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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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恩返し


 出先から戻ったジュリウスは、疲れているだろうブラック号から鞍を外し、丁寧に体をふいてやり、ブラッシングをした。案外、元気があり、いたずらをしてくる余力はあるようだ。


 その後、室内に入り、台所の前を通ると、泥が付いたままの野菜や、わざわざ採ってきてくれたのだろう、ジュリウスの好きなベリー類、木の実に、がたがたで自作と一目でわかる、粗末なカゴに入れられたタマゴなどの差し入れが置いてあった。呆れたように額に手をやった。


「これは……またアウグストが?」


「ええ、そんなに気を遣わなくていいと言っているのに。いつもこうよ。おまけに……」


 おまけにこんな暗い時間帯だ。シェリーが不安そうな顔をしている。ジュリウスはあわてて家畜小屋に戻ると、休んでいたブラック号を出して、また鞍をつけた。


「すまない。またアウグスト爺やが来たようだ」


 ブラック号は、「そうですか。それは仕方がありませんね」とでも言うように首を振ると、大人しく歩き始めた。あとで黒糖をあげようと思い、確認するようにポケットを探る。完全に日が落ちたわけではないが、空が明るくても、足元はもう暗い時間だ。なにより……。


 ブラック号で軽く飛ばすと、夜になると盗賊が出るという噂がある、峠に差し掛かった。油代を節約しているのであろう。アウグストは暗い中、灯りもつけずに歩いている。時々、びくびくしながら振り返っていて、後ろから来る馬の足音が、ブラック号のものだとわかると、びっしょりとかいている汗を手ぬぐいで拭った。


「盗賊かと、肝が冷えやした」


「まったく。危ない事はするなと言ったであろう」


「いやあ。もうちょっと採ろう。もうちょっとって木の実を採っていたら、案外時間がかかっちまいやして。こんな時間に」


「仕方がない男だ。ほら後ろに乗れ」


 遠慮するアウグストを無理矢理、ブラック号に乗せると、彼の家まで走り出した。


 爺やの家は馬ではあっという間で、峠を上り下ってすぐの所にある。走ってきたため荒い足音で、粗末な農家につくと、音と振動に気がついた彼の妻ミケーラと、孫娘クラリッサ、その夫ドミニクが子どもを連れて表で待っていた。


「じいさまったら、心配したのよ。わざわざ送り届けて下さって、ありがとうございます。ジュリウス坊ちゃま」


 馬から降りたアウグストを、孫娘クラリッサを始めとした家族が、わっと取り囲む。彼に温かい言葉をかけたり、心配したり、小言を言ったり。ただはしゃいで飛びつく小さなひ孫たちもいて、心和らぐ光景にジュリウスの口元がゆるむ。せめて食事をと引き止める、彼の家族をなんとか受け流し、馬を返しながら言った。


「アウグスト。差し入れをありがとう。……あまり家族に心配かけるなよ」



◇◇◇◇◇◇



 その昔、村人たちは陰で、アウグストのことを「死に神に取り付かれた男」と呼んでいた。



 元々はアウグストにも両親もいれば、兄弟も、祖父母だっていた。賑やかだった頃のことをきちんと覚えている。だが病気や事故が不自然に続き、だんだんさびしくなっていった。


 そんな中、墓の前で茫然としていた所、近所の人たちにこう言われたのだ。


「あそこの家は人が死にすぎる。死に神にでも取り付かれているんじゃなかろうか」


 そんなことは言われたくなかった。なぜならずっと前から、アウグスト自身が気にしていた事だったのだから。


 だからその言葉が真実にならないように、必死に稼ぎ、家族の生活を豊かにしようとした。そうやって『家族の死』から目を背けていたのだ。だが二十代半ばを過ぎた頃には、最後の一人が亡くなり、アウグストは一人になっていた。


 その時、彼はほっとしたのだ。


 もう誰かが死ぬ事を、不安に思う事はないのだと。亡くなった事で胸が握りつぶされそうな痛みに、耐えなくていいのだと。それからは一人でこつこつと働いた。


 そんなアウグストに村人たちは、嫁のミケーラを世話した。本心では怖かった。家族ができれば、また死んでしまうかもしれない。そんなのは耐えられないと思った。だが現実的な問題として、金もないのに一人で生きていくのは無理だ。貧乏なら結婚するしかない。


 アウグストの「死に神に取り付かれた男」というあだ名は知れ渡っていて、そんなところに嫁に来るミケーラも訳ありに決まっている。きっと悲しい思いをさせるだろう。だから初めて会ったときにすべてを話した。自分は死に神で、と。


 世話人がなんとか止めようとするのを、最後まで話した所、それを聞いたミケーラは、ほっとしたように笑ったのだ。


「私も家族を亡くし、独りぼっちです。だから結婚するしかありません。でももう家族を亡くし、残されて、さびしい思いをするのは嫌なのです。あなたが死に神なら、……あなた自身は死なないのではありませんか?」


 アウグストの両手の先を、初対面のミケーラが強く握りしめたのを感じ、死に神にすら救いを求めているさびしいミケーラを、放っておく事ができなかった。アウグストだってずっとさびしかったのだから。本当は誰よりも、ミケーラのその気持ちがわかるのだから……。



 貧しくて忙しない結婚生活は、穏やかで温かかった。

 二人は明け方から深夜まで働き、ろくに眠らなかったが、それでも幸せに感じた。晩婚だったが、息子パトリックが生まれ、家庭は賑やかになったからだ。それからは幸せだった。きっと神様が今までの苦労を見ていて下さったのだろうと思い、日に何度も祈りを捧げた。


 無事に大きくなった息子は隣町の女性と結婚し、所帯を持ち、やがて孫のクラリッサが生まれた。だが、なにがいけなかったのだろう。祈りの心が足りなかったとでもいうのだろうか。


 その時季、隣町では激しい雨により河川が氾濫し、川の土手が大きく崩れていた。次の雨に備え、至急、堤を直さないといけないため、近隣の村人たちが呼ばれ、アウグストらも駆けつけ、土木作業を手伝う。


 しかし折りからの雨で地盤がゆるみ、思いがけない場所で土砂崩れが起きたのだ。それはその場にいた人々を下敷きにした。パトリックは数日、生き埋めになり、腰の骨を折る大怪我を負った。命は助かったが、杖がないと上手く動けない体になってしまった。


 アウグストにはよくわからなかった。

 なぜ神様がここまで自分に試練を与えるのか。


 ミケーラがいなかったら、あまりの苦しさに、しばらく立ち直れなかっただろう。だがそんな暇もなく彼を動かしたのは、パトリックの娘、まだ二歳の孫クラリッサの存在だ。


 一人前に働けなくなった夫を養うなんて、とても嫁のリベラータ一人の力ではできない。リベラータは王都に出稼ぎに行くため、パトリックとクラリッサを、アウグストとミケーラに預けた。だがパトリックを養い、クラリッサを育てるなんて、実際にはできない。そんなお金もなければ、人出もないのだから。


 ……それでもやるしかなかった。


 農地を耕し、家畜の世話をし、ちょっとのすき間時間で隣近所を手伝い、日銭を稼ぐ。時々、届くリベラータからの仕送りで、飢え死にしないでいる始末だ。


 その中でつねにぴりぴりと、注意していることがあった。

 絶対に怪我をしないこと。そして死なないことだ。


 クラリッサを引き取ったとき、アウグストは四十九歳だった。一人前にするのに、最低でも十五年はかかる。アウグストは今までの自分の人生で、ずっと「早く死にたい」と思ってきた。もし神様が自分を迎えに来て下さるのなら、風のようにその御許へ身を投げ出したであろう。だがここに来て、初めて「死にたくない」と強く思った。


 起きて、クラリッサの顔を見て、『生き抜く』決心を新たにし、寝る前に寝顔を見て、今日もその決心が守られた事に安堵する。

 ただただそれを繰り返した。


 そしてクラリッサは、アウグストの中の時間では、驚くほどの早さで大きくなり、ある日、結婚相手を連れてきたのだ。


 その時のアウグストのほっとした気持ちといったら、言葉にする事ができないほどだ。

 もう自分はいつ神の御許へ行っても、良いのだと感じた。


 そしてめずらしく、もじもじしたクラリッサが恥ずかしそうに紹介する、相手のドミニクを見て、文句をつけてしまう自分の心持ちに、なんて贅沢なものだろうと、自分で自分のことを笑ってしまった。クラリッサは少しうっかりしたところがあるが、我慢強く優しい娘だ。幼い頃は「さびしい」と言えず一人で我慢してしまうところがあった。いつも忙しなく動いている働き者で、村での評判も良い。


 ドミニクは見上げるほどの大男で、その割には気が小さいが、誰も見ていなくてもコツコツと仕事する真面目な働き者で、どこが良かったのか、クラリッサから離れなかった。ドミニクは修繕が必要な箇所を見ると気になるらしく、なにも頼んでいないのにいつの間にかアウグストの家は、小ぎれいになっていった。


 気がつくと、結婚式の日取りもいつの間にか決まり、アウグストはようやく苦しい人生の、終わりが見えてきたように感じた。式の日まであと何日、あと……と数え、その日まで生き延びれば、責任を果たした後の、安らかな日々が待っている。彼の心の中は、一足早い開放感と、使命を果たした充実感で一杯だった。


 結婚式の前に、アウグストは近くの村に行き、来週行われるクラリッサの結婚式について報告をして回っていた。お祝い事を聞いた人々が、皆、笑顔になり、こっそりと小銭の贈り物を手渡してくれる。


「おめでとさん」

「こりゃどうもご丁寧に」


 そういったことがちょこちょこあり、有り難い事に、帰る頃にはそれなりの重さになっていた。

 そして帰ろうとしたところ、一緒に来た村人が、腹痛とやらで先に帰ってしまっていたのだ。一人では強盗に遭ってしまうと、ぎょっとしたアウグストは、かなり迷ったが、このままここにいても暗くなってしまうしと、びくびくしながら帰途に就いた。


 追いつこうと足を早めるが、先を行くものの姿は見えない。その内、辺りは暗くなり、小雨まで降ってきて視界が悪くなっていった。


 ひたすらに村までの山道を歩いていると、後ろからついてくるものがいる。アウグストは慣れた道をかなりの早さで歩いている。それに村人同士なら念のため声を掛け合うものだ。つまり……。


 後ろから急に走り出した足音が、迫ってきた。

 背後から強い殺気を感じるのと、無情な金属音が聞こえるのは同時。


 暗い中、二人組の強盗が近づいてくるのを見たアウグストは、なりふり構わず走り出した。頭の中はクラリッサに誓った、「生き抜く」という言葉で一杯だった。クラリッサの式の日まで、アウグストは生きないといけない。あとほんの数日。たとえ何があっても、なにをしても生き延びねば。


 だが、もう六十歳半ばを過ぎた翁が強盗をまけるわけもなく、追いつかれそうになったアウグストは、刃物を振り回す強盗の手を振り払い、道の斜面から崖を滑り落ち、なんとしてでも逃げようとした。とにかく今となっては強盗に殺されなければ良い。怪我をしたとしても生き延びられれば……。しかしどこかでひどく体を打ち、意識が途切れるのがわかった。


 次に目が覚めたときには、崖の中腹で、体中痛む体を抱えながら、自分が雨に打たれていることに気がついたアウグストは、視界の隅に強盗が近づいてくるのが見えた。みっともなく足掻きながら、なんとか体を起こそうとすると、尋常ならない痛みが左足を走ったのがわかる。このままでは殺されてしまうのがわかっているのに、体を動かせない。


 どこかで……どこかで、疲れ切った自分の体が、もう諦めているのがわかった。日頃の疲れに、寄る年波、そして気絶しそうなほどの痛み。もうくたくただ。


 それなのに、アウグスト自身はどうしても諦める事ができなかった。懐のナイフを取り出すと、届かないとわかっていても振り回す。


「来られるもんなら、来て見やがれ」


 そう叫ぶアウグストに、強盗は一瞬ひるみ、様子を見るように少し後ろに下がった。


 その時、少し離れた木の陰で重い剣戟の音が聞こえたと思うと、もう一人の強盗が悲鳴を上げて崖を滑り落ちていくのが見えた。続けてアウグストの前にいた強盗が、振り返りざまに左肩を斬りつけられ、態勢を崩すと二の腕から血を吹き出しながら、崖に落ちていく。


 絶対に、絶対に諦めないと最後まで足掻いたアウグストに、神が助けを寄越して下さったのだ。クラリッサの結婚式を、悲劇で汚したくないという願いを、聞き届けて下さったのだろう。アウグストはひどい怪我を負っているにもかかわらず、満足感で一杯だった。


「大丈夫か」


 うす暗くてよくわからないが、この発音、この声。まさか……。


「ジュリウス坊ちゃまで、いらっしゃいますか」


 この辺りに住居を構える、ラムレイ男爵家の長男。


「そうだが。お主どこかで見た事があるな。ひどい怪我のようだ。この時間帯なら王都の病院に連れて行った方が早い。とりあえず手当」


 どこか高揚した気分のアウグストは、満面の笑みで答えた。


「結構でございます」

「え?」


「手前どもの家に戻りやす」

「なにを」


「今週は孫の結婚式があるのです」

「けっこんしき」


「王都の病院なぞに行ったら、戻れなくなります」

「……」


 しかしいくら心が元気でも、体は動かない。アウグストは頼み事をした。


「後生です。手前どもの家にどうか。どうか連れていって下さらねえでしょうか」


 ジュリウスが見たところ、左足の膝から下が骨折している。きちんと治療すればなんの問題もないが、ただ年齢の事もあり治りが遅いだろう。つまりはちゃんと治療した方が、いいと感じたのだ。


「……ご老体」

「アウグストと申します」


「アウグスト。応急処置をしたあと、これから王都の病院に連れていって治療する」

「そんな、後生です。家に」


「きちんと治療しなければ駄目だ」

「お願いでごぜえます」


「孫の結婚式とやらに出たいのであろう?」

「……はい」


「治療の後、すぐに家に戻してやる。すぐだ」

「すぐでございますか」


「約束する。誓おう」


 添え木で足を固定したアウグストを、大変な思いをして王都にブラック号で運び、そして医者の手当を受けた後、荷馬車で自宅に戻すと、なんだかたがが外れたように明るくなっていた。連絡を受けて待っていたミケーラも、パトリックも、クラリッサも、ドミニクもとても心配しており、強盗に襲われたと聞いたクラリッサは、話の途中で具合が悪くなってしまったほどだ。


 その後、結婚式は無事に行われ、痛み止めで気分が高揚したアウグストは、別人かと思うほど明るく振る舞った。ドミニクは花嫁ではなく、アウグストをお姫様抱っこして回る有様だったが、アウグストとミケーラの悪い噂を知っている人ほど、無事に式が行われたことを涙を流して喜び、村は喜びに包まれたのだ。ジュリウスも気になって顔を出したところ、酔っ払った村人たちに絡まれ、人々の幸せの輪に加わる事になった。



 喜びに溢れた結婚式も終わり、怪我が落ち着いたアウグストが最初にしたことは、山菜を大量に採り、ラムレイ男爵家に届ける事だった。ジュリウスが何度も、危ないから止せと言っても止めない。そもそも彼の家は率直に言って貧しいのだ。それにアウグストの家から男爵家まで、それなりの距離がある。


 だから盗賊が出るような峠の暗い道を、行き来しないようにと注意しているのだが、その度にアウグストは満面の笑顔でこういうのだ。


「もうこの世に未練はない身ですんで」


 野放しにするわけにもいかず、その度に案じて自宅まで送り届けてしまう。すると心配したクラリッサが、取り乱して出迎えに出てくるため、ジュリウスは毎度、「自重しろ」と思ってしまうのだ。





 アウグストのジュリウス宅への訪問は、そんなドタバタした日々をもたらしてくれた。だがそれが永遠に続くわけもなく、ある日、アウグストの訃報がもたらされた。没年七十歳だった。


 葬儀の日は天気が良く、晴れ渡る青空に、爽やかな風も吹き、ある意味、『良き』弔い日和だった。墓前に供えられる花がどれも瑞々しく輝き、故人を取り巻いている。


 墓掘り人足がきれいに掘った土の中に、下ろされた棺桶を前に、孫娘のクラリッサが号泣している。妻のミケーラは悲しい事には変わりないが、どこか満足げな笑みも浮かべている。杖をついた息子パトリックは覚悟していたのか、ぐっと下唇を噛みしめていた。二人の子を片手で抱えたドミニクは、もう片方の腕で妻のクラリッサを支えている。


 アウグストの死に一番の衝撃を受けたクラリッサは、なんとか取り乱さないように堪えていたが、今では動揺からむせび泣いている。まともに立っている事ができず、ドミニクに抱えられていた。


 自分や父親のパトリックを、ずっと支えてくれた頼り甲斐ある祖父アウグストの死。受け入れる事ができず、クラリッサは棺に向かって、まるで謝るように、訴えかけるように、こう泣き喚いた。


「私、なにも、してない。まだなにも、恩返し、してないのに」


 我を忘れたクラリッサを、まわりは黙って見守っていた。静かに司祭の言葉に耳を傾けている。慈愛のこもった司祭の言葉を聞きながら、男たちがシャベルを持って棺桶に土をかけ始めた。それを見たクラリッサが泣き叫びながら止めようとする。


「待って。やめて。まだ埋めないで。お願い。まだ」


 身を乗り出して止めようとし始めたクラリッサを、ドミニクが腕に抱え直した。クラリッサは力の入らない手足を振り回して、作業を止めようとする。そしてそれがもうどうやっても止まらないのだと気づくと、絶望して叫んだ。


「お願い。私のおじいちゃんを埋めないで!」


 取り乱したクラリッサを、ドミニクは子どもごと抱え上げると、墓が見えないほうへ歩き出した。だんだんとクラリッサの騒ぐ声が遠くなっていく。


 ジュリウスはそれらを後ろで見ながら、アウグストが埋葬されるのを黙って最後までみていた。そして葬儀が終わり、人々が散っていくのに合わせて、自分も帰ろうとしていると、妻のミケーラがゆっくりと歩いてきた。


「坊ちゃまには本当にお世話になりました。今日この『良き』日を迎えられたのも、坊ちゃまのおかげです」


「……アウグストの言う、『孫の結婚式までは生き延びたい』という信条か」


 ミケーラはしっかりと頷いた。


「はい。パトリックの事故があった後から、あの人はまるで鬼に取り付かれたようになりました。でも気持ちはわかります。私だってクラリッサに対しては、同じ気持ちでしたから。あの子が独り立ちするまでは死ねない、と」


 ミケーラはただ静かに佇んでいるだけなのに、どうしてこんなにまで強く見えるのだろう。


「二人とも誠に責任感が強いな」


「式の後は、まるで人が変ったように明るくなって。よく笑うし、冗談まで言うようになったんですよ。とても楽しい五年間でした。あの人の亡くなった顔……それはもう安らかで」


「……それは、良かった」


 ミケーラの満足げな顔を見るだけで、この夫婦の歩んできた苦労ある人生にも、最後には実りがもたらされたのだということがわかる。


「私どもが結婚する時に、アウグストに死に神の役……死なない役割を、頼んだというのをご存じでしょう。あの頃は私も人間として未熟でしたわ。自分の事ばっかりで。私、クラリッサの結婚式の後は、別の誓いを立てておりましたの」


「……おそらく、それがなんだか、わかると思う」


「まあ、では当ててみて頂けますか」


「ミケーラは、アウグストより長生きするという誓いを、立てたのではないか。二人が結婚した時とは、ある意味、真逆の願いだ」


「その通りです。死に神と言われた、独りぼっちのアウグストを、残して死ぬつもりでした。でもあの人は一人になる恐怖とつねに戦いながら、家族を支えてきました。私は弱い自分が恥ずかしかったのです。そして感謝の気持ちから、今度はアウグストに先立たれる人生にしたかったのです。あの人は初めて、たくさんの家族に見送られて……」


「……」


「願いが叶い……今、とても幸せです。やっとあの人は死に神では、なくなったのですから」


 ジュリウスはなにか胸のつかえが、取れたような気がした。そして頼むようにミケーラに告げた。


「だがミケーラは、もう少しがんばってくれ。そうでないとクラリッサの心がもたない」


 そう言われたミケーラは苦笑した。


「そうですね。それでは、ひ孫育てをもう一踏ん張り。がんばりましょうか」


 晴れ晴れとした顔でそう言ったミケーラは、ジュリウスを見えなくなるまで見送った。



◇◇◇◇◇◇



 葬儀の帰り道にラムレイ男爵家に立ち寄ったジュリウスは、久しぶりに祖父ゲイアスとお茶を飲んでいた。


「孫のクラリッサ殿が、取り乱していた以外は、穏やかな式でした」


「そうか。じゃあ別の話をしろ」


「葬式の話は嫌なのですか」


「自分が明日死ぬかもしれないのに、好きな年寄りがいるか」


 ゲイアスは苦虫を噛みつぶしたような顔で言った。目の前にいるのが孫でなければ、席を立っているところだ。だがせっかく会いに来てくれたのに、こんな対応をするのも大人げない。


「それで……その孫とやらは、悲しいから取り乱してしまったということか」


「まあ、そうなのでしょうが、恩返しをしたかったのに、なにもできなかったと悔やんでいました。その気持ちは私も共感できるといいますか…………」


 ゲイアスは急に声を上げて、明るく笑い始めた。


「どうされました。お爺様」


「すまない。馬鹿にしたわけではないんだ。だが恩返しなんて、そんなものは不要だと思って、つい。悔やむ事なんてないんだ。

 こちらにしてみれば、孫のお前たちが、生まれてくれて、成長してくれて、有り難いという気持ちでな。大人になったお前を見て、いつも感慨深く思うよ。……だが、この孫の存在に、その成長に感謝する気持ちは、永遠に伝わらないだろうな」


 慈しみのこもった瞳で、ジュリウスを見つめるゲイアスを見て、祖父には永遠に敵わないような気持ちになったジュリウスだった。


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