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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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「冷たい布(前編)」

いつもお読み頂きありがとうございます。行き当たりばったりで書いているため筆が進みません。これから更新頻度が五日程度になりますが、引き続きお楽しみいただければ幸いです。


 任務から戻ったジュリウスは、二日の休暇を与えられたが、習い性でそのままブラックウェル伯爵家に出仕した。貯まっているであろう仕事を、片付けておきたいという気持ちはあったが、半分、住み込みのようになっている伯爵家の様子が気になったからだ。


 セレスティーナの執務室に顔を出すと、彼女は不在で、家令たちが深刻な顔で話し合っていた。


「領地で自由主義運動ですか? 農村部でめずらしいですね」


「ブラックウェル領や、隣のガビン領は昔から草の根の啓蒙運動が盛んでね。意識が高いんだ」


「それを放置しているのですか?」


 摂政ホワイトフォードの説明を聞いて、不思議に思った。労働者階級の意識を高くするなど、統治者側からは自殺行為も良いところだ。


「昔から手を打っているんだが、成果が出ず……」


「今まではお嬢様が、まとめて下さっていました。領主や代官の人選に気を配り、領民を治めてきたのですが、ここ数年、当主ご夫妻が口を出すようになってから、荒れて……」


 家令の説明に、ため息が出る。爵位を継承した当主夫妻は、ここぞとばかりに家計を使い込み、それでも足りないと税率を上げている。そのことをまわりが諫めても、後見のロレンス第二王子殿下の名を出して改めようとはしなかった。


「殿下にとっては、伯爵家の勢いがなくなったほうが手に入れやすいのでしょう」


 そうはいっても、革命が起きそうなほど領地が荒れるのは、度を超していると思うが……。


「それでセレスティーナは領地に?」


「ええ。領主と話し合って実情を知りたいと」


「危険では?」


「一週間前に出発したときは、ここまでの情勢ではなかったのです」


 ブラックウェル領は王都の目の前で、夜明けから馬を飛ばせば一日で着く。馬車での移動なら四、五日はかかるが、領内が危険を感じるほどなら、もう戻ってきてもいい頃だ。女の身で一人、危険な事態に立ち向かっているのではと心配だった。思わず愚痴がもれる。


「こんな時に当主ご夫妻は、どこに行ってらっしゃるのですか?」


 頼ろうとして聞いたわけではない。ただこの事態の責任は本来は夫妻にあり、大きな判断や決済が必要になったときを考えて気になったからだ。


「閣下ご夫妻は隣のガビン領の別荘に招かれて、そちらに」


「……連絡は?」


「もちろんいたしましたが……」


 なしのつぶてのようだ。


「ホワイトフォード殿は、連絡を受けた閣下ご夫妻は、どんな風にとらえると思われますか?」


「『面倒だから聞かなかったことにしよう』かな」


「……」


 以前、解決したはずの悩みに、また悩まされることとなった。護衛をつけた判断力のあるセレスティーナのことが、心配で気にかかるという。


「特定の敵がいるならともかく、領民全体があやしいとなると心配ですね。警備計画を立てるのも難しい状況だ」


「そうですね。むしろ帰るのをやめて、邸宅にこもっているほうが、安全かも知れません」


 我慢しきれず到頭、口に出した。


「心配なので、数人連れて、ひとっ走り行ってきます。なにも起こらなければそれでいいですし。この場はアリアノエルがいれば大丈夫でしょう」


「坊ちゃまは、お嬢様を追いかけて行かれました。急な呼び出しがあって。その時はこんなことになるとは思わず」


 それを聞いて理由もわからないのに、ただ「危険だ」と感じた。そしてそんなジュリウスを見て、家令のハンプソンも、摂政ホワイトフォードも同じことを感じたようだ。


「……ブラックウェル伯爵家の方々のご予定は?」


「今、ご説明申し上げましたとおり、お嬢様は領地に向かわれました。三日後に連絡があり、アリアノエル坊ちゃまが馬車で後を追われました。当主ご夫妻は一週間前から、隣領のガビン家の別荘に招かれています。その間、スペンサー坊ちゃまは、王都にある奥様のご実家のタウンハウスに、遊びに行ってらっしゃいます。それと前当主ご夫妻は、領地の本邸にお住まいで……」


「まずは、スペンサー殿の所在を確かめましょう」


「手配いたします」


 早馬を飛ばして所在を改めさせたが、邸内にはいるが熱を出して面会できないと言い張られ、確認することはできなかった。その間に、ボウエン伯爵家に早馬を飛ばし、事の次第を報告する。待っている間に家に戻り、装備を整えまた戻ると、集められた護衛で打ち合わせが始まっていた。


 万が一の事態に備えて小規模の隊を組み、保護に向かうこととする。当主も跡継ぎも予備も、予備の予備まで居所がつかめない状態になっていた。


「ジュリウス君。先ほどタウンハウスに乗り込んでみたが、スペンサー君はいなかったよ。主を吊し上げ……伺ったところ、ブラックウェル領の本邸、つまりセレスティーナ嬢と一緒にいるそうだ」


「跡継ぎを一カ所に集めたのですか。人質に取られたも同然ですね」


 リックの説明を聞いて、黒幕が誰であれ、動きにくくなったと感じる。そうは言っても、セレスティーナも、アリアノエルも、自立心が強く、こういった事態に簡単に動じない。ある程度は任せておいても大丈夫だろうが……。マックスがなぜか、少し離れたところから通る声で言った。


「ジュリウス殿が任務に出向いている間に、モードレッド殿が学院で妙なことを言っていました。セレスティーナ殿と結婚しなければならなくなったって。馴染みの女性にそうこぼしていて、その後、喧嘩になっていましたよ」


「ああ、例の女性か」


「そうです」


 結婚は神聖な儀式だ。例えロレンス殿下でも強制はできない。だが脅迫でもされて……。一応、いくつかの定石をいらいらしながら検討したが、セレスティーナが脅しに屈するとは思えなかった。顔を上げるとなぜか仲間たちが、こちらを見ている。きゅっと眉根を寄せたまま、不機嫌そうに言う。


「なんですか?」


 面倒くさそうなリックと、興味津々で見てくるマックス以外は、同僚のワイリーをのぞいてやれやれと目をそらした。


「ジュリウス。年上の俺から忠告してやるが、機嫌が悪いことに自覚あるのか?」


「……」


 ワイリーに言われてみれば、先ほどからいらいらしているようだ。だが仕方がないだろう。モードレッドのような始末に負えない男が、自分の婚約者のまわりをうろついた上に、結婚すると人前で発言したのだから。


「……それは失礼した」


「そうじゃなくて……」


 そこへ遅れて、ボウエン伯爵三男のグリフィンが到着した。


「土産があるぞ」


 そういってリックに、自慢げに伝令杖を見せた。


「ルーク第三王子殿下から、ブラックウェル家の貴重な古地図のスケッチを、取ってくるよう仰せつかってきた」


「つまりは本邸に押し入り、ロレンス殿下に渡りをつける権限を手に入れたわけですね。それでは出発しましょう」


 時間は遅いが、一番近い宿場町に向けて出発する。


「なんだか今日のジュリウスは、不機嫌だな。どうしたんだ?」


「ジュリウス殿にも醜い独占欲や、動物のような縄張り意識が芽生えたんでしょうね。良い傾向です」


 一番年下のマックスは、まるで目上の人間のようにグリフィンに答えた。


「それは良いことかもしれないが……自覚あるのか? まるで子どものようだ」


「その辺りはまだ……」


「先が長いな」


 危機的状況で、モードレッドのぼやきを聞かされ、苛立ちが募った。ジュリウスにとって、セレスティーナは保護しなければならない対象であり、モードレッドが言葉の上とは言え接近したと聞いて、まるで母猫のように激しい警戒心が働いた。なによりも強い怒りは、時間をかけて築いてきた二人の関係性を、壊そうとしていることだ。


 しかし、ここまで怒りが大きくなったのは、モードレッドはセレスティーナの心をつかんでいる伯爵令息であるのに、自分は新参のただの男爵令息であり、釣り合わないだろうという、心の奥底に眠っている焦りと恐れから来ていることに、本人は気が付いていなかった。



◇◇◇◇◇◇



 セレスティーナは外出が難しくなった本邸で、なんとか領民たちとの調整に動いていたが、そこへ腹違いの兄アリアノエルが到着したことで、状況が変っていった。


「私が呼び出した?」


「その様子じゃ罠か。やられたな。確認はしたはずだが」


「一体誰が……」


 待っていたかのようにロレンス第二王子殿下と、ガビン伯爵一家を連れた当主夫妻がやってきて、セレスティーナや祖父母である前当主夫妻は混乱した。領地の治安は悪く、それが来た理由だったが罠だったようだ。そして毎度の交渉が始まった。


「単刀直入に言うけど、ガビン伯爵領と、ブラックウェル伯爵領で同盟を組んで欲しいんだ。そのためには政略結婚が手っ取り早いんだけど。もちろん見返りは用意したよ」


 一人だけ暖炉近くの椅子に座っているロレンスの発言に、つばを飲み込むが、言う事は一つしかない。


「誠に恐れ入りますが、ご要望にはお応えいたしかねます」


「そうだよねえ」


 ロレンスはあっさりと了承し、なにか考えながらつぶやいている。


「……でもこのままだと時間がもったいないんだよね」


 セレスティーナの両親であるブラックウェル伯爵家夫妻のほうが激怒し、非難した。


「殿下から直々に承った話を断るとは、この不忠義者め」


「大人しく言うことを聞きなさい」


 父親に怒鳴られ、母親には頬を叩かれる。庶子だからと少し後ろに控えていたアリアノエルが驚いて前に出て、妹をかばった。


「セレスティーナは貴族令嬢なんだぞ。それを顔を叩くなんて……」


「言うこと聞かないその子が悪いのよ」


 眉をひそめた前伯爵夫人が注意し、侍女に濡らしたタオルをと指示するのが横から聞こえてくる。自分たちは悪くないと主張する二人に、セレスティーナは静かに言い返した。


「殿下のお話しを受ければ、次期当主は自動的にあなた方が毛嫌いする私になります。愛するスペンサーは継げなくなりますがいいのですか」


 そう言われた両親は、考えてもみなかったらしく、唖然としたまま一言も発しない。侍女が濡らした布で頬を冷やしているのを見ながら、何事もなかったようにロレンスは、話を続けた。


「ねえ、セレスティーナ。モードレッドは確かに問題があるけれども、優秀だし、条件だけを見ると悪くない。ガビン家からの援助はこの上ないし。上手く手のひらの上で転がせば良いではないか。それにどうしてもというのなら、モードレッドの兄弟でもいい。それに比べてジュリウスのどこがいいの?」


「どこが……とは、あの、お調べになっていらっしゃるのでは?」


「僕がどう思うかではなく、お前はどう思っているの?」


「……」


 セレスティーナはなんだか背筋がぞっとし、いつもより頭の回転が早くなっているのが自分でわかった。ここで下手なことを話せば、それがどんな風にジュリウスの命を奪うかわからない。なによりロレンスのものの考え方というのは、常に「自分がどう思うか」であり、彼の口から「他人がどう思うか」というのを聞いたのは初めてだった。


「ジュリウスって誰だ?」


「誰かしら」


 両親の声が聞こえてくる。とにかく王子殿下に答えなければならない。


「ブラックウェル伯爵家は大きいので、優秀な人間はたくさんいます。当主夫妻に求められるのは彼らを使いこなす能力で」


「ジュリウスにそれがあると?」


「いいえ。その能力は私が持っています。ジュリウスはそんな彼らに信頼される人格の持ち主で、いるだけで家をまとめることができるのです。これは誰にでも出来ることではありません。モードレッド卿は残念ながら……」


「そうだね。彼の人格に問題があるのは有名だ。だけどそれを上回るものがあると思うけど?」


「率直に申しますと伴侶としては……。いくら優秀でも、誰からも信頼されない者を当主代行に据えることは致しかねます。利点を説かれても、欠点が大きすぎるのです」


「お前にとって?」


「……恐れながら」


 セレスティーナは心臓が早鐘を打ち、まわりの音がよく聞こえなかった。ロレンスがここまで二人の結婚にこだわるのは、それだけ彼にとって得るものが大きいのだろう。だがそれ以上に、「彼にとって」モードレッドの欠点はささいなものなのだ。仮にモードレッドを当主代行に据えても、うまく使いこなせるのだろう。だからどうにかならないかと、あの手この手で提案してくる。


 その時、扉が開いて、泣きべそをかいたスペンサーを連れた侍女が現れた。ものものしい雰囲気に怖じ気づいたスペンサーは、部屋の中のセレスティーナと、その側にいるアリアノエルに気が付き、笑顔になった。


「来たら危険よ。アリアノエル。スペンサーを連れ出して」


 一足先に両親の元へ連れてこられ、彼らは呑気に可愛がっている。


「お前がスペンサーか。こちらへおいで」


 なにも考えていない両親は、危険人物に六歳の息子を委ねた。セレスティーナは思わず、「やめて」と叫びそうになるのをぐっとこらえて、何でもないふりをする。今まではそれができていたが、上手くいかなかった。スペンサーは本能的に、ロレンスに怯え、きょろきょろしている。安心させようと不安げな顔に必死に作った笑顔で笑いかけた。


「セレスティーナ。さっきと同じことを聞くけど、モードレッドと政略結婚する気はないか?」


「誠に恐れ入りますが、承りかねます」


「この状況でもかい?」


「はい」


 例えスペンサーを殺されても、領地を守らなければならない。そう思うと人質を取られ感極まり、片目からぽろぽろと涙がこぼれた。動揺しているのをまわりに誤魔化せず、屈してはならないと思っても、交渉をやり過ごせる気がしない。


 セレスティーナをまるで虫でも観察するように冷徹に見ている人たちよりも、口を出すことができず、痛ましい目で見てくる味方の同情のほうが、なぜか堪えた。


 その時、まるで討ち入りのようなやかましい音が本邸に響いたと思うと、荒々しい軍靴の音がし、少しの押し問答の末に、物々しい集団が部屋に入ってきた。先頭を歩いてきたジュリウスは、なにも言わずセレスティーナの隣に並ぶ。


「ジュリリュス」


 行儀悪く王子の元から飛び出したスペンサーを、ジュリウスは受け止め、アリアノエルに渡した。


「なんなんだ。お前たちは。ここから出て行け」


「我々はブラックウェル家の護衛です」


 ブラックウェル伯爵の怒声にワイリーがそう返す。前当主夫妻が見知った顔ばかりなのを見て、説明を買ってで混乱は鎮まった。伯爵夫妻は、予定が乱されぴりぴりしている。


「遅れました」


 ジュリウスにそう言われたセレスティーナは、ひどく驚いたものの、なぜか急に目の前がよく見えるようになり、視界に入ったロレンスを見て、すぐに頭を切り替え深呼吸した。すっと背筋を伸ばす……ことができた。


「殿下。彼との政略結婚は、我が家の損害が大きいのです。それほどお望みなら、いっそブラックウェル伯爵家と、ガビン伯爵家で軍事同盟を結んではいかがですか」


「それだと経済が」


「経済同盟でもいいです。この不安定な状態が続くよりずっといいです」


「……」


「ガビン伯爵閣下。殿下が望むような同盟を結びませんか。結婚は……お聞きになっているでしょうが、もう決まった相手がおりまして」


 ガビン伯爵は、セレスティーナと目を合わさず、ロレンスを見ていた。


 ロレンスは大いに不満だったが、あらゆる条件を積んでもジュリウスとの婚姻を望むと言うなら、今度はそれを使って自分に有利にするしかない。しかしロレンスは有能ではあるが、臨機応変という性格ではまるでなく、過激な理想主義者、つまり必要以上にこだわりが強い性格だ。モードレッドと婚姻すれば、ブラックウェル領とガビン領という両隣の立地の、王都の目の前という理想的な巨大な国土が手に入る。婚姻関係なら足並みを揃えた運営も、世代に渡って容易い。それを諦めるのは労力が要った。


 なによりジュリウスという男の存在が、不気味だった。


 本人は取り立てて特徴がないにもかかわらず、妙にまわりの人間や状況を動かす力があり、ボウエン家もなぜか肩入れしている。貴族社会には珍しいタイプで、人を意のままに操ってきたロレンスにとって、予想できないところがあった。


 幼い頃から、頭脳と立場を利用して、人を思いどおりにしてきたが、社会に出れば出るほど、現実は思うように行かなくなる。そうなったら現実ではなく、自分を変えるしかない。ずいぶん遅いが、壁にぶつかっているのだということに、ようやく気が付きつつあった。


「諦めるしかないか……」


 ガビン伯爵は、十八年、側に仕えていて、まさかそんな言葉が出るとは思わず、珍しく表情を崩した。息を呑んで見守っている。


 セレスティーナはそれを聞いて単純に喜び、隣のジュリウスの手を握ると、状況を察したジュリウスも喜びをたたえた目で見返してきた。


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