「冷たい布(後編)」
「どういうこと。セレスティーナ。結婚は決まっているなんて」
「そうだ。モードレッド君と結婚すると決まっていたではないか」
ブラックウェル伯爵夫妻が口を挟んできた。
「決まっていません。決まっていたことは一度もありません。先ほども言いましたが、仮にモードレッドと結婚すれば、私は当主になります。この規模の結婚ですから、婚姻と同時にあなた方の嫌いな私に爵位を譲ることになりますが、それでもよろしいのですか」
やかましく騒いでいた夫妻は、またぴたりと黙った。顔には「そんなこと言われても……」と書いてある。
「あなた方が決めている、次期当主は誰ですか」
「そんなのスペンサーに、決まっているじゃない」
なにを馬鹿なことをと夫妻はきつめに言った。
「だったら私が誰と結婚しようと、関係ないでしょう。むしろモードレッドと結婚したら、スペンサーの座を脅かすことになります。それでもいいのですか」
また黙り込んだ。夫妻は単純な能力は高いのだが、思い込みが激しく、目の前の利益ばかり追求してしまう。特に跡継ぎ問題になると、まるで話が通じなかった。
考え込んでいるロレンスの様子を見ようと、セレスティーナが目をやると、ややこしいことにモードレッドが結婚の話題に噛みついてきた。
「どういうことだ。セレスティーナ。お前は俺と結婚するんじゃなかったのか」
「いいえ。どなたにそう言われたのか知りませんが。それに私自身はそういった気持ちはありません」
「嘘をつくな。俺のこと好きな癖に」
「……それ、関係あります?」
「なに?」
「だって私たちの結婚は、政略で決まります。気持ちなんか関係ないでしょう」
「裏切るのか!」
モードレッドは、セレスティーナのことが好きなわけではない。だが孤独だった子ども時代、彼女だけは自分を見て、肯定してくれた。母親だと刷り込まれた存在を失うかもしれないと聞かされ、恐怖から恐慌を来す。
威圧的に絡んで来られて恐怖を感じながら、反論しようとセレスティーナが口を開きかけたところ、隣のジュリウスが握っている手にきゅっと力を入れたのを感じた。
「モードレッド殿。貴殿はセレスティーナ……嬢と結婚したいのですか?」
「誰がこんな奴と!」
今まで散々いちゃもんをつけていたモードレッドが、質問に激しい反応を見せた。辛辣な答えに真っ青になったジュリウスは、さっとセレスティーナの両耳を塞ごうとしたが間に合わない。ジュリウスは彼女に目で「すみません」と謝り、彼女は「いいから」というように笑った。一歩前に出て、彼女を背中に隠す。
「それならセレスティーナ嬢が誰と結婚しようが、どうでもいいではありませんか」
「どうでもいいわけあるか。こいつは俺と結婚することに、決まっていたんだぞ」
「それはガビン家の中の話であって、ブラックウェル家では違います。婚約したこともないし、当人同士もその意志がない。もう終わった話です」
「終わってない。そいつは俺の事が好きなんだ!」
「貴殿には、それはとても重要なことなのですね。ですがセレスティーナ嬢には関係ありません」
「……そんなはずないだろう。だってそいつは俺の事」
モードレッドは、なぜかショックを受けていた。
「関係ありません。セレスティーナ嬢の結婚は、もう決まっているんです。すべては終わったこと……いいえ、始まってもいない。あなたはセレスティーナ嬢に、関係のない人間なのです」
現実世界で彼女の結婚がもう決まっていると聞かされ、ひどい裏切りにあったような、もの悲しい顔をした。ジュリウスは直感的に、彼の泣き顔を見せたら、ややこしいことになりそうだと思い、彼女の視界を片手で隠した。
◇◇◇◇◇◇
その時、ロレンスが立ち上がり、まるでさざ波のように人々がそれに合わせて動いた。セレスティーナも、モードレッドも強制的に頭が切り替わる。
「時間がないから妥協案で我慢するよ。同盟の打ち合わせしようか」
セレスティーナはアリアノエルに視線を送った。スペンサーを安全なところに連れ出して欲しかったからだ。
次にジュリウスを見た。ジュリウスは頷いて、入り口付近にいる護衛たちに合図をして、警備状況を整え始めた。室内はロレンスの騎士らや、本邸の護衛など、人でごった返している。ぎりぎり混乱に陥っていないのは、ほぼ全員が顔見知りだからだ。
ロレンスと、セレスティーナ、ガビン伯爵が座り、それぞれの侍従侍女を交えて、同盟の草稿を作る打ち合わせに取りかかった。ブラックウェル伯爵夫妻は、偶然知った結婚話にまだ文句を言おうとしていたが、邪魔だからと外に出される。室内にセレスティーナと、前伯爵夫妻が残されたのを見れば、誰が伯爵家を動かしていると世の中が認めているのかは、一目瞭然だった。
ただの打ち合わせだが手間がかかり、その間、セレスティーナは喉が渇いて仕方がなかった。室内には香り高い茶葉の匂いがただよっているが、ロレンスがいる場所で飲み食いする気にはなれない。その内、ジュリウスの采配で井戸水を直接、汲んだ水差しが届けられ、喉を潤した。それを見たガビン伯爵も自らやって来て水をもらい、「信頼」というものがない世界はずいぶんと不自由なことだとジュリウスは感じた。
ロレンスが帰った後は、セレスティーナもガビン伯爵も、椅子にぐったりと寄りかかってしまい、供の声かけにも反応しない。
気の毒に思ったジュリウスは、セレスティーナをひょいと抱えると、部屋のソファに横向きに置いて、両足を座面に伸した。ぽんぽんと靴を脱がせ揃えると、膝下にそっとクッションを入れる。妹のシェリーが夜会などから帰ると、まずそうするからだ。
このままではつま先が見えて、女の子は恥ずかしがるかもしれないと思い、花瓶の下に敷いてあった敷物を取ると、つま先にかぶせた。そしてその足がまわりに見えないように、ソファに浅く腰掛け自分の体で隠すと、妙に室内の人々から戸惑いと驚きの視線を集めているのに気が付いた。同僚のワイリーはなぜか赤面している。
「……?」
一番、強い視線は、正面に見えるガビン伯爵からだった。
「……君がラムレイ卿だね。お初にお目にかかる」
「ジュリウス・ラムレイと申します」
「ああ、立たなくていい。私も今日は限界でね。どこかで休みながら、少し話をしよう」
「恐れながら、閣下。私は護衛の務めがあります」
「……誰かに交代すれば良い」
なんと答えるか少し迷った。だが側にいて守って欲しいと以前、セレスティーナに願われた以上、この状況で約束を違えるつもりはなかった。
「……僭越ながら、彼女の護衛を、己の責務と考えております」
「聞いていたとおりのお人のようだ。それなら今後は出番も増えるだろう。我々と同盟を組むことになったのだから」
危険な取り引きを避けたせいで、今後の生活はなかなかに波瀾万丈になる。頭の痛いことだ。
「ところでセレスティーナ嬢と婚約……状態になって何年だ?」
「二ヶ月ほどです。面識を持ってからは、三ヶ月ほどでしょうか」
室内がざわめいた。リックとマックスが、ガビン家の護衛たちから視線をそらし、口元を手で隠しているが笑っているようだ。
「これは……ジェイムズにしてやられたな。他に彼女の選択肢はないだろうと、高をくくっている間に、電光石火の早業でかすめ取られるとは」
ボウエン伯爵に、なにやら文句を言っている。
「次男のモードレッドが、まったくの役立たずで苦労してな。自分が割と放置されて育ったもので。子どももそれでいいと思ったのだ。だがもう少し手をかければ良かったのだろうか」
伯爵はやれやれとぼやくと、それが聞こえたモードレッドが立ち上がった。彼はどういうわけか退室を促されても一向に動かず、部屋に居座っていた。
「なあ、セレスティーナ。俺の事が好きなんだろう。結婚なんて嘘だ」
不思議なことに、ちっとも好きではない彼女の結婚話に、取り乱していた。暴力的な雰囲気に、ジュリウスが心配して見ると、セレスティーナは大きな声に身を縮こまらせる。
「誰と結婚するつもりなんだ。まさかこいつとか」
指を指され、どうしたものかと迷った。刺激するのは、得策ではないように感じたからだ。
「そうだ。モードレッド。学院で知っているだろうが、彼がラムレイ卿だ」
横からガビン伯爵が説明してくれたが、かえって火をつけたようだ。
「しがない男爵家の分際で!」
内心では気にしていることを正面から指摘され、心臓が跳ね上がった。ソファの座面を思わず強くつかんでしまった手を、セレスティーナにそっと握られる。彼女を見ると、「気にしないで」とばかりに、首を振っている。
「あー、セレスティーナ嬢。貴女が結婚に際して、相手に求めることを、いくつか挙げてくれないか」
突然、伯爵にそう聞かれ、なにか意味があるのだろうとセレスティーナは思案した。
「私の結婚は政略が前提ですから、とにかくあらゆる条件が整っていることが第一です」
「それでは……、そんな風に決まった相手に、あったらいいなと思う点はなんだ」
「……信頼できること」
伯爵の言わせたいことがわかったセレスティーナは、あまり考えずに頭に浮かんだことを続けた。
「見ていてくれること。気が付いてくれること。…………守ってくれること」
「それが結婚相手に望む条件なのだな。モードレッド。聞いたか」
今の問答が、自分になんの関係があるのか、彼にはわからないようだった。
「お前は結婚を決めるのに、好きかどうかが重要だと考えているようだが、それはお前だけで、他の人間はそうじゃない。セレスティーナ嬢は、政略と条件で選び、結婚相手に愛情は求めないのだ」
モードレッドは愕然と立ち尽くした。何回も続く同じ会話を終わらせようと、ジュリウスは少し強めに言った。
「モードレッド殿。貴殿がどう思うと、セレスティーナは結婚します」
「そんなの許さない」
「結婚に貴殿の許しはいりません。先ほども言いましたが、関係がないのです」
「関係ないわけがあるか」
横からガビン伯爵も口を出した。
「いいや。関係ない。私やロレンス殿下が、セレスティーナ嬢を手に入れろと命令したのは、お前の物ではないからだ。そしてお前は任務に失敗し、手に入れることはできなかった。つまりセレスティーナ嬢がお前のものになったことは一度もない」
「嘘だ」
「目の前で起こっていることに、気が付いてないのか? さっきから話しかけられるとセレスティーナ嬢は、まずジュリウス卿を見る。しかも目と目で会話して、二人でどうするか言葉を使わず決めている。強い信頼と、積み重ねた関係性があってこそだ」
「浮気しているのか!」
自分という存在が殺される恐怖に怯え、モードレッドは口を極めて罵った。伯爵は下品な言葉遣いに眉をひそめる。
「お前の存在は二人の絆に、まったく歯が立たないではないか。お前が騒いでいる八年続く恋心とやらの、なんとちっぽけなことよ」
本当のことを言われ、頭に血が上ったモードレッドは、意味もなくセレスティーナに詰め寄った。だが殺気だった態度に怯えた彼女は、かばうために立ち上がったジュリウスの背中にしがみついて隠れる。
自分を好きなはずの存在が、怯え隠れたのを見たモードレッドは、あまりの衝撃に息を呑みしばらく口もきけなかった。セレスティーナは幼い頃から、自分に笑いかけ、肯定してくれる母親だ。その母親に拒絶されたのだ。
「なんだその態度は!」
様子を見ていたガビン家と、ブラックウェル家の護衛が飛んできて止めた。室内に激しい怒声が響き渡り、聞かせたくないと思ったジュリウスは、反射的にセレスティーナの頭を抱えると、片耳を自分の胸に押しつけ、もう片方を手でふさいだ。
モードレッドは母親からの拒絶をなかったことにしようと、相手を責め怒鳴り散らした。だがなんのためにそうしているのかは、本人には自覚がなかったし、その光景を忘れることができなかった。
「やめろ、モードレッド。やめないか」
「こいつは、俺を見て怯えたんですよ。なんて失礼な。躾直してやる。重い罰を与えてやる」
「いい加減にしろ。これ以上騒ぐと、無理に黙らせるぞ」
「……」
取り囲んでいる護衛に、ようやく黙ったモードレッドを見て、伯爵はよろよろと立ち上がった。
「セレスティーナ嬢。息子がたいへん失礼な振る舞いをして申し訳ない」
「今までにも問題を起こしているので、対応頂けないでしょうか」
「そうだな……。しばらくは外出禁止。学院も休ませる。モードレッド。今後、セレスティーナ嬢に近づくことは禁ずる」
モードレッドは我慢できないとばかりに歯がみしたが、命令には逆らえず黙って従った。
「モードレッドは先に帰らせる。私は少し休みたいので客間を貸りる」
伯爵は急に年を取ったようだった。
ガビン家の人間が室内から掃けると、めずらしくリックが感情を露わにした。
「いろいろ懸念事項はあるが、セレスティーナ嬢との婚姻に関する仕事は成功と言って良い。よくやった。ジュリウス君」
「そうでしょうか……」
リックは孤立無援に陥っていたブラックウェル家が、リスクを冒してでもボウエン家と手を組む判断を下したのは、ジュリウスという人材あってこそだろうと考えていた。
しかし表面上はそう見えるかもしれないが、結局のところロレンスからは逃げられないし、ガビン家とも同盟関係になったことで、ジュリウスは手放しで喜べなかった。そもそもセレスティーナは相手に関係なく、ボウエン家と縁組みをするのに最初から賛成だったのだから。
今回の件で、なにより悔やまれるのが、別の任務で不在の間に、セレスティーナが危険な目に遭い、それに立ち向かって一人で耐えていたことだ。肝心なときに不在で、自分が役立たずに思えて仕方がない。
背中にしがみついたままの彼女から伝わってくる、温かい心細さを思うと不憫な目に遭わせてしまい申し訳なく、うんと甘やかして肩の力を抜いてやりたいと感じた。部屋にいた全員がその感情を庇護欲だと断定しただろうが、ジュリウス一人だけはそれを母性本能だろうと思っていた。
「ガビン伯爵は調査書では、冷徹で人の心を持たないとありましたが、案外、普通の父親という感じでしたね」
セレスティーナの部屋にぞろぞろと移動し、馬や妹の世話をするように侍女たちと世話を焼きながら、ジュリウスは今日の感想をもらしていた。
「昔は、ロレンス殿下にそっくりな冷たい人だったわ。でも次男のモードレッドが問題を起こすようになってからは、少し……柔軟になったのよね。冷たいのは今でも変っていないと思う。ただ人間性に幅が出たのよ」
「なるほど」
その話を聞いて、それならロレンスのような危険人物も変わる可能性はあるのかと思い、そんな希望的観測に頼るのはどうかと諦めた。
セレスティーナの頬を冷やす布を、井戸から汲んだばかりの凍るような水を入れた、たらいにひたし、また絞る。幸い腫れはそれほどでもないが、貴族令嬢の顔だ。入念にしたい。
「もう大丈夫と思うけど」
ジュリウスの指が真っ赤になっているのを見て、何度目かの提案をした。
「いけません。念には念を」
その間に、起きた出来事の情報交換をする。
「そういえば、ジュリウスはどうして来たの? どこからか殿下の計画がもれていたとか?」
「いいえ。なんだか危なそうだと感じたので」
「…………それだけ?」
「はい」
「……」
「以前、夜会の時のように、側で守って欲しいと仰っていらしたので、有事の際にはお守りしようかと。来て正解でした」
なんてことはない顔であっさりと言って、ジュリウスは布を冷やす作業に戻った。彼にとってはそうなのだろう。
「……ちっぽけな恋心か」
セレスティーナはモードレッドへの恋心が、ずっと自分の中にあることに悩んでいた。だがガビン伯爵に言われてみれば、ジュリウスとの関係性に比べるとなんと小さな想いだろう。冷静になってみると、まるで幼い頃の思い出のように、温かく、懐かしいものではあるが、それ以上ではない。その程度のものが胸の内にあるからといって、なにを騒ぐことがあるのだろう。ジュリウスにあてられる冷たい布。その感触のほうが遙かに大きかった。




