「積み上げた強さ」
「ジュリウスとセレスティーナ嬢の、婚約を発表したとして……」
「彼が暗殺されるのは、何日後でしょう」
ボウエン伯爵家で、レイモンドとリックが雑談をしていた。
「ロレンス第二王子殿下は、情け容赦ないからなあ」
「護衛はつけますが、それよりも……」
「殺してもブラックウェル伯爵家が、殿下の思いどおりにならないと思わせた方が、暗殺を防げるだろう」
第一王子派閥に、伯爵家を呼び戻すための婚約。それを阻止したいのなら、ジュリウスを暗殺すればいい。そんなことをされれば、次の候補者は現れないだろう。ロレンスの本気を世に知らしめれば、セレスティーナの結婚相手には、モードレッドしか残らない。
「とにかく婚約を発表したら、ジュリウス君は学院を退学させましょう。そうでないと通学中に殺されかねません」
「ところで二人は……」
「上手く行っているようですよ」
「仕事上のパートナーとしてだろう?」
「まあ、情緒面では、お子様二名ですからね。あたたかく見守りましょう」
◇◇◇◇◇◇
「ジュリウス殿。今度、ヴェルンヘルと戦うそうだが、どんな準備をするんだい?」
「聞き及んでおります。武器はなにを、どのように」
ブラックウェル伯爵家の摂政ホワイトフォードと、家令のハンプソンが興味津々に聞いてきた。
「怪我が治って、きちんと動くようになってからですから、愛用の剣を使うつもりです」
「ジュリウスの使っているいつもの剣か。割と細身だが重さはどれくらいなんだ」
反対側からアリアノエルが口を出してくる。セレスティーナと打ち合わせをしていたが、話がずれてしまって、おしゃべりのようになっていた頃合いだった。
「結構、重いです。実は先端が少し重めに作ってあるので、振り回しやすく、折れやすいため、取り扱いには注意が必要な剣で」
「なるほど、それで」
なにが「なるほど」なのかわからないが、アリアノエルはしたり顔で頷いている。
「そうするとスタミナを消費しますな」
「そうだな。それに防御にも注意が必要だ」
まるで自分自身も歴戦の強者のように、ハンプソンとホワイトフォードが強めに頷いている。
「そのヴェルンヘルとやらは、どのような獲物を持っているのですか」
「私、見たわ。長めの細剣を持っていて、腰にもう一振り、短剣を下げていたわ」
どういうわけか、その場は静かになり、誰もセレスティーナと目を合わせようとしなかった。戸惑った彼女が顔を上げると、ジュリウス一人だけが目を合わせてきて、頷いている。
「その通りです。彼の任務は暗殺ですから、一撃必殺の技を繰り出すため、間合いを詰めやすい長めの細剣を使っているようです。おそらく戦闘になった時用に短めの剣も持っていますが、今のところ抜いたのを見たことはありません」
同じようなことをセレスティーナも話したのに、なぜかジュリウスの説明にだけ男たちの感嘆の声が上がった。
「彼の身長は? 体格は?」
「どんな戦闘スタイルなのですか?」
「もちろん、勝ち目はあるんだろうな」
よせばいいのにセレスティーナは、またしても答えようとしてしまった。聞かれると反射的に口を開く習慣を持っていたからだ。
「身長はジュリウスより十センチほど高いわ。でもすごく細身で体重は変らない……」
そして男たちが、誰も自分の見解を求めていないのに気が付き、口を閉じた。ジュリウスは変わらずセレスティーナを見て頷く。
「そうですね。あの細身で驚くほどの重い斬撃を浴びせてきますので、相当、鍛えると思います。ですが彼の強みは、セレスティーナが気が付いたとおり、体が軽いことです」
「つまりは長時間、戦ってもスタミナがもつということですな」
「重量級の戦士に比べて、それを自分の強みにしていると」
得意満面に言い放ったハンプソンに、鼻息荒く分析したホワイトフォードが同意した。
「そうなの? ジュリウス」
素朴な疑問を口にしたセレスティーナを、それまで無視していた男三人が、まるで馬鹿にしたようにあざ笑った。
「これだから」
「わかっていませんねえ」
「女にはわからない世界だからな」
さすがにいらっときたセレスティーナは、三人に注意した。
「あのねえ。あなた方三人だって、なにも知らないでしょう。剣もまともに持てないくせに」
伯爵家は、軍閥色が薄く、当然、重鎮たちは剣をもたない。少年の頃に剣士に憧れ、頭でっかちに育ったハンプソンも、ホワイトフォードも、アリアノエルも、内心では気にしていることを言われて傷つき静かになった。
「ちょっと調子に乗っただけじゃないか」
アリアノエルがぶつぶつ言っている。
「体が重いと、その分、動かすのにスタミナが必要です。だから鍛えるという者もいれば、逆にヴェルンヘル殿のように軽くすることで長時間、戦えるようにするものもいます。特に彼は……」
少年のように無邪気な目で聞いていた男たちは、また一斉に騒がしくなった。
「ヴェルンヘルは裏家業の人間だから、失敗した場合も考えて、逃げる体力を残しておかないと」
「それに長時間戦える方が、止めを刺す機会も増えますし」
「そうなんだろう。ジュリウス」
「そうですねえ。まあ……、なにより彼の目的は戦うことではなく、殺すことですから」
軽く頷き、そう告げると、三人は尊敬のまなざしで彼を見た。
それを見ていたセレスティーナは、この巨大な家に置いて執政の舵取りをしている三人が、新参のジュリウスに一目、置いている理由が、政治的に有用だからではなく、単に強いからということに気が付きめまいがした。
「……いくらなんでも、子どもっぽ過ぎないこと?」
◇◇◇◇◇◇
後日、入念に準備したジュリウスが、普段よりも重い足音を立てながら自室の扉を開けると、なぜか満面の笑顔を浮かべた父親のオルダスが立っていた。
「よお。お前。今日、強い奴と戦うんだろう。特等席で拝ませてもらうぜ」
「……」
また物好きな、と思いながら約束していた山中の空き地に行くと、どうしたことか大勢集まっていて、飲み物を売って回るものまでいた。
「ジュリウス殿。私は一応、裏家業の犯罪者なのですが」
「すまない。どこからか情報がもれたようで。私の名前にかけて捕縛はしないと誓う」
カロー侯爵家でヴェルンヘルに負けたことにしてもらう条件として、怪我が治った後の万全な状態での再戦を約束した。そのことについての報告はもちろんしたが、立場を慮って、再戦の場所や日時は秘密だったはずだ。
おそらく物見遊山の連中が、オルダスに渡りをつけ、自宅での動向を探らせたか、獣並みに勘の鋭いオルダスが息子の準備に気が付き調べたか、ヴェルンヘルが連中に尻尾をつかまれたか……。今は他愛もなくはしゃいでいる連中だが、一騎当千の強者揃いな上、調査活動を専門にしているのだから侮れない。
頼んでもいない審判も準備していて、ルール説明が始まった。
「相手を死亡させた場合、死亡させたほうの負けとなります。片方が負けを意思表示したら、それ以上の攻撃はなし。見てわからないタイプの武器、例えば毒などの使用は前もって宣言すること」
歓声が上がる中、二人、向かい合う。
「ヴェルンヘル殿。ちょっといいかな」
「なんですか」
殺気で目をぎらぎらさせたヴェルンヘルに、ジュリウスが告げた。
「私のことは殺さない方が、次の再戦が楽しめるぞ」
「…………とても魅力的ですが、思い切り戦いたいのです。試合に負けても構いません」
言外に殺す気満々であると告げられ、ジュリウスはうんざりする。
「貴殿なら殺さなくても、思い切り戦えるだろう」
「命乞いですか。今さら怖くなったとでも?」
怖くなったのではなく、ひたすら面倒なのだ。必要もないのに、命がかかるような戦いをする意味がさっぱり分からない。戦闘狂のオルダスではあるまいし。
「……丁度良い」
ジュリウスは観客の中の一人を指さした。
「あそこにいる長身の大男が見えるか。私と同じ黒髪黒目の。身長に合わせて長剣を背中に下げている」
「ほほう。あれはかなりの使い手ですね。お顔立ちがジュリウス殿に、よく似ていらっしゃる。ご親族ですか?」
「父だ」
「なんと」
「私のこの剣は父から教わった」
「それは」
「父は私よりもよほど強いぞ。いやいや、私なんぞ赤子のようなもので、まったく敵わない」
「素晴らしい。お父上のお名前は?」
「オルダスという。聞き及んでいるだろう」
「剣豪オルダス殿ですか。いやはや、ご本人にお目にかかれるとは」
「私の命を取らないでいてくれたら、父とも戦えるよう話をつけてやっても良いぞ」
「…………」
話は無事にまとまり、ヴェルンヘルはオルダスとの一戦に備えて、殺気を抑えて戦った。
そうは言っても、あくまでも殺す気がないジュリウスと、わざとではないのなら殺しても良いと考えているヴェルンヘルとでは際どい勝負だった。途中で戦いに夢中になってしまったヴェルンヘルの切っ先が何度も襲い、このままではスタミナ負けしてしまうと思い、手加減せずに反撃したところ、うっかりヴェルンヘルの右肩を貫いてしまった。
「救護班、前へ」
うめき声をあげて手当てされるヴェルンヘルが、まるで今際の際のように言った。
「お願いです。ジュリウス殿。オルダス殿との一戦を」
「わかった。お膳立てしてやるから。今は治療に勤しめ。だから今後、私に挑みかからないように。いいな。わかったな。約束だからな」
ヴェルンヘルの意識を上手くオルダスに切り替えることができて、一仕事やり遂げた気分になり満足だった。もちろん必要なら戦う時もあるが、よくオルダスの言う『強いやつと戦いたい』という感覚が、無駄に思えて理解できなかった。オルダスには一切、話を通していないが、似たもの同士なんとかなるだろう。なんでもいいから、とにかく自分を巻き込まないで欲しい。
一つの鍋に同じ穴の狢を放り込んだジュリウスは、面倒ごとが片付いたとばかりに、さっさと帰り支度を始めた。
◇◇◇◇◇◇
一方、その頃、リックは妙に人が少ないボウエン伯爵家で、レイモンドと、ジュリウスのこれからについて話し合っていた。
「さすがの殿下も、初手から暗殺はしないのではないか。まずは金や女で、自陣に引き込み、それが上手く行かなかったら暗殺する。だから大丈夫だろう。きっと。多分……」
「そうですねえ。いきなり暗殺は、リスクがありますし。……まあ、そういったことを、あまり気にされない方ではありますが……」
二人は、大きなため息をついた。
「絶対的な権力を持っている人間が、気分で動くのは勘弁してほしいものだ」
「ところでレイモンド様だったら、ジュリウス君をどうやって落としますか」
「基本は金と女だろう」
「ジュリウス君にですか?」
「基本は基本だ。ジュリウスなんか、ものすごく簡単だぞ。なにかしら問題を抱えている、真面目な女を用意すればいい。そういうのに本気で迫られたら、どうせころっと行くに決まっている」
「そうですかねえ……」
「金に関してはあれだな。今回の婚約で、ロレンス殿下から、ラムレイ男爵家に裏金を打診されたら、これ幸いと検討するに違いない。あいつは金に関しては案外、せこいところがあるからな。矜持がどうとか言うものか。それでその話をボウエン伯爵家にも持ちかけてきて、双方に金を出させて競わせるくらいの、面の皮が厚いことはするぞ」
「確かに」
リックは、女に関してはそこまで同意できなかったが、金に関してはよく見ているなと感心した。最近は潤っているようだが、元々は貧乏だった家の育ちらしく、経費の請求は抜かりないし、褒賞もきっちりと取り立てに来る。
「レイモンド様の言う通りかも知れませんが……。ですが仮に金と女で落とされたとしても、ジュリウス君は自分のやり方を変えないと思うのです。つまりロレンス殿下の派閥に鞍替えしたとしても……」
「その発想は少し面白いな。要するにロレンス殿下の真逆で、なにがあっても、それこそ派閥を鞍替えしても、信頼できる駒というわけか」
「人間的にということですが」
しばらく考え込んだ後、まるで独り言を話すようにレイモンドは言った。
「超党派の議員のようだな。だがそれをジュリウスの強みにしたらどうだ。彼の人格を政治資源にするんだ。このまま弱小貴族の令息のままでは、いつか暗殺されてしまうからな。ロレンス殿下の誘いがあれば、命惜しさにブラックウェル伯爵家ごと派閥を移ればいい。どう動いてもジュリウス本人を知る人々は、彼を信頼するから関係ない。派閥や所属などの枠組みにとらわれず、政治の世界を動ける人物と定義すればいいではないか」
「ブラックウェル伯爵家が、一時的にロレンス殿下のものになってもいいのですか?」
「相手が相手だから仕方がないだろう。貴重な……いや、貴重でなくても人材を無駄にしないために、柔軟に考えてもいいと私は思う。ジュリウスとセレスティーナ嬢なら、あと十年もすれば本人たちの力で、元の派閥に戻ってくるかもしれない」
◇◇◇◇◇◇
「というわけで。必要に迫られたら、ロレンス殿下の下についていいよ」
「お話しはわかりましたが、あの方の下にはつきたくありません」
「私もです……」
学院にやってきたリックに、ボウエン伯爵家の方針を説明されたが、これではジュリウス本人に、すべて対処しろと言っているようなものではないか。暴論を聞かされ、絶句する。
「私が暗殺されそうになるのなら、しっかりとした警護を要求します。その上で、殿下からの接触を防いで下されば」
「正攻法でやっていると、奇襲は防げない。相手は殿下だぞ。ジュリウス君」
「リック様。それは確かにそうですね……」
ジュリウスの隣のセレスティーナが、目をくるくると動かしていて、婚約を発表した事で起こる危険を考えている。
学院は密談の温床になっていた。なにより警備が厳重だし、重要な関係者が一堂に会しやすく、それでいて会談の出席者が誰か第三者にわかりにくい。
「ねえ、ジュリウス。婚約が発表されたら、どこに隠れるの」
リックとジュリウスが同時に答えようとして、不安な顔をする。
「ラムレイ男爵家は、腕が立つものが揃っていますが、さすがに殿下の襲撃には持ちこたえられません」
「ジュリウス君には、婚家のブラックウェル伯爵家を当初は考えていたが、しかし伯爵夫妻が……」
「ええ、私の両親が殿下たちを引き入れてしまうでしょう」
わかりきっているが、敵味方入り交じっている状況に、セレスティーナがため息をつく。
「こういう時は王宮が間に入ってはくれますが、しかし……」
「そうだな。殿下の庭である王宮は避けた方がいい。そうすると我らのボウエン伯爵家だが」
ボウエン伯爵家は、鉄壁の巨大要塞で、本来ならなんの問題もないはずだ。だが、この場合……。
「リック様。私の考えすぎかもしれませんが、殿下はここぞという時に、問題を起こされるお方。ジュリウスがボウエン伯爵家にかくまわれているのなら、それを理由に正面切って襲撃するのもおもしろいと考える可能性があります。そのほうが」
「第一王子殿下と、第二王子殿下の派閥争いの火蓋を落とせるからか」
リックがそういうと全員が途方に暮れた。
「ほら、だから、最初に言った通りだろう。ジュリウス君は、殿下の下についた方が生き残れると」
「リック殿。そういう問題では……」
「リック様。ジュリウス。それならいっそ、ブラックウェル伯爵家が派閥から独立してはいかがかしら。というか、今、事実上そうなっているわ。ボウエン伯爵家や第一王子殿下とも、そしてガビン伯爵家や第二王子殿下とも協力しあっているもの」
「つまりはこれからも臨機応変で行くということだね。ジュリウス君」
「…………」
ジュリウスはどうしても納得行かなかったが、上司から命を賭しても派閥を維持しろと命令されたわけではない。むしろ命を大事にと常識を越えた大きな裁量権を持たされたわけで、ここは本来なら感謝する場面なのだろう。だが本心では、レイモンドやリックが、上司としての職務を放棄しているように見えて仕方がなかった。それは当然、リックにも伝わったのだろう。
「いつでも助けになるから」
そう言って帰って行った。もやもやした感情を抱えたまま、しばらく手元の茶器を眺めていたが、その内、隣にセレスティーナが座っていることを思い出した。
「すみません。ぼんやりしてしまって」
「気にしないで。あんなことを言われたら当然だわ」
「…………急にこんな大きな判断を押しつけ……迫られても」
「頼りになる上司が、突然いなくなったら不安よね」
そう言われ、ジュリウスは上司がいるからこその、気楽さを指摘されたようで、言葉に詰まった。
上司がいれば責任を取らなくていいし、問題が起きたら押しつければいい。なにも考えずに発言し、行動しても、どうにかなる。だが上司がいなくなって、すべて自分で自由にやっていいと言われた時の重圧たるや。一から十まで自分の頭で考えなくてはいけない。
そして隣にいる二歳年下の少女は、幼い頃からずっと巨大な家の頂点として君臨し、その重責に耐えてきたのだ。だからこそ今の不安がよく理解できたのだろう。そんなつもりはなかったかもしれないが、責任ある立場に置かれ、不安から来た上司への不満という甘えを指摘された気分になり、恥ずかしさから顔が真っ赤になった。おまけにそれを慰めてもらい、情けないことこの上ない。
そのことで落ち込みそうになった後、なんとか踏みとどまる。
「セレスティーナ。なにかあなたの役に立てることはありませんか。なんでもいいので仰って下さい」
「そうねえ……。前の夜会みたいに、ずっと側で守ってくれると嬉しいわ」
「え? ……そんなことでいいのですか?」
難しいことを言われても、努力しようと思っていたのに拍子抜けし戸惑う。そんな当たり前のことを言われてもと思うが、本人の希望なら期待に応えることにしよう。
◇◇◇◇◇◇
放課後、ブラックウェル伯爵邸に戻ると、仮縫いのために呼び出された。ジュリウスの婿入りは、ボウエン伯爵家が後見について行われるもので、そのため様々なものを用立ててくれている。 実利家のセレスティーナは、すでにジュリウスの部屋やらなんやらを用意し、生活しやすいよう適当な名目をつけて運び込んでいた。
ただの男爵令息のジュリウスは、二大伯爵家が記念になるようにと進めている行事の規模に、率直に言ってびびっていた。時々、自分のために用意された部屋に入って、ぼんやりすることがあるが、それは部屋が大きく豪華なのに早めに慣れておこうと思っているためだ。
そして様々なことが迫ってきた今、大きな不安を感じていた。それはこの婚約について、ブラックウェル伯爵夫妻が、なにも知らないということだ。
「あり得ない……」
伯爵夫妻は、巨大なブラックウェル家の当主でありながら、支持者はほとんどいない。周囲、とくに使用人や親族からは、中継ぎとして扱われているほどだ。仕事が出来るわけではないし、むしろ使い込みが多いし、なにより人間性が信用できないからだ。
賄賂目当てに派閥を移ろうとしているが、そういうことをする人間は、どちらからも信頼されない。ガビン伯爵家がいまだにセレスティーナの婿の座を狙っているのは、結局の所、そちらのほうが確実だと判断しているからだ。
おまけにこの所、不祥事が続いている。伯爵夫人の元では殺人事件まで起きたし、伯爵はレイノルズ伯爵家の零落に関わっている。敵対派閥の貴族家を没落させていくということは、一見、敵を潰していっているように見えるが、その家から追い出された大勢の人々の恨みを買うことであるということに、気が付いていないようだ。
伯爵夫妻の同意が仮になかったとしても、ボウエン伯爵家はあらゆる手段を使って婚約を成立させるだろう。だがなんだかんだいっても夫妻は当主だ。もし反対したら、この話はどうなるのだろう。普段だったら気にならないことが、どうしてか気にかかり、最近、夢にまで見るようになっていた。
「こら、いけませんよ」
聞き覚えのある侍女の声に顔を上げると、すき間が空いていた扉からセレスティーナの弟で六歳のスペンサーがのぞいた。
「ジュリリュス」
満面の笑顔になり走ってくる。
「スペンサー殿。良い子にしていましたか」
「うん!」
両手を万歳と上げたので、ひょいと抱き上げる。嬉しそうにじたばたと暴れ、肩によじ登ったと思うと、ジュリウスの頭を抱えるように負ぶさってきた。
「こらこら。それでは前が見えません」
「ふふふ」
再び抱え直すが、はしゃいで足をかなりの勢いでばたつかせ、危険だ。両手をつかんで軽く振り回すと、奇声を上げて喜んでいる。そっと入ってきた侍女が謝罪した。
「お休み中の所、申し訳ありません。どうしてもお会いしたいとスペンサー様が」
「ジュリリュー」
スペンサーは両親、とくに母親に溺愛されており、彼らは次期当主にすると息巻いているが、ジュリウスが見た所、姉のセレスティーナと、兄のアリアノエルの方に懐いている。それというのも両親はスペンサーをアクセサリーのように可愛がるだけで、よく見ていないからだ。兄姉はよく面倒を見ていて、お互いに心を許しあっている。そしてなぜか初対面の時からジュリウスのことも慕っていた。
「二人でセレスティーナのところに行きましょう」
「うん」
抱えてセレスティーナの執務室に入ると、スペンサーがもじもじしだして顔を隠してしまう。人が多くて恥ずかしいようだ。
「なぜか私に懐いてくれているんですよ」
机の横に立たれたセレスティーナが、ふっと笑う。
「だって初めて会った時、スペンサーを高い高いしたり、両手を持ってぐるぐる回したりしたでしょう。すごく喜んで、しばらくその話ばかりだったのよ」
「その日、興奮してなかなか眠らなかったって侍女が言っていたな」
アリアノエルも、スペンサー向けの優しい笑顔を浮かべる。
スペンサーを抱えて四人で話しているのを、摂政のホワイトフォードと、家令のハンプソンは眺めながら、若者たちの距離が急に近くなったことに驚き、それを表に出さないように努めた。
「若いって良いな」
「そうですね」




