13
背後で物理的な圧力を持った気配が膨れ上がる。その大きさと濃度は、昧弥が垂れ流している悍ましい穢れの中でなお、埋もれることはなかった。
噴火寸前のマグマが膨れ上がっていくような危うさが、急激に部屋の中を圧迫していく……だが昧弥は振り返らない。太腿の上で手を組み、視線を道祖に合わせたまま静かに告げる。
「――ダーニャ。二度は言わんぞ?」
「……はい」
それだけで、膨れ上がっていた怒気が枯れかけの花のように萎んでいった。
ダニアは変わらず楚々とした立ち姿で控えていたが、俯いた視線と雀が鳴くようなか細い声に、彼女の落ち込みようがあからさまに見て取れる。
しかし返事までに挟まれた小さな間が、彼女が納得し切ってはいないことも知らせていた。
そのいじらしさに昧弥はクツクツと喉を鳴らして笑い、仕切り直すように道祖に向けて手を差しだして口を開いた。
「失礼した。何分、従者の自主性を重んじているものでな。特に主人への敬愛に制限などかけてはあまりに野暮だ。そうだろう? すべてを飲み込む器の大きさを示せればこそ、従者も心置きなく主人に尽くせるというものだ」
「ご主人様……ッ」
感極まったダニアの声に、昧弥はフッと柔らかな笑みを浮かべる。
主人とメイドの麗しい絆。
普通なら二人の間に百合の花の幻影でも咲き誇っているのが見えるところだろう。だが、この二人に限っては咲き乱れたとしてもトリカブトがいいとこで、想像上の絵で言えば冬虫夏草しか浮かんでこない。
地面を埋め尽くす青紫色の小花の群れと屍の山、そこから生える気色の悪い菌類が地上を嫉む亡者の手のように天に向かって伸び上がる。
脳裏に浮かんでしまった凄惨な光景に、道祖はせり上がってきた吐き気を抑え込むため口を一文字に引き結び、黙したまま次の言葉を促した。
その様子に昧弥は流れが自分の元に戻っていることを確認して、徐に懐から煙管を取りだし、手製の紙巻を差し込んで咥えた。
すかさずダニアがマッチに火を点し、主人の前に差しだす。
ゆっくりと吹かし、独特な香気と共に紫煙が登っていくのを見送ってから、昧弥は再び口を開いた。
「さて、貴様の質問は私が『学生』か否か、だったな?」
「……ああ」
なんで学生が煙草を吸っているのかや、吸う前に断りを入れろなどというツッコミ、もとい注意をする気力は最早残っていなかった。
そもそも、ここは本土の法が及ばない治外法権。この程度のことでいちいち目くじらを立てていては話にならない。
だが、それはそれ。ぶり返すどころか悪化したように感じる頭痛に、思わず眉間を揉み解しながら溜め息に乗せて返事をした道祖に、昧弥は口角を鋭く持ち上げた。
これまでのやり取りのすべてが茶番であったのは確かだが、時間を稼げたのも間違いない。ダニアの暴走の裏で、昧弥は着実に道祖の意図を紐解いていた。
出た結論は――枷。
二人に『学生』であるという枷を自らかけさせることで、今後の行動をある程度でも抑制しようといったところだろう。どうにも欲の薄い、堅実な一手だった。
だが、同時にこの問いの嫌らしいところは、昧弥とダニアが既に制服を身にまとい、学園の敷地に足を踏み入れているという点だ。
仮に、ここで学生であることを否定すれば、備品の窃盗に不法侵入、あらゆる理由をつけて学園の全勢力で以って自分たちを叩き潰しにくるのを認めるようなものだ。
しかも、その後はこの学園に足を踏み入れるのすら難しくなるだろう。
――それはよろしくない。
否定と肯定。
どちらを選択するにしても、今後の昧弥たちは自由を著しく阻害される。
自らの戯れによってもたらされた劣勢だが、上手い問答であることも確かだった。
――だが、吐いた唾を飲むことはできない。
それは界昧弥という存在が、そうあるために外れることはできない一線だ。
故に、その答えは――、
「そうだ。貴様の言うように、私のここでの身分は『学生』だ。そこに異論を挟む余地はない」
目を細めながら肯定した昧弥の言葉に、道祖は表情が崩れるのを辛うじて止めた。
思惑通りとはいえ、こんなにも簡単に認めるとは思ってもいなかった。
まだ何か裏があるのか、それともこの程度の枷は意味をなさないとでも言いたいのか……。どちらにしてもその判然としない薄気味の悪さに、素直に喜ぶこともできなかった。
だが、なんにしても言質は取った。今はそれだけで満足するべきだろう。
「そうか。では、今後お前たちにはこの学園に在籍する学生として相応しい行動を要請する。常に品行方正にしろとは言わん。こういう場所だ、どだい無理な話だ。
だが、無暗な暴力行為や他生徒の生活を破壊することは、この学園の長として断じて認めん……いいな?」
道祖としても、どうにも腑に落ち切らない気持ち悪さが拭えなかったが、これ以上の欲を出して話を大きくしても碌なことにならないと判断し、必要最低限の要求に止めた。
昧弥はその要求を吟味するように深く煙を吸い、ゆっくりと吐きだした。
「いいだろう。私も学園とことを構える気はない。――今は、な」
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