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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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羨望


「どうせ金を払えば、誰でも言うことを聞くと思っているんだろう。浅ましい女だ。そんな風に、札びらで人を叩く女を誰が好きになるか。ルルのような心の美しさを見習え」


 婚約者のフィリベルに、高圧的に怒鳴られたアルベルティーヌは、話が通じずに困っていた。


「ですから、私たち、婚約を解消しましょうと。ルル様と一緒になれますよ」


「馬鹿馬鹿しい。我が家が経済的に困っているのを知っていて、そんなことを言うのだろう。どうせ婚約を解消できないだろうと。そんな風に優位に立ったつもりになっても、人の心は操れない。私がお前を愛することは絶対にないと断言しよう」


「困りましたね。それでしたら、婚約を解消して頂けたら、それなりの対価をお支払いいたします」


「また金か。何度も言うが、私は絶対にお前なんかを愛さない。…………え?」


 喜ぶと思ったのだが、なぜかフィリベルは納得できないようだ。


◇◇◇◇◇◇



 勢いのある実業家としても有名な、アレスム子爵の跡継ぎアルベルティーヌは、「金で婚約者を買った女」として有名だ。


 彼女は幼い頃より、フィルフェ伯爵の三男フィリベルに憧れていた。彼はルルという名の子爵令嬢と仲が良く、よく二人でいる所を見かけるため、ただ憧れの気持ちで眺めていた。


 だが目をつけられてしまったのだろう。


 ある時、フィルフェ伯爵から、縁談の申し込みがあった。三男フィリベルと、跡継ぎアルベルティーヌとの。伯爵家ははっきりと言って経済的に不自由しており、この話はお互いの両親の間で進められた。自然災害や、伝染病の発生など様々な要因があったが、原因は前伯爵夫妻も、現伯爵夫妻も、手元にあるだけお金を使ってしまうという、散財癖があったことだ。


 当主としての能力自体はそこまで悪くはないのだが、欲しいものがあると、収支を考えずにお金を使ってしまう。そんな放漫経営がたたり、三男のフィリベルを、最も高く買ってくれるであろうアレスム子爵に、種馬として競りにかけた。


 子爵は子爵で跡継ぎの娘のために、せめて彼女の好きな相手と結婚させてやりたいと考えていた。さらに実業家の子爵から見ると、伯爵家は魅力的だ。わかりやすく困窮している以上、簡単に支配下における相手で、相手もそれを望んでいる節がある。両者の思惑は一致し、婚約は成立した。


「俺には心に決めた女性がいるのです。ルルという。他の女性と結婚なんてできません」


「貧乏子爵家で、持参金も期待できない女ではないか。ふざけたことを言うな」


「ふざけているのはどちらですか。俺に一言も断りなく」


「お前に選ぶ権利なんかない。家のために結婚しろ」


 取り付く島のない父親の剣幕に、フィリベルは激怒し、絶望した。そして自分のどうにもならない嘆きを婚約者にぶつけた。


『金にあかせフィリベルを無理矢理手にいれ、最愛のルルとの仲を引き裂いた性悪女』


 そんな風に学院に噂をばら撒き、孤立させた。


「いくらなんでも、ひどいと思うの」


「そうねえ」


「婚約を申し込んできたのは向こうだし」


「そうよねえ」


「そんなに文句があるなら、父親に言えばいいじゃない」


「その通りねえ」


 教室で友人に、アルベルティーヌは愚痴をもらしていた。噂は人々の興味を引き、あっという間に浸透した。そこにはアルベルティーヌの実家に対する、やっかみも混じり、嫌がらせなどは受けていないが、注目の的だ。


 フィリベルはこれ見よがしにルルを連れて、悪口を言って回る。その状況に、乙女らしい感傷的な気分に浸る暇もなかった。好きな人にうとまれ、悪口を言われる。恋心はもう、すり潰されていた。


「お父様。私はもう限界です。フィリベル様との婚約を解消してください」


「……でも。フィルフェ伯爵家が手に入るんだよ。惜しくない?」


「仮に手に入ったとしても、それを上回る浪費家がついてきますわ」


「稼げば良いじゃない」


「こうなったらはっきり言いますわ。険悪な夫との間に子どもが望めるとは思えません」


「それを言われるとなー」


 煮え切らない父親の態度に、アルベルティーヌは大きな声を出した。


「もっと協力的な婚約者なんて、いくらでも見つかるでしょう。それに別に婚約関係でなくても、フィルフェ伯爵家を手に入れる方法なんて、いくらでもあります」


「例えば?」


「お金を払って」


 アルベルティーヌは言い切った。


◇◇◇◇◇◇



 がやがやと明るい声が響くカフェテリアで、フィリベルの声が響いた。


「どうせ金を払えば、誰でも言うことを聞くと思っているんだろう。浅ましい女だ。そんな風に、札びらで人を叩く女を誰が好きになるか。ルルのような心の美しさを見習え」


 言った内容はまあ理解しようと思えば、できるものだ。だが彼は、席を譲らせるためにそういったらしい。唖然としたアルベルティーヌとその友人たちは、反論した方が良いのか、事を荒立てず立ち去った方がいいのか、迷っている。それをおもしろい見世物が始まったと、見物客が集まってきた。


「金で婚約者を買った女め」


 さすがに面と向かってそう言われては、我慢できなかった。衆人環視の前で告げる。


「私たち、婚約を解消しましょう。フィリベル様」


「そうやって、なんでも自分の思いどおりになると、思っているのだろう。鼻持ちならん」


 思ったような反応が返ってこなくて、アルベルティーヌは眉根を寄せた。友人たちも見物客も、怪訝な顔をしている。改めて告げる。


「ですから、私たち、婚約を解消しましょうと。ルル様と一緒になれますよ」


「馬鹿馬鹿しい。我が家が経済的に困っているのを知っていて、そんなことを言うのだろう。どうせ婚約を解消できないだろうと。そんな風に優位に立ったつもりになっても、人の心は操れない。私がお前を愛することは絶対にないと断言しよう」


 自分に酔うあまり、かなり恥ずかしいことを人前で言っていて、アルベルティーヌのほうが心配になった。しかし始めてしまった以上、最後までやりきらないといけない。腹に力を込めて告げる。


「婚約を解消して頂けたら、それなりの対価をお支払いいたします」


「また金か。何度も言うが、私は絶対にお前なんかを愛さない。…………え?」


 フィリベルは理解できないようで、茫然と佇んでいた。隣にいたルルのほうが早く理解し抱きついてくる。


「わたしたち結婚できるのね」


 フィリベルは、自分の身分に絶対的な自信がある。家が経済的に不自由だという気がかりはあったが、伯爵令息だという矜持を胸に生きてきた。だからこそ婚約させられた時、相手を『金で婚約者を買った女』と貶めることで、自分の優位性を保ってきた。そんな風にプライドが高い彼には、お金をもらって婚約を解消するなど、屈辱的で受け入れられるものではなかった。


◇◇◇◇◇◇



「ねえ。フィリベル。婚約の解消はまだ?」


「それは……」


 ルルの無邪気なおねだりに返答できなかった。今まではなにかにつけ、アルベルティーヌを罵れば済んだ。だが金を払ってまで、婚約を解消したいと思われていると、大勢の前で宣言されてしまった。


「その、ちょっと待ってくれ。大事な話だから、じっくり考えないと」


 逃げるように立ち上がると、授業に出るために友人たちの輪に戻った。


「昨日、カフェテリアで、アルベルティーヌの奴がすごいこと言ったな」


「なあ、おい、フィリベル。どうだった?」


「金で婚約者を買った女のくせに、生意気なんだよ。人前であんなことを言いやがって。俺に愛されないからって、つまらない嫉妬をしやがって」


 友人たちの軽口に、なにも考えず、いつも言っている悪口を条件反射で並べた。


「婚約を続けても、解消しても金が手に入るんだろう。おいしいな」


「ルルのために解消するんだろう」


「……」


 またなにも言えなくなってしまった。友人たちは簡単に言うが、ちょっと考えればわかるはずだ。

 金を貰って解消することのみじめさを。見下していたアルベルティーヌに、まるで厄災でも払うかのように、小銭を持たされて追い払われるなんて。


 今まで大勢に、「アルベルティーヌは自分に惚れている」「アルベルティーヌは恋敵のルルに嫉妬している」「アルベルティーヌは、フィリベルを振り向かそうと必死だ」と言って回ってきた。それは本当だったはずだ。ところがその理屈が、昨日の宣言で成立しなくなってしまった。


 今、なにを言ったところで、「え? でもお金を払ってまで解消したいのでは?」と言われてしまう。そのことがどうしても許せず、なぜか世界を破壊したいほど腹が立って仕方がなかった。頭に血が上り、アルベルティーヌを問いただそうとつけ回し、ようやく会議室に入ろうとして、一人になった所をつかまえ詰問した。


「おい。お前は俺の事が好きだったんじゃないのか!」


「……はい?」


 唐突に言われて、アルベルティーヌは意味がよく分からなかった。


「とぼけるな。俺の事が好きだから、金を使って婚約者に選んだのだろう」


「ええと。この婚約は、フィルフェ伯爵家からの申し出で成立しました。私の家はなにもしていません。そのことはご存じでしょう?」


「嘘だ。お前がなにか汚い手を使ったに決まっている」


「フィルフェ閣下がそんなことを仰ったのですか?」


「……いいや」


 廊下に沈黙が下り、会議室前で警備していた騎士二人が、心配そうに二人を見ている。


「だから……、お前は俺の事が好きなんだろう?」


「もう好きではありません」


「は?」


 まるでアルベルティーヌにひどく侮辱されたように、フィリベルは怒りで顔を真っ赤にした。


「以前は淡い憧れのような気持ちを持っていました。でも婚約してひどい扱いを受けるようになって、あっという間に消えました。当然でしょう?」


 今度はまるで、ひどい裏切りを受けたかのように、フィリベルは顔色を悪くした。


「ルルに嫉妬していた癖に」


「嫉妬したことなど、一度もありません」


「なっ」


 そんなことはあり得ないと、まるで真っ赤な嘘をつかれたかのように、フィリベルは戸惑った顔になった。


「だってそうでしょう。私があなたに抱いていたものは憧れなんです。恋ではありませんから、ルル様にはなんの感情もありません」


「だが……」


「強いて言えば、同じく憧れは感じたかも知れません。憧れの人の大切な人ですから」


 どうしてもフィリベルは納得できなかった。


「俺を振り向かせようと必死だった癖に」


「あなたを振り向かせようと、したわけではありません。婚約を結んだ方と親しくなるのは、令息令嬢の仕事の一つです。相手が誰であろうと、努力するものではないですか? 次の方とだって……」


「この尻軽め!」


 次の婚約に想いを馳せるのを聞いて、自分のものだと思っていた女が、浮気をしているのを糾弾しようと、正義の鉄槌を振り下ろした。


 その時、会議室の扉が開き、中から学生が一人出てくる。眉をひそめていた騎士の一人が素早く、アルベルティーヌを抱えて室内に逃げ込み、もう一人が容赦なくフィリベルを取り押さえた。中からでてきた三年のジュリウス・ラムレイは、呆れ返った顔をしている。打ち合わせをしていた室内の十人近い人間に、外の言い争いは丸聞こえだったからだ。


「フィルフェ伯爵令息。事情は通り一遍しか知らぬが、アレスム子爵令嬢はお主のことが好きではない。そう本人が言っている。昔は憧れていたそうだが、そもそも恋ではなかった上に、今はその淡い気持ちすらないのだ」


「嘘だ」


「ルル殿とやらにも嫉妬していない。なぜならそこまでの気持ちを、最初から持っていなかったからと」


「嘘をつくな」


「お主との婚約に義務として誠意を尽くしたのだろう。それを好意と思い込んだ。だがただの勘違いだ」


「お前になにがわかる!」


 学院の廊下で騎士に取り押さえられるなど、醜聞もいいところだ。だがフィリベルはそんなことにも気が付かないようだった。


「フィルフェ伯爵令息。お主はアレスム子爵令嬢のことが好きなのか?」


「そんなわけあるか。そんな金に汚くて、生意気で、浅ましくて、人を人とも思っていない女」


 放っておいたら、永遠に悪口を言ってそうだ。


「だったらどうでもいい話ではないか。お主は嫌い……興味がないのだろう? 令嬢のことは関係ないと思えばいい」


「そんなわけあるか!」


 フィリベルは心の底からそう叫んだ。関係ないわけない。アルベルティーヌのことなのだから。ジュリウスは大きくため息をついた。


「その女は汚い女なんだ。金にあかせて人を操って、人の心を思いどおりにしようとして、婚約者まで金で買った女なんだ」


「フィルフェ伯爵令息。お主のことは気の毒に思っている」


 いきり立って騒いでいたフィリベルは、とたんに静かになった。目をぎろりとむいてジュリウスを見た。


「……なんの話だ?」


「父親に金で売られるなどひどい体験だ。傷ついて当たり前だ」


「……」


「だから自分が父親に売られたのではなく、アレスム子爵令嬢に買われた。つまりは価値を見出され、求められたと思い込もうとした気持ちはわかる」


「うるさい。……うるさい黙れ!」


 ジュリウスがなにを言っているのか、わからないようだったが、なぜかその話を聞きたくないようだった。


「だがだからと言って、令嬢に執着し、暴力までふるうなど、許されない。昨日の婚約解消劇も含めて、フィルフェ伯爵には報告させてもらう」


「やめてくれ!」


 フィリベルは本当に理解していなかった。どうして自分がアルベルティーヌに執着するのか。なぜ彼女がルルに嫉妬していないと、まるで奈落の底に落ちるような恐怖を感じるのか。婚約の解消や、次の婚約の話題を持ち出されると、はらわたが煮えくり返るほど腹が立つのか。


 わかっていないのに、ジュリウスの申し出で、すべてが終わってしまうのはわかった。伯爵は婚約の解消に、対価を支払われることを知ったら、早速飛びつくだろう。それで小金を手に入れて、フィリベルにまた高値をつけて売り出すのだ。


 泣き出してしまったフィリベルは連れて行かれ、ジュリウスは少しもやもやした気持ちのまま見送った。アルベルティーヌにお礼を言われ、適当に受け流すが気は晴れない。


◇◇◇◇◇◇



「それで今日は眉間にしわが寄っていたのね」


「……はい」


「ジュリウスはどんな点が気になったの」


 ブラックウェル伯爵家に戻ったところ、いきなり眉間のしわをセレスティーナに指摘されて、吊し上げ……胸中を吐露しているところだった。


「おおげさだなあと思いました。伯爵家三男なら、裕福で好意的な婿入り先など、願ったり叶ったりでしょう。ですが私はどうも実利的すぎる嫌いがありまして、世の中の人々がどう感じるのかわからず、黙っていたのです」


「アリアノエルはどう思う?」


「父親に売られるのはきついかなあ。多分」


 側で控えていた義兄は、ずいぶんと適当なことを言う。


「多分というのは?」


「いやだって、俺らの父親って、まあ母親もいい加減じゃないか。だから売られたところで、そういう親だしとしか思わないから……」


「皆様。機械的に父親を当てはめるのではなく、信頼している人を想像してみて下さい」


 控えていた家令のハンプソンが、子羊を導くように三人に言った。


 ジュリウスはもし、祖父のゲイアスに借金のかたに売られたらどうかと、考えてみた。祖父がそれを当然と考え、無碍に扱ってきたらと思うとかなりきつい。そしていい年をした男が、いまだに祖父の顔色を窺って一喜一憂しているのが恥ずかしく、赤面して下を向いた。


 一方、アリアノエルの頭に浮かんだのは、セレスティーナと弟スペンサーで、次にハンプソンやホワイトフォードなどの家臣が浮かんだ。孤独な人生がちょっとさびしいが、いないよりはいいと自分に言い聞かせ、腹違いの妹に目をやると、なぜか戸惑ったような顔をしてジュリウスを見ていた。セレスティーナは両親に愛されていない。そんな妹が『信頼している人』と言われて、思い浮かべたのは誰だったのだろう。


 アリアノエルは「いい傾向だ」とちょっとにやにやし、ハンプソンは得意満面の顔になった。


◇◇◇◇◇◇



「まあ、それでレイモンド様に、金にセコいと言われたことがあるのですが、私ならフィルフェ伯爵令息の婚約は良い条件だと思います。続けても解消しても金が入るなど」


「確かに私も、お得だと思うわ」


 二人の感想に、アリアノエルは同意できなかった。大勢の前で、「婚約を解消してくれたら対価を払う」なんてことを言われたら立ち直れない。


「……ハンプソンはどう思うんだ?」


「お二人が責任ある立場として、家の利益を判断して、その決断をしているのなら良いでしょう。ですがお二人の場合は、世間体というものを軽く見ています。まったく情緒がない」


「だよなあ。解消した結果の違約金ならともかく、解消に伴う報奨金みたいなものじゃないか」


 よく言われる、情緒がないという指摘に、二人はぐっと言葉に詰まった。気をつけてどうにかなるものならいいが、感性が未熟なことを言われてもどうしようもない。だからこの手の問題では黙っていることが多いのだ。


「それはともかく、やり方はまずかったと思いますよ。『金で婚約者を買った女』などと、触れ回っては、愛想を尽かされるのは当然でしょう」


「そうね。あれさえなければ、注目を浴びることなく穏便に済んだでしょうね」


 二人の見解を聞いて、アリアノエルがちょっとした疑問をこぼした。


「それにしてもさあ。婚約を解消したら対価を支払うなんて、アレスム子爵家は一体なにを考えているんだろうな。そんなに嫌だったんだろうか。あの優秀な子爵が……」


「姻族としてつながるには相手が悪いと感じ、やり方を変えたのではないですか。子爵なら、別の手段で手に入れそうですね。例えば……」


「私もそう思うわ。婚約を締結するのは確実だけど、跡継ぎ娘を浪費するよりも、もっと少ない小金を弄して手に入れるつもりでしょうね。やり方としては……」


 二人は情緒という感性が育っていないため、主観を交えず、固定観念にとらわれない物の見方をする。つまり論理的に物事を見るあまり、時には非情とも言える発想や考え方を、平気でするところがあるのだ。


 ちょっとこぼした疑問に、刃のように鋭い回答を持ってこられて、アリアノエルはなにも言えなくなった。目の前では二人が、どんなやり方をすれば、もっとも効率的にフィルフェ伯爵家が手に入るのか、アイデアを出し合っている。会話の内容はかなりどぎついが、二人は笑顔で、笑い声まで聞こえてくるほどだ。


「お嬢様があんなに楽しそうに…………」


 ハンプソンと同じ感動を分かち合いたかったが、大きな貴族家を一つ、いかに骨までしゃぶるかという内容に、アリアノエルは共感することができなかった。


◇◇◇◇◇◇



 自宅に送り届けられると、既に連絡を受けていた両親が、喜び勇んでフィリベルの婚約解消の手続きに入っていた。わかっていたこととはいえ、自分は親から大事にされていないことを正面から突きつけられ、ショックで数日、学院を休んだ。


 その間に伯爵家はアレスム子爵家と商会を合同で設立し、その資本金にするため財産を次々に物納や抵当に入れていった。子爵家からは景気の良い見せ金を渡され、それ以上に大事なものをたくさん失ったことに気が付いていない。


 婚約締結の時はまだ済ました顔だった子爵が、今は商売人の顔をしていた。言っても無駄だと思うが我慢できない。


「恥ずかしくないのですか。貴き血を引く者が商人のように」


「……婚約中、君にはかなりの額の支度金を毎月渡していたね。あのお金はどこに消えたのかな」


「あれは……」


 婚約してやったのだから、受け取ってやって当然だと思い、ルルに使ってしまった。


「そちらが勝手にしたことで」


「君は受け取らないこともできた。受け取った後、返すことも。でも使い切って、その上、文句まで言う厚顔無恥な真似、私にはできないな」


 屈辱に震えるフィリベルを残し、子爵は笑顔で帰って行った。


 きっと学院では『金で追い払われた男』とあざ笑われているのだろう。心配したルルが迎えに来てくれ、ようやく登校する。


「ねえ。私たち、いつ婚約するの?」


 以前だったら、アルベルティーヌの悪口を言っていれば済む話だったが、無邪気に聞いてきたルルに、もうなにも返事できなかった。そしてアルベルティーヌという制約がなくなると、ルルの言動に違和感を覚えた。


「俺も君も金がない。こんな状態で結婚は考えられない……」


「婚約を解消して、もらったお金があるじゃない」


 フィリベルは息を呑んだ。実際の所、その金は両親が使い込んでしまうだろう。だがそういうことではなく、二人で悪口を言っていた女からお情けでもらった金で、結婚する。そんなことはとても考えられなかった。


「みじめじゃないのか……?」


「どうして? だってお金には変わりないじゃない」


 その時、ルルの顔や口調が、自分の両親そっくりに見えた。ルルの家は確かに貧乏な子爵家だ。だが同じ立場、同じ女性でも、起業して稼いでいるものもいれば、職を手に入れて家族を養っているものもいる。ルルはそんなことしない。ただフィリベルからなにかを与えられるのを待つだけだ。


 そんな彼女を守ってやりたいと、ずっと思っていた。乾いた笑いをフィリベルはもらした。なぜなら例えその気持ちが変わらなくても、両親に搾取されている伯爵家三男には、最初から養ってやることは無理だったのだから。


 勇気を振り絞って教室に行くと、友人たちがいつもと変わらない態度で迎えてくれた。内心、ほっとしているのを隠しながら、他愛もないおしゃべりをする。窓の外を見ていた一人が、遠慮なく「アルベルティーヌだ」と言った。まるで後ろ暗いところでもあるかのように、フィリベルは挙動不審になったが、誰も見ていない。


「新しい婚約者連れてるぜ」

「まだ候補だろう」

「解消から、一週間もたってないだろ」

「すごい数の申し込みがあったって」

「そりゃ跡継ぎだから。ところで誰だあれ」

「ミュンヒ伯爵家の三男ルーレヒトだ。玉の輿だな」

「どうやって仕留め……射止めたんだ」

「俺知ってる。アルベルティーヌと領地が近くて幼馴染みなんだよ」


 教室内で話題に上ったアルベルティーヌの新しい婚約に、皆、詳しかった。


「今回も金で婚約者を買った訳か」

「うらやましい」

「どっちが? 買った方? 買われた方?」


「「「「「両方」」」」」


 全員が声を揃えて言い、その場は大きな笑いに包まれる。そのやり取りがすぐには理解できず、頭を真っ白にしたまま何時間もフィリベルはただ座っていた。昼食に行く友人たちに一人にしてくれるよう頼み、自分の考え方がいかに子どもっぽいかようやく自覚する。厄介な両親に難儀させられ、長い間、他人よりも苦労人だと思っていた。


 だからお金持ちのお嬢様であるアルベルティーヌに、ここぞとばかりに八つ当たりした。自分のことを好きならなにを言っても構わないだろうと、両親への不満のはけ口にした。そんな風に甘えさせてくれる存在が、今までいなかったからだ。


 アルベルティーヌを評して言った、「金で婚約者を買った女」という言葉は、彼女の品性を貶める目的で使ったものだ。だが友人たちは……いや多くの人は、「婚約者を金で買えるなんてうらやましい」「そんな女に目をつけられるなんてうらやましい」と受け取っていたようだ。


 この話題の主役はアルベルティーヌであり、フィリベルは添え物だ。脇役がなにを言ったところで影響はなかったのだろう。


 ルルとの結婚生活は現実味がないものだともっと早く気づき、次期子爵の夫の座がいかに貴重なものかわかっていれば、両親の搾取から簡単に逃れることができた。それなのにつまらないプライドが邪魔してしまった。これからできることは、その両親が持ってくる縁談に従うことだけだ。アルベルティーヌの一件があった以上、条件は下がるが。


「金さえあれば……」


 その金が手に入る機会を潰したのは自分だった。


 事ここに至っても、純粋な好意をもってくれた女性を、取り逃がしてしまったことからは目を背けていた。なぜならこれ以上はもう心が限界だと、自分でわかっていたからだ。


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