜここで遊んでいるのですか?」


「「……なんですって」」


 不躾な物言いにプライドの高い二人は、顔を真っ赤にした。


「自分の子どもがそういう状態なら、私だったら外出を控えます。それなのに」


 フランとその忠犬ハンナは、反撃など受け付けていない。怒りで頭の中が真っ赤になったフランは、ジョルジェットを叩き潰そうとした。


「病弱なエリカは、麗しいあなたに恋い焦がれているのよ。そんな健気な少女の、最期の想いをあなたは踏みにじるの? なんていたわしい。あの子はただ、あなたに側にいて欲しいと、願っているだけなのに」


 大げさに身振りを交え話すフランの心の中は、ただ生意気で黙って従わないジョルジェットの、プライドをへし折ってやろうという思いで一杯だった。


「それと叔母上や母上が、駆けつけず遊んでいるのとは、別問題ですよね。私がどうするかに関係なく、普通の母親なら、側についてやるものではないですか。それとも」


 その言葉に反論をまくしたてるフランを、遮るようにジョルジェットは片手を挙げて言った。


「エリカ殿がそんなにつらい状態に陥ってもなお、父親にも母親にも助けを求めない。ほとんど会ったことのない従兄弟に、こんな非常識な願いをするほど、見捨てられた状態で育ったのなら別ですが。事実、ここで今、すぐに娘の元へ戻るよう言われても、なんだかんだ理由をつけて、まったく動く気が見えませんし」


 フランは、可哀想なエリカという言葉を好んで使った。そのほうが注目を集めることができたからだ。だが、ここでそれが足かせになってしまった事に気がつき、下唇を噛んでジョルジェットをにらみ付ける。


 話をすり替えようにも、フランの病弱な少女の恋心という話題よりも、ジョルジェットのその少女の家庭不和という話題に、周囲が食いついたのは一目瞭然だった。


 どうしようかしばらく黙っていると、主催のブロキ伯爵夫人が口を開く。


「サロモーネ男爵夫人、ファディーニ子爵夫人。ジョルジェット卿に人としての本分を求めるのなら、まずは見本を見せるべきではなくって」


 決着は付き、二人は帰ることとなり、その日を境に、噂が流れ始める。


 見捨てられて育ったエリカの最期の願い。それは本心では両親に会いたいという、切ないものだったというものだ。


 あっという間にサロモーネ男爵家への招待は少なくなり、その後、ファディーニ子爵夫妻への招待に、フランが顔を出したことから、子爵夫妻への招待も減った。どこへ顔を出しても、「帰った方が」「娘さんの側にいてあげて」と苦言を呈されるようになり、サロモーネ男爵夫妻も、ファディーニ子爵夫妻も、自分たちが招いたこととはいえ、苛立ちを隠せなかった。これはエリカが『亡くなるまで』続くのだろう。



◇◇◇◇◇◇



 すべてを諦めたサロモーネ男爵は、親戚から養子を取ることにした。エリカの噂が広がりすぎ、彼女に結婚も出産も望めないためだ。その話を聞いた男爵夫人フランと当のエリカは、呆気にとられた顔をする。


「なにを言っているの? エリカはそう言っているだけで、別に体が弱くは……」

「お前の方こそ、なにを言っているのだ」


 実際がどうあれ、体が弱いと親子で触れ回っていたのだ。世の中では、そういうことになってしまっている。だが自分に都合良く、そう言っていたフランは、世間からその烙印を押され、自分が支配したとおりに、世間からも支配されるという不自由な事実が、どうしてもよくわからないようだった。彼女の頭の中では、また新しい噂を流して、操作すれば良いとしか考えられないのだ。


「エリカは修道院に行かせる。この方が……」

「え、だめよ。そんなことをしたら、社交の話題に使えないわ」


 男爵は自分も大概だが、妻のフランの外道さには敵わないと感じた。フランの偏った教育で、エリカは詐病で人の気を引くようになったのだ。そこから解放しようと修道院に行かせたいのに、「話題」作りのために手元から手放さない。


「お父様。私も行きたくないです」

「どうしたいのだ」


「ジョルジェット様と結婚すれば良いではありませんか」

「ジョルジェット卿はミレッラ男爵令嬢とご結婚なさる」


「大丈夫です。私なら上手くやります」


 驚くことを言った娘を見て、男爵は、妻と娘がなぜこんなにも、自信満々なのかわかったような気がした。でたらめな噂や嘘を平気でついて、人間関係を自分に都合良く支配する。それは大抵の場合、上手く行く。というのも普通はそんなことをするとは、思わないからだ。


 そうやって成功体験ばかり、積み上げてしまったのだろう。なぜなら気がついた人々は、わざわざ指摘したりなんかしないで、ただそっと離れるだけだからだ。


「好きにしろ」


 男爵はいったん話を切り上げた。養子が来る頃には、二人がどう言おうと、エリカは修道院に入れないといけない。その時フランもエリカも、現実とぶつかるのだろう。なにもかも思いどおりにしてきたはずが、なにも思いどおりになっていないという現実に。


 修道院の暮らしの方が、エリカには合っているのではないかと、男爵は実は思っている。部屋にこもっているのは、母親に支配されているからだけでは、……おそらくない。エリカはあれでとても臆病で、いたたまれないほど繊細なところがある。


 男爵の選んだ修道院は、気候の穏やかな地にあり、人里離れた場所にある。神と共にあるために、一日の大半を、畑を耕し、家畜の世話をし、自分たちの食べる物を作ることに費やす。エリカには重労働はさせるつもりはないが、日々の営みそのものが神への奉仕である生活を送ることで、自分に支配できない自然、つまりは神を身近に感じて欲しいと、男爵は願うようになった。


 ここで母親から離れて、慈善活動に専念できれば、もしかしたらなにかが変われるかもしれない。


 そして引き離されるフランの末路を考えて暗くなった。フランは「犠牲者」がいないと生きていけない。エリカにも、男爵や養子にも手を出せないとわかれば、残るは自分のみ……。



◇◇◇◇◇◇



 王宮の独身寮で、ヴァレリアーナからの手紙を、ジョルジェットはうきうきしながら開けていた。


 いつものとおり、手紙に押し花が挟まれている。彼女の作る押し花は、植物標本に近いが、発色やデザインが見事で、芸術品と言ってもいい。作るのはやはり手間も時間もかかるらしく、おまけに人気があって、引っ張りだこと聞く。それを婚約者の自分にだけは毎回送ってくれて、大事にされているのだと感じる。もらった押し花を丁寧に専用の紙に包んで、箱にしまっているが、満杯になりそうなのが嬉しい悲鳴だ。


 歪んだ自己顕示欲を持つ母親や、言いなりになる父親に育てられ、ジョルジェットは人として尊重されていると感じたことがない。欲しいものはなんでも与えられて育ったが、それは父親と母親が満足していればという、条件付きの愛情だった。


 だから自信がなく、つい人の意見を優先してしまう。決断を下すのに時間がかかるし、争いは苦手だ。だがヴァレリアーナと婚約した時に、これからは自分が彼女を守れるようにならないと、と誓ったのだ。


 それはエリカの存在で最初から上手く行かず、冷や冷やする結果の連続だった。だがヴァレリアーナは辛抱強かった。観察し、辛抱強く結果を待ち、その時々の失敗を許し、時には話し合い、調整していく。


 つまり、ジョルジェットを信じて、待っていてくれたのだ。人から信じて貰えるという体験を、両親から与えられなかった彼は、誰かに信じて貰えるのが、ここまで自分の心に自信を生み出すということを知らなかった。


 ジョルジェットにとっては、もうエリカは関係のない人間だ。サロモーネ男爵夫妻もだ。そして爵位を継いだら、両親もいずれ……。ヴァレリアーナやその家族と、新しい関係を築いていく。たった一つ不安な点があるとすれば、自分も両親と同じように、家族に条件付きの愛情を、注ぐのではないかというものだ。だが彼女に言われた。


 「慎重なあなたなら、きっと大丈夫です」


 ジョルジェットは、彼女の言葉を信じ歩き出す。

 支配することの歪さがなにも生み出さないと、誰よりも良く知っているからだ。


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