「カナリヤ」
ジュリウスを中心とした他登場人物は、以下のエピソードにも登場します。
人物関係については、「登場人物一覧」もあわせてご参照ください。
「進学」「棚からぼた餅」
(救いのない話です)
侍従として勤めるブラックウェル伯爵家で、摂政とあだ名されている重鎮ホワイトフォードが、商家と癒着し、賄賂をもらい、派手に愛人と遊んでいるという密告があったのは、七日前のことだ。
ジュリウスはこれを聞いて、なんだか違和感を覚えた。
それというのもホワイトフォードは、別に清廉潔白な人物ではないが、かといって癒着の温床を作るほど、欲にまみれた人物にも思えなかったからだ。特にどちらでもない。普通の人間に思えた。
かといって直球にあたっても、こういう繊細な話は、なにか答えを得られると思えず、丁度いいから伯爵家の中で、それを理由に漫然とした聞き込みをしてみた。伯爵家の事を使用人を通して、見てみたかったからだ。
すると、伯爵夫人の元で働いている令嬢の姿が、見当たらないという事態が浮かんできたのだ。話を聞きに行くと、毎回、誰かかしらに、「ちょっと席を外している」「所用で」と不在の理由を述べられ、終いには「実家に戻り、当分帰って来ない」と言われた。
嫌な予感がしたジュリウスは、その足で令嬢の実家に顔を出し話を聞いた。王都の上流階級ベイリー家の令嬢ベイシーは、伯爵家に行儀見習いに出しており、家には戻っていないという。
ここでようやくベイシーの行方不明と、その隠蔽が発覚した。
ボウエン伯爵家から応援を呼び、それを隠していた伯爵夫人の側近くの人々を、がっつりと取り調べることから始めたのだが……。
「ベイシーが見つからない? なにが起きたんだ」
知らせを受けて、真っ青な顔をしたセレスティーナの横に立っていた、アリアノエルが少し大きな声でジュリウスに言った。
「なんでも、ベイシーに『センスがない』という主旨の事を、暗に言われて腹が立ち、侍女長のマッケイン子爵夫人が警護のものと二人で、夜中に城から追い出したと。十日も前に」
ひゅっと息を呑む音が聞こえて、アリアノエルの顔色も悪くなり、立っているのがつらそうだった。
「ベイシーのご両親になんと言えば…………」
ブラックウェル伯爵家の歴史は古く、中世から建てられている始まりの城と、近世になって増築された部分、そして近代になって新しく作られた木造部分がある。戦争の脅威は過ぎ去ったが、城を維持しているのは、外が危険だからだ。そんな場所に放り出されたベイシーが、どうなったかは……。
「そんなことをしたのは、マッケイン子爵夫人と誰だって?」
「伯爵夫人の侍女長、マッケイン子爵夫人と、彼女と『親しい』警護のヴェールという男で……」
「つまりは愛人だな」
「はい。男の方は、すでに捕らえてあります」
セレスティーナとアリアノエルが、お互いに目配せしあった。
「なんてことなの……。どうしてそんなことが起きたの? ジュリウス」
「聞き込みをしたところ、周囲がベイシーに、よく仕事の意見を聞いていたそうです。彼女は下っ端で身分も低いですが、センスが良く、まわりに頼られていたとか。ただそのせいで一部の人間と、どうも上手く行っていなかったそうです。特に上司……マッケイン子爵夫人と」
つまりは目をつけられるほど才能があり、それなのに身を守る盾はなかった。
「行方不明のベイシーを、ただちに探し出さないと。ボウエン伯爵家の人々はもう、動いて下さっているのよね。ブラックウェル伯爵家からも人員を。どれくらい出せば良いのかしら」
「…………」
なにも言わずに固い表情をしているジュリウスを、セレスティーナが不思議そうに見つめた。
「ジュリウス?」
迷ったようにアリアノエルを見たジュリウスに、セレスティーナはこう言った。
「私はこの家の当主になるつもりです。今は難しくても、いずれ。だからつらいことも報告してほしいの」
「…………これはただの勘ですが、ベイシーはすでに亡くなっていると、私は思っています。この件を隠すかのように、密告されたホワイトフォード殿の賄賂の話。こういった用意周到な手を打ってくる犯人が、止めを刺さないとは思えないのです」
「それは、つまり……」
「捜索の人員は必要ですが、探すのは死体を隠す場所かと」
セレスティーナが少し奮える声で言った。
「……わかりました。引き続き『捜索』をお願いします」
「この城のまわりには井戸はありますか?」
「井戸?」
「城を見て回りましたが、遺体を隠すような場所が井戸しか見当たらず……」
「始まりの城や増築部分、今使っている場所の内庭にあるぜ。もっとも始まりの井戸はもう使ってないがな」
「そこはもう、ざっと見て回りました。他にはなにか」
アリアノエルが黙り込んだ後、セレスティーナが急に話し出した。
「…………始まりの城を建てた時に、その前からあった、五百年以上前の井戸があったと聞いているわ。場所は……」
ジュリウスは、リックたちと最古の井戸を探しに行った。
普通は危険を知らせるために目印があるが、さすがに五百年前ともなると、心許ない。始まりの城の基礎まわりを、落ち葉をかきわけながら、一歩一歩確かめていくと、一カ所だけ落ち葉がきれいに重なっている場所がある。そこをかき分けると、朽ち果てている木の蓋で覆われている枯れ井戸を発見した。
火を灯したランプを長いロープで下に下ろしていくと、中は風が通り抜けているらしく、時折、ランプの明かりが揺らめくのが見えた。しかし底にはなにもない。
「どうする? ジュリウス君」
「底を掘ってみます」
「なにか出てくると思うかい?」
「これを見て下さい」
ジュリウスが指さした先には、井戸の在りかを示していたと思われる木の目印。根元からポッキリと折られている。丁寧に枯れ葉で覆われていたと思われる、井戸と併せて考えると、ここになにかが隠されているのは確実だ。
改めて、井戸掘り業者に頼むと、果たして底から、埋められていたベイシーの遺体が発見された。検死の結果、死因は餓死だった。
業者が連れてきたカナリヤが元気よくさえずる、明るい鳴き声を聞きながら、ベイシーがこの暗い井戸の底、絶望の中で亡くなったと思うと遣る瀬なかった。
マッケイン子爵夫人と警護のヴェール、そしてまわりの人々の話を合わせるとこうだった。ベイシーは自分のセンスに絶対の自信があり、マッケイン子爵夫人をもう古いと陰で馬鹿にしていたらしい。それ自体は別に間違ってはいないと、子爵夫人も認めている。十代のベイシーと夫人は三十歳近く年が離れているし、感覚というものは年と共に衰えるものだ。
だが相手やその場、催しの内容に合わせて、あえて伝統的、つまりは古くさい装いにすることもある。ベイシーはそういった細かい機微を理解せず、ひたすら自分のセンスを誇示し続けたのが、夫人には許せなかった。ある日、とうとう面と向かって見下された子爵夫人は、ヴェールを使って、ベイシーを城から放り出したという。
「それほど自分のセンスに自信があるのなら、お店でも開いたら?」と。
かっとなってした犯行なので、その後、どうなるかは考えなかったと自白している。
だがこのあたりはどうなのだろうと、ジュリウスは疑問だった。ブラックウェル伯爵家のような城塞は、一度閉門してしまえば、簡単には行き来できないから、「城」なのだ。一時の気の迷いで、人一人放り出せるとは思えなかった。あらかじめ準備していたのでもなければ。
そしてベイシーの不在を隠蔽するために、部下たちにはでたらめな予定を伝えたと……。
夫人の証言では、ベイシーの人格に問題があるかのような話しぶりだが、ベイシーは聞かれない限りは、わざわざ口を出したりはしなかったという証言の方が多い。家族や友人、同世代の侍女の話からは、自分の意見を持ち、頑なで、他人とはわざわざ絡まない、今時の若い人の姿が浮かび上がってくる。夫人の証言とは真逆だ。
夫人によると、城から放り出されたベイシーは、野犬に襲われ必死で逃げたところ、古井戸に落ちてしまったらしい。翌日、頭が冷えた子爵夫人とヴェールは、ベイシーを探した。しかし見つからず、十日目に井戸の中で亡くなっているのを発見し、急に怖くなって、埋葬してやろうと井戸の底に埋めたそうだ。
まあ、あり得ないと言うほどではない。筋が通っていなくもない。
続けてジュリウスは、この事件を知るきっかけとなった、おそらく陽動のために流された、摂政ホワイトフォードの癒着の件を、頭の中でお手玉のようにもてあそび始めた。
◇◇◇◇◇◇
ビューラー商会がいつものように、品物を納めに来て、アリアノエルに挨拶に来たのは、今日の午前中のできごとだった。アリアノエルは家令と一緒に納品を確認しながら、素早く複数人で片付けていく。あっという間に終わった引き渡しで、人がはけていく中、ホワイトフォードがふらりとやって来て、商会長に話しかけた。そして会長は懐に手を入れると、慣れた手つきで賄賂が入った、小さな布袋をホワイトフォードに渡す。それを吊り下げられているカーテンに隠れて見ていたジュリウスは、この件が取り立てて騒ぎ立てるほどでもないことがわかってきた。
人でごった返している内庭の井戸の水を飲みながら、ビューラー商会の会長が出てくるのを待っていると、なんの後ろめたさも感じさせず、堂々と馬車まで歩いてくる。
「賄賂の件で」と話しかけると、怯えるどころか、少し照れたような顔で質問に答えた。
「ああ、例のあれですか。実は一年ほど前から、工面してほしいと頼まれまして」
ジュリウスの質問に、引け目を感じさせず、困ったように会長は答えた。金を用立ててくれと言われ、少額だったため引き受けたという。ホワイトフォードは今でも権力があるので、顔を売っておいて損はない。だがそれ以上に、自分が若い頃に面倒を見てくれたので、恩返しの気持ちが強いという。
「若い頃、父が急逝しまして……。ゴタゴタの中、なんとか継いだ商会を、うまく切り盛りすることができなかったのです。その上、取引で大きな失敗をして、ホワイトフォード様にご迷惑を……。あの時こそは、もう駄目だ。父の興した店を畳むしかないと思ったものです。ですが……」
『誰にでも失敗はつきものだ。若いのだからこれから挽回すればいい』と。
「ホワイトフォード様に、そう仰って頂いたことに、今でも感謝しております。だから、これは……まあ、お礼を兼ねた潤滑油という奴です」
そう明るく言って、辞去していった。あとは本丸だ。ホワイトフォードにこの件を尋ねると……。
「おやおや。見られてしまいましたか。お恥ずかしい」
「お互いに了承しているのなら、私が口を出す筋合いではありません。ですが、もしよろしかったら事情を」
「内密でお願いします」
「承知しました」
「私には子どもの頃からの、長い付き合いの友がいました」
ホワイトフォードの親友は、亡くなる前に若い後妻を娶り、幼い息子を設けた。しかしその息子は肺が弱く、毎月かなりの薬代がかかるという。前妻の子たちとは仲が良くなく、年金もそれほどない。後妻は懸命に働いているが、薬代の支払いが負担だという。その金額はホワイトフォードにとっては、それほどでもない。だが……。
「私は隠居した身でね。月々の払いは、長男夫婦がすべてしてくれている。親に似ず、面倒見の良い優しい息子で。しかし……。その息子夫婦に、私の親友の息子の薬代まで払わせるのは、なにか違う気がしてね。幸い、その子もあと数年して、体が成長すれば、薬がいらなくなるそうなんだ。それまでは、なんとか自分の手で薬代を工面できないかと思い。有り難い事に、まだ顔が利く年齢ではあるからして」
その話を聞きながら、ホワイトフォードの息子の面倒見の良さは、父親譲りなのだなと思っていた。
「申し訳ないが、この話は秘密にして欲しい。口さがない連中も多い」
「無論です」
若い後妻のもとに通う、亡くなった夫の親友。経済的な援助も受けていれば、なんと言われるかは明らかだ。
だが。
ホワイトフォードが助けた商会長が、恩返しとしてお礼を渡している。そして面倒見の良い優しい息子に注いだように、親友の息子にも情を注いでいるのだろう。彼の人生は人と交わり循環している。人を慈しみ、育て、それが返ってくる生き方を歩んでいるのだ。
一方……。
◇◇◇◇◇◇
「ジュリウス君。どうなりそう?」
リックに聞かれたジュリウスは私見を述べた。
「ベイシーは、マッケイン子爵夫人とヴェールにより、井戸に投げ込まれたのでしょう。その時は生きていた。だけど見つからないようにするため、ホワイトフォードの癒着の件を密告して、捜査を攪乱し、その間に亡くなったのでしょう。自分の手を汚さずに殺害した、殺人に等しい罪です」
「それを、どうやって証明するつもりだい? なんの証拠もない」
黙り込むしかなかった。不自然ではあるものの決定的な証拠はない。
「今のところ、突破口としては、あの辺鄙な場所にある井戸の死体に、気がついたという、あり得そうにない証言。どうしてそれをわざわざ埋めたのかという、不自然な行動。癒着の噂を、誰かが流した作為性……」
他愛ないおしゃべりをするように、考えを述べていく。リックは横から口を出した。
「私が気になったのは、腹が立って外に追い出したという証言と、怖くなって井戸の遺体を埋めたのの二点かな」
「どのような点が?」
少しでも手がかりが欲しいと、ジュリウスが顔を上げる。
「夜中に外に追い出すなんて、相当に無責任で考えなしだ。それなのに井戸の底の死体が怖くなって埋めたなんて。気が小さいし、用心深い。同一人物の証言とは思えないね」
それを聞いたジュリウスは、少し考え込み、この件をどうまとめるかで悩み始めた。
もっともこの件をどうするかはもう決まっている。それでもぎりぎりまで追い詰めたかった。
◇◇◇◇◇◇
ブラックウェル伯爵夫人からは、マッケイン子爵夫人の罪を、もみ消して欲しいと言われている。優秀な人材のため使い続けたいと。もみ消す事はできるが、使い続けるのは無理だろう。人一人亡くなったのだ。それに世間体というものがある。
だが気性が激しく、扱いにくい伯爵夫人に恩を売れるのは、良い機会だった。伯爵夫人の希望に添うとして……。広間にベイシーの件を説明するとして、関係者のみを集める。
「マッケイン子爵夫人。もう一度、起きた事を話して頂けますか?」
広間にはブラックウェル伯爵一家や、家令を始めとした責任者たち。捜査関係者も数人いる。夫人は、言い張っている通り、感情的になって追い出した事、その後、探したが見つからなかった事、十日目に井戸の底で見つけ、怖くなって底に埋葬した事を繰り返した。
「どうやって埋葬したか、もう一度、詳しく説明して下さい」
「警護のヴェールと二人で道具を用意しました。木にロープをくくりつけて井戸に降りて、底にスコップで穴を掘って埋めました」
「……他には?」
「それだけです」
確かにあの井戸は、深さはそこまでない。灯りなしでも作業はできるかもしれない。
「……」
ジュリウスが予定通りに攻めるか思案していると、リックが意味深に話しかけてきた。ちらちらと子爵夫人を眺めながら、何事かを囁く。それを聞いて驚いたふりをしつつ、夫人に圧力をかけ、考え込んで時間をかけた。夫人は大勢の前に立たされて落ち着かないらしく、何度もスカートをつまむように指をかけ、戻すのを繰り返している。
「亡くなったベイシーは、子どもの頃からファッションセンスが良く、街中では有名だったそうですね」
「そこまでは……存じません」
事件の話から、突然、ベイシー個人の話に話題が変り、子爵夫人の顔がこわばった。
「この城に勤めるきっかけも、上流階級のパーティで話題になり、ちょうど人手が足りなかったから来てもらったとか。そんないい人材に来てもらえて良かったですね」
「そう言われても……」
「来てすぐに、同世代、つまり若い人たちの憧れの的になり、みんな彼女の言う事ばかり聞くようになったとか。将来有望だったのに残念でしたね」
「……」
「将来有望だったのに残念でしたね。マッケイン子爵夫人」
「そう、でしょうか」
「違うのですか?」
「……」
「ところで彼女、王宮勤めをしたかったそうです。それだけの腕があると認められて、後見人もいました。ですが父親の付き合いの関係で、ブラックウェル伯爵家に来たそうです。仕方なく」
「は?」
それまでは怯えておどおどしていた子爵夫人の顔に、初めて驚きと怒りが浮かんだ。
「気の毒ですよね。もっといい職場に行けるはずが、こんなはずれ……失礼。だから我慢して勤めていたけれども、本心では首になりたかったそうです」
たかが平民のベイシーに、王宮勤めの話があり、伯爵家の仕事という、子爵夫人にすら恐れ多い貴重な機会を、嫌がっていたという話は、彼女の心にひびを入れるには充分だった。たおやかな白い手の中にあった扇が、ミシリという音を立てて折れ、その事に夫人は気がついてもいない。
「首になりたかった理由の一つは、子爵夫人、あなたの存在だそうです」
「……」
「ベイシーが夫人に質問すると、いつもこう言われるそうです」
『今までそうやって来たから』と。
「配色が良いからでも、素材が合うからでもない。伝統や催しの内容に合わせているわけでも、お客様の好みに合わせているからでもない。ベイシーは特にこの、お客様の好みにきちんと合わせない、あなたのやり方に……」
「わかった風な口をきかないで!」
静かに話していたジュリウスを遮って、堪えきれなかった子爵夫人が金切り声を出した。子爵夫人の頭の中で、三週間前の打ち合わせであった会話がよぎる。某伯爵夫人を招いて行われるお茶会で、いつもと同じ色にしようとしたところ、耐えかねたようなベイシーに『ご忠告』されたのだ。
「伯爵夫人は今まで落ち着いた、オレンジ色を好んでつけることが多かったですが、ご長男がエラース出身の奥様とご結婚されてからは、彼女に敬意を表して、渋い青を基調に白色をあしらわれることが多いです」
出過ぎたことを言ってしまったと思ったベイシーは、はっと口を押さえ、その場から立ち去った。その時の、傲慢に出しゃばった風でもない、センスを自慢したわけでもなく、「つい」口から出てしまったという態度が、どうしても許せなかった。何様のつもりなのだ。若造のくせに生意気なと。これがきっかけで殺意を抱いたのだ。
……子爵夫人の本当の気持ちは、指摘したベイシーに対しての怒りでもなんでもない。
指摘された色の変更にどう対応したら良いかわからず、当日までにどんな準備が必要か途方に暮れ、心に浮かぶのは強い恐怖や焦り、怯えだ。だがそんなことを認める事はできない。何十年もこの仕事をしてきたのに、新人よりも知識がないだなんて。ただ言われた事をずっとやってきただけだなんて。子爵夫人にとっては、そのことを認めるよりも、ベイシーを殺す方が楽だったのだ。
そして後から「出しゃばりのベイシーの自業自得」と理由をとってつけた。
「あなたになにがわかるの。あの女になにがわかるの。利いた風な口を叩いて。人の仕事に口を出して、自分のセンスを自慢して、鼻にかけて。センスなんかより大事なものが、たくさんあるのよ。予算や、時間や、……それから、それから」
たくさんあると言った割には、尻すぼみになっていく。
「センスなんてものは、侍女長の仕事には必要ないのよ!」
夫人のこの言葉に、その場にいた者全員が絶句した。詳しくないジュリウスにだってわかる。伯爵夫人の侍女長なんて、あらゆる役職の中で最も必要だろう。
「つまり、ベイシーに嫉妬して、城から追い出した訳ですね」
嫉妬と言われた夫人は、取り乱していたにもかかわらず、強く否定した。
「嫉妬なんてしていません。ただ、生意気だったから、ちょっと腹が立って」
「殺したいほど妬ましかったのですね」
「大げさな。なんとも思っていません」
「なにも思っていないのに、夜中に城の外に放り出して見殺しにしたと。つまりあなたは、気分で人を殺せる人間なのですか」
「そういう意味じゃありません」
「ところで子爵夫人。あなたはあの井戸のことを、最初からご存じだったのではありませんか。もっと言うと、あなたがあの井戸にベイシーを投げ込んだ。……つまりベイシーはしばらく生きていて、それを見殺しにしたのでしょう。それならば、この件は殺人に近い。死罪に相当します」
充分に動揺し尽くし、化けの皮が剥がれたところで、ジュリウスは最後の揺さぶりをかけた。
「なんですって」
夫人は怒ったようにきつく言ったが、内心の動揺は明らかで、ジュリウスをまともに見られず、目をあちらこちらに彷徨わせた。内心の後ろ暗さから、死罪の言葉が真に迫りひどく奮えている。
「なんですって」
もう一度言ったが、その勢いは衰え、声は小さくなっていった。
「ではもう一度伺いますが、中で人が亡くなっている井戸に、なんの用意もなく潜って作業したのですね。呼吸が大丈夫という、その自信はどこから? その中でベイシーが生きているのを、見ていたからではありませんか?」
「……」
井戸や坑道は危険だ。酸素がない場合もあれば、有毒ガスが発生している場合もある。だから炭鉱では、普通、小鳥を用意する。そんな心配をしなかった。それはつまり……。夫人は挙動不審になり、とうとうドレスの前布を、子どものように手でくしゃくしゃに握りしめて、引っ張った。
「それは、その……」
言葉では自白しなかったが、その姿を見た全員が、彼女の犯行に確信を持った。目的を達成したジュリウスは、そんな子爵夫人を安心させるように言った。
「今回の件は伯爵夫人の希望により、罪に問いません。そのかわりベイシーのご実家に、心を尽くして賠償を……。人一人殺したのですから」
そう言われた子爵夫人はあからさまにほっとした顔をし、賠償の話を持ち出されると、ジュリウスを口うるさい判事のように、顔をしかめて見やった。自分への罰しか気にしておらず、ベイシーの死にまったく心を痛めていないのだ。安心したあまり、その姿が、まわりにどう見えるのか考えてもいないようだ。
一方、周囲は恐れていた中で、最も残酷な犯行を聞かされ、取り乱さないようにするのがやっとだった。最悪だったのが、犯人の子爵夫人だけでなく、これを予想していた伯爵夫人までもが罪をもみ消し、今後も子爵夫人を使い続けようと考えていることだ。
早速、伯爵夫人への説得が始まり、予想通りほんの一瞬で、子爵夫人は自宅に戻される事になった。きょとんとした顔の子爵夫人が、自分は許されたのに、なぜまわりがこんなに彼女の続投に、抵抗するのかがわからないようだ。ベイシーの事故死の直後に、実家に戻された訳ありの夫人。本人は理解していないようだが、もう社会復帰は無理だろう。
……子爵夫人とベイシーとの間には、絶対的な身分の差があった。
だから夫人は、ベイシーを育てて、部下として使いこなすこともできたはずだ。ソリが合わなかったようだから、難しかったのかもしれないが、そうは言っても、殺す以外に方法はあっただろう。それなのに。五百年以上前の枯れ井戸に落とし、餓死させただけでは飽き足らず、底に埋めて誰にも見つからないようにした夫人の心中を思うと、なにかもっと別のなにかが眠っているようにも感じる。
この世を破壊し尽くすほどの、すさまじい怒り。つまりはセンスとやらの持ち合わせがない、自分に対する、重度の劣等感。夫人が本当に井戸の底に埋めたかったのは、自分自身なのではないか。
同時に捜査したホワイトフォードとの、大きな違いに戦慄を覚えると共に、たまたまそこにいて巻き込まれてしまった、ベイシーの不運が気の毒でならなかった。
夫人も今日から実家に戻され、まるで井戸の底にいるかのように、誰の目にも止まらない生活が始まる。その時になって初めて、やった事がそのまま返ってきた事に気がつくのだろう。その時、心の中に眠っている、あれだけ残忍に人を殺せるだけの怒りがどうなるかは……。
◇◇◇◇◇◇
ジュリウスは伯爵夫人に便宜を図り、その結果、伯爵夫人の権力も勢力もそぐ事ができて、セレスティーナに恩を売れる結果になった。しかし肝心の、伯爵家の家政を誰が担当するかという問題が解決していない。当主になるセレスティーナには負担をかけたくないし、伯爵夫人の勢力は削りたい。
この家は人材が必要だが、必要なのは、信頼できて、伯爵夫妻に対抗できるだけの後ろ盾のある人材だ。そんな人材……。
ベイシー宅への弔問から戻ってきたジュリウスは、なにやらばたばたしているリックに質問した。
「あのう。この家で家政に腕を振るえる優秀な女性はいませんか」
「探してはいる……」
ジュリウスの問いに、リックがあてにならない答えをする。どこも有能な人材を手放すはずもなく、枯渇している状況に悲嘆にくれるばかりだ。
「今、ちょうどいい事件が起こったところなんだ。もしかしたら……まあ少し待ってくれないか」
「…………事件、ですか?」
「そう、事件」
リックはそう言うと、忙しそうに部屋をすたすたと出て行った。




