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そこに嘲りや憤りはない。
それどころか、深い慈しみさえ滲んでいるように感じる。
あまりに場違い。何より、今この瞬間にも地獄を作り続けている当人の口から出ていい言葉ではない。
だが、虚飾は見えず、むしろここにきて初めて昧弥と向き合うことができている、そんな気さえ道祖はしていた。
「それは無垢で美しく、誰もが手を伸ばさずにはいられない……そんな眺めだろう。
――だが、過去に囚われた妄執には違いない。欲望の起点が現在にないということは、それだけで唾棄すべき怠慢だ。
真に望むべき未来とは、過去などという蒙昧に預けるべきではない。確固たる導を立て、明瞭な意志によって引き寄せ、今この瞬間の己の手によって掴み取るべきものだ。断じて余人が立ち入って良いものではない。
――たとえ、それが過去の自分自身であっても……」
夢などと言ってくれるな。そんな儚いものではない。
これは、自らの足で轍を刻み、全霊を賭けて挑むべき、大志のだから――。
闇に塗り潰された昧弥の瞳の奥で火花が散ったように見えた。いや、もしかしたら闇だと思っていたそれは、太陽すら飲み込む闇よりなお暗い炎なのかもしれない。
そんな世迷いごとが脳裏をかすめるほど、昧弥から溢れる熱量は道祖を焦がしていた。
「だが――」
昧弥は眩しさに目を細めるように、ゆっくりと目蓋を閉じた。瞬間、その熱も幻想であったかのように、微かな陽炎も残さず、跡形もなく消え失せていた。
「過去の重ねこそが今だと言うならば……過去を見捨て、現から外れた私たちが紡ぐ未来が、いったいどこに繋がるというのか……。
なんとも滑稽だとは思わないか? 夢を不要と断ずる私より、夢に囚われる者たちの方が地に足をつけて生きている。これが嗤わずにいられるか?
なぁ――道祖夕里」
ハッと、唐突に目が覚めたかのように、道祖は現実に引き戻されていた。
目の前に広がる地獄は何一つ変わっていなかった。いや、むしろさらに色濃く、悍ましさを増して部屋を蹂躙している。
一瞬とはいえ、完全に気を抜いていたのだ。なんの用意も気構えもなく正対できるほど、この地獄は生温くはない。慌てる間もなく、道祖はその惨たらしい空気に飲まれていた。
胎の中身がすべて溶け落ちて口から溢れ出ようとしているかのような吐き気。
肺、胃、食道。隙間なく植えつけられた毒虫の卵が一斉に孵り、体の内側で蠢き、貪られているような怖気。
一瞬たりとも耐えられない。
この惨たらしい恐怖から逃れるためならば命などいらない!
――カンッ。
腹を裂き割ろうとした、その瞬間、硬い物を打ち鳴らしたような音が響き、道祖は正気を取り戻した。
「――だが、やはり不要なものだ。人は藁にも縋ると言うが、いずれ溺れると分かっていながら手放さないのは、愚者のあり方だ」
ダニアが差しだした灰皿に煙管を打ちつけて灰を落としながら、昧弥は口を歪めて笑った。
「ならば、溺れるにしても欲の方がまだ幾分かマシというものだ」
そう言い残し、昧弥は断りもなく立ち上がって道祖に背を向ける。
「用は済んだろう? 私は帰らせてもらう」
返事を持つことなく、昧弥は踵を返しダニアが先んじて開ける扉へ歩を進めた。
「――ああ、最後に一つ。忠告だ」
はたと、今思いついたように足を止めた昧弥が肩越しに道祖へ視線を向ける。
瞬間、先程までとは比べ物にならない怖気が部屋を埋め尽くした。
「私もこんな形だが乙女でな。覗かれるのは趣味じゃない」
――次はない。
言外にそう言い放ち、昧弥は部屋を後にした。
扉が閉じ切った瞬間、道祖は体を支えていることができず、机に体を投げだすように崩れ落ちた。
全身から噴きだす冷や汗に身を震わせながら、監視カメラの私的流用は控えようと心に決めて、静かに涙を零した。
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