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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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芝居


 寄り合いに行った祖父ゲイアスが、後輩を連れて帰ってきた。なんでももう少し飲みたいと、粘られたとか。


 十歳ほど年下の後輩アーロンは、当時貧しかったゲイアスと、肩を並べて仕事していたそうで、穏やかな愛想笑いを浮かべた中年男性だった。もちろん歓待し、簡単なつまみをだし、客用の酒を並べる。そうは言っても夜も遅かったため、大した物は作らず、数並べただけだ。


 しかし饗膳を見たアーロンは、愛想を張り付かせたまま、ふっと冷たい笑みを浮かべた。一瞬、引っかかりを覚えたものの、急に話しかけられ、祖父の客に丁寧に接しようという気持ちに引っ張られ、すぐに忘れてしまう。二人は昔を懐かしんで盛り上がり、したたかに酔った彼はその晩、客間に泊まることとなった。


 そして翌早朝、鍛錬をしていると視線を感じ、振り向くとアーロンが立っていた。


「よくお休みになられましたか」

「ああ、高い酒に、柔らかい寝台。ぐっすり眠れたよ」


 そういってジュリウスと並んで、鍛錬を始めた。年はいっているが積み重ねたものがあるのだろう。今でも体幹が確かで、足さばきに衰えはない。きっと真面目な人柄なのだろう。


「一緒に働いていた頃は、よくお邪魔させてもらったもので、失礼だが、ここはもっとうらぶれていたな。随分、立派になったようだね」


「最近ようやく手を入れることができまして」


 繊細な質問に、嫌みにならないよう受け流した。


「聞いているよ。君の代になってから、ずいぶんと贔屓されていると。コツを教えてもらいたいものだ。私にも息子がいるのでね」


「恐れ入ります」


 短く、しかししっかりと返事をする。主君ジェイムズに声をかけられてから、このような当てこすりを良くされるようになった。最初のうちはからかわれる程度だった。


『声をかけられる者は、それなりにいる。小僧が調子に乗るなよ』と。


 牽制の意味合いだったのだろう。だがその贔屓が続き、家内で確かな地位を築き始めてからは、足を引っ張ろうとするものも現れるようになった。そして先日、ブラックウェル家に婿養子に入る話が発表されると、それまで敵意を抱いていた者たちは、絶句し、なにも言わなくなり、そして目に殺意を宿らせるようになった。


 そういった者たち相手に弱気になってはいけない。強気になりすぎてもいけない。ただ受け流す。それが一番良いと学んでいた。


「私も……。君のように家を再興したかったものだ」


 なにを言いたいのかはわからなかったが、少なくとも敵意は感じなかった。


(憎しみや妬みではなく……、もっと、こう、諦念のようななにかだ)


 彼が持っている感情は、乾いたものに感じた。


 台所で木のお盆に、お粥を入れたお椀や、お茶を入れたボウル、白パンに卵を並べる。本当はハムやジャム、果物だってある。だがなんとなくこれ以上、豊かになったラムレイ家を見せない方が良いような気がした。


「アーロン殿。朝食です」


 客間の小机に乗せて、それ以上会話せず立ち去る。台所で自分の分のお粥を椀に盛ると、行儀悪く立ったまま流し込むように食べた。パンや卵も次々に手に取り、飲むように食べ、慌ただしく支度をし、ブラック号に乗って家を出ようとしたにもかかわらず、目の前でアーロンが待っていたのだ。


「……アーロン殿」


「学院ですか? 途中までご一緒しましょう」


 そういって馬を返した。アーロンは少し緊張し、目が高揚している。


(やられた。私が狙いだったのか)


 頭を抱え、しかし今さら別れるわけにもいかず、ちらちらとアーロンを見ながら馬で歩き出した。


◇◇◇◇◇◇



 日によってはボウエン家三男グリフィンの、護衛に駆り出されることがある。その場合、本来なら直接出向くところだが、治安の向上に伴い、途中で合流するだけの時もあった。そして今日がその曜日だ。


 待ち合わせ場所で待機していると、やってきたグリフィンに、アーロンは訴状を出した。


「不躾ながら、平に、平にご賢察を願い上げます。何卒、我が訴えをお聞き入れ下さいますよう!」


 離れるように指示したところにきちんと立ち、それ以上は近寄ってこない。だが時代がかった訴えに、グリフィンは興味津々だった。


「ジュリウスの知り合いか?」


「知り合いなのは間違いありませんが、このような狼藉を許す気もありません。直ちに止めて参ります」


「待て。話だけ聞いてみよう」


 グリフィンが許した以上、どうにもならなかった。


「アーロンとやら。何用だ」


「訴えを聞き入れて下さり誠にありがたく。私の父オレクが、仇敵のノヴァースキイ家に陥れられた件を調べて頂きたいのです。父はつつがなく勤め上げました。ですがなんの失敗も犯していないのに、突然、左遷され、俸給も減らされました。陰にノヴァースキイ家の暗躍があったと、私は確信しております。しかし下っ端の身では調べることも叶わず、こうして訴え出ました。これが訴状です」


「見せよ」


 グリフィンがそう言ったため、ジュリウスは訴状を受け取ると、中を改め渡した。


「経緯はわかったが、何分、昔のこと故、調べるのは時間がかかる。これは預かる」


「平に感謝を」


 この国ではめずらしい、平身低頭な姿勢でアーロンは一行を見送った。


「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。グリフィン様」


 これでせっかく進んでいる昇進の道が閉ざされたら、本気で恨むと、ジュリウスはめずらしく腹を立てていた。


「おもしろかったなー。あ、しまった。今のは聞かなかったことにしろ」


 ぽろっと本音をもらしたグリフィンは、ぱっと口を隠した。


「まあ、預かった以上は調べないといけない」


「放課後、ボウエン家のほうに行った方がいいでしょうか」


「なにを言っている。知っているとしたらゲイアスではないか?」


「祖父が?」


「ああ。そう思ったから預かったのだ」


◇◇◇◇◇◇


「……その話。誰から聞いた?」


「今朝、このような騒ぎがありまして」


 孫の説明に、ゲイアスは渋い顔になった。


「なるほど。昨日のアーロンはどこか緊張していると思ったが、そういうことか。すまなかったな」


「それでご存じのことがありましたら……」


「もう終わったことだ」


 にべもなく切り捨てられたが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「グリフィン様のご命令なのです」


 ゲイアスの目が一瞬、泳いだ。


「掘り返すようなことでもない」


 この反応をジュリウスはよく知っている。あまり思い出したくないできごとで、主君の命令だとしても、忘れたことにしたいのだろう。


「お爺様。命令は命令です。下したのがジェイムズ様でも、グリフィン様でも変わりありません」


「それなら。まずは普通に調べてみろ。その上で話を聞こう」


◇◇◇◇◇◇



 記録庫で当時の資料を探したが、膨大な紙の中、まったく見つからない。この手の情報は人に聞くのが一番だ。しかしアーロンの父オレクが左遷されたのは、二十五年前。当時新人でも今、四十代半ば。それ以上となると、ほとんどが息子に家督を譲り始め、第一線を退く年齢だ。


 そこへリックがやってきた。


「ジュリウス君。報告を受けた訴状の話だけど……」


「はい。お手数おかけします」


「父に聞いてみたけど、終わったことだからって」


「左様ですか」


「だからこの調査はやめてくれないかな。グリフィン様には私から言っておくよ」


「承知しました」


 経験上、担当者が「知らないほうがいい」という場合、それが本当だと知っている。それに身分が上の上司にやめろと命令されたら、従う以外に道はなかった。


◇◇◇◇◇◇



「お爺様。このような結果になったのですが……」


「そうか」


 一通り聞いたゲイアスは、話を切り上げようと、ぶっきらぼうに返事をした。だがジュリウスはまだ聞きたいことがあり、その場にじっと立っていた。


「一つだけ教えて頂けませんか。オレク殿の妻オレイシャ殿の死に関係あるのですか?」


「……どこでそれを?」


「大したことはしておりません。公文書館や教会の記録を調べたのです。ボウエン家にないのなら、他の場所の記録をあたろうと」


 それを聞いて頑なだった態度を、ゲイアスは崩した。何事かを考え込んでいる。


「ふうむ。ご当主様は、少しお前を買いかぶっておられるのではと心配していたが、ご明察の通りだったのかも知れないな。……中途半端に知るくらいなら、腹を割って話そう」


 そう言ってゲイアスは、昔から使っている粗末な木製の椅子を指さして、座るように言った。


「オレク殿は、小心で臆病を絵に描いたような男だった。失敗することを極度に恐れていたんだ。だが組織の中ではそれは長所だ。だから最初は上手くやっていた。だが年齢を重ねて行くにつれ、出世は願わなくても、仕事量や責任は増していく。不器用なオレク殿のやりかたでは間に合わなくなり、残業が増え、その内、家に帰れなくなる日まで出た。


 体のことを心配した細君が、職場のすぐそばの知り合いにお願いして、共同住宅に居候させてもらえることになったんだ。これが大分体に楽だったようで、めずらしくはしゃいだようにその話をしていたのを覚えている。気楽な仮住まいが合っていたようで、仕事がたてこんでいなくても、そこで過ごすようになったそうだ」


「……」


 だんだん様子がわかってきたが、確かにこの話は嫌な方向に向かっている。


「ある冬の日の深夜、オレク殿が久しぶりに自宅に戻ると、そこへ結婚し家を出た息子のアーロンが訪ねてきた。その時、家の中は真っ暗で、外のように冷え切っていたそうだ。不思議に思い細君を探そうとしていたところへの突然の訪問。その上、アーロンは仕事に失敗しひどく落ち込んでいたそうで、放っておくことができず、話を聞いたそうだ。きっと妻はもう寝たのだろうと思い込み。


 そして疲れ切った子どものような息子を寝かしつけた後で、妻が寝室にいないことに気が付き真っ青になった。ようやく見当たらない細君を探したところ、井戸の横で倒れ亡くなっていたのを発見した。死因は気温差による心臓麻痺だったそうだ」


「亡くなったのは……いつ頃ですか?」


「死亡時刻には幅があるが、少なくともオレク殿が戻ってきた時には、まだ生きていた可能性が高くてな。私もその場にいたが、駆けつけた同僚や、立ち会った上司が医者と相談し、そのことはアーロンには秘密にしようという運びになった。オレク殿は家のことをあまり把握していなくて、あとからわかったが、細君は知り合いに部屋を借りるのに少し無理をしていて、人件費を節約していたようだ。そのため家事の人手が足りず……」


「井戸水が足りなくなった時、自ら汲みにいったと」


 愚夫に尽くす賢妻。世の中では美談のはずだ。だが。


「あの頃のオレク殿は、見ていられなくてな。職場から手を回して、嫁いだ娘さんにしばらく側にいてもらったりしたのだが、その内本人から、閑職に回して欲しいとの願いがあった。今の席は自分には過ぎたものだったのだろうと」


「アーロン殿はそれを?」


「敵対しているノヴァースキイ一家が汚い手を打ったと騒いだ。ノヴァースキイ家のエゴールは、カミソリと言われるほどの鋭い人物だ。だからオレク殿とはソリが合わなかった。それでオレク殿のことを、愚図だの、のろまだの愚痴を言っていたが、私から見ると別に嫌い合ってはいなかった」


「そうなのですか? 私が聞いた話では因縁があり、相当ひどい悪口を浴びせていたと」


 ジュリウスは驚いて少し大きな声を出した。当時を知る人々に聞いて回ったところ、ノヴァースキイ家のエゴールと、オレクとの確執は相当なものだという印象を受けたからだ。


「二人の関係だけ見ればそうかもしれないが、エゴール殿は誰に対しても、そういう辛辣なところがあったんだ。まさに水と油だったが、だが二人とも片方だけでは、組織が成り立たないところがあるのはよくわかっていた。だから慎重さが要求される仕事では、エゴール殿はオレク殿をわざわざ指名していたし、オレク殿も難しい局面では、エゴール殿に相談していたりしたぞ」


「……」


 後世の人に話を聞いて作られたイメージが、がらがらと音を立てて崩れていった。


「そもそもオレク殿の側に、娘さんにいてもらうように、手配しようと言い出したのはエゴール殿だ」


「…………そうなのですか?」


 話を聞いて想像した人を人とも思わない、癇癪持ちとは違うようだ。


「死因を秘密にした以上、オレク殿以外の家族は詳細を知らない。だから口を出すことができなかったんだ。だがエゴール殿は思ったことは、なんでもずばずばと口にする悪癖があり、その時も事情を知らないのに、誰かがついていたほうがいいとまわりに強く言って回ってな。立ち入ることに迷っていた同僚たちを、動かしたんだ」


「そうだったんですか……」


 真相や、ノヴァースキイ家との確執と言われているものについては分かったが、もう終わったことだとしか言えず、ただぼんやりと座っていた。しばらく静かにしていると、思い出したようにゲイアスがつぶやいた。


「……エゴール殿は頭の回転が早すぎて、人の欠点や失敗を率直に指摘するところがあった。そのせいで嫌われていたのは事実だ。同時に皆が思っているが口に出せないもやもやを、はっきりと指摘するところもあり、そんな時は胸がすいたものだ。そんな彼が、妻を亡くしたオレク殿にはぴたりとなにも言わなくなってな……。そのことをオレク殿が、『こん畜生と思った時もありましたが、なくなると寂しいものですな』と笑っていたよ」


 オレクもエゴールも、紙の上の記号の存在として知ったものと違って、当時の血の通った証言の中では、鮮やかに生き生きとしていた。


◇◇◇◇◇◇



 アーロンの訴えは取り下げられ、正規の手続きを踏まなかった事への形式上の罰が下る。その後、ラムレイ家には蜜がたっぷり詰まった、季節のリンゴが五箱も届けられた。


 前線に出ることの多い実働部隊に所属しているジュリウスが、たまたま手が空いていたため事務方の書類係りに顔を出すと、アーロンが後任になる息子のコンラートを紹介して回っていた。自分よりも下のものにも丁寧に頭を下げ、一人一人に挨拶をして回る。コンラートは緊張しているが、受け答えはハキハキしており、きちんとした人柄のようだ。見つからないように隠れ、独り言ちた。


「そういうことか……」


 家によるが、四十代半ばのアーロンは、現職を引退し、息子に譲る頃合いだ。


 父親の左遷について、ずっと不審に思い、様々な人に話を聞いたのだろう。だが組織の決定に異議を唱えるのは自殺行為だ。だからこそずっと耐えていた。だが息子に職位を譲る時、つらかったに違いない。左遷された父親から譲られた職位をずっと守ってきた。そんな風に言うと聞こえは良いが、下がることもなかった代わりに、自分で位を上げることも叶わなかった。このままでいいのだろうか。そう逡巡したのだろう。


 究明のための直訴をすれば罰を受けるが、自分はもう引退の身。軽くしてもらえる可能性が高い。もし真相がわかったら職位が上がる可能性もある。それに賭けたのだろう。


 アーロンは真相を知らされないままでいいのだろうかと、ずっともやもやしていた。だが彼が知りたかったのは、真相だろうか。アーロンはただ…………、息子の人生の始まりを、もっと良くしたかっただけなのではないか。


『もう終わったことだ』


 あれは昔のことだからという意味ではなかった。祖父も、リックの父親も口を揃えて言った。始末は済んでいると。そして父親である二人は、なぜアーロンが今、動いたのか見当がついていたのだ。


 目の前のアーロンは落ち着いていて、それでいて晴れやかだった。なぜなら彼は、上手く行かなかったとしても、息子のために人生を賭けた芝居を打ったことに満足したからだ。


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