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悪逆の女帝 “スクラップミストレス”  作者: 黒一黒
第1章 悟りを開いた者たち
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 ……しかし、そうと覚悟を決めてもなお……道祖(みちのや)の心は千々に乱れて止まなかった。


 ――本当に……本当に、これでいいのだろうか……?

 ――仕方ないと切り捨て……その後でも、私は私だと胸を張って言えるだろうか?

 ――果たして、教師として、それ以上に人として……私は……正しく……。


 ぐるぐると体の内で渦巻く苦悶は泥のように溜まり、足元に底なしの沼を広げていく。その泥が重たく絡みついて、一秒ごとに心も体も身動きが取れなくなっていった。


 足先から闇に沈んでいくような感覚――。


 一筋の光明すら消え失せていく中……人工精霊(タルパ)の瞳だけが月明かりに瞬く夜露のように、嫌にきらめいて見えた。

 その濡れた玉のような輝きが、まるで自分を責めているように感じられて……。


 ――ああ、でも……肉体を持たない彼らが、涙を流すことはない……そのはずだ。

 ――けれど、だとしたら、あの今にも瞳から零れ落ちそうな雫は、いったい……。


 泥の底から浮かんできた泡のように、思考は形になる前に崩れ、弾けて消える。


 泥はもう喉元まで迫ってきているようで、首を締められるような息苦しさに道祖は喘いだ。

 それまるで人工精霊(タルパ)の苦痛が乗り移ったようで……頬を濡らしたのが誰の思いだったのかも分からず、顔をぐしゃぐしゃに歪めた。


 それでも、目を反らさなかったのは教師としての矜持か……はたまた場を治める術を持たない自分への罰なのか……。なんにしても、逃げることだけはしなかった。


 故に、道祖はどうあっても、心を切り裂くような昧弥の言葉を正面から受け止めるしかなかった。たとえそれが、酷く傷を抉るものだと知っていても。


「その手前(てまえ)(クソ)(まみ)れた(ケツ)を向けられるだけでも我慢ならんというのに……ことの末に横槍を切れてきた貴様は、それを私に拭え(・・・・)と宣った。

 ――可哀想だから慈悲を恵んでやれと、(しも)の世話をしてやれと。……なんだそれは。死に際に祈る無神論者でさえ、ここまで図々しくはないぞ。

 ――端的に言って不愉快だ」


 言葉が一つ重なるたびに、体温が一度下がっていくような思いだった。


 心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅く早くなり、視界が暗く狭まっていく……目に映るすべてが闇に覆われていく……。

 その中で、ゆっくりと持ち上げられる昧弥の右腕だけが、スポットライトを当てたようにハッキリと浮かび上がって見えた。


 まるで吸い寄せられるように、自然と目が腕の動きを追ってしまったのは、動くものがそれしかなかったから――ではなかった。


 まっさらな白紙の上に、一滴、墨を落としたように――じわり、と昧弥の白い腕に悍ましい黒色が不規則な斑紋(はんもん)で滲みだしていた。


 その黒い何かは円状に広がり、まるで穿たれた穴から溢れるように、ごぽっ、と詰まった排水管から汚水が逆流するのに似た濁った音を立て、中心からより濃い闇を吐きだした。

 吐瀉(としゃ)されたタールのように粘ついたそれは、まるで生きているかのようにザワりと身を震わせて這いずると、瞬く間に昧弥の腕を覆う。


 傷はあれど、確かに女性の手であり、腕であったはずのものを、それは白地(しらじ)であることは許さないと犯し抜くように、桜色の爪先まで余すことなく塗り潰した。


 その腕は、まるで重度の黒死病に侵された腐り落ちる寸前の病床者のそれで――。


「――ヒッ!?」


 人の形を根底から崩されるような恐怖を目の当たりにして、道祖は悲鳴を飲み込むことができなかった。


 それは、あまりにも冒涜的で……。

 生きとし生けるものすべてを、愚弄し凌辱し、蹂躙する。

 生き物への底知れない悪意だけを凝縮した何かだった。


 アレに触れたが最後、人も人工精霊(タルパ)も、生き物としての形を保ってはいられないだろう……それをまざまざと分からせてくる。あまりに暴悪な(カルマ)


 その悪意を、挨拶でもするような気軽さで昧弥は振り上げていた。


「ああ、そうとも、最悪だ。まるで、明け方に無理やり叩き起こされ、バターオイルを直接胃に流し込まれたような気分だ……反吐が出る。

 この、今にも胃の中身もろともブチ撒けたくなる気分を放置しては、腹の虫が治まらない――落とし前はつけてもらう」


 振り上げられた腕は、落とされる寸前の断頭台の刃のようだった。


 空間が、時間が、断ち切られる寸前の縄のように軋み、張り詰める。

 あと数秒と待たず、あの刃は落とされる。

 もはや避けようのない現実が目の前にあった。


 ――もう自分にはどうしようもない。


 道祖は泥に沈み、現実から目を閉ざそうとした――その時、闇よりもなお暗い昧弥の眼孔と目が合った。

 偶然か、はたまたより深い絶望をくれてやろうとしたのか……分からない。分からないが、その瞬間、道祖は弾かれたように顔を上げていた。


「故に、貴様の取引とやらに対する答えは……」

「――ッ! 待て! 待ってくれ! やはり――ッ!」



「――『(クソ)食らえ』だ」



 最後の足掻きとばかりに喚かれた声は、昧弥の動きを制止するにはあまりに弱弱しく……同時に遅すぎた。



 刹那の躊躇も生まれることなく。


 昧弥の黒手(くろで)は、無慈悲に――振り下ろされた。



      ☆      ☆      ☆


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イラストなんかも載せてますので、

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