34
耳を覆いたくなるような叫び声を上げながら、結紀は上半身を跳ね起こした。
あまりに痛ましい響きは聞いた者の心をかき乱すだろう……などという気遣いをする余裕もない。体を覆っていた布を払い除け、自身の体に手を這わせながらくまなく観察する。
指先、腹、そして胸。
どこにもあの黒い何かが貼りついていないのを確認できたところで、ようやく周囲の状況が目に入ってきた。
血走るほど見開かれた眼に映ったのは一面の白。壁も床も天井も、几帳面なまでに潔癖な白色で染められた空間だった。
大きく開かれた口が戦慄き、荒い息を断続して吐きだす。全身を伝っていく汗は、体の震えを増長させるように恐ろしく冷たかった。
「こ、ここは……?」
誰に尋ねたわけでもなく、零れ落ちた疑問はそこらに転がり、拾われることなく白色の空間に沈んで消えた。
何故、自分がここにいるのか理解できず、そもそもここがどこなのかも分からず、結紀は無意識に心臓を守るように胸に手を押し当てながら辺りを見渡す。
そこでようやく、回りを覆っている白い壁だと思っていたものが、ベッドを囲んでいるカーテンだと気がついた。
と同時に、部屋中に纏わりついている清潔さと執拗さを履き違えたような、良し悪しもすべて塗り潰す薬品の匂いに顔をしかめた。
「医務、室……なのか?」
確かめるまでもなく、ここが怪我人や病人が運び込まれる何処かであることを、結紀自身確信していた。それもこれも、この独特な臭気のせいで……。
――瞬間、脳裏で緋色が弾けた。
同時に襲いくる頭蓋を内側から火かき棒で削られるような頭痛に、結紀は両手で米神を押さえて頭を抱えるように蹲った。
固く絞った目蓋の裏で、見たくもない映像が明滅する。
――注射器、拘束台、よく分からない器具、自分を見下ろす顔の見えない影たち。
――窓のない部屋、存在しない部屋、人のいない部屋。
――消えていく子供たち、消えていく家族たち、消えていく僕たち。
心の奥底に押し込み、忘れてしまえと、二度と明るみに出ないように幾重にも鍵をかけていたはずの記憶が次々に溢れだしてきた。
「ぁ、ゔ、ぁあ゛……ッ!」
歯の根が合わず、カチカチと空虚な音が耳朶を響く。
全身を流れていく汗は廃棄油をぶち撒けられたみたいに粘ついていて、どれだけ大きく肩を上下させて新鮮な空気を求めても、喉は掠れるばかりで上手く息を吸ってくれない。
「あ゛あぁぁぁ――!」
頭痛と酸欠で渦を巻いていく視界に、抑えきれなくなった恐怖が慟哭と嗚咽になって溢れてくる。
――思いだすな、思いだすな、思いだすなッ!
――ここは違う、あそこじゃない! もう、あんな思いをすることはないんだッ!
しかし、どれだけ自分に言い聞かせても、一度開いてしまった記憶の蓋が閉じる気配はまるでない。堰を切ったように押し寄せてくる汚泥のような記録は、容赦なく今の自分を飲み込まんと迫り――、
「――ユーキッ!」
「――結紀!」
同時に聞こえてきた二つの声によって、いとも容易く打ち祓われた。
☆ ☆ ☆
ツイッターやってます。
https://twitter.com/koku_ikkoku
イラストなんかも載せてますので、
お暇な時にでも覗きに来ていただけたら幸いです。
よろしくお願いします!
コメント・応援・レビューもお待ちしてます。
忌憚のないご意見をいただけると嬉しいです。




