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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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行着く所


 老齢のガードナー子爵変死事件の場に、ジュリウスが駆けつけたのは、単なる偶然だ。


 連絡を受けた時に居合わせ、人手が足りなかったので手伝いに行き、急ぎの仕事がなかったので、そのまま最後まで番をした。そんなところだ。


 正確にはガードナー子爵は、変死した訳ではない。ある日、自宅で亡くなっていただけだ。だが最初に呼ばれた医者は、その死になぜか納得がいかなかった。そのため警ら隊に連絡をつけようとしたが、相手がお偉い貴族家だったので、ボウエン伯爵家のほうが対処しやすいだろうと、連絡を寄越したのだ。


 ジュリウスも、同僚も、確かになにか変だと感じた。その感覚を、言葉で説明するのは難しい。強いて言えば、おかしな点がなかったということだろうか。子爵のような年配の人間でも、亡くなると普通まわりは混乱するものだ。本人の遺体を前にし、葬儀の相談をしているにもかかわらず、亡くなった人の分も、夕食を作ったりすることもあれば、真面目な顔をして捜査官の質問に答えているのに、手には蓋の開いたティーポットを持ったままだったりもする。


 だからジュリウスたちも、そういったことは見て見ぬふりでいつも対応するのに、ガードナー子爵家の場合は、不自然なほど、不自然な点がなかった。ではこれがなにかの事件かというと、それもまたなにか違う気がするというか……。捜査官たちはひたすら観察を続け、しかし殺人のような悪質な事件ではなさそうだと見ると、三々五々散っていった。


「この度はご愁傷様です」

「お忙しい中お越し頂き、誠に感謝いたします。他に何かご入り用なものがあれば、遠慮なく申されよ」


 ジュリウスが挨拶をすると、ガードナー子爵の長女オードリーが、毅然とした顔で対応した。非常に優秀な女性で、頼りにならない弟のジェイコブに代わって、家の切り盛りも家政もなんでもこなしていると聞く。だが、さすがに今日は、父親が亡くなったのが堪えたのか、顔色が悪い。


「アリシア。私は少し席をはずす。ジュリウス殿の対応を頼む」


 内心では心配していると、オードリーは下がっていった。確かに少し休んだ方がいいだろう。代わりに現れた彼女の長女アリシアは、ジュリウスの顔を見て、安心したように歩いてきた。


「ジュリウス君。……そっか、ボウエン伯爵家つながりなのね」


「アリシア嬢。この度はご愁傷様です。お爺様のこと誠に……」


「気にしないで」


 亡くなったガードナー子爵の孫アリシアに、挨拶される。彼女は今、十八歳で、ジュリウスと同じ王立学院に通っている。ガードナー子爵には長男ジェイコブもいて、跡継ぎは彼と、彼の長男ザッカリーの予定だと聞いている。ちょうど向こうから学友のザッカリーが、女性と腕を組んで歩いてくるところだった。


「やあ、ジュリウス。仕事か?」


「まあね。ザッカリー。この度は……」


「気にするな」


 子爵の孫たちは皆、あっさりしているようだ。それより連れている女性が少し気になった。ザッカリーの婚約者は、マシーニ伯爵家の令嬢ジーシャのはずだ。だが連れているのは……。


「彼女はゼルマ。俺の最愛だ」

「初めまして」


 女性がにっこりと微笑んだ。


 紹介された女性は学院に通っている女性で、確か平民のはずだ。それも名字すらないとは。ジュリウスは無表情でやり過ごしたが、そんな身分の人間を紹介され、侮られたのか、女性に夢中になって礼儀を忘れているのか、それとも。


 一瞬考え込んだが、ザッカリーを見て、なにも考えていないのだろうと結論づける。しかしザッカリーがこれでは、子爵家の継承争いはすごい事になりそうだと、内心はらはらしていた。



◇◇◇◇◇◇



 ガードナー子爵家の放蕩息子というと悪名高い。


 そしてそれはザッカリーのことではない。いや、ザッカリーも確かにそうだが、彼の父親ジェイコブのことだ。亡くなった子爵の長男ジェイコブは、十代に入ってすぐの頃にはもう女性と浮名を流すようになり、家の金を賭け事につぎ込む放蕩三昧。子爵家の財政は彼の誕生と共に、一気に傾いたと言われているほどだ。


 そんな彼には身分に見合った、ロス伯爵家の令嬢が、婚約者としてあてがわれていた。しかしジェイコブは若い頃から、現在の妻に夢中で、婚約を破棄し、腐れ縁のその女性と結婚した。それが今のジェイコブ夫人だ。彼女はただの平民で、そんな彼女を妻にするために、相当あくどい手段を使ったらしい。


 亡くなった子爵には、娘のオードリーと、息子のジェイコブの、二名子どもがいる。子爵は頑迷な男系主義で、跡継ぎは男子しか認めなかった。そのためジェイコブは唯一の跡継ぎとして、やりたい放題できたのだ。そしてそんな人間が、真面目に家に仕えるわけもなく、実務は姉のオードリーと、その夫ブランドンが担当し、黙って家を支えてきた。




 無事にガードナー子爵の葬儀も終わり、遺言状の公開と、爵位の継承手続きに入った。


 関係者が大広間に集まり、相続人たちが席につく。ジュリウスは人々の顔がよく見えるよう、カーテンがひかれた壁際に立っていた。おそらくここで、医師と捜査官の見立てを、裏付けるできごとが起こる予定だ。


 亡くなった子爵の長男ジェイコブは、これからの散財の毎日に期待して、喜びでほくほくとした顔を見せている。今まではいくら跡継ぎといっても、金を使うのに限界があった。自分の毎年の持ち分を使い込んだ後は、父親に小遣いをねだる日々。だがこれからは当主なのだ。


 長女オードリーは自ら進行役を買って出て、議題の簡単な説明をする。


「亡くなった我が父、ガードナー子爵の遺言に従い、子爵位をその長男のジェイコブに継承させた場合、この子爵家全体が後見人の管理下に入ることとする。すべての財産は信託管理され、家の運営は…………」


 すべての財産を、手に入れられると思っていたジェイコブは驚いて、机を叩いて抗議した。


「どういうことだ。私が当主になるのだぞ。なぜなにもかもが管理され、自由にならないのだ」


「お主に財産を渡したら、全部使ってしまうからではないか」


 どれだけ厚顔無恥なジェイコブでも、本当の事を言われて、ぐうの音も出なかった。


「父上の遺言であるからして爵位は継がせるが、それ以外のものは管理下に置く。財政が厳しいのだから小遣いも減らす。だがなんの問題もないはずだ。お主の生活は、すべて経費で落ちるのだからな」


 ジェイコブは姉オードリーを、にらみ付けた。欲しいのは「小遣い」だ。経費として落とせない、闇市場での賭博や売春。明朗決済にされては、なにもできなかった。


「そんなことは許さない。姉上。家の管理も、財産も私の自由にする」


「自由にしようにもなにもできないではないか。お主に財産を渡したところで、散財するための手続きすら知らないのであろう? 浪費する上、なにもできない。それを皆、わかっているから我々親族が管理する羽目に陥ったのだ」


「だが」


 二人の言い合いは、しばらく続けられた。財産を手に入れようと必死なジェイコブと、言葉で翻弄するだけのオードリー。ジュリウスの目から見て、勝負はついているように見えた。この議論の内容を、親族たちはあらかじめ知っているらしく、平然としている。このままでは金が手に入らないと、焦るジェイコブにオードリーが魅力的な提案をした。


「お主が今から話す提案に同意すれば、小遣いを二倍にしてやってもいいぞ」


「なんだと」


 さっそくジェイコブが飛びついた。


「爵位継承を辞退すれば、その見返りとして、毎年、これだけの謝礼を払ってやってもいいという提案だ」


 大広間にざわめきが広がり、さすがのジェイコブも不安そうな顔を浮かべた。いくら金が欲しくても、爵位と引き換えとは荒唐無稽だ。そう思いかけた気持ちに同意するように、叔父の二人がオードリーを止めに入った。


「気持ちはわかるが、さすがにやり過ぎだよ。オードリー」

「そうだよ。オードリー。落ち着きたまえ。大体、そんな大金をどこから工面するのだ」


 オードリーは性急すぎた自分に、照れたように頭をかいて見せた。


「これはいい年をして……。実は夫の実家ロス伯爵家との、新しい事業提携の話がありましてな。私がその事業の舵を取れば、巨額の収入が見込めるのです。正直な話、ジェイコブへの小遣いの額など、大したこともない金額になるため、焦ってしまったようで。その事業に参加できれば、爵位などなくてもいいくらいの、儲けがあるものだからして」


 親族たちは驚きの声を上げ、次々にその事業の話題に加わり始めた。


 長女オードリーの夫ブランドンは、ロス伯爵家の三男だ。長男ジェイコブは若い頃、ロス伯爵家の次女と婚約していたが、放蕩三昧の末、婚約をひどい形で解消したと聞く。そのかわり組まれた縁談が、オードリーとブランドンだ。


 社交界での興味深い評判の一つに、凪のように穏やかだか野心満々な夫婦といったものがあった。なるほど。オードリーに爵位を譲れば、ジェイコブに大金が入ると、話を持って行っているのか。ジュリウスは自分だったら、絶対に承知しないし、世の中多くの人も頷かないだろうと思ったが、ジェイコブはちらちらと姉を見ている。


 そもそも最初からジェイコブは、今日の会議を爵位を継承するものではなく、財産を手に入れるものと思っているのだ。それだけ金にがめついと、そんなうまい儲け話が、相続の話し合いという絶好の機会に、なぜ発生したのか考えもしなかった。


 おそらくこの後、「この儲け話はあなたにだけ特別に話します」、「今、決心するとお得ですよ」という展開に持って行くのだろう。この成り行きよりも、ガードナー子爵がジェイコブという、こんな愚かな人物に、「男子だから」という理由で、頑なに爵位を継がせようとした現実に、背筋が寒くなった。男子に跡を継がせた方が世間体がいいのは確かであるし、女子ではなにかと不自由だ。だが不利益を無視してまでやることかは、甚だ疑問だった。


 金儲けに心が傾いているジェイコブを引き止める勢力は、その長男のザッカリーだ。爵位を失えば自分はなにものでもなくなるし、父親はあるだけお金を使ってしまい、自分の手元には入らない。だが逆効果だ。親族全員が参加するおいしい話に、自分だけ乗り遅れまいと必死なジェイコブを、止めれば止めるほど反発されるものだ。


 相続の話が長引き、一度、休憩を入れようとなった。軽食を取るため、全員がゆっくりと移動を始め、ジェイコブ一家はさりげなくばらばらにされる。後はもう、長女オードリーが爵位を継承し、その長男バードが跡継ぎとして記録されるのは一瞬だった。



◇◇◇◇◇◇



 爵位の継承がなされたのを知ったジェイコブの妻と、息子のザッカリーは青くなり抗議した。


「もう済んだ事だ。騒ぐな」


 新しくガードナー子爵になったオードリーは、甥のザッカリーをそう言って、うるさそうに追いやった。


「許さない。こんな暴挙に出やがって。許さない。抗議するぞ。裁判で訴えてやる」


 聞き流していたオードリーは、そう言われて不思議そうに顔を上げた。


「抗議? 裁判? どうやってだ?」

「そんなの……」


 急に勢いをなくしたザッカリーを見て、まるで哀れな生き物を見るような目になった。


「ザッカリー。気の毒だがどれもできないぞ。継承手続きは、遺言状をもとに、執行人たちの合意で為されたのだ。これに反対する場合はなにか大きな理由がないとな……。例えば関係者が不利益を被るなどの」


「どんな?」


「例えばだ。ジェイコブが爵位を継ぐのを見越して結婚させた、妻の実家の不利益とかだ」


「それだ、母さんの実家に抗議させる」


 その場にいた人々から失笑がもれた。ザッカリーはなぜ笑われたのかわからず、辺りを見回している。


「ザッカリー……。今のは貴族家を例に取った場合だ。ジェイコブは政略結婚を破棄して、平民と結婚した。爵位など関係ないのだから、抗議もできないぞ」


「……」


「まあ、本来なら息子であるお前の婚約者の実家にも、抗議する権利はあるが……」


「……」


「お前、婚約者のマシーニ伯爵家の令嬢ジーシャに、婚約破棄をつきつけたのだろう。貴族同士で政略結婚をするのは、利益を発生させるためだ。今のような事態に自分を守れるようにな。だがお前は義務を放棄して好きな事をしたいのだろう。そうするとな、こういう時に、誰からも守られない裸の王様になってしまうのだ」



「そんな…………じゃあ、俺はなんのために」


 ザッカリーがそう言った時、自信満々なオードリーの瞳が、焦ってジュリウスを見たのに気がつき、そういうことかと納得がいった。



◇◇◇◇◇◇



「ガードナー子爵。真相はわかりましたが、あなたはどうされるおつもりですか」


 オードリーに呼び出され、広いサロンの開け放たれた窓から庭を眺めながら、二人で話していた。


「隠しておいて今さらですが、爵位継承が済めば、お届けするつもりでした。そちらの決めた刑罰にも従うつもりです」


 オードリーの話は半分本音で、半分建前だろう。


 前ガードナー子爵は、ザッカリーの手で見殺しにされた。子爵が脳出血を起こしたのは、夕食後すぐのことだったらしい。その時すぐに手当をすれば、もしかしたら命は助かったかもしれない。医者は近くにいたのだから。だが見捨てた。その理由は「早く爵位が欲しかったから」。それだけらしい。


 翌朝、亡くなっている事に気がついた使用人や家族は、違和感を覚えた。そして小さな情報や証拠を一つ一つ集めて、ザッカリーの犯行だと確信したのだ。総出で寝所を改めたから、捜査官の目には整頓されて映った。ジュリウスたちが来たときには、家族の手でもう捜査は終わっていたということだ。


 ここでオードリーと、夫のブライアンは大分話合った。届け出るか、出ないか。そして、もし届け出るなら後にしようと結論を出したのだ。速やかにオードリーに爵位を継承し、金遣いの荒い問題のあるジェイコブや、ザッカリーを切り離したかったということもある。もし届け出た後に、公になったら子爵を孫が見殺しにしたなど、一大スキャンダルになるだろう。ジェイコブやザッカリーの資質に疑問をもった国から、一時的に爵位を保留にされる恐れもある。


 普段は威風堂々としているオードリーが、その事を説明する姿は、哀れなものだった。


「甥御さんの犯した罪は重罪です。爵位を持つ者を身勝手な理由で見殺しにした。しかも実の祖父を」


 ぐっとかみ殺したが、祖父を頼りにしているジュリウスにとっては、気持ちの良い事件ではない。


「今回の件、子爵はどのようにお考えですか」


「私は…………ザッカリーになにか『与える』とするならば、なんの罰も与えず、放逐するのが一番だと考えています」


「放逐?」


 オードリーは急に十も二十も年を取ったように、老けて見えた。いつもその場を支配し、人をねじ伏せる強い瞳が、今はまるで迷子のように頼りなく彷徨っている。


「両親があれですから、可哀想に思い、ザッカリーには小さな頃から、自分なりに手を尽くしてきたつもりです。ですが……、なにか違う……。動物や自分より小さな子を平気でいじめ、簡単に暴力をふるう。相手は小さな子どもであるにもかかわらず、どうしても気味が悪いと感じてしまう。その癖、女遊びだけは一人前で」


「……」


「どうしても……言葉が通じない。……ザッカリーのことを理解できない、いいや、したくないのです。もうこれ以上、ザッカリーになにかしてやろうとは、思えない。なにもしたくない。刑罰に処すことすら。

 ………………放逐されたらザッカリーは、その日のうちに生活に困るでしょう。そして……。私の父を見殺しにしたザッカリーは、同じように周囲から……。そういう最期でいいのだと、思っております」


 まるでアレルギーのようだと、ジュリウスは思った。ザッカリーという存在に対して、オードリーは嫌悪というアレルギー反応を起こしている。


 しかし気の毒なことだ。オードリーはとても厳しくはあるが、根本は慈愛に溢れた人物だと聞いている。おそらく甥を不憫に思って深く関わり、悩みすぎたのだろう。頑張りすぎた結果、ザッカリーそのものを受け付けなくなってしまった。



 詳細を上司のリックに報告し、決済も降りた。「事件をもみ消す」と。

 拘束されたザッカリーのいる部屋に、ジュリウスはオードリーら関係者を連れて入った。


「君がお爺様を見殺しにした件で、刑に処す予定だったが、ガードナー子爵家を醜聞から守るために、今回の事はなかったことにする」


 あからさまにザッカリーが、安堵の表情を浮かべた。


「そのかわり君からはあらゆる財産を取り上げ、ガードナー子爵家とは絶縁とする。今後は一人で生きてゆくように」


 ザッカリーの様子を伺うに、なんの心配もしていないようだ。その理由が、オードリーと、彼女から話を聞いたジュリウスにはわかっていた。なにも考えていないのだ。


「おそらくこの後、定宿にしているホテル・カリヤニに、泊まろうと思っているのだろうが、行っても無駄だ。今までは婚約者のマシーニ伯爵令嬢ジーシャの伝手で、泊まらせてもらっていたのだから、婚約を破棄した以上、今後は使えない。


「そうかよ」


 ちょっと焦った顔で、不機嫌に返事をした。


「同じように、父親の伝手も使えない。今まではガードナー子爵の跡継ぎという立場だったが、もう何者でもないのだから」


「……」


 ザッカリーは当てが外れたように、目をきょろきょろさせ、部屋にいた伯母のオードリーを見て安心したように笑った。


「伯母さんの伝手を使うからいいよ」


「ザッカリー。君はガードナー子爵家から絶縁されるんだ。だからその手は使えない」


「……じゃあ、どうすればいいんだよ」


 急に不機嫌になったザッカリーは、なんのてらいもなく大声で怒鳴った。


「あれも駄目。これも駄目って、じゃあ、どうやって生きていけばいいんだ。なんにもできないじゃないか」


「人一人見殺しにしたんだ。それが君の罰だ」


 まったく動じないジュリウスに、脅しはきかないと判断したザッカリーは、すぐさま優しい伯母オードリーを攻撃の対象に切り替えた。


「なあ、伯母さん。俺、困るんだよ。こんなことされたらさあ。生きていけなくなっちまう。伯母さんならわかってくれるだろう」


 厳しいが、面倒見の良い伯母に、いつもの通り哀れみを乞うようにザッカリーは畳みかける。困っている人を放っておけないオードリーなら、その罪悪感をつついてやれば、簡単に言う事を聞くはずだと思ったからだ。弱い言葉を次々に聞かせると、効き目があったのかオードリーは顔を上げ、そして張りのある声で告げた。



「どうでもいい」


 その言葉が信じられず、ザッカリーはただ口をぱくぱくさせた。頭が真っ白のようだ。目の前にいるのは伯母だろうか、伯母はこんな強くて冷酷な言葉を使う人間じゃない。もっと慈愛にあふれた聖母のような…………。そんな目で見ている。オードリーは決意を込めたような、はっきりとした声で話し出した。


「なあ、ザッカリー。お前は自分の父親から爵位を奪ったと激怒していたが、もし父親が殺されたらどう思うのだ。やはり許せないか?」


「そりゃあ、激怒して復讐するよ」


 ザッカリーは問いの意味を理解せず、機械的に答えた。


「そうだな。ザッカリー。私は自分の父親を、お前に見殺しにされたのだ」


 その時初めて、オードリーと自分の関係に思い至ったザッカリーは、茫然として立ち上がろうとして、拘束具のためにそれができないことに気がつく。想像力がなく、自己中心的なザッカリーにとって、ガードナー子爵は頑迷で口うるさい『祖父』であって、それ以外のなにものでもなかった。


 この男が生きているから、いつまでたっても自分の父親が爵位を告げず、金も思うように動かせない、権力も手に入らない。死んで欲しくて仕方がなかったのだ。だから病気で倒れたときは、幸運が訪れたと喜び、なんの手当もせず寝台に寝かし、放置した。オードリーにそう告げられるまで、二人が親子だという意味を考えなかった。それはただの知識でしかなかった。


「父親を殺された娘の気持ちが、どのようなものか、お前にはわからないのだろう。私は絶対に許さない……。だが、もっと正直に言うと、お前とはもう関わり合いになりたくないのだ。だから消えて欲しい。つまり、どうでもいいのだよ」


 ザッカリーはまるで救いを求めるかのように、何度もオードリーを見ては下を向き、それを繰り返す。だがオードリーは視線をそらし、合わそうとはしなかった。


 助けを求める相手がいなくなったザッカリーは、なんの関係もないジュリウスを下から窺う。


「えーと、じゃあ、俺、どうすればいいの。誰が守ってくれるの」


「どうすればとは……。地位や身柄を守ってくれる婚約者を切り捨てて、ガードナー家の後継者と定め、守ってくれた祖父を見殺しにし、その結果、母親よりも面倒を見てくれた、オードリー殿の心を限界まですり減らした。自分を守ってくれた人々を、次々に傷つけて回って、なにがしたいんだい? 私から見ると金の卵を産むガチョウを、次々にくびり殺して回っているようにしか見えない」


 ジュリウスとしては、素朴な疑問を告げただけだ。だがそう言われたザッカリーは、まるで大変心外なことを言われたとでも言うように、目をキョロキョロさせ言葉に詰まっていた。



「……そんなつもりは」


 ザッカリーは本心からそう言っているようだ。

 嫌な事を嫌だと言っただけだ。そのほうがいいと思ったから見殺しにしただけだ。どうしてなにもかもが上手く行かないのかが、わからなかった。ザッカリーはただ…………なにも考えていなかっただけだ。

 自分以外の人間に心があるという事を、考えた事がなかったのだ。



「そんな……つもりは……」


 うつむいたまま、それ以上なにも言えないようだった。


 翌日、王都の日雇い労働者が集まる場所に、ザッカリーは放たれた。すぐに食い詰めたらしく、一週間後にスラム街に入っていくのが、彼が目撃された最後だった。


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