戦の褒賞
忘れられない光景がある。
王都の公園を歩いていると、美しく晴れ渡る青い空を、少し高くなっている花壇の前の二人組が見上げていた。救国の英雄と呼ばれているエイレンズワースと、彼に守られるようにその両腕に抱かれている婚約者オフィーリア。二人は同じ方向を見上げていた。
オフィーリアももちろん美しいが、エイレンズワースは神話の時代から、そのまま出現したと言われるほど美しく、絵姿は飛ぶように売れるほどの人気だった。特に王都ではめずらしい、高身長に立派な体格が注目され、英雄という肩書きも相まって、神殿の彫像のようだ。
当時中等科の三年生だったジュリウスは、同級生と呑気に、噂の英雄とその想い人を拝めるなど、なんと眼福なと話ながら歩いていた。二人はまるで一幅の絵のようで、少しへらへらとしながら散策路を曲がろうとし、オフィーリアの瞳から、とめどなく涙が溢れているのを見たのだ。
見てはいけないものを見てしまったと思った、ジュリウスたちは、ぴたりと私語をやめ、なにごともなかったかのようにその場を去った。そしてそのことを忘れようと努めたが、溢れる涙を抑えようともせず空を見ていたオフィーリアと、彼女を宝物のように抱きしめるエイレンズワースの、切ない顔を時折思い出していた。
その後に起こった騒動の時に、なにが二人を苦しめていたのかを、理解する事になったのだ。
◇◇◇◇◇◇
レイモンドの指示で、ジュリウスは同僚たちと、ロダム領に来ていた。
軍役に従事しにきたのだが、悲壮感がない理由は、今回は封鎖任務であって、戦いにきたわけではないからだ。だが現地の人々、特に軍人の士気は最悪で、わざわざ外部から、ジュリウスのような関係のない人間を、かき集めてきた理由が体感できた。
ロダム領地の、英雄エイレンズワースは有名だ。三年前に隣接するダウデスウェル領地と衝突した際、めざましい活躍を見せ、最終的に戦上手のダウデスウェル軍を籠城させるまでに追いやり、負かしたからだ。
ダウデスウェル領は、五十年前まで独立領で、現在もなお独立独歩の気風が強い。領内には、外部からの侵攻を拒む堅固な城塞が築かれ、戦時には機動力に富んだ兵たちが敵の戦陣を崩し、状況が悪くなればたちまち城での籠城戦の、二段構えで、とにかく厄介な相手と、近接領から見られていた。
絶対に敵に回したくない相手のため、ダウデスウェルと取り引きすると、ついつい相手の言いなりになってしまう。それを良い事につけいられ、我慢も限界に来て、ロダム領地が宣戦布告したのだ。
この戦は当然、勝算があって始められたものだ。まずエイレンズワースの存在。ダウデスウェル領のやり方に、苛立ちを募らせていたロダム領全体と、隣地のハタスリー侯爵領、周辺の領地。そして近代化により変ってきた、時代の空気がなによりも大きい。闇雲に戦争での勝ち負けの結果で、不平等条約を結ぶよりも、協力し合って利益を分け合おうと言う考え方が、昔気質でいつも一人勝ちを目指すダウデスウェルに逆風を吹かせていた。
最初ダウデスウェル側は、甘く見ていたようだが、エイレンズワース率いる騎兵隊に、籠城戦に追い込まれた。そしていくら鉄壁の守りと謳われる城でも、こもっている人々はただの人間だ。五十年前ならともかく、現代の贅沢で便利な暮らしに慣れてしまった人々が、籠城生活を続けるのは中々上手く行かなかった。
不思議な事に、抑えても、抑えても、なぜか不満をもらすものが絶えず、小さな不満が積もり積もっていった。また捕虜の扱いも、近代化により人道的になっている。昔のように捕まったら死罪になるかもしれない、なんて話ならともかく、ただの労役刑で済むと、囁かれれば心は動く。
「こんなに不自由な生活を我慢したところで、得られる利益はほんのちょびっとじゃないか」という考えが、それぞれの頭に浮かんでしまったら、もう終わりだった。
そうやって揺れ動いているダウデスウェル城に、きっちりと時機を図って、エイレンズワースが使者として訪れ、和平交渉を成立させた。
ロダム領はお祭り騒ぎになり、そしてその立役者エイレンズワースに、領主の伯爵からこんな言葉がかけられる。
「私にできることなら、なんでも願いを叶えよう」と。
そしてエイレンズワースはこう答えた。
「一年前、瀕死の重傷だった私を救ってくれた、オフィーリアを妻にしたい」と。
祝勝騒ぎの中、その願いはなんの問題もなく叶えられた。
◇◇◇◇◇◇
一年前、領主の指示で鹿を追って、森の奥深くに分け入ったエイレンズワースは、猪に襲われ落馬し、人気のない森の中で、腰骨と大腿骨を折る大怪我を負ったのだ。誰もいなかったら、そのまま亡くなっていただろう。だが炭焼きの父親に食べ物を届けに行ったオフィーリアが、エイレンズワースの馬が助けを求めている事に気がつき、ソリで運んだ。
不便な山奥なのに、医者を呼んだり、エイレンズワースの侍従に連絡をつけてくれ、手厚く看病してくれたため、生き延びる事ができた。
オフィーリアは銀髪に真っ黒な瞳で、見つめられるとなにやら不安な気持ちになる、忘れられない外見をしていた。とても無口で必要最低限のことしか話さず、いつも無表情。山を下り、里で治療するようになっても、そんな彼女が忘れられず、いつしかエイレンズワースは、オフィーリアの声が聞きたい、笑うときどんな顔をするのだろうと、そればかり考えるようになった。体が動くようになると、すぐに会いに行き、結婚を申し込んだのだ。
そして二人は上手く行った。だが多少の問題が起きた。それは身分だ。エイレンズワースは某伯爵家の四男で、ロダム伯爵から与えられたみなし騎士として、活躍している。しかしオフィーリアはただの村娘だった。そのためエイレンズワースは、知り合いに養子にしてくれるよう頼むのだが、ここで不思議な事が起きた。オフィーリアを連れていくと、断られてしまうのだ。全員が困惑したように、後ろめたそうに……。
その一人に無理に問いただしたところ、こんな答えが返ってきた。
「隣のハタスリー侯爵領から、横やりが入った」と。
ここでエイレンズワースは、ここのところハタスリー侯爵家の令嬢テレサから、何度も面会を取り付ける使者が来ていることと結びつけた。そして領主のロダム伯爵に呼び出され、その屋敷に赴くと、果たして、そこにテレサ嬢がいたのだ。
「久しぶり。エイレンズワース。活躍ぶりを聞いたわ。私も鼻が高くてよ」
ろくに会った事もないのに、大勢の前で、まるで旧知の仲であるかのような言いように、エイレンズワースの胸に、強い警戒心が浮かんだ。
「私はあなたとは、お目にかかったことはほとんどありませんが」
「もう、意地悪言わないで。どうしたの、なかなか会いに来なかったから、すねちゃった?」
「……ほとんどお目にかかったことがない方に、そう仰られましても」
ロダム伯爵が焦って、なにか言おうとしている。侯爵令嬢に、親しい間柄であると『勘違い』されるのは、有益だ。だから普通はそのままにしておくだろう。おまけにこちらは騎士の身分。反論など以ての外だ。
だがエイレンズワースはこの女は危ないと感じ、まるで目の前に蛇がいるかのような気持ちになった。この時に、一度も会った事がないのなら、もう少し弁解しやすかっただろう。だが伯爵家出身のエイレンズワースは、大きな式典などで何度か会った事があり、中途半端な言い方しかできない。そこへ伯爵が仲裁に入った。
「どうしたんだね。エイレンズワース。親しい間柄の女性にそんな物言いをして」
「親しくありません」
「旧知の間柄なのだろう。オフィーリアより先に約束していたと。ひどいではないか。約束を破るような真似をするとは。おまけに戦の褒賞で、私にその片棒を担がせるとは」
伯爵の言っている意味を理解したくなかったが、エイレンズワースは貴族家で育ったため、その迂遠な言い回しをわかってしまった。つまりは「そういうことにしよう」と言っているのだ。こうなったら取るべき選択は一つだった。
「ロダム伯爵閣下。あなたはそれを後悔しませんか?」
強大なハタスリー侯爵家の、言いなりになったロダム伯爵は、エイレンズワースの目を見る事ができなかったようで、少し泳がせながら、自分に「大したことではない」と懸命に言い聞かせているようだった。
「考えすぎ……ではないかな」
そう言ったが、日頃から目を見て嘘をつける人間の、この動揺ぶりを見ると、大したことであることが自分自身よくわかっているようだった。
「袂を分かったということですね」
「エイレンズワース。落ち着きたまえ。大げさだと思わないか」
そう言われて、伯爵の目を見ると、反射的にまたそらした。
「失礼します」
エイレンズワースが歩き出すと、テレサがまるで当てが外れたかのように追いかけてきた。
「どうしたの? エイレンズワース。お話ししましょうよ。ねえ」
無視して外に出る。女性の足で追いつけるはずもなく、テレサはわざとらしく転んで見せた。それも無視して、城を飛び出し、オフィーリアを連れて飛び出したのだ。ダウデスウェル領まで。
広大なロダム伯爵領と、それ以上に大きなハタスリー侯爵領の中で、両家がその気になったら、オフィーリアの命はないも同然だ。まず最初に最悪を考えたエイレンズワースは、自分を恨み殺意を抱いている、ダウデスウェルに逃げた。ここなら例え自分が殺されたとしても、オフィーリアまでは狙わないだろうと考えたからだ。ダウデスウェルの人々は誇り高く、無関係の女性を巻き込むようなことはしない。
憎しみのこもった目で見てくる人々に大広間に案内され、先の戦の指揮をとったエーゴン・ダレル将軍の前に立たされ事情を話した。戦勝を立てたのに、ロダム伯爵が褒賞を反故にしたという話は、多くの者の失笑を買った。ざまあみろと思われたのだ。
だが将軍のエーゴンは、激怒して机を拳でたたいた。
「なんだと、ふざけるな!」
その声は広間にびりびりと響き、話し声でざわめいていた広間が、驚きで静かになった。エーゴンは敵ではあるが、中立的なものの見方をする人間だ。命をかけて戦争を勝利に導いた立役者に、祝勝の席で約束した褒賞を、都合が悪くなったからという理由で、あっさりと取り消したロダム伯爵のやり口に、虫唾が走って仕方がなかった。
「それで、逃げ場がなく、我が領にやってきたのか」
「そうです。閣下。先の戦でわだかまりがある身。傍若無人な振る舞いとお思いでしょうが、助けていただけないでしょうか。お役に立つ事を誓います」
「……別に誓わなくてもいい。君が約束を破らない男である事は知っている」
苦虫を噛みつぶしたような顔で、ロダム伯爵への皮肉を言うと、しばらく考え込んでいる。
「そうだな。それより、君……。王都へ行かないか? 行き先はどこでもいいのだろう? 今、息子が留学している。同郷のよしみで助けてもらうといい」
敵同士と言っても所詮は支配階級同士、顔なじみでもある。
「それはなにより。助かります。ここから王都に脱出する方法がなくて、困っていたので。きっとカミーユの助けになりましょう」
「気にしなくていい。困ったときはお互い様だ」
そして二人は、直接王都に船で向かう、秘密の経路を使って脱出した。
オフィーリアを守るために、エイレンズワースは、ロダム領で出世街道を昇るつもりだった。それならばオフィーリアも並び立つよう、努力しないといけない。だが王都に出て、仕事がいくらでも選べるようになったエイレンズワースは、軍事面で名をなしているボウエン伯爵家を通して、陸軍の幹部候補生になる道を選んだ。
ボウエン家を選んだ理由は、代々著名な軍人を輩出しており、規律正しい根っからの軍人気質のお家柄で、戦勝の褒賞を取り消すような、汚い真似をするとは思えなかったからだ。そうなるとオフィーリアも無理をする事もなくなり、たくさんの候補の中から、じっくりと時間をかけて信頼できる家を選び養子に行く事になった。
◇◇◇◇◇◇
その間、ロダム領では、エイレンズワースとオフィーリアの関係性を、自分たちに都合良く変えようという動きが出ていた。ハタスリー侯爵家の三女テレサは、その美貌から父親に溺愛され、欲しいものはすべて手に入る人生を送り、なにかを我慢するという考えがない。
しかしそんな彼女にも、手に入らなかったものがある。女性であるから侯爵家を継げないし、王族への嫁入りという華やかな縁組みも手に入らなかった。人から羨ましがられるような相手との、縁談が手に入らなかったのだ。だがそんな時に、テレサのお眼鏡に適う、「救国の英雄」という特別なお相手が現れた。
名門伯爵家の生まれであり、そしてなにより外見が美しい。これを手に入れるために、テレサは着々と準備を進めた。まずロダム伯爵と協力して、エイレンズワースとテレサは昔から結婚を約束していた事、オフィーリアは後から入ってきたお邪魔虫であり、たまたま命を救った事を盾に関係を迫っている醜悪な毒婦である事、エイレンズワースは本心では、テレサを望んでいる事などを噂で流し、大衆の印象を操作していく。
そしてそれと共に先の戦で、エイレンズワース率いるロダム領のために、手を尽くしたのはテレサだという話を流した。枯渇しそうになった食糧を手配したのはテレサであり、野戦病院で平民相手に看病したのもテレサであり、なんでもテレサがやったことになり、終いには和平交渉の場にもいたことになったのだ。そうすると民衆も次第に、「エイレンズワース様の隣にはテレサ様を。オフィーリアは身を引け」と集まって叫ぶようになっていく。
王都で三年を過ごしていたエイレンズワースと、オフィーリアの元にまで、その圧力は徐々に押し寄せていった。
◇◇◇◇◇◇
レイモンドと、ジュリウスたちは、新たな籠城戦が行われている、ロダム伯爵家の城の地図を見て、打ち合わせをしているふりをしている。他の家から派遣された組は皆、そうだ。することがないが、かといっておおっぴらに遊ぶわけにもいかず、時間だけただ過ぎていく。
「そうは言っても、カードを持ってきました」
念のために遠征時に持ち歩いているトランプのカードを、ジュリウスが取り出すと、同僚たちが歓声をあげた。
「良くやった。ジュリウス。褒美はなにがいい」
同僚が芝居がかった口調で聞いてきたので、真面目に答える。
「この辺りは、パイが有名だそうです。なんでも魚のパイがあるとか。……私はスグリのパイが好きで、…………まあ、そうは言ってもミートパイでしょうか。肉さえあればいいでしょう」
「魚のパイ」と答えると、おこぼれに預かるつもりの、同僚たちの士気がぐんと下がった。あわてて自分の好きな甘いパイを答えると、かなり持ち直したが、半数は「ソレジャナイ」という顔をしている。結局、どこに遠征しても食べるのは肉だ。もうすぐ夕飯の時間だが、そんなものは関係ない。出されたものは全部、平らげる他になにがあるというのだろう。
それぞれの財布から褒賞分の小銭を出そうとしたところ、すぐ横で見ていたレイモンドが、重い小銭入れを放り投げて寄越した。
「それで買ってきていいぞ」
上司の心遣いにまたしても歓声が上がる中、阿吽の呼吸で一人がレイモンドの財布を素早くつかみ、どうせ食べるであろう人数分のパイを買いに走り出す。その後、褒賞のパイをぺろりと平らげながら、ジュリウスは毎回、なんらかの褒美をもたらしてくれる、相棒のカードに感謝していた。
◇◇◇◇◇◇
籠城が始まったのは一週間前だ。
領地では三年かけて、引き裂かれている、英雄エイレンズワースと聖女テレサを、自分たちの手で結ばせようという民衆運動が高まりを見せ、それは次第に激しくなり、最後にはまるで火が付くように広がっていた。
それに特に激しく反応したのが、貴族子息を含めた、上流階級の子弟で構成されている、少年義勇兵ジャスティスローだ。彼らはロダム城に乗り込み、伯爵や上層部を人質に取った後、立てこもっている。要求は英雄と聖女の結婚。そして毒婦オフィーリアの絞首刑だ。
それが叶えられないのなら、この悲劇を世に訴えるために、自分たちは全員自害すると宣言し、多くの者が戦慄した。少年たちの年齢は、下は十歳から上は十四歳であり、多感な時期に集団で思い詰めたらなにをするかわからない。しかも自分たちのやっていることはこれ以上にない正義で、間違っているのは周りの方だと確信している。
説得に協力してくれるようにとの、英雄たちとの話し合いは絶望的だ。
伯爵家に詰めて籠城している少年たちを説得している者たちは、自分たちが長いものにまかれて、不義理を働いた事を自覚している。それでもエイレンズワースには、聖女と結婚するために戻ってきてほしいと、お願いはしたし、オフィーリアにも黙って戻ってきてほしいと連絡した。しかし当然のごとく無視された。
そして聖女テレサが、こんな危険な場に出てくることもないことを、直接会った事がある人間は全員、知っていた。
強行突入しようにも、犯人全員が有力者の子息であり、なにかあったら責任を取れるものでもない。第一、部隊員全員から拒否された。理由は「エイレンズワースの褒賞の件で、信用できないから」だ。命がかかる作戦で、信用できない上司の命令に従ったりしない。それを敵前逃亡で処断しようにも、最初に契約違反を犯したのは雇用側の方だ。
ジュリウスは、ロダム伯爵家の近くの病院に顔を出した。病院には、籠城戦初日に、突入のために使った爆発物のために、怪我をした少年兵が五名と、居合わせた城の警備兵三名が入院している。
彼らの話を聞ききに行くと、比較的軽傷の少年が、目を瞬かせながら聞いてきた。
「あのう、聖女様はまだですか。来て欲しいとお願いしていて」
「来ないのではないかな」
「なぜですか」
「聖女とはハタスリー侯爵令嬢の、テレサ殿の事であろう? 学院でお目にかかったことがあるが、なんでも人にやらせるタイプだった。このような場所に来るとは、とても私には思えない」
少年の夢を砕くのが気の毒だったが、けが人を出し、これだけの騒ぎを起こしておいて、問題の人物の人となりすら確認していないのは頂けない。
病院のまわりには、きっと聖女が来てくると信じて、人が集まっていた。なんでもテレサがやったことになったということは、これから起こる事もテレサがやるだろうと思われているということだ。そうやって注目が集まる中、どこにも現れなかったことが、いずれ話題になるのであろう。来るわけがないのに。一体、今までなにを見てきたというのだろう。
◇◇◇◇◇◇
籠城戦は十日で終わった。
立てこもった少年たちは、頑なに聖女との対面を要求したが、来なかったからだ。
「聖女なら自分たちの気持ちをわかってくれる」と言い張ったが、実現しなかった。
ロダム伯爵の長男トレバーによる代理政府は、少年たちの家族を使って、気長に説得し、決して罰しない、今後の活動も応援するという約束の元、降伏させた。その間、ハタスリー侯爵家に、何度も聖女を寄越して欲しいと連絡を取ったが、なしのつぶて。
解放されたときに、げっそりとやつれていたロダム伯爵が、「たいへんな目にあったよ」とつい愚痴をこぼしたところ、まわりから見下げ果てた者をみる目つきで見られ、なにも言えず下を向くしかなかった。「たいへんな目」にあった伯爵にいたわりの声はなく、騒動を起こした責任を問う声しか上がらなかったのだ。
籠城戦が起こり、活躍の場だったのに、テレサは一切動かなかった。噂の操作はするが、自分がなにかすることはないからだ。そして英雄も毒婦も姿を見せず、先の戦で活躍した兵士たちも、事実を知っている支配階級も協力を渋った。
ロダム伯爵家のために、誰も動かなかったのだ。
少年兵たちの次の要求は、聖女との面会だ。彼らは期待を込めて、ロダム伯爵家を通して書簡を送ったが、返ってきたのは社交辞令だ。それでも少年らしい純朴さと信仰、そして熱意で書簡を送り続けた。それを諦めさせようというハタスリー侯爵家の考えより、現実に気づく少年たちの成長のほうが早かった。
テレサの評判は作られたものであることや、そもそもエイレンズワース本人がオフィーリアを選んでいるのなら、仮に彼女が毒婦でも、それは他人が口をはさんではいけないことに気がつき始めたのだ。あとは運動がしぼむのはあっという間で、彼らは次に夢中になれるものに、その移り気な心を費やし始めた。
代替わりしたロダム伯爵領だったが、その後の経営はうまくいかなかった。
せっかく三年前にダウデスウェル領地を負かせ、勝ち取った優位な条約は、新しい宣戦布告をちらつかせられ、すべて元の通りに書き換えられることとなったのだ。
英雄は去り、士気の低い兵士にできることはなにもない。
そしてその憎しみはハタスリー侯爵領に向かった。彼らが余計な事をしなければ、こんなことにならなかったのにと。
◇◇◇◇◇◇
ハタスリー侯爵家で、テレサは荒れていた。
目をつけたエイレンズワースが思いどおりにならず、ロダム領で余計な騒ぎが起きたからだ。テレサは幼い頃からずっと、噂を操って、世界を自分の思いどおりにしてきたから、今度も上手く行く事を、疑っていなかった。だが彼女が操ってきたのは、あくまで社交界を渡り歩く人々であり、操られるにしても、ちゃんと限度をわきまえている。
しかし世の中の人々というのはそうではない。扇動されれば、暴動を起こすし、洗脳されれば、信じてしまう。そして学生運動や、クーデター、つまりは階級制度を壊す戦争を起こしてしまう。特に感受性が豊かな少年少女たちの取り扱いは、気をつけねばならなかった。
ハタスリー侯爵に呼び出されたテレサは、結婚が決まった事を告げられた。
「なんですって」
「お相手はガリア国のドゥヌーヴ子爵、ヨハン殿だ。先妻に先立たれ独身。子どもが七人いて、お年は三十歳だ」
テレサは絶句した。年も離れているし、吹けば飛ぶような身分だ。なにより距離が遠い。海を渡らなければならないし、言葉も覚束ない。なぜこんな罰のような婚姻を与えられたのだろう。
「ヨハン殿は神学校の学長をされていて、現地の布教活動の指導者なのだ」
「……いやです。そんな縁談。受けたくありません。まるでなにかの罰ようではありませんか」
「まあ確かに今回の騒動を引き起こした、罰でもあるな。だがこの話を断る事はできん」
「なぜですか。お父様の権力があれば例え罰でも……」
「この話は国王陛下からお前に与えられた、褒賞なのだ」
「……………………は?」
テレサはさっぱりわけがわからず、ただ口をみっともなくぱくぱくさせた。
「いやあ、今回はお前、とんでもない騒動を起こしてくれたな。おかげでロダム領との仲は滅茶苦茶になったし、とんでもない規模の損害額を叩き出しおって……。国王陛下に呼び出されて、そりゃあもう怒られたわ。…………表向きな」
「表向き」
「ああ。裏では褒めてくれてな。見事な手際だったと。素晴らしい扇動ぶりだったと。あれだけ広い領地を噂だけで、完膚なきまでに破壊しつくしたと。テレサの才能は素晴らしいから、有効活用しないといけないと、張り切っておられた。
それで探してきたのがこの話だ。ヨハン殿に嫁いで、ちょちょちょいと、布教活動に励んで欲しいそうだ。つまりこの婚姻は、崇高な使命を帯びた任務だ。お前の力を存分に奮える戦場を、わざわざ用意して下さったということなのだ。ありがたいのう。陛下に期待されるなんて、なんと誇らしい。良かったな。テレサ。感謝するのだぞ」
「私、そんなこと……したくありません。というかできません。別に今回のことはわざとやったわけでは……そんなことできないって陛下に伝えて……」
「お前の結婚は決定事項だ。それになにを子どもみたいな駄々をこねているのだ」
「我が儘ではなく『できない』のです。事実です」
「駄々をこねるな。こう言う時はな。ご期待に添えるよう『やらないと』いけないのだよ。死に物狂いでな。誰も味方がいなく、宗教すら違う外国で、国王陛下から見捨てられた一家が、その後、どのような末路を辿るか。…………わかるな?」
罰であり褒賞、使命であり任務。どうやっても拒否できない話を用意され、しかもそれを「喜べ」と言われる。なぜこんな結果になったのか、テレサにはどうにも理解できない。だがこれは陛下からのテレサへの褒賞に間違いなかった。




