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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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エルンストの聖書

直接的な暴力表現があります


 保安官事務所に立ち寄ったのは、王都まであと三日という距離でのことだった。街道には移住を希望し、移動している最中の村人たちの馬車や家畜が並び、大混雑だ。井戸から水をもらい、喉を潤したり、家畜に与えたり、こんな田舎に大勢の人が集まり、少しはしゃいでいる。


 事務所で簡単な報告をしていると、移民団の先導を務め、護衛をしている男たちが、薄汚れた姿でどかどかと入ってきた。一斉に帽子を取ってジュリウスに頭を下げる姿が、意外に優雅で、実は都会出身なのかと勘違いしそうだ。


「この移民団の護衛を務めているテディと申しやす。お願いがあって参りやした。実は俺たち人数が足りなくなっちまって、それでジュリウス様に……」


「護衛の手伝いか。別に構わない」


 普通は、貴族の青年が引き受けるとは思わないだろう。ジュリウスの承諾は誰にも信じてもらえず、聞き流されたようだ。


「おっと、断るにしても最後まで聞いて下さい。仲間に具合が悪いのが出ちまって……。でもそいつはなんとか、馬に乗っているだけならできそうなんです。それでジュリウス様には、移民の列に一緒にいて頂きたいんです。いて下さるだけで構いません。なんもして下さらなくて結構です。盗賊が現れても無視して下さって構いません」


「それはまた無茶な……」


「とにかく強そうな方が移民団を護衛するように一緒にいて下さるだけで、盗賊に襲われる可能性が低くなります。だから一緒にいて下さらないでしょうか。食事も寝床も、できるだけ良いものを提供します。どうぞお願いします」


「いいぞ」


「そこをなんとか」


 苦笑しながら立ち上がったジュリウスは、テディの肩を力強く叩いて、頭を起こさせた。


「引き受けるから、安心しろ」


 テディたちは信じられないと驚きながら、お礼を言って、そして次々に歓声を上げて表に飛び出していった。よほど切羽詰まっていたのだろう。流れ者がこんな頼み事をしてくるなんて。


 表に出ると、目の前を移民団が、少しずつ移動しているのが目に飛び込んでくる。歩くよりも遅いのではと思えるその速度に、これでは王都に戻るのに五日はかかりそうだと思う。だが仕方がない。小耳に挟んだ事情を知りながら、放っておいたら後で気になっただろう。


 早速、具合が悪いという護衛を見舞いに行くと、横になっていて顔色が悪かった。ここの所、日差しが強い日が続いたから、脱水症状かもしれない。水を与えて、自分も旅の支度をしながら、移民の列や、牛が何十頭も移動していくのを、ただぼんやりと眺めていた。つね日頃の自分の時間の流れとまるで違い、違う国に来たようだ。


 この辺りは、もう王都近郊と言っても良く、畑が広がるが同時に都市部でもある。それなら郊外と違って盗賊の出没はどうかというと、意外に出るのだ。王都に近づき人が多くなると、取り締まりも厳しくなるが、設備が増え過ごしやすくなる。それと同時に盗賊も増える。だから護衛は最後まで気を抜けない。


 そのためジュリウスも見回りをしながら、ブラック号で歩いていると、子どもがたくさん乗った馬車の横を通りがかり、その中のエルンストという聖書を手に持った少年が、まわりから「先生」と呼ばれているのに気がついた。子どもたちはなにか不思議に思うと、なんでもエルンストに聞いている。


「なあ、エルンスト。なんでここらの水路は堰が斜めなんだ」


「なんでだろう……」


 エルンストはしばらく考え込んだ後、こう言った。


「たぶん、水路の切り口である堰を斜めにしたほうが、水がたくさん落ちるからじゃないかなあ」


 ジュリウスはぎょっとした。自分が子どもの頃に学校で教わった事を、この少年は先ほどから自分の頭で考え、推理して、答えを得ている。


 興味を引かれたジュリウスは、さりげないふりをして、その少年の受け答えを聞いていた。エルンストは子どもたちの質問が落ち着くと、その度に手元の聖書を読みはじめる。真剣に指で辿っていて、真摯な姿勢を見せていた。時折、たずねる子どもたちの要望に応じて、聖書を読経してあげたりもしている。


 それを見て、将来は立派な人物になるであろうと、ジュリウスは一人満足そうに頷いていた。だからエルンストのことを、その日一日気にかけていたと言ってもいい。


 そのエルンストが盗賊の出る夜になって姿を消してしまい、その時はたまたまだろうと軽い気持ちで、そのことを子どもたちに尋ねた。ところがまるで後ろ暗いところがあるかのように、彼らはおどおどし、終いには移民団から追い出したと答えたのだ。


 この辺りは、高価な家畜一頭よりも、子どものほうが高値で取り引きされる。人身売買を恐れたジュリウスは、ブラック号を走らせて、エルンストを探し回った。すると長い行列を作っている移民団の中頃に、聖書を手に家畜に囲まれてしょんぼりと立ち尽くしていたのだ。


「エルンスト。心配したよ。大丈夫かい」


 エルンストは移民団の護衛をしてくれる、お偉いさんと聞いていたジュリウスが、気さくに話しかけてきたのに戸惑っていた。変な立ち方をしていると思ったら、足を怪我しているようだ。エルンストをブラック号に乗せて、テディたちが順次見回りに来る、移民団の責任者たちが囲んでいるたき火の元へ連れていった。


「さっきの場所は危険だから、今日はここで夜を明かすように」


 そう言いながら夜食用の芋を渡すと、一瞬、遠慮したが素早く平らげた。頭も良いし、礼儀正しいが、遠慮が腹の足しにならないことを、よく知っているところは農民だなと感じる。


「ところで、なにがあったんだ?」


 そう言われて、困ったような顔でエルンストは目を泳がしている。それを見たまわりの大人たちは、訳知り顔で頷いている。そしていつまでも答えないエルンストに代わって、大人たちが彼の境遇を説明し始めた。



◇◇◇◇◇◇



 エルンストが「悪魔の子」と呼ばれるようになったのは、生まれたその時からだ。


 両親はとても仲の良い夫婦で、間に三人の子が生まれたが、三番目のエルンストの時に、母親は産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった。最愛の妻を亡くした夫は、その悲しみを赤ん坊のエルンストにぶつけた。単なる責任転嫁だ。そして上の子ども二人、兄と姉も父親を真似して、同じように責めるようになった。


 いくらなんでもあんまりだと思った村人は多く、そのためエルンストは同じ村の別の一家で育てられ、数年は平和だったが、だんだん村はおかしな雰囲気になっていった。エルンストの兄は、父親から強い憎しみを植え付けられてはいたが、わざわざ関わってこようとはしない。


 問題は二歳年上の姉アルスだ。嗜虐的な性格で、自分より弱い者を見つけると、つけ回してまで嫌がらせをする情け容赦ない性格だ。なんの用事もないのに、徒党を組んでエルンストのところにやってきては、子どものいたずらではすまない損害を与える。


 村は教区の司祭も激怒するひどい有様になり、彼の采配でエルンストは移民団に加わる事になったのだ。姉アルスと距離を取った方がいいだろうと。質が悪い事にアルスは両親に似て鄙には稀な美人で、村の若者を操り、よくない影響を与えてもいたため、厳しく再教育する予定だった。


 ところが移民団の若者に色仕掛けで迫り、一緒についてきてしまったのだ。ただエルンストに嫌がらせをするためだけに。


 こういった集団で姉に「悪魔の子」と、叫ばれたらおしまいだ。その発言が本当かどうかなんてどうでもいい。村のような集団では目立っては駄目だし、陰口の対象になったらおしまいだ。陰口をいう人間の仲間と思われるのは危険だし、言われる方の仲間だと思われたら身の破滅だ。だからアルスとは距離を取りたいし、エルンストは追い出さないといけない。そしてみんなで下を向くのだ。


「……」


 その話を聞かされたジュリウスは、面倒な事になったぞと、考え込んだ。


 今、この場にいるのは村の責任者たち……つまりはお偉いさんたちだから、エルンストの問題を中立な立場で話し、口を出せるのだ。きっと普通の村人たちはなにも言えず、黙るだけだろう。エルンストのように。


 そして姉アルスの人格的な問題。せっかく司祭たちが解決しようとした問題を、「執着」という感情で台無しにした。この先、エルンストの行く先々に着いてくるのかと思うとぞっとする。


 そう思うと、なんとなく可哀想になり、ジュリウスは荷物の中の干し肉と水をエルンストにやった。エルンストはうさんくさそうに見ながらも、驚くほどの早さでたいらげる。黙ってその姿を見ていたジュリウスは質問を重ねた。


「エルンスト。君は……どこで学問を習ったんだい」


「習っていません。俺の村では日雇い農民は、学校に行く金ないんです」


「では、先生と呼ばれている知識はどこから?」


「俺の養父の一家ってみんな頭いいんです。星を見て季節を読んだり、空を見て天気を予想したり、いっつもそういう話ばかりしてて。だから俺もとにかく、なんでも観察するよう心がけてて」


 家庭環境が良いということらしい。下手に学校に行くよりも、恵まれていたということだ。


「…………字は、ご両親……養父殿から教わったということかな?」


「いいえ。読めません」


 あっさりとエルンストは否定し、ジュリウスは目を見張った。


「…………ちょっと待ちたまえ。君は聖書を読んでいたし、読み上げていたよな。字が読めるのではないか?」


 エルンストが初めて恥ずかしそうに顔を赤くし、もじもじとした。下を向いてぼそぼそと答える。


「司祭様のお話は残らず暗記しています。だから聖書も丸暗記しています。ですが…………字の読み方はわからないのです。いつか覚えて、聖書を自分で読むのが夢です」


 意外な事実にぐるぐる回る頭をジュリウスは抱えて、目の前の少年を見やった。頭の中に大量の知恵を詰め込んだ、字の読めない少年。なぜ字が読めないのか。教会では文字を教えたがらない。そんなのは当たり前だ。平民に「知恵」をつけたくないからだ。皮肉だが、確かにここにいるエルンストを教育したら、教会が恐れる「すごい結果」を生みそうだ。


 しかし、なぜそこまで『聖書』にこだわっているのだろう……。


「聖書を……どうしてそんなに聖書を読みたいのだ? 将来、神にお仕えするつもりか?」


 しばらく辺りに沈黙がおりた。ジュリウスもこの質問は、別に無理に答えてもらおうとは思っていない。エルンストは、自分の心の底にしまってある、大事な物でも取り出すかのように、静かな声で話した。


「昔、司祭様が……、母が亡くなった理由も、俺が『悪魔の子』と呼ばれる理由も、聖書に書いてあるって仰って。だから暗記したけど。それでもよくわからなくて……。きちんと自分の目で読めたらって」


 エルンストの独白を聞いて、ジュリウスは急に、泣きたいような気持ちになった。


 子どもだったら誰だって、自分の母親が亡くなった理由を知りたいに違いない。だからそう問われた司祭は聖書を救いとして与えたのだ。そう答えるしかなかった、司祭の気持ちもジュリウスはわかった。彼の立場なら、自分も同じことをしただろう。


 かなりの遠回りになるが、結局の所、それがエルンストを「答え」に導くだろう。彼がこれからたった一人で生きていかなければならない、その人生の道しるべとなるだろう。


 だが、もう少し……、もう少しエルンストの孤独に、寄り添った答えを与えても良かったのではないか。そう思うといたたまれなくなったのだ。字が読めないのに聖書一冊を丸暗記したのは、その能力があったからではない。母親に近づきたかったからなのだから。




 そのまましばらくたき火をながめていたが、荷物の中から、ペンと筒型インクを取りだした。エルンストから聖書を預かると、たき火の明かりを頼りに、空白のページにアルファベットを書き込んでいく。


「アルファベットの歌は…………、君なら知っているか」


 ジュリウスの作業をしがみつくようにして、見入っていたエルンストは何度も頷いた。さっそく口の中でぶつぶつつぶやいている。


「それでは、まず、この字とこの字、この字を覚えて、表紙を見てみよう」


 表紙の文字を丹念に辿ったエルンストの目から涙があふれ、ジュリウスはあわてて涙で汚れないよう彼から本を取り上げた。


「聖書って書いてあります」


「そうだな。君ならすぐに読めるようになる」


 残念ながら、聖書を読んだことで、母を亡くした理由の答えを得られるとは思えない。性急に答えを求めるようなものでもない。だが、その母を求めた行為のおかげで、すぐに字を読める事ができるだろう。そしてそれが今後のエルンストの助けになるはずだ。



◇◇◇◇◇◇



 それから毎日ジュリウスは、エルンストに文字の読み方を教え、元々暗記しているエルンストは、読むための法則を理解すると、恐ろしいほどの早さで上達していった。エルンストを追い出した村人たちも、姉のアルスも、ジュリウスには近づけず、なにか言いたげにまわりをうろうろするだけだ。その間、ジュリウスはつねに護衛たちや責任者がいる場所で休憩をとり、エルンストを彼らの輪に馴染ませていった。


 移民団が、ようやく王都郊外のドミ村につくと、彼らの受け入れ手続きが始まり、三々五々と村の中に散っていく。


 村長宅についたジュリウスは、まず入浴を所望した。それを聞いたエルンストは早速手伝いを申し出る。


「ジュリウス様。入浴されるのですか? ではお手伝いいたします」


「いいや。入浴するのは君だ。身だしなみを整える方法を覚えてもらう。その次は髪の切り方だ」


「ですが、私はただの農民です。これから出世したとしても、男ですし……」


「君のいた村ではそうだったかもしれないが、ここは都市部なんだ。都会では男性も外見を磨き、それを武器にする」


 ジュリウスは、エルンストの言う「一ヶ月分の石けん」を使いきれいにすると、村長から子ども用の清潔な衣類を譲り受ける。髪も坊ちゃん狩りにし短くすると、汚れの下から、育ちの良さそうな美しい少年が現れた。村長宅の広間に連れて行くと、休憩を取っていたお偉いさんたちが、喝采を上げて迎えてくれる。


「あそこの夫婦は美形でしたからねえ。エルンストもそうだろうと思っていましたよ」

「兄弟みんな美形ですしねえ。これで移民団の顔ができましたなあ」


 エルンストを連れた移民団の代表たちは、まずは司祭に挨拶に行き、村長を始めとした責任者たちに、簡単にエルンストの事情を話す。そこからエルンストの能力が話題になり、村に一気に広がっていった。



◇◇◇◇◇◇



 村に着いたその日のうちに、ドンナ家の家長で地主のルドルフから、エルンストを引き取らせてもらえないかとの申し出があった。書生として召し抱えようというのかと思っていたら、なんとルドルフの長男の子として、つまり養子として引き取りたいという。


 相手の狙いは明白だ。ラムレイ男爵家とドミ村の距離は近く、ボウエン伯爵家を通して、間接的に支配関係がある。その男爵家の覚えめでたいエルンストを、引き入れようという魂胆だ。本人も喜んだ、またとないいい話で、すぐに村人に発表された。




 その日の夕方、移民団の到着で落ち着かない村の人々が、中心部の広場に自然と集まってきたところで、地主のルドルフが、エルンストを養子に迎えると発表したのだ。村人たちは移民団の一員という、新参者が大きな顔をして地主一家に迎えられるという話を聞いて、一瞬、敵愾心が頭をもたげた。


 だが前に出されたエルンストが、まるで都会から来たような清潔感を漂わせ、おまけに村ではめずらしい美しさを備えていた事から、特に若い女性は先ほどまでの警戒心をあっという間に忘れ、どうやったらお近づきになれるかと考えを巡らすようになった。


 「内と外」という固定された人間関係に、なんとか食い込むのに、なにかしらの「特別な要素」を持っていると強い武器になる。「あの人は特別だから、仲間にしてやってもいい」と思われた事で、この村での生活はなんとかいきそうだと、ジュリウスが思っていると……。




 その時、広場に大声が響いた。


「悪魔の子め」


 叫び声の主は、エルンストの姉アルスで、こう言えば今までは村人たちが、自分の思いどおりになったのだろう。満面の笑みを浮かべている。こうやってエルンストを糾弾すれば、村人たちは皆、糾弾されたエルンストをただじっと見る。見られたエルンストは、立ち去るしかない。年上で、父親の後ろ盾があり、美人のアルスには味方がたくさんいて、エルンストには今までなすすべがなかった。


 だがドミ村の村人たちは、戸惑ったようにアルスの方を見ただけだった。エルンストの噂自体は皆、知っている。だが、ドミ村にとって、エルンストは地主の養子で、頭が良く、貴族と親しく、なにより女性たちが夢中になる外見をしている。



 それになにが腹立たしいって……。



 移民団の代表が、アルスを怒鳴った。


「静かにしろ。偉い方が話しているんだ」

「悪魔の子。そいつは悪魔の子なのよ。養子なんておかしいわ」


 地主のルドルフと村長が、無表情でアルスを見ている。代表がさらに怒鳴った。


「いい加減にしろ」

「だっておかしいじゃない。悪魔の子なのに。地主の養子だなんて。ねえ」


 アルスは振り向いて、自分の周りにいる移民たちに同意を求めたが、誰も目を合わそうとしなかった。一緒に来た若い男が、懸命にアルスを止めようとする。


「もう止せ。アルス。いい加減にしろ」

「どうして。そいつは母親を殺したのよ」


 広場にいた人々のざわめきが静かになり出した。村長がなにか小さな声で話しているのを、聞こうとして多くの人がおしゃべりをやめたのだ。じゅうぶんに静かになったところで、村長が囁くように呟いた。


「新参者が騒ぐな」


 まわりに甘やかされ増長したアルスは少し前に出て、村長に訴えるように話しかけた。


「ですが、村長。エルンストは母親を殺した悪魔の子なのです。そんな子が地主の養子なんておかしいです」


 村長はなにも言わずにアルスを見ていた。アルスは怒られなかったので、もっと踏み込んでもいいだろうと勘違いしてしまった。あくまでもエルンストを村から排除するかしないかを、話合っているという観点しか持てなかったのだ。だが多くの人々が感じていた、村に「新参者」を受け入れるか入れないかという、大問題に発展している事に気がついていなかった。


 アルスはその美貌でつねにどこででも受け入れられていた。新しくドミ村に来てからも、村人たちを懐柔するのは簡単だった。だがドミ村の人々は、大量に来た移民団を表面的にはにこやかに受け入れているが、本心ではどこまでいっても、彼らを「よそ者」として扱っている。


 そんなよそ者が、まるで村の一員のようにふるまって、エルンストを迫害する姿を見て、強い反発心を抱いていた。エルンストだってよそ者だが、彼は「特別」だ。普通の村人にはない「特別な条件」をいくつも持っている。自慢できるから特別に加えてやってもいい。だがアルスはなんなのだ。なぜお前なんかの扇動にのって、村の一員を迫害しないといけない。だいいちお前は何様のつもりなのだ。偉そうに「エルンストの迫害」を指図しやがって。


 ドミ村の村人たちの、ぴりぴりとした空気を感じ取って、移民団の人々は小さくなっていた。


 「特別」だと甘やかされた気の毒なアルスは、村で生きるなら絶対に必要なこの規則を、学ぶ機会を得られなかった。だから目の前で起こっていることが、本当に理解できなかったのだ。


「ねえ。村長……」


 言いかけたアルスは後ろから強い力で殴られ、体がよろめいた。驚いて振り向くが、皆、目を合わせようとしない。


「え? なに? 今の。誰が殴ったの?」


 混乱したアルスに、答えてくれるものはいない。アルスがぎゃあぎゃあと騒いでいると、まわりから「静かにしろ」「いい加減にしろ」と何度も注意される。だがアルスは、人に指図されるのが我慢ならなかった。


「どうしてよ。なんでみんな、あの悪魔の子をかばうの」


 アルスが大声で抗議すると、後頭部を激しい力で誰かに殴られ、崩れるように地面に倒れた。頭がくらくらして、体に力を入れる事ができない。だがなによりも衝撃だったのは、そんな状態のアルスを誰も助けてくれなかったことだ。手を差し伸べるものは一人もなく、村長が遠くでなにかを話しているのがわかった。そして集会が終わり、人々は解散していった。アルスを残したまま。


 ドミ村の人たちを操ろうとして痛い目を見たアルスは、その後、元の村に帰ろうとする姿を最後に姿を消した。




◇◇◇◇◇◇




 その後、仕事で村に立ち寄る度、ジュリウスはエルンストの顔を見に行っているが、その度に身長が伸びていて、子どもの成長は早いと感慨深い。


 そんなエルンストだが、一度だけ落ち込んでいた事がある。


「どうしたのだ? エルンスト」


「あのう…………ジュリウス様は、お母様はいらっしゃいますか?」


「………………ああ」


「どんな方ですか?」


「………………優しくて…………温かい女性だ」


 嘘ではない。そういう所も確かにある。そう自分に言い聞かせた。


「いいなあ」


「……」


 喉元まで、「そんなにいいものではない」と出かかるのを、ぐっと我慢する。


「あのう、ジュリウス様。俺のお母さんは、やっぱり俺を恨んでいると思いますか」


「……」


 難しい話題になり、なんと答えたらいいものか迷う。恨んでいないと言えば、今度はエルンストの父親や兄弟を否定する事になる。一緒に暮らした事がないと聞くから、愛着はないだろうが……。人の親兄弟を、否定するようなことを言うのもはばかられる。そもそも、どこまで言っても母親の本心はわからない。どっちみち……。


「すぐに、答えはわかると思う」


「すぐに? どうしてですか」


「君は今、十二歳、もうすぐ十三歳なのだろう。あと三、四年たてば、結婚の話も出る年だ。地主の子で将来を期待されている。縁談は降るようにあるだろう。子どもができて、自分自身が父親の立場に立ったときに、どう感じるか。想像ではなく、体験してみるといい」


 エルンストはなにやら、もじもじしている。口に出したい事があるが、それを言うのが怖いのだ。その問題と向き合うのを、ずっと避けているが、ついつい頭に浮かんで、ずっと忘れる事ができないのだろう。その不憫な姿を見て、杞憂だと思ったジュリウスは、小さく笑い出してしまった。


「君の心配事をあててやろうか。君は本心では『悪魔の子』と呼ばれるのは、理不尽だと思っている。君にはなんの責任もないし、親兄弟のやったことは道理が通らない。

 ……でも怖いんだ。もしかしたら本当に自分のせいで、母親は亡くなったのかもしれない。もしかしたら母親は、自分を恨んでいるかもしれない。もしかしたら……、自分が父親になったときに、同じことが起きたら、同じように子どもを憎むかもしれない。理不尽だと思っていた自分が、自分の子どもに同じことをするかもしれない。内心では父親に腹を立てているが、彼のほうが正しかったかもしれない……」


「そうです」


 小さくなってしまったエルンストの肩を、ジュリウスは力強く叩いた。


「そんな心配はいらない。私には……どんな時も妻子を可愛がる君しか、想像できないのだから」


 エルンストが、なにを怖がっているのかわかる。父親と同じように、自分の子を虐待するかもしれないと怖いのだろう。あんなに理不尽だと思っていた自分が、おなじ事をしてしまったら…………その恐怖ときたら、夢に見るほどだ。


「心配いらない……ですか」


 自分を信じられないのだろう。半信半疑な瞳で、エルンストは見つめ返してきた。少しでもそんなエルンストの不安を取り除けないかと、ジュリウスは考えを巡らした。


「そうだなあ。そんなに不安に感じるなら、子どもが生まれたときに、駄目だと思ったら連絡をくれないか? すぐに飛んでいくから」


 驚いたエルンストが変な声を上げた。


「だってお忙しいでしょう」

「構わない」


「それにぶしつけだし」

「生まれる子が楽しみだ」


「非常識な時間帯に、生まれたらどうするんですか」

「子どもとはそういうものだ」


 目を白黒させるエルンストをなだめて、「駄目だと感じたら、必ず駆けつける約束」をする。

 エルンストはしきりに恐縮しているが、なんの心配もない。

 だってそんな連絡来ないのだから。



 聖書を暗記するほど、母親を求めた愛情深いエルンストが、子どもを愛さないはずがない。

 親兄弟に愛されなかったエルンストは、自分が人を愛せるか不安なようだが、一緒に旅をしたジュリウスは、彼が愛情深い人間である事をよく知っていた。


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