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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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欲のるつぼ

道徳が崩壊している話です


 王都へ帰還したジェラルドの噂は、それを聞いた人々の間で、ちょっとした騒ぎを引き起こした。それというのも彼は様々な悲劇と、それによる悪意で、王都に騒動を起こしたまま、三年前に失踪していたからだ。彼の再登場に、ほとんどのものが不安を感じた。



◇◇◇◇◇◇



 噂を聞いて、一番、逃げ隠れしたい気持ちになったのは、金を借りた者たちだ。


 しつこく頼まれると断り切れず、金を貸してくれるおつむの弱い所が、ジェラルドにはあった。それを良いことに図々しい者たちは、嘘を適当にこしらえ、涙ながらに粘る。騙されやすいジェラルドは、それをころっと信じてしまい、かなりの金額を巻き上げられていた。


 もちろん誰も返す気なんかない。頭の巡りが悪い、世間知らずの勉強代だ。たまに見せ金としてちょっとだけ返しては、それ以上の金額をせしめることを繰り返す。


 蜜に集る蟻のように、ちょろいジェラルドをその場だけ持ち上げ、自分たちの懐を温めさせてもらっていた。失踪したと聞いた時には、返済の催促を心配しなくていいのだと思い、安心したものだ。そんな彼が三年ぶりに帰ってきたと聞いて、青くなって逃げ回る者が多かった。


「おい、聞いたか。ジェラルドが王都に帰ってきたって」

「なんでも貿易港事務所で、見かけた奴がいるってよ」

「どうしよう。俺、あいつに金を借りたままだ」

「俺もだよ。畜生、失踪したままでいて欲しかった」


 貿易港の事務所三番倉庫で、労働者たちが焦って情報交換をしていた。皆、かなりの金額を借りていて、恐慌状態に陥っている。


 しかしそこに足音がしたと思うと、ジェラルド本人が誰かと話す声がして、部屋の扉が静かに開いた。ロメオとニッコは借金取りから逃げようと、反対側の扉から勢いよく飛び出す。ところがそこには同じことを考えていた男たちがたまっていて、押されて一人が足を踏み外したと思うと、集団で階段から落ち、ちょっとした惨事になったのだ。



◇◇◇◇◇◇



 ジェラルドの帰還に一番、あわてたのはカスパーリだろう。


 ジェラルドはもともと、イメルダという女性と付き合っていた。彼女は港湾一の美人と評され、たくさんの崇拝者に囲まれていたが、なぜかお調子者で浮ついたジェラルドを側に置いていた。稼ぎ頭である貿易事務所の一番倉庫でジェラルドは働いており、かなりの収入があったからだろう。きっとまめに贈り物でもされ、優しいイメルダがほだされたに違いない。


 それに納得できず、略奪したのがカスパーリだ。お淑やかで、奥ゆかしいイメルダは、自分のほうこそ相応しい。そう思い喜ばせるために高価な贈り物をたくさん贈り、せっせと通い、ジェラルドの悪評を吹き込んだ。最初は怪訝な顔をしていたが、最後にはカスパーリの胸の中で泣いてしまい、勝った優越感で胸が一杯になったものだ。


 そのショックで傷心のジェラルドが失踪したと聞いた時には、柄にもなく哀れみを感じるほどだった。


 若い頃から働いて得た収入のほとんどを、カスパーリは貯金に回しているため、追い落とすだけの豊富な資金があった。これは将来、独立して事業を起こすために懸命に貯めているもので、一般人とは桁が違う金額を貯めこんでいた。


 つまりカスパーリは、ジェラルドの女を手に入れた上で、来年には事業を興すという、奴なんかとは比べものにならないほどの、高みを行っているのだ。それなのに噂を聞いたイメルダが、目を輝かせた。


「ジェラルドが帰ってきたんですって」

「イメルダ……」


「あ、ごめんなさい。でも嬉しくて」

「あんな男のどこがいいんだ」


「そんな、比べられるものではないわ。でも、………………あなたは変ってしまったから」

「変った? どこがだ」


「そんなこと言えないわ。お願い、私のことを縛り付けないで」

「俺たちの三年間はなんだったんだ」


 その後、イメルダの机をあさると、ジェラルド宛の手紙の書き損じを見つけ、空しい気持ちになった。手紙には『今すぐ会いたい』と書かれており、最近ではカスパーリが贈り物の一つもくれないと嘘の不満が書いてある。三年間、彼女に尽くしたのはなんだったのだろう。


 ジェラルドからの返事が来たら破ってやると息巻いていたが、言づて一つ届かなかった。イメルダに対して、ざまを見ろといった気持ちになると同時に、ジェラルドからの返事がないことに対して、なぜかがっかりしたような、肩透かしを食らったような気分になった。



◇◇◇◇◇◇



 貿易港の事務所の三番倉庫で働いているマウロは、ジェラルドの帰還に落ち着かず、倉庫の中を意味もなくうろうろしていた。


 職場で横領していたマウロは、それを始めとした様々な怠慢や横流しが発覚しそうになった時に、すべてをジェラルドに押しつけたのだ。それが原因で、ジェラルドが失踪し、てっきり死んだのかと思っていた。そうならどんなにかいいだろう。


 だが生きていて戻ってきた彼に、きっと復讐されると思うと、じっとしていられなかった。


 貿易港事務所に就職して、三番倉庫に配置されたマウロは、言う事がころころ変る上長の下、舌先三寸のおべっかで、長年この職場をやりすごしてきた。そこにやってきたのが、実力者が揃う一番倉庫で働いていたジェラルドだ。


 マウロのように横領でもして降格でもされたのか、現場の実務を担当していたヘリーニとしばらく一緒に仕事をしていた。最初からジェラルドが気に食わず、降格になっていい気味だと思い、どうせわからないだろうと横領を続けたし、それを平気で押しつけた。だってまさか失踪するほど、ショックを受けるとは思わなかったからだ。



◇◇◇◇◇◇



「なるほど。それでジェラルド殿を殺そうと」


 警ら隊港湾部の一角で、ジェラルドを殺そうとしたマウロの取り調べに、ジュリウスは参加していた。


 右腕を怪我してしまい、荒仕事ができなくなってしまったので、連絡業務などの文官寄りの仕事を今は担当している。その一環で港に立ち寄った所、襲撃の現場に居合わせることになった。


 物陰からナイフを構えて飛び出し、ジェラルドに襲いかかろうとしたマウロに気が付き、咄嗟に体当たりして、よろめいた所で、向こうずねや靴を警棒で立て続けに攻撃すると、派手な悲鳴を上げてうずくまった。左手一本でも捕り物ぐらいは、なんとかなると思ったできごとだった。


「ジェラルド殿。それで間違いありませんか」


「……」


「ジェラルド殿?」


「…………すいやせんが、心当たりござんせん。その人が俺と働いていたというならそうなんでしょう。ですが思い出せなくて。三番倉庫には特命があっての任務についていましたんで、現場の顔はあまり……。実務を担当していたヘリーニぐらいしか」


「ふざけるな!」


 激怒したマウロが椅子を倒して、立ち上がった。


「俺の事、殺したいほど恨んでいるくせに。横領や横流しの罪をかぶせられたから、動揺して失踪したんだろう? それなのにとぼけやがって。前からお前の、そのすかした面が気に食わなかったんだ。一番倉庫から降格された分際で、偉そうにしやがって何様のつもりだ」


 怒鳴られている間、まったくなんの心当たりもないという顔で、ジェラルドは佇んでいた。彼にしてみれば、顔も覚えていない人から殺されかけ、その理由も見当もつかないようだ。


「ええと。ジェラルド殿。今のも、心当たりがない、と?」


 ジェラルドが途方に暮れていると、連絡を受けて事務所からヘリーニがやってきた。一通りのいきさつを聞いて、おそらくと説明を始める。


「もう口外しても良いので、言ってしまいますが、三番倉庫はいったん閉鎖されて、人員を入れ替える予定なんです。その特命をジェラルドが三年前に受けていて、単にそれについての業務が終わったから、引き上げただけです。指示命令系統もなにもかも違うので、ジェラルドが横領や横流しができるわけがなく、当然、罪をなすりつけることもできません」


 ヘリーニの説明に、マウロが顔を真っ赤にして反論した。


「嘘を言うな! ヘリーニ。お前はいつもそうやって煙に巻こうとして、なんでも知っているような顔をして偉そうに。どうせジェラルドと親しかったから、奴のために適当なでたらめをほざいているんだろう。俺はちゃんと上長に密告したんだ。ジェラルドが横領しているって」


 呆れたようなヘリーニのため息が、室内に響いた。


「警ら隊の取り調べで、そんなことをする必要性を感じません。ええ、もちろん、マウロが上長に密告という体で自白したことは、きちんと記録にとってあります」


「……自白?」


「マウロ、そういうわけだから人員整理に合わせて、君は首になる。横領の補填のために、長年、勤めてかなりの金額になっていた退職金も、なくなるだろう。詳しくは事務所に聞いてくれ」


 この数年間、夢にまで見るほどうなされていた悪夢が、自分の妄想から作り出された事実無根のできごとだったと知り、マウロは頭を抱えてへなへなとうずくまった。


 勘違いで殺されそうになったことを、ジェラルドはよっぽど抗議しようとしたが、もう関わり合いになりたくないと思い黙っていた。


 これで話が終わりと判断したヘリーニが、少しリラックスし懐から一通の手紙を取り出す。


「ジェラルド。事務所にイメルダ嬢からの手紙が届いていたよ。まだ続いているようだけど……大丈夫なのかい?」


「……勘弁してくれ」


 取り調べにはジュリウスの他にも警ら隊の隊員が何名かいて、有名な美女イメルダの話題に注目が集まる。ジュリウスもちょっと興味があった。


「なんでも港湾中を虜にする魅力的な女性だとか。お付き合いされているのですか」


 朗らかでいて、踏み込んだ質問に、興味津々だった隊員たちは、内心ではジュリウスに喝采を浴びせていた。


「いいえ。以前は付き合っていやしたが、もう思い出したくもありません」


「……え?」


 他の隊員たちも口を開けている。ジェラルドはぼやくように言った。


「最初は、向こうから声をかけてきて、その時は有頂天になりましたが、一見、奥ゆかしそうでいて贈り物の要求がすごいんですよ。まあ、あれだけ美人なんだから、仕方ねえだろうと当初は思いやした。今まで、男からそう扱われてきたんだろうって。でもあんまりおねだりがひでえから、ちょっと放っておいたら、贈った覚えのない装飾品をつけるようになって、その時に仕事柄ぴんときたんです。急いで自分の貯金を調べたら……」


「使い込みされていたんだよな」


 それを聞いた隊員たちは、まるで幽霊でも見たように後ずさった


「いくらぐらいですか?」


 素朴な疑問としてジュリウスが聞くと、その場にいた隊員たちは「よくぞ聞いた」と身振りで勇者を称えた。庶民の年収五年分、稼いでいる港湾労働者でも三年はかかる金額に、全員が真っ青になった。


「それを、どれぐらいの期間で使い込んだのですか」


「三ヶ月です」


 息を呑む音があちらこちらで聞こえた。


「家庭内でも窃盗の罪は成立しますよ」


「いえ、あいつを訴える気はありやせん。使い込みできるようにしていたのは、不注意でしたし、これでもこの港では稼ぎ頭で、それぐらいの金額はまた稼げやす」


「ですが」


「そのことを問い詰めた時、イメルダはこう言ったんです。『あなたのためを思ってしたのに』と」


「どういう意味ですか? ジェラルド殿」


「金をつぎ込み美しく着飾る女を見て、喜ぶのが男の役割だそうです。感謝しろとまで言われやした。そして使い込みを伏せて、俺のためを思ってしたことを怒鳴られたと、言いふらしやした。大勢に責められ、誰一人彼女の使い込みを信じやせん。そんなことをするわけないと」


「ジェラルド殿。こんな事を言うのは憚られますが、手慣れていませんか。彼女」


「ええ。あいつはこの一連のできごとを流れるように行いやした。なんのためらいもなく、人の金に手をつけ、自分に都合の良い嘘をばらまいた。彼女にもうかかわりあいになりたくありやせん。別れる、別れないでもめていた時に、貯金のありそうな新しい男が現れたので、これ幸いと逃げた次第です」


「なるほど」


 ジュリウスは、何度も頷いた。殺されかけた上に、女に使い込みされ、部屋の中にいたものは、ジェラルドに対して哀れみと同情のこもった視線を向けた。いつもより穏やかな声で、確認事項を告げる。


「ええと、それでは三年前に元の住所を引き払い、戻ってきた今は宿がないのですね。今晩はどうされますか。手続きがあるので、連絡先を教えて欲しいのですが、もし大変ならこちらの宿舎を利用されても……」


 その時、ジェラルドの目が見事な泳ぎ方をした。隣からヘリーニが、軽蔑しきった顔で口を出す。


「連絡先は港湾事務所で結構です。大体、この男にそんな心配無用ですよ。こいつは最低な男で、今回のことも、私はまったく同情しませんね。殺されても……さすがに気の毒に思いますが、それも当然と感じるくらいのことはしています」


「それは一体」


「ヘリーニ。さあ、用事も済んだし帰りやしょう。今すぐ」


 ジェラルドは強引にヘリーニを連れ出し、取調室に残された隊員たちは、唖然とした。



◇◇◇◇◇◇



 日が暮れ、もはや寒いとも言える風が強く吹く中、港に向かう急な坂道を二人は降りてゆく。生臭く懐かしい海の匂いを、ジェラルドは胸いっぱいに吸い込んだ。


「ところで、ジェラルド。あなたは三年間もどこへ行っていたのですか?」


「富くじ当たって豪遊してた」


 万人が羨むことを、しれっと言いのけ、拳で殴りたくなるのをヘリーニは我慢した。この男はこういう適当な奴で、一々、腹を立ててはこっちの身がもたないからだ。


「あなたは本当に金運がいいですね。むかつくほどに」


 ジェラルドはくじを買えば一等、財布を拾えば大金が入っており、果ては港にただ立っていたら札束が飛んできたことまである。宵越しの銭はもたないと言って、常識的な貯金をのぞけば、毎回、使い切ってしまうのに、金に不自由したことは一度もなかった。


「まあなぁ。だがそういうお金は悪い物でも引き寄せそうでさあ。使っちまおうと思って。それで三年、遊んでた。性に合わねえんだよなあ。富くじの金より、自分で稼いだ十ポンドのほうが嬉しいよ」


 その癖、考え方は妙に堅実だ。そういうところが憎めなくて、ヘリーニも付き合いを続けていた。


「それはなんとなくわかります」


「そんじゃあ、お休みなせえ」


「また明日」


 貿易港の職員宿舎に着くと、ヘリーニは独身寮の自分の部屋に向かい、ジェラルドは家族寮に向かった。


 行き慣れたニッコの部屋と、ロメオの部屋でちょっと迷い、近い方の部屋に入ると、ロメオの妻のドロテアが歓声を上げ、抱きついてきた。


「ジェラルド。どこに行っていたのぉ。ずっと待ってたんだからぁ。さあさあ、入って。今日はうちの人、怪我して入院してて帰って来ないから、たっぷりサービスしてあげる」


 気っぷが良く、男ぶりの良いジェラルドは、女性に人気がある。後腐れのない風来坊の彼と懇ろになりたがる女性は多く、港湾事務所に関係するほとんどの女性となんらかのつながりがあった。


 女に迫られると断れない軽薄なジェラルドは、そんなんだから男たちにも弱い。ロメオやニッコのように、特にその妻たちと深く付き合っていると、さすがに罪悪感を覚えて、彼らからの借金の申し込みを断れないのだ。


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