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悪逆の女帝 “スクラップミストレス”  作者: 黒一黒
第1章 悟りを開いた者たち
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 (おもむろ)に持ち上げられた左手が、緩慢な動きで結紀(ゆうき)の目の前に広げられた。


 その掌には大小様々な傷が重なり、見るだけでも痛ましさに身が竦む。

 しかし、その傷の下には女性らしいしなやかさも見て取れる。指先に乗っている小さな桜色の爪からは、どこか非現実的な可憐さすら感じられた。


 自身と比べても明らかに小さい、女性の手だ。


 ――それなのに……ッ!


 結紀には、その華奢とすら形容できそうな小ぶりな手が、人のものではない、何か、悍ましい異形のモノのように見えて仕方なかった。


 伸ばされた指は、鋭い鎌の刃のようでもあり、無数の返しがついた鉤爪のようでもある。まるで、魂を鷲掴みにしようとする悪魔の手だ。


 それがジリジリと焦らすような速度で、自分の額へと向かってくる。


「……ぁ……ぁ」


 額に銃口を突きつけられているような緊張と、一寸に一刻をかけるようにゆっくりと押し寄せてくる死相に、結紀は嚙み合わない歯を打ち鳴らして震えた。


「ぅ、ァギッ!」


 その手が結紀の頭に到達したとき、きっとそれは彼の終わりを意味する。

 ユクもココも、それを想像するまでもなく、逃れようのない現実を肌で感じている。


 だが、血が滴るほど唇を噛み締め、爪が掌を突き破るほど力を込めようと、一度恐怖に飲まれてしまった体はピクリとも動いてくれなかった。


 ――待って、待って待って待って!

 ――お願い! 結紀だけはダメ!


 焦り、狼狽(うろた)え、心だけが勇んでいく。しかし、どれだけ意志を燃やそうとも、体は死んでしまったように冷え切って動かない。


 あまりの情けなさに、涙で視界が滲むのを二人は止められなかった。


 自分たちには常人をはるかに超えて、現実すら塗りつぶす力が確かにあるというのに……。『怖い』、ただそれだけのことで、大切な人の危機に身を挺することすらできない。


 これほど惨めなことが他にあるだろうか?


 (ほぞ)を噛むばかりの自分の無力さに、ただ打ちひしがれる外なかった。


 ――力が欲しい。


 それは、少年と出会ってからついぞ忘れていた、理不尽への反逆を示す、渇望だった。


 ブチブチと体の内で音が響く。

 それは、無理に動かそうとした筋肉が断裂している音のようにも、精神が肉体を凌駕し、剥離していく音のようにも聞こえた。


 ただ、確信と決意があった。


 この先に、自分たちはこの恐怖を打ち破る――!


「控えろ」


 ――そのすべてを、この悪逆は容易く踏みにじった。


「――ぁ」


 たった一言。威圧でも、脅迫でもない。ただ口をついた独り言のようなそれだけで、二人の思考は再び、底なしの闇に飲まれた。


「貴様らの相手はこいつの後でしてやる」


 あまりに無慈悲な宣告。しかし、すでに嘆く者すらいない。


 伸ばされる昧弥の手は、一切に阻まれることなく、結紀の頭を鷲掴みにしようと迫り――、


「ん?」


 ――バチィ!


 雷に打たれたような衝撃が走り、弾かれた。

 閃光が瞬き、昧弥の手は横合いから打ち据えられたように、結紀の頭から逸らされていた。


 掌から細く煙が立ち上っている。それにしばし視線を落とし、感触を確かめるように二度、三度と握っては開いてを繰り返した。

 そして、掌の痺れを握りつぶすように拳を固めると、驚きに軽く開かれていた瞳を興味深げに細め、再度笑みを浮かべた。


「なるほど……」


 昧弥は、そのまま視線を結紀たちに戻し、はしなかった。

 愉悦の光を怪しく灯した瞳は結紀たちを通過し――彼らの背後に忽然と現れた、長い黒髪を揺らめかせる女へと向けられた。


「これならば、私の(カルマ)の圧に僅かでも抵抗してみせたのも頷ける」


 昧弥はクツクツと喉を鳴らし、不機嫌そうに顔を歪める女と、それに繋がるものを嘗めるように見回した。


 身に纏っている白の患者衣は、長い月日を重ねたように黄ばみ、乾いた血のような赤黒い汚れが染みついている。

 その上からは、千切れた革ベルト、革製の拘束具の残滓のようなものが巻きつき、その存在が以前は縛られていたことを知らせていた。


 そして何より目を引くのが、結紀の心臓、その真上から突出する黒光りする厳めしい鎖と、その先端に繋がっている首輪だろう。


 だが、それは相手が普通の人間であればの話。


 拘束具も鎖も首輪も、その女が泳ぐように宙を漂っていることに比べれば些細なことだ。

 女は、まるで重力とは無縁であるかのように、なんの支えもなく宙へ浮かび続けている。



 通常の物理法則がそこに介在する余地はない。

 明らかに現実という括りからズレたその存在は、超常神秘の塊――。



「まさか他者に物理干渉できるほどの人工精霊(タルパ)とはな」



 それは、醜悪な邪心の狂気と血肉で彩られた、哀れな魂の成れの果てだった。


      ☆      ☆      ☆


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イラストなんかも載せてますので、

お暇な時にでも覗きに来ていただけたら幸いです。

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